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第2章 SAMURAI FIST ~選ばれし者の証

約束

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「俺が中等部にいたころデスクロスってのが流行ってたんだ」
「ああ、立ち入り禁止の新開発区――出巣黒須《ですくろす》市に住んでる修羅の一族って奴だろ。ヤンキーが勝手に名乗ってたりしてたよな……ああ、ここだ」
「あれって、実在したんだね……。おお」
 俺と舞奈は崩れかけたアパートの前で足を止めた。

「すごい、家があった」
 この街に入ってから廃屋と崩れたビルしか見ていないので、いちおう施設として機能しているらしい建物が見つかって少し感動した。
 それが瓦礫にまみれて辛うじて建っている廃屋のようなボロ家だったとしても。
 そんなボロ屋の表札には、剥げかけた『コーポ LIMBO』の文字。

 瓦礫が転がる音に側を見やると、痩せた野良猫が物欲しげにこちらを見やっていた。

「よっ、今日も元気そうだな?」
 舞奈が餌をやるわけでもなく笑いかけると、悲しげにひと鳴きして去って行った。
 猫がちょっと可哀想なんじゃ、と苦笑しつつ舞奈を見やる。
 だが舞奈はすでに猫に興味をなくしたか、階段の横に咲いた百合を見やっていた。

 幾輪もの百合の花が咲いて、小さなお花畑みたいになっている。
 だがガーデニングという様子でもない。群生しているだけだ。

 せっかくだから俺も一緒に花を見る。
 百合の花は綺麗だし、花を眺める舞奈が珍しく年齢相応に見えて可愛いと思った。
 だが、

「……え?」
 花畑の中で、何かが光った。
 見やると、1輪の百合の花弁の先に、紫電が灯っていた。

「光ってる!? あ、あれって!?」
「ああ、ここの百合は異能力を使うんだ。怪異避けになって便利なんだよ。そうだ。ついでにこいつで異能力のことを教えてやるよ」
 そうして2人して花畑の縁にしゃがみこむ。

「この光ってるのが【雷霊武器サンダーサムライ】。武器を放電させる異能力だ」
「電気を出す異能力もあるんだ」
 そう言えば、以前にガードマンを襲っていた屍虫に挑んだ異能力者たちのひとりが槍に紫電をまとわせて攻撃していたっけ。
 勇敢な彼らとまた会えたら嬉しいと思う。
 前回はゆっくり話す時間がなかったし、高等部の彼らとは未だ再会できていない。

 そんなことを考えていると、側の百合の前に小さな氷の結晶が形作られる。

「でもって、こいつは武器の先に冷気を作りだす【氷霊武器アイスサムライ】だ」
「へぇ……。あ、【火霊武器ファイヤーサムライ】はないの?」
「兄ちゃんの異能力か? ちょっと待ってな……っと、ないな。そんなに珍しい異能力でもないはずなのに」
「そっか。それじゃこれは――イテッ」
 つややかな百合の花びらを撫でようとして、不意に手を引っこめる。
 指の先がちょっと切れて、血が出ていた。

「そいつは【装甲硬化ナイトガード】。身に着けた装備を無敵にする異能力なんだけど、薄いものを無敵にすると曲がったり壊れたりしなくなるから、鋭利な刃物みたいに使えるんだ」
 そう言って不意に俺の手を取り、俺の指をぺろりと舐めた。

 少女の舌の感覚と、目の前に差し出された頭皮の匂い。
 思わず顔が赤らむのを感じる。

 そんな俺に構わず、舞奈は絆創膏を取り出して手慣れた調子で巻きつける。
 幼児向けアニメのキャラクターがプリントされた、意外にも子供っぽい絆創膏だ。

「絆創膏なんて持ち歩いてるんだ、用意良いんだね」
「何かと細かい怪我は多いからな。けど、明日香ほどじゃないぞ。あいつ、人間用の裁縫道具やナイフのセットまで持ち歩いてるんだ」
「えっ? 明日香ちゃん、そんなものを何に……?」
「じゃ、そろそろ部屋に行くか」
 そして崩れかけた階段で2階に上がる。
 俺も続く。
 舞奈は部屋の鍵を探してジャケットのポケットをまさぐる。

「ポケットに直接入れてるの? そのうち落とすよ」
「細かいなあ……。兄ちゃん、明日香みたいなこと言うんだな」
「おかしいのは俺のほう……?」
 そんなことを言い合いながら、ぼんやり表札を見やる。
 表札には舞奈1人の名前しかない。

「ひょっとして、ひとり暮らし!?」
「……そうだよ。2人も3人も住むには、ちっとばかり狭い部屋だからな」
 乾いた声色にふと見やるが、ドアのほうを向いた舞奈の表情は見えない。

 ふと、舞奈の名が記された表札の横に何か書いてあるのに気づいた。
 剥ぎ取られた表札の跡に、園児のような酷い字で。
 気のせいか、それは誰かの名前のように見えた。

「お、あったあった。お待たせ」
 舞奈はガチャガチャと鍵を回してドアを開ける。

 そういえば、ひとり暮らしの女の子の部屋に入るなんてはじめてだ。
 千佳の部屋は家族の部屋だし、最近は小夜子の部屋にも行っていない。
 そう思って、ちょっとドキドキしてみたりもするが、

「おじゃまします」
 通された部屋は、別に女の子らしくもなんともなかった。

 リビングの中央には古びたローテーブルと安物のソファが鎮座している。
 壁際には冷蔵庫やサイドテーブルが並んでいる。
 しいてここが女の子の部屋だとわかる要素は、ソファーの片隅に手製とおぼしきぬいぐるみが転がっていることくらいか。

 ある意味で舞奈らしい部屋だなと思った。

「そこらへんに適当に座っててよ」
「何か手伝おうか?」
「あたしの家の冷蔵庫の中身は、あたしがいちばんよく知ってるよ。……えーっと、お茶っ葉なんてあったっけ。っと、なんだこりゃ? 食い物か?」
 舞奈が冷蔵庫をあさる様を見やりつつソファに腰かける。
 するとローテーブルの上に置かれた額縁が目に入った。

 テーブルと同じくらい古びた木製の額縁だ。
 額には3人の少女が写った写真が飾られている。
 ひとりは、優しげに微笑む、編んだ栗色の髪と豊かな胸の少女。
 もうひとりは、勝気な笑みを浮かべるポニーテールの少女。
 最後のひとりは、無邪気に笑うツインテールの幼女。幼い頃の舞奈だろう。

 なんというか、どことなく斜に構えた今の彼女からは意外なほど屈託のない笑みだ。
 少し千佳に似ているかもしれない。

 3人の関係は何なのだろう?
 仲の良い友人にも、姉妹にも見える。

 ふと気になって、尋ねてみようと舞奈に目をやる。
 だが舞奈はずっと冷蔵庫に手を突っこんだまま「これ湯がいたら茶になるかな。茶色いし」とか口走っていた。

(本当に手伝わなくて大丈夫かな?)
 戸惑いながらも問いかける。

「ねえ舞奈、この写真の子たちって――」
「志門! しーぃもん!! 命が惜しければ今すぐこの町から出ていけ!!」
 問いを怒声がかき消した。

 叫び声に、金属製のドアを強打する狂ったような打撃音が混ざる。

 まさか襲撃!?

 俺は腰を浮かせて玄関を見やる。

 細長い覗き窓の中から、血走った男の瞳がギロリと俺を睨んだ。

「ひいっ!? ま、舞奈! あれ!!」
「聞こえてるよ」
 だが舞奈はあわてる様子もなく冷蔵庫から顔をあげ、

「すまん、茶がない」
「そんなのいいから、あの人!」
「心配するな。このアパートの管理人だよ」
「管理人って!?」
「管理人ってのは、アパートの管理をする人のことだ」
「そうじゃなくって! ……ひょっとして舞奈、何かしたの!?」
「何もしてないよ。家賃のツケだって3ヶ月しか貯めてないし」
「それが原因なんじゃ……!?」
 動揺する俺を尻目に、舞奈は何食わぬ顔でドアをあける。

「開けたら危ないんじゃ!?」
 俺は思わず身を固くする。
 ギイと開いたドアの前には、ハンチング帽を目深にかぶったヒゲ面の小男がいた。

「おお! いたか志門!!」
「じーさん、昼間から元気にどうした?」
「すまん! 酸性雨の予兆を見逃しとった! 遅くても今晩には降りはじめる! それまでに隣町にでも退避しろ! 間男も忘れずに連れてくんだぞ!!」
「間……!? って、俺はそんなんじゃ……!!」
「長引きそうか? お泊りの準備なんかしてないんだが」
「四の五の言わずに、どっか見つけて転がりこめ!! 今度の雨は2、3日は続く! お前みたいな奴が部屋の中で大人しくしていられる期間じゃない! カズキといいお前といい、毒で大やけどした子供の面倒を誰が見ると思ってるんだ!!」
「はいはい、なんとかするよ」
 管理人と舞奈の話は穏やかに(?)まとまったようだ。
 その内容はともかく、修羅場にならなくて良かったと俺は胸をなでおろす。

「で、でも、よかったよ。家賃を払えないからって追い出されたわけじゃなくて」
「当たり前だ! 家賃の未払いを半年も貯めたままトンズラされてたまるもんか!!」
 そう言い残して、騒々しい来訪者は去って行った。

「さっきは3ヶ月って……」
「あたしだって女の子だぞ? サバだって読むさ。家賃のツケを半分に言ったり、年を半分に言ったりとかさ」
「それじゃ、未就学児になっちゃうよ。……ところで、酸性雨って?」
「じーさんの話を聞いてなかったのか? 明日までに街を出ないと、ここに缶詰だ」
「いや、だから、酸性雨って何なの? まさか空から酸が降ってくるの?」
 まさかそんなSFみたいなことが本当にあるわけないだろうと軽口をたたくが、

「そうだよ」
 舞奈は平然と言った。

「ここら辺は年に何度か、毒の雨が降るんだ。管理人は雨が来るのを予測して教えてくれるんだ。今回はちょっとヘマしたみたいだけどな」
 俺は思わず絶句した。

 それは人の住む環境じゃないのでは?
 そして、ふと、尋ねようとして忘れていたもうひとつの疑問が口をついた。

「ねえ、カズキって……誰?」
 その問いに、舞奈は一瞬だけ言葉を探すように躊躇する。そして、

「昔の……知り合いだよ」
 額縁を一瞥し、そして口元に乾いた笑みを浮かべた。

 そして俺たちはアパートを出た。

「おまたせ」
 アパートの前で待っていると、舞奈がやって来た。
 準備はしていないと言った割に手早くまとめた着替えをトートバックに詰め、初等部指定の学生鞄といっしょに持ってきた。そして、

「スマン、もう一仕事してからで構わないか?」
「いいけど、何するの?」
「こいつさ」
 そう言ってビニール製のレジャーシートを取り出し、階段の脇の百合を見やる。

「こいつら、毒の雨にうたれっぱなしじゃ可哀想だろ? まあ、雨が降っても平気で咲いてるんだけど、今回は長引くって言うし」
 意外にも少女らしい言葉だ。なので、

「俺も手伝うよ」
 そう言って支柱になりそうな石を探す。だが、

「そんなもんかけたって、降りだしたら10分もたたずに溶けちまうぞ!」
 管理人室の窓からハンチング帽の男が顔を出した。

「母屋の裏に装甲板が積んである! 複合装甲《コンポジット・アーマー》の板っぺらだ! 野ざらしだったから耐腐食性の高い部分だけが残ってるはずから、雨よけにするならそいつを使え!」
 管理人は叫ぶ。

「母屋しかないだろ、この家」
 舞奈はボソリとつっこんでから、

「さんきゅ! じーさん!」
「何でこんなところに戦車の装甲板が……」
 俺と舞奈はアパートの裏にまわり、積んであった板材を発見した。

 装甲板というにはあまりにも軽く、まるでバルサ材のようだった。度重なる毒の雨で腐食に弱い部分は溶けてしまったのだろう。
 隣町の恐ろしい自然現象に、俺は思わず恐怖した。

 ともあれ、俺たちは群生地のまわりにしっかりした石で柱を作ることにした。
 主に働いているのは舞奈だ。
 ……俺はすぐにバテてしまったからだ。

「兄ちゃんは休んでてくれよ」
 何食わぬ顔で言いつつ重たい石を普通に運んで注意深く積み上げる少女(小4)を見やりながら、俺(中3)は自己嫌悪にかられた。

 小柄なせいか気にならなかったけど、よく見ると舞奈はすごい身体をしている。

 彼女が巨石を持ち上げるたびに、腕まくりしたブラウスから覗く筋肉がしなる。
 石を運ぶ歩みに合わせて、ピンク色のキュロットからのびる大腿四頭筋が重機のピストンのように規則正しく動く。

 小学生の太ももが眩しいとかいう感覚はぜんぜんなくて、ただひたすら筋肉が凄い。
 運動したせいかブラウスの下側からお腹がチラリと見えた。
 腹筋が割れていた。

 支部で見たBランクの彼の異能力で強化された腹筋より、その後に見せてもらった屈強な女性の腹筋より、舞奈の身体は引き締まり、鋼鉄のように鍛えられていた。

 さらに動いてブラウスが豪快にまくれ上がる。
 けれど小4の舞奈には膨らむ場所がまだないらしい。
 だから代りに、固く締まった胸板がちらりと見えた。

 そうやって、玉の汗を吹きだしながらテカテカと輝く筋肉を見やる。
 そうしながら、ふと自分の指先にまかれた子供っぽい絆創膏に目を落とす。

 不思議な少女だな、と思った。

 小柄な身体は鍛え抜かれ、世馴れて大人びていると思えば子供っぽい一面を見せ、修羅の街で生き抜くタフさを見せつける。
 そうかと思えば、乙女チックで繊細な一面を垣間見せる。
 とらえどころのない、けど目が離せない、そんな少女だと思った。

 俺がそんなことを考えているうちにも舞奈は働く。
 そして、いつの間にか花畑の周囲には堅牢な石の塔が建っていた。

 その上に、装甲板の残骸を載せて屋根にする。
 さほど重くはないけど大きな板で屋根を作る作業には、なんとか俺も参加することができた。

「ふぅ、やっと終わった……」
「ありがとう、兄ちゃん。こいつらもきっと喜んでるよ」
「いや、あんまり役に立てなくてごめん」
 俺は思わず恐縮する
 そして、せめてこのくらいはとトートバッグからはみ出ていたタオルを手渡す。

「さんきゅ」
 舞奈はキャラクターものの大判タオルを受け取る。
 頭からかぶって気持ちよさそうに汗を拭く。

「それにしても、こんなことが何度もあると大変だよね」
 俺もハンカチで額の汗を拭く。

「まあな。でも、良いことだってあるんだよ」
「良いこと?」
「ああ」
 舞奈はうなずいて、空を指さす。
 新開発区の奥の方向だ。

「毒の雨が止んだ後にさ、向うにでっかい虹ができるんだ。ビックリするぐらい大きくて、登れそうなくらいハッキリ見えるんだよ。旧市街地からでもいちおう見れるけど、新開発区《ここ》から見るとほんどうにすごいんだ。雨が止んだ後に見せてあげるよ」
 そう言って満面の笑みを浮かべる。
 その様子が、親に宝物を見せようとする子供のように見えて、思わず笑みを返す。

「うん、楽しみにしてるよ」
 もう1度、舞奈といっしょにこの街に来るのか。
 そう思うと、ちょっとワクワクした。そして、ふと気づく。

「そういえば、泊まる先は決まってるの?」
「いんや。急な話だからな……」
 舞奈はしばし考えこむ。

「明日香の家は?」
「あいつの家にアポなしで転がりこんで、あまつさえ1拍も2拍もする勇気はないよ」
「彼女の家にいったい何が……?」
「さすがにホテルにツケでは泊まれないだろうし……」
「……舞奈、ツケって『いつか返す予定の』お金のことだって知ってるよね?」
「ああ、もちろんさ。まあ、しょうがない、【機関】の支部にでも忍びこむか。設備室に儀式で使う種無しパンとワインがあるはずだし、そいつを失敬して……」
 舞奈の思考がだんだんシャレにならない方向に進んでいるようなので、思わず、

「あ、あのさ、舞奈。よければ俺の家に泊まってかない?」
 その言葉に、舞奈は(ああ盲点だった)と言わんばかりに俺を見やる。

「でも、迷惑じゃないのか? 親御さんとか」
「父さんも母さんも出張でしばらく家にいないし……ま、いちおう妹に聞いてみるよ」
 そう言って携帯をかける。

『あ、お兄ちゃん? 日曜だからって、朝っぱらからどこに行ってたの?』
「う……。それより、今日から3日ほど家に友達が泊まるんだけど、いいかな……?」
『そんな急に? そりゃ、お兄ちゃんの友達ならいいけど……』
 やや不安げな千佳の声色に、なんとか安心させようと、

「そんな心配しなくても、良い子だし、女の子だから」
『お兄ちゃんの彼女!?』
 いきなり元気になった千佳に、俺は思わず吹きだした。
 そっか、千佳も年頃だもんな……。

「いや、そういうわけじゃ……」
『お兄ちゃんの彼女かー。そういうことなら仕方がないよね! わたしは邪魔しないから、ゆっくり泊まらせてあげて!』
「いや、だから……」
『あ、そうだ。わたし、シロネンのチョコレートケーキが食べたいなー。買って来てくれたら、小夜子さんに彼女のことナイショにしててあげるね』
「ううっ、足元見て高いケーキを……じゃなくて、そうじゃなくて!」
 舞奈は彼女じゃない。
 それに小夜子はただの幼馴染で、そういうことを気にする関係ではないはずだ。
 そうだよな?
 それをいっぺんに説明しようとして頭が真っ白になった俺を嘲笑うように、

『それじゃ、よろしくね!』
 そう言って、無情にも電話は切れた。

「……いいって」
「なんかスマン、恩に着るよ」
「どういたしまして」
 舞奈に笑みを返しつつ、妹の誤解をどう解けばいいのか悩んだ。

「お礼と言っちゃ何だけど、なんか冷たいものでもおごるよ」
 舞奈はそう言って、慰めるように笑った。


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