短編集

石鶴咲良

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カメラの中に

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カメラの中には忘れられない君が居る。
電気屋でカメラを見た瞬間、そのカメラにふと懐かしさを覚えて、君のことを思い出した。
小さい水色の、デジタルカメラ。
小さいころ、誕生日プレゼントに買ってもらったことを覚えている。
掌の上に載って、今じゃ包み込めるほどに小さなそれもあの頃は片手で持っては落としそうなくらいに大きかった。
カメラにつけたストラップにいつも手を通してあちらこちらを走り回っては電源が切れるまで撮って回った。ピンボケはしまくりで、何を撮っているのかもわからないほどにブレブレな写真を何枚も、何枚も取り続けた。
「ねーねーしゃしんとろ?」
そんな言葉がそのころの口癖だった。
「はいチーズ」なんて言葉を覚えた日には人にカメラを向けては「はいチーズ」と言いまくった。間違えて静画から動画に設定を変えてしまったときは「壊れた」と泣きながら母親に訴えた。
しっかり覗きもせず、自分自身が動き回るものだから、それはそれはひどい写真ばかりで、だけれど、そんな僕に見せるみんなの笑顔がたまらなく好きだった。
いつからか、カシャッと鳴るその音は楽しそうな誰かの笑みの合図となった。
母が笑い、父も笑い、祖父母が笑った。近所のおばちゃんも、いとこも、叔父も、叔母も、レンズの先には笑顔があった。
そんなある時のことだった。未だカメラにお熱な僕はとにかく、出会う人出会う人(といっても壊すのが怖くて外には持ち出せなかったので家に訪れる人ばかりにだが)に「はいチーズ」と言ってシャッターを切り続けた。
近くに越してきたある家族がうちに尋ねてきたときも同じようにシャッターを切った。
ぼくより少し年上の女の子と、お父さんと同じくらいの優し気な男の人、それからにこりと笑いかけてくれたテレビで見る人みたいにきれいな人。
男の人とお父さんが何やら笑いながら会話を弾ませていたのを覚えている。
女の人はニコリと微笑むと、しゃがんで「よろしくね。」とふんわりと言ってくれた。
けれど、何より一番覚えているのは、女の子が全然笑ってくれなかったことを今でもはっきりと覚えている。
それから何度かお隣さんはうちに来て、女の子とはあまり話せないまま、お父さんたちが声を上げて笑うのを見つめていた。
気が付くと、いつの間にか僕はシャッターを切らなくなっていた。
「どうしたの?楽しくない?」
ただ飲み終わったジュースのコップをカランカランと回して眺めるだけの僕に母が言った。
それもそうだ。
今まで、ずっと誰が何をしていようと一人で馬鹿の一つ覚えのようにシャッターを切って、遊んでいた僕が急に何もしなくなったかと思いきや胡乱な表情でカップに残った氷を眺めているのだから。
正直な話、多分、それはそれで楽しんでいたのだと思うけれど。
「ねぇ、もう写真は撮らないの?」
あまり表情は変えず、どこかぼーっとした顔をの女の子は首を少しひねって小さくつぶやいた。
一番初めに会ったときよりも、なんとなく落ち着いた雰囲気を感じて、なんとなく、心地よかった。
「そういえば…最近は撮ってないかも。」
コップを置いて思い出したかのように僕は言った。
「そう…。」
少し残念そうな顔をしてそこで会話は途切れてしまった。
「それなら写真を見せてもらえば?あなた写真見るの好きでしょう?」
そう言ったのはあの綺麗なお母さんだった。
「うん。みせて…くれる?」
未だぼんやりした感じだったけれど、確かに少しわくわくしているような感じで言った。
「いいよ。…けど、僕、撮るの上手くはないんだ。」
「そっか…。それじゃあ、教えてあげる。」
そう言いながら、僕らは隣の居間を開け放ってそこで座り込んだ。
僕がカメラを起動すると興味津々に覗き込んで、僕の撮った写真を二人で眺めた。
「…下手くそ。」
ボソッと聞こえたその言葉に、隣の部屋からは大人たちの大きな笑い声がした。
「だから、私が教えてあげる。」
自信ありげに言う彼女に頼もしさを覚えながら、彼女の言うとおりにカメラの構え方やらズームの仕方、ピントの合わせ方なんかを感覚的に教えてもらった。(僕のカメラの説明書は読んでなかったので結局うまく教わることはできなかったのだけれど。)
それでも、一枚だけきれいに撮れた写真があった。
あまり表情を変えない君が、僕の大好きな菫の花ように微笑んだその写真は、今でも大切な宝物。
「絶対にもっと上手に撮れるようになるからね。」
仲良くなれてまだ間もない、君が越してきてから一年ほどのころ、君が少しの間、遠くに行くと知って僕はそう声をかけた。
「うん。絶対だよ。またすぐ連絡するし、またきっとすぐ帰ってくるから。待っててね。」
普段感情を見せない君がきれいな涙を流していた。
「わかった。約束だよ。……はいチーズ。」
僕も、目に涙を浮かべながら、それを隠すようにカメラを構えた。
「…はいチーズ…か。それじゃあ、笑わなくちゃね。」
彼女はそう言うと、涙を流しながら僕に笑って見せた。
その時撮った写真はまるで狐の嫁入りのように優しい太陽のような君の笑顔と澄んだ透明な涙がとてもとても、美しかった。

・・・数年後

「久しぶり。写真、撮ろ。」
ふわりと輝くその君の笑顔はいつまでたっても変わらない。
「おかえり。待ってたよ。」
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