【完結】精霊は、なぜ滅びたか。

林奈

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第1章

【1.0.2】 形あるものと、そうでないもの。

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「お前、弱虫だなぁ。」


 そんな緊張感の無いギンの言葉に、倫太郎が顔を上げる。そこは、見慣れた自分の部屋だった。目の前にいたはずの騎士も、その手から伸びた剣も無い。

 (夢…だったのか?)

 いや、それにしては全てがリアルだった。皮膚に感じる太陽の熱も、乾ききったほこりっぽい空気に混ざった、鉄臭い人間の匂いも、何かも。しかし、地べたに座ったはずなのに、埃っぽさの全く無いスウェットに新たな違和感を覚える。
 向こうでも、この格好だっただろうか?記憶に自信が無い。体育座りのまま、両の手を見る。全く汚れていないそれは、少しだけ牛乳の匂いがした。


「飛ばしたのは、中身だけだ。」


 倫太郎の心を読んだかのように、ギンが言った。まさかと思いながらギンの顔を見れば、「嘘なんかつくかよ。」と彼は肩をすくめる。


「心が、読めるの?」
「そこ?しかも、今更?本当に鈍感だな。」


 倫太郎の言葉に、ギンが呆れたように笑う。再びベッドにどかりと座ったギンは、その銀髪の頭の後ろで手を組んで壁に寄りかかった。面倒臭そうに足を組むその姿は、もうこの部屋の住人のようだ。


「言葉なんてものは、人間が作った道具みたいなものだ。それこそ、お前たちのその身体みたいにね。」


 意味がわからなかった。意思は言葉にしなければ伝わらない。そう、何度も教わって来た。国語も英語も、そのためのもののはずだ。
 逆に、言葉が無ければ思ったことを伝えられない。うまく言葉が出なくて、泣いてわめいた頃もあったが、今ではそれなりに伝えられるようになったはずだ。得意な方では無いけれど。

 (でも、ギンには?何が伝わっている?)

 倫太郎が、ギンの言った言葉をぐるぐると考えていると、まだ先ほどの言葉の意味すら理解できていないというのに、ギンが言葉を続けた。


「さっきから、僕と会話してるだろ?でも、僕は言葉を使ってないし、僕が話しているように見えるのは、お前の錯覚みたいなものだ。」
「錯覚?」


 普通に話しているようにしか感じられないギンのその口元をじっと見る。すると、その口からギンが面倒くさそうに溜息を吐いて身体を起こし、ベッドの上で胡坐あぐらをかいた。


「僕がしているように見えるそれは、お前のその思い込み、先入観、固定観念が作り出している勝手な映像だ。こっちの気は感じているくせに、人間ていうのは本当に鈍感なんだな。」


 馬鹿にされているようだが、もう仕方が無い。だって全く意味がわからないのだ。

 思い込み?
 先入観?
 固定観念?

 今見えているものは、自分が作りだしたものということだろうか。
 倫太郎は言われた言葉を、噛み締めるように何度も何度も反芻するが、全く頭には入ってこなかった。

 理解できていないことも、そのままギンに伝わっているらしい。彼は諦めたような顔をして、足は胡坐をかいたまま再び壁に寄りかかった。


「そして、僕の体を体たらしめているのは、そこのアホのせいだ。」


 そう言って、ギンが顎をしゃくって倫太郎の肩の方を見る。銀色の瞳が、何かを捉えている。倫太郎がちらりとそちらを見れば、先ほどの黒猫がその灰色の瞳でギンの方を睨んでいた。猫は、「ふぅ。」とひとつ溜息をつくと、倫太郎の首に寄りかかるようにして横になった。お陰で倫太郎からは、その表情が見えなくなってしまった。

 首に寄りかかられているはずなのに、重さは感じない。見えている情報と、感じる情報が違い過ぎて、酔いそうだ。
 もう、訳が分からない。分からなすぎて、何もかもが怖かった。泣きそうになって鼻をすする。ずずっと音がして、そう言えばさっきまで泣いていたのだと思い出し、手で涙を拭おうとしたが、顔は濡れていなかった。
 涙を拭いたはずなのに、乾いたままの手をじっと見る。すると「中身だけ飛ばしたって言っただろう。」とギンが再び呆れたように言った。

 魂だけ飛ばしたってことだろうか?向うの身体は、この身体では無かったということか。流行りの小説でありがちな異世界転生?
 倫太郎がそんなことを考えていたら、ギンは困ったような顔をして笑った。それは、出来の悪い子供を相手している大人のようだった。


「で、お前は?なんでそこにいる?」


 先ほどと同じ質問を、ギンが黒猫に投げかけた。しかし、猫は動かない。聞こえないのか、聞こえないフリをしているのか。ギンが猫を睨むせいで、倫太郎まで怒られている気分だ。


「おい。クロ。」
「その名前で呼ぶな。」


 明らかに不機嫌な声で猫が答える。


「え?本当にクロって名前なの?」
「お前がつけんたんだろう。」


 倫太郎がそう驚けば、猫はがばっと起き上がり、耳元で文句を言った。


「え?僕が?」


 猫は、ひどく呆れたようにため息をついた。聞えよがしなそれに、倫太郎は少し申し訳なくなる。もう反発するような気力も勇気も、どこにも残っていなかった。
 惨めな子供時代に戻ったかのようだ。でも、圧倒的な恐怖を前にしていると思えば、悔しくなるような惨めさは全く感じなかった。自分の生を必死で繋ぎとめているような、そんな感覚だ。


「この姿も、名前も、お前が勝手にそうだと思っているだけのものだ。人間は形あるものしか認識できないからな。」
「お前が猫だと思い込んでクロと名前をつけたことで、お前の中で具現化したんだ。」


 猫の説明も、ギンの補足もわけがわからなかった。ただ言えることは、今この部屋の中で、何も理解できていないのは自分だけということだ。


「まだ、わからんか。だから下等動物だと言われるんだ。」
「まあ許せ、クロ。嫌でもその内、理解する。」


 仲が悪そうな二人の意見が、どうやら一致したらしい。クロという名であるらしい猫が倫太郎の顔を見ながら、再び大きな溜息をつく。倫太郎は情けないやら悔しいやら、ぐちゃぐちゃな気持ちで泣きたくなったが、それをぐっとこらえた。


「で?いい加減、質問に答えたらどうだ。」
「ここは、居心地が良い。」


 そう言って、クロは倫太郎の肩に座った。がに股に広げた足をゆらゆらさせている。


「ふーん。他に仲間は?」
「さあな。もう、ずっと会っていないような気もするし、その辺にいるような気もする。しかし、私ほどの強さを持つ者はもういないだろう。」


 どうやら、仲間がいるかもしれないらしい。それも、こんな可愛い見た目の黒猫なのだろうか。
 たまに庭をうろついている向かいの家の猫も、仲間だったりするのだろうか。


「だから、さっき言っただろう?猫に見えているのはお前のせいだと。」


 どうやら、クロにも心が読まれているらしい。倫太郎が、頭にふたをしたいと思ったのは、初めてのことだ。


「ご、ごめんなさい。」


 慌てて謝れば、クロは何度目かわからない大きな溜息を、またついた。


「あながち、間違っていないかもしれないぞ。」


 ギンが、その銀色の目を細めて楽しそうにそう言うと、クロはギンの方を睨んだ。そして、呆れたように一度肩をすくめると、「まあ、確かにな。」とボソッと言った。


「倫太郎は、餌では無いのか。」
「餌だ。が、倫太郎自体は食うには惜しい。」


 途中から、なんだか不穏な会話になっていった気がするが、それでももう全て今更だ。聞いているフリをして、全て聞き流すつもりでぐっと我慢をする。抱えた膝が、唯一の味方であるかのように、倫太郎はそれを自分に寄せた。





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