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第7章 メメント・モリ

メメント・モリ

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「へへっ! 待ちに待ったハンバーグだ!」
 給食の時間、並べた机の上に置いたトレイを見やって舞奈は笑う。
 途端に腹がぐ~と鳴る。

「よしよし、午前中よく頑張ったな。もうすぐ腹いっぱい肉が食えるぞ」
 自分の腹をさすってなだめる。

「もらったばかりの報酬はどうしたのよ」
「……いろいろあるんだよ、いろいろ」
 ジト目で見てくる明日香を見やり、舞奈は口をへの字に曲げる。

 舞奈たちはメメント・モリによる連続殺害事件の解決という【機関】からの依頼を首尾よくこなし、あまつさえ彼女らを仲間に引き入れることに成功した。
 なので結構な額の報酬を手に入れた。

 だが紅葉との戦闘で使った特殊弾も、それに劣らず高価だ。
 収支はトントン。下手すれば赤字だ。
 だから今日も舞奈は水道水を朝食にして登校した。

「やれやれだわ」
 言って明日香は苦笑する。
 そして、抜く手も見せずに舞奈のトレイを奪い去った。

「お、おいっ!? 何をする!? やめろ!」
 舞奈はイスを蹴って立ち上がる。
 ハンバーグは今日の舞奈の命綱だ。それを奪われたら必死にもなる。

 明日香は自分のトレイを傾ける。
 そしてフォークの柄でハンバーグを押しやり――

 ――舞奈のトレイに入れた。

「正気か明日香!? ハンバーグだぞ!?」
 先程とは真逆の理由で舞奈は叫ぶ。

「奇遇ね、わたしにもハンバーグに見えるわ」
 なぜか嫌そうに見やりつつ、明日香はトレイを舞奈に返す。
 もちろん肉が食べられない訳ではない。
 彼女には舞奈とは正反対な理由で好き嫌いとかあんまりないのだ。

「明日香ちゃん、食欲がないの?」
 心優しい園香が気づかう。
 だが、明日香はどさくさにまぎれてサラダをかすめ取っていった。
 別に体調が悪いわけでもないらしい。

「安倍さん、野菜しか食べられないの? じゃーわたしのニンジンもあげる!」
「いや、それはおまえが食えないだけだろ」
 チャビーの皿から器用に取り分けられたニンジンに、思わずツッコむ。

 だが、まあ舞奈としても、野菜と引き換えに肉を貰えるなら願ったりだ。
 なので不健康そうなアメリカン定食になったトレイを見やって満足げに笑う。

「――でね、そのお店はぜんぶ焼けちゃったけど、隣のおばあちゃんの家は焦げてすらいなかったのー。きっとお店で売ってた水素水が奇跡を起こしたのね!」
 舞奈たちとは別の島で、桜が教室中に響く声で世間話などしていた。
「郷田さん、食事中に大声で話したらダメです」
「はーい。臭い変質者のおじさんもいなかったし、おばあちゃんは無事だし、桜的にはとってもラッキーだったの。きっと桜の日頃の行いが良いせいね!」
「……あいつも元気で何よりだ」
 舞奈はやれやれと苦笑する。

 そして再び明日香を見やる。明日香はチャビーに押しつけられたニンジンを気にもせず、肉をつついたフォークの柄を嫌そうにティッシュで拭いていた。
 あんがい彼女には、これがハンバーグ以外の何かに見えているのかもしれない。

 そうこうするうちに、放課後である。

 明日香は帰宅すると、自室の地下にある一室を訪れていた。
 床も壁も冷淡な色のリノリウムでできた、病室を思わせる部屋だ。

「お帰りなさいませ、明日香様」
 猫背で白衣を着こんだ執事がうやうやしく出迎えた。
 夜壁である。
 日中は芸術活動に勤しんでいたのであろう、白衣は脂虫の体液で汚れていた。

「明日香様は本当に良いお友だちをお持ちですな」
 夜壁は笑う。
 その背後には、鎖で吊るされた1匹の脂虫。
 いつものように衣服は剥ぎ取られ、膝から下は切断されていた。

 明日香は思わず顔をしかめる。
 こうした状況下の脂虫は凝固剤で生命を維持しながら睡眠も飲食も、もちろん煙草も断っている。
 だが、それでも臭い。ヤニの悪臭が体液にしみこんでいるのだろう。
 明日香にはとても耐えられない臭いだ。
 そんな悪臭も、夜壁は気にならない様子だ。

「この足など、一太刀で切断しながら傷を焼き潰しております。なんとも見事な技前でございましょうか」
「それは【太陽の嘴トナメヤカトル】という呪術です。彼女が代償と引き換えに得た力ですよ」
「左様でございますか。実に有用な力ですな」
 言葉の意味を理解したのかしていないのか、夜壁はうっとりと切断面を撫でる。
 脂虫は苦痛に身をよじる。

 先日の戦闘の後、排除された麻薬中毒の脂虫たちを表舞台から消し去るべく、煙草の不始末という至極説得力のある理由による火災が捏造された。
 経営者の男性及び屋内で集会をしていた顧客全員が焼死。
 水素水を取り扱っていた店舗兼住宅は全焼。
 なのに隣接する家屋には焦げ跡ひとつなかったという珍事が、水素水最後のミステリーとして町内でしばらく話題になった。

 その際に命乞いをしてきた脂虫は、小夜子の計らいによって明日香の執事に進呈されることになった。
 尋問以外の目的で斬り刻める脂虫が手に入って、夜壁は大喜びだ。
 なので、ここ数日、毎日ここに籠っている。

「今日は右の大腿が完成いたしました」
 脂虫の右足と、顔の左半分はミンチ状になっている。
 肉は身体についたままなので、モップの毛先っぽくもある。
 どちらにせよ、ただ力任せに潰しただけの自称ミンチとは違い、細いメスを使って丹念に等間隔に斬り裂かれている。
 食用のひき肉で言えば粗挽きほどか。
 凝固剤の効果がある1カ月ほどで、これを全身に施すらしい。

 これが人間であるならば、法的にも倫理的にも許されざる行為である。
 だが相手は脂虫だ。人間ではない。
 法務部/諜報部の業務によって、彼は法的には故人ということになっている。
 そもそも脂虫は殺されるための存在だ。そのために彼らは悪臭を振りまき、横柄に身勝手に振る舞い、相手が自分を殺す心理的ハードルを下げている。

 余談だが、普段こうして脂虫を尋問する際は「明日香の教育上不適切だから」という理由で事前に局部を引っこ抜いて処分している。
 だが今回は「めでたいから」という理由で螺旋状に斬り裂かれ、伸びきったばねのようにゆらゆらと揺れている。
 脂虫が動くたびに先端が床をこすり、新たな激痛を提供している。
 何が教育上不適切で何がめでたいのか、明日香はわからないし知りたくもない。

「完成の暁には、明日香様、ご助力をお願いします」
「……わかってますよ」
 答えつつ、明日香はやれやれと苦笑する。

 明日香が使う【火葬アインエッシュルング】は、脂虫を発破する魔術だ。
 だが、ゆっくりかければ脂虫を内側から焼き尽くす浄化の炎となる。
 全身の肉をミンチ状にした脂虫をそのやり方で焼却すると、切れ目に沿って色が変わって得も言われぬ芸術的な様相になる。と、夜壁は主張している。

 明日香は肩をすくめる。
 件の事件で、桂木楓というアーティストの知人ができた。
 だが生真面目な明日香は芸術の良し悪しなど理解できない。
 彼女にこの芸術のことを話した場合、彼女が喜ぶのか、喜ばないのか、ドン引きするかの判別がつかない。

 ちなみに、中はこんがり、外はジューシーなハンバーグのようなものらしい。
 そう説明された後日、流石の明日香も給食のハンバーグを友人に押しつけた。
 いいかげん彼のせいでこの手の事柄には慣れたつもりでいたが、いくらなんでもその例えはないと思った。
 そんなことなど知らない友人は、幸せそうに2人分のハンバーグを平らげた。
 ハンバーグに余計な偏見を持たずに済んでいる彼女が、少し羨ましいと思った。

 そして日曜日の昼前。
 ハンバーグを美味しく食べれる舞奈は人気のない支部の受付にいた。

「舞奈ちゃ~ん、がぁ~んばれぇ~」
「うん! がんばる!」
 小柄で巨乳な受付嬢の、胸の谷間に挟まれているのは1枚の食券。
 舞奈はそれをカウンター越しに、手を使わずに口で取るゲームをしていた。
 昼間から。

「届かないよー。もうちょっとこっちに来てー」
「ダ~メ、ギブアップする~?」
 言いつつ嬢は身をゆする。
 小柄な胸で見事に熟れた2つの果実がぷるるんっと揺れる。

「ギブアップしなーい」
 甘ったるい声をあげながら、舞奈はカウンターに乗り上がって嬢の胸に迫る。
 鼻の下をのばして口を突き出す様は、とても知人に見せられたものではない。

「よーし、本気出しちゃうぞー」
 カウンターの上で蛇のように身をくねらせる。
 そのまま胸元に挟まれた食券の端をくわえる。

「や~ん、取られちゃった~」
「取っちゃったー」
 どさくさにまぎれて胸の谷間に埋まろうと試みたのだが、嬢が素早く身を引いたので阻止された。舞奈より一枚上手の嬢である。

「やあ、舞奈ちゃん。日曜なのに仕事なんて真面目だね」
 後ろから紅葉の声。
 舞奈はあわててカウンターから飛び退く。

 一樹に似た雰囲気の中学生は、おっぱいゲームのことなんて知る由もない。
 ある意味、昼間からこんなことをしていられる事実こそが、舞奈が美佳と一樹の思い出を振り切り、志門舞奈というひとりの少女になれた証なのかもしれない。

「……そういうあんたは真面目なのか?」
 何食わぬ顔で言葉を返す。

「そういうことになるのかな? 手続きの書類を提出しようと思ってね」
 紅葉は受付嬢に書類を手渡す。
 彼女は本当に真面目だった。
 受付嬢も舞奈同様、胸の谷間なんて素知らぬ様子で普通に対応する。

 結局、紅葉と楓は舞奈と同じ仕事人《トラブルシューター》になった。
 コンビ名は【メメント・モリ】。
 執行人エージェントにならなかったのは、【機関】を完全には信用しきれなかったからだ。
 それに裕福な彼女らは武器弾薬の支給や福利厚生に魅力を感じないらしい。
 そして理由はもうひとつ――

「せっかくだし、一緒にランチでもどうかな?」
 受付を終えた紅葉が、気さくに声をかけてくる。

「いろいろ話を聞きたいし、その……先輩としての」
 年下の舞奈を先輩と呼ぶのに少し照れがあるらしい。
 だが紅葉は、舞奈を何かと気にしているようだ。
 自分を打ち負かした舞奈から、何かを得ようとしているのかもしれない。

 なので2人は並んで食堂に向かった。

「へへっ、食堂で飯を食うには、食券が必要なんだ」
「そうらしいね」
 食堂へ続く通路を歩きながら、舞奈は当たり前のことを言う。

「けど今回だけはな――」
 舞奈にとって、飯をくれるか否かは大人と子供を区別する基準のひとつだ。
 なので今日は飯をおごって、自分を慕ってくれる年上の後輩に大人っぽいところを見せたかった。だが、

「どうしたんだい?」
「……いや、食券の販売機はこっちだ」
 舞奈は食券を、先ほど受付嬢にもらった1枚しか持っていなかった。

「聞いてた通りに安いなあ」
 紅葉は食券を束で買った。

「調子に乗って買いすぎたかな。財布に入らないや。必要なら何枚か譲るよ?」
「……自分の分は持ってるからいいよ」
「そっか、先輩にそういうのは失礼だったね」
 不貞腐れて答えた舞奈に、紅葉は素直に謝罪する。
 中3の紅葉も小5の舞奈も、大人になるにはもう少し時間が必要だ。

「おや、舞奈ちゃんと……新入りの紅葉ちゃんだっけね。いっぱい食ってきな」
 休日だからか人気のない食堂に入ると、でっぷり太ったばあさんが出迎えた。

「あのメニューから選ぶんだ」
「見たことのない料理がたくさんあるなあ」
 舞奈は先輩風を吹かせつつ、紅葉は物珍しげにメニューを見やる。
 そこには以前にご馳走された味噌カツカレーも載っていた。
 なので舞奈は優越感に浸って笑う。
 そして他に何があるのかとメニューを見やり、

「なあ、ばあさん。この『登山』ってなんだ?」
「あんたは食いつくと思ったよ。なんたって異郷最強の珍味だからね」
「最強!? そいつはイイネ! なんつったって異郷の珍味にゃ外れなしだ」
 思わず先日に食した味噌カツカレーの味を、きしめんの食感を反すうする。
 それにも勝る最強とはどれほどのものか、考えるだけでよだれがでる。

「味は食ってのお楽しみさ。できたら席まで持って行ってやるよ」
「そいつはファミレスみたいで豪勢だ! ばあさん、頼むよ」
 舞奈は貰ったばかりの食券を手渡す。

 その様子を見やり、紅葉は「千切って使うのか」とか感心する。
 普段の生活で何を食っているのだろうと、少し気になった。

「わたしはこの、あんかけパスタ定食を貰うよ」
「あいよ。ちょっと待ってな」
「他のメニューは自分で持っていくんだね。ファーストフードみたいで面白いな」
 そうしてパスタを受け取った紅葉と手ぶらの舞奈は近くに席に座った。

「それにしても、舞奈ちゃんは凄いな」
 紅葉はパスタを上品にフォークに巻きつけて、口に運ぶ。
「よせやい」
 食べる紅葉を頬杖をついて見やりながら舞奈は答える。
「わたしも姉さんも、君たち2人に勝てなかった。それに君たちは、わたしたちよりずっと前から怪異どもと戦っていたんだ」
「……たまたまだよ」
 そう言ったものの、中学生に持ち上げられて舞奈は良い気分になっていた。

「それに、わたしたちが2人組だって、いつから気づいてた?」
「確信したのは、追いかけっこの翌日だ。猫が怪我してるって知って、あんたは『姉さん』って言いかけた。それで学生名簿を調べたらあんたたち姉妹が見つかった」
「そんなことでわかっちゃうんだ」
 紅葉は素直に驚いて見せる。

「けど、今思えば他にもヒントはあった。あんたたち、前にも2人で墓参りしてたろ? それに、追われてる最中に子どもを守ったあんたが、脂虫の体液でサインを残したアーティストとは別人だと思った」
「わたしだって奴らは憎かったし、姉さんだって楽しんでた訳じゃないよ」
「それが悪いって言うつもりはないよ。奴らがどういう生き物かはよく知ってる」
 姉を誤解されたと思ったか苦笑する紅葉に、口元に笑みを浮かべて答える。
「それに何より、」
 そう言って、舞奈はニヤリと笑う。

「あんたたちの名前さ」
「名前?」
「【メメンとモリ】て、ローマ字でサイン残してたろ? どっちが森なんだ?」
「……え?」
 紅葉は困惑の視線を向ける。
 だが舞奈は調子に乗って気持ちよく語る。

「なんだよ皆まで言わせる気か? 片方が【メメン】で、もう片方が【森】なんだなって、その名前を聞いた瞬間にピンと来たんだよ。ヘヘ!」
「いや、あのね舞奈ちゃん……」
 紅葉は何故か苦笑していた。

 ばあさんが『登山』を持ってきた……

 ……そして食事の後に紅葉と別れ、舞奈は教会にやって来た。
 一連の事件で世話になったシスターに、事件の顛末を伝えるためだ。

「それにしても酷い目にあった……」
 思い出すのも恐ろしい『登山』の記憶が脳裏をよぎる。

「ううっ、まさかあれをパスタに乗せるなんて。しかもあたたかい……」
 今更ながら、珍味の珍の字はめずらしいという意味だということを思い出す。

 そして、ふと、墓地に見覚えのある人影がいることに気づいた。

「よう、園香とチャビーじゃないか」
「あ、マイだー」
「マイちゃん。こんにちは」
 愛しい園香の熟れた四肢を見やって相好を崩す。
 園香の料理は安定安心の家庭料理だ。
 家庭料理は食べる物を決して裏切らない。そう、決して。

「休みの日に墓参りか。感心だな」
「うん。最近こわいニュースをいっぱいやってたから、なんとなく」
 普段よりどことなく口数少なく、チャビーは墓石を見やる。
 2人は以前に桂木姉妹や婦人がいたあたりの墓の前にいる。

「そっか……」
 舞奈もつられて見やる。

 メメント・モリという言葉には『死を想う』という意味があるらしい。
 過去に大事なものを失って、喪失感に飲みこまれないよう足掻いているのは舞奈や小夜子や桂木姉妹だけではない。
 背丈も言動も子供なチャビーが、時折、1年前にあの忌まわしい事件があった倉庫ビルの前にいることを知っている。だから、

「……マイ?」
 舞奈はチャビーの隣に並んで抱き寄せる。
 反対側を園香が抱きしめる。

「もー、ゾマまで。……もうだいじょうだよ」
 くすぐったそうに、それでいて涙をこらえるように、笑う。

「わたし、お兄ちゃんのこと、もう平気だから……」
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