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5 追い出せ
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朝。
まだ陽は低いはずなのに、廊下の空気はすでに熱を帯びていた。
ざわめき。抑えた怒声。 鎧がこすれる硬い音。
宿屋の木造の廊下は、声をよく通す。
そのざらついた気配が、扉一枚を隔ててこちらへ流れ込んでくる。
袋の中で、子竜が小さく身じろいだ。
薄い白いビニールが、かすかに揺れる。
「静かにしてろ」
囁くように言う。
袋越しに、黄金の瞳がこちらを見上げる。
理解しているのかは分からない。
だが、鳴かない。
鳴けば終わる。 そのことだけは、本能で知っているように。
――ドン。
扉が叩かれる。
遠慮のない、拳の音。
「出ろ!」
兵の声ではない。 荒く、感情を隠さない男の声。
俺は袋を持ち上げ、扉を開けた。
廊下には兵が二人。
その向こうに、町の人間が五、六人。
太った商人。 腕を組んだ宿屋の常連。 井戸端で見た女。 顔見知りではないが、昨日すれ違ったことのある男たち。
視線が一斉に、袋に落ちる。
空気が、固まる。
まるでそこに爆薬でもあるかのように。
「……何の用ですか」
兵が口を開きかける。
だが、その前に商人が一歩出た。
床板が軋む。
「その竜を町から出せ」
はっきりと。
迷いなく。
それは感情ではなく、決定事項のように響いた。
「まだ何もしていません」
「まだ、だろう!」
怒鳴り声が狭い廊下に反響する。
袋の中で、子竜がぴく、と動く。
兵が反射的に剣の柄に手をかけた。
空気がさらに張りつめる。
「町の空気が変わったのが分からんのか」
「客が減ってる」
「朝市も人が少ない」
「子どもが外に出られん」
「夜も眠れない」
言葉が重なる。
怒りというより、焦燥。
生活を守ろうとする声。
事実だ。
昨日、俺は見た。
笑い声が消え、 露店の呼び込みが減り、 通りにぽっかりと空白が広がるのを。
竜が火を吹いたわけじゃない。
だが――
「火を吹いたらどうする」
「暴れたら誰が責任を取る」
責任。
その言葉が、妙に重く胸に落ちる。
俺は袋を見下ろす。
薄い白。
その中で丸くなった小さな影。
一定の呼吸。 一定の体温。
災害には見えない。
ただの、幼い生き物。
だが。
この町にとっては違う。
それは“可能性”だ。
焼け落ちる家の。 泣き叫ぶ子どもの。 瓦礫になる日常の。
「監察官の許可は出ている」
兵が低く言う。
「一時的な滞在だ」
それはつまり、王国が管理下にあると認めたということだ。
だが――
「一時的でも嫌だ!」
女が叫ぶ。
目が赤い。
昨夜、眠れなかったのだろう。
「うちの子が泣き止まないのよ!」
昨日、母親の袖を握っていた子どもの顔が浮かぶ。
俺は言葉を失う。
何もしていない。
だが。
何もしていないからこそ、 恐怖は消えない。
実害が出れば対処できる。
だが、可能性は消せない。
「……町の外に出ればいい」
商人が言う。
「森でも山でもあるだろう」
「保護なんて言葉で飾るな」
「連れてきたのはあんただ」
静かな一言。
逃げ場のない事実。
兵がこちらを見る。
助けを求めているわけではない。
ただ、判断を待っている。
俺の判断を。
袋の中で、子竜が小さく鳴いた。
きゅ、と。
廊下の空気が凍る。
誰かが後ずさる。
「ほら見ろ!」
「今だって!」
剣が半分抜かれる。
金属音が耳に刺さる。
俺は袋の口を押さえる。
「静かだ」
自分に言い聞かせるように。
「まだ、何もしていない」
「“まだ”だ!」
またその言葉。
まだ。
いずれ。
いつか。
その“いつか”が町を焼くかもしれない。
俺の中で、何かが揺れる。
もし。
本当に火を吹いたら?
もし。
制御できなかったら?
俺は守れるのか。
袋ひとつで。
覚悟ひとつで。
「……今日中に決めろ」
商人が言う。
「出ていくか」
間を置き。
「我々が動くか」
兵が顔をしかめる。
だが、否定しない。
民意。
それは剣より重い。
王国の命よりも、時に強い。
彼らは去っていく。
怒りと不安を背に。
足音が遠ざかる。
廊下に沈黙が落ちる。
◇
部屋に戻る。
扉を閉める。
かすかな振動が、まだ残っている気がする。
袋を机に置く。
子竜が顔を出す。
黄金の瞳。
恐れていない。
ただ、俺を見ている。
「……どうすればいい」
思わず口に出る。
守ると言った。
保護すると決めた。
だが。
町を敵にしてまで?
俺は、そこまで覚悟していたか。
子竜が袋の縁に小さな爪をかける。
炎は出ない。
ただ、体温が少し上がる。
温かい。
頼りないほどに。
俺の手のひらに収まる命。
窓の外を見る。
通りは、やはり空白だ。
戸は閉じられ、 視線だけが隠れている。
町を守るために。
町から守られない存在がいる。
俺は袋を持ち上げる。
軽い。
あまりにも軽い。
だが、この軽さが、
町全体を揺らしている。
「……今日中、か」
鐘が鳴る。
昼を告げる音。
時間は待たない。
選ばなければならない。
守るのは、
町か。
この命か。
あるいは――
両方か。
子竜が瞬きをする。
俺の中の決意は、
まだ、定まらない。
だが。
逃げるという選択肢だけは、
なぜか、浮かばなかった。
まだ陽は低いはずなのに、廊下の空気はすでに熱を帯びていた。
ざわめき。抑えた怒声。 鎧がこすれる硬い音。
宿屋の木造の廊下は、声をよく通す。
そのざらついた気配が、扉一枚を隔ててこちらへ流れ込んでくる。
袋の中で、子竜が小さく身じろいだ。
薄い白いビニールが、かすかに揺れる。
「静かにしてろ」
囁くように言う。
袋越しに、黄金の瞳がこちらを見上げる。
理解しているのかは分からない。
だが、鳴かない。
鳴けば終わる。 そのことだけは、本能で知っているように。
――ドン。
扉が叩かれる。
遠慮のない、拳の音。
「出ろ!」
兵の声ではない。 荒く、感情を隠さない男の声。
俺は袋を持ち上げ、扉を開けた。
廊下には兵が二人。
その向こうに、町の人間が五、六人。
太った商人。 腕を組んだ宿屋の常連。 井戸端で見た女。 顔見知りではないが、昨日すれ違ったことのある男たち。
視線が一斉に、袋に落ちる。
空気が、固まる。
まるでそこに爆薬でもあるかのように。
「……何の用ですか」
兵が口を開きかける。
だが、その前に商人が一歩出た。
床板が軋む。
「その竜を町から出せ」
はっきりと。
迷いなく。
それは感情ではなく、決定事項のように響いた。
「まだ何もしていません」
「まだ、だろう!」
怒鳴り声が狭い廊下に反響する。
袋の中で、子竜がぴく、と動く。
兵が反射的に剣の柄に手をかけた。
空気がさらに張りつめる。
「町の空気が変わったのが分からんのか」
「客が減ってる」
「朝市も人が少ない」
「子どもが外に出られん」
「夜も眠れない」
言葉が重なる。
怒りというより、焦燥。
生活を守ろうとする声。
事実だ。
昨日、俺は見た。
笑い声が消え、 露店の呼び込みが減り、 通りにぽっかりと空白が広がるのを。
竜が火を吹いたわけじゃない。
だが――
「火を吹いたらどうする」
「暴れたら誰が責任を取る」
責任。
その言葉が、妙に重く胸に落ちる。
俺は袋を見下ろす。
薄い白。
その中で丸くなった小さな影。
一定の呼吸。 一定の体温。
災害には見えない。
ただの、幼い生き物。
だが。
この町にとっては違う。
それは“可能性”だ。
焼け落ちる家の。 泣き叫ぶ子どもの。 瓦礫になる日常の。
「監察官の許可は出ている」
兵が低く言う。
「一時的な滞在だ」
それはつまり、王国が管理下にあると認めたということだ。
だが――
「一時的でも嫌だ!」
女が叫ぶ。
目が赤い。
昨夜、眠れなかったのだろう。
「うちの子が泣き止まないのよ!」
昨日、母親の袖を握っていた子どもの顔が浮かぶ。
俺は言葉を失う。
何もしていない。
だが。
何もしていないからこそ、 恐怖は消えない。
実害が出れば対処できる。
だが、可能性は消せない。
「……町の外に出ればいい」
商人が言う。
「森でも山でもあるだろう」
「保護なんて言葉で飾るな」
「連れてきたのはあんただ」
静かな一言。
逃げ場のない事実。
兵がこちらを見る。
助けを求めているわけではない。
ただ、判断を待っている。
俺の判断を。
袋の中で、子竜が小さく鳴いた。
きゅ、と。
廊下の空気が凍る。
誰かが後ずさる。
「ほら見ろ!」
「今だって!」
剣が半分抜かれる。
金属音が耳に刺さる。
俺は袋の口を押さえる。
「静かだ」
自分に言い聞かせるように。
「まだ、何もしていない」
「“まだ”だ!」
またその言葉。
まだ。
いずれ。
いつか。
その“いつか”が町を焼くかもしれない。
俺の中で、何かが揺れる。
もし。
本当に火を吹いたら?
もし。
制御できなかったら?
俺は守れるのか。
袋ひとつで。
覚悟ひとつで。
「……今日中に決めろ」
商人が言う。
「出ていくか」
間を置き。
「我々が動くか」
兵が顔をしかめる。
だが、否定しない。
民意。
それは剣より重い。
王国の命よりも、時に強い。
彼らは去っていく。
怒りと不安を背に。
足音が遠ざかる。
廊下に沈黙が落ちる。
◇
部屋に戻る。
扉を閉める。
かすかな振動が、まだ残っている気がする。
袋を机に置く。
子竜が顔を出す。
黄金の瞳。
恐れていない。
ただ、俺を見ている。
「……どうすればいい」
思わず口に出る。
守ると言った。
保護すると決めた。
だが。
町を敵にしてまで?
俺は、そこまで覚悟していたか。
子竜が袋の縁に小さな爪をかける。
炎は出ない。
ただ、体温が少し上がる。
温かい。
頼りないほどに。
俺の手のひらに収まる命。
窓の外を見る。
通りは、やはり空白だ。
戸は閉じられ、 視線だけが隠れている。
町を守るために。
町から守られない存在がいる。
俺は袋を持ち上げる。
軽い。
あまりにも軽い。
だが、この軽さが、
町全体を揺らしている。
「……今日中、か」
鐘が鳴る。
昼を告げる音。
時間は待たない。
選ばなければならない。
守るのは、
町か。
この命か。
あるいは――
両方か。
子竜が瞬きをする。
俺の中の決意は、
まだ、定まらない。
だが。
逃げるという選択肢だけは、
なぜか、浮かばなかった。
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