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第3章
【3.1.5】 精霊が、滅びる理由。
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「人間は今や、自分たちのことに精いっぱいで、考えることすらも無気物に明け渡し始めたってことか。そりゃあ、精霊もいなくなるわけだ。」
ギンは、全て納得したとでもいうようにうんうんと頷いた。どこか諦めたような、そんな表情でもあった。
がっくりと肩を落としている菅原は、明らかに疲れているようだ。ただでさえ仕事で疲れているというのに、あんな景色を見せられてしまっては、それこそ立っているのもやっとではないのかと、倫太郎はその丸まった背中を心配する。
それでもギンとクロが、この状況を終わらせる雰囲気など微塵も無い。
「それだけじゃない。」と、倫太郎の耳元でクロが言った。
倫太郎の肩から足を投げ出したクロは、少し大きくなったような気がする。そんなことを倫太郎が考えていたら、先ほどから視界の中でゆらゆらとゆれている尻尾が、ばしりと倫太郎に当たった。先ほどからずいぶんと乱暴なそれに、倫太郎は苦笑した。
「形にこだわる人間達は、自分達でそうぞうした神すらも型にはめ始めた。」
イライラしたように吐き出されたそれには、人間に対しての怒りが溢れていた。クロたちにとって、その栄華を保つための食糧であるべき人間達が、その役割を自ら放棄したとでも言いたいようだ。
「その癖して、それらが実は本当は神では無いのかもしれないと気がついて、どこかで信じるのをやめたんだ。奇跡は科学で証明され、奇跡が無くなれれば―――でさえいらなくなる。」
「———は消え、神と崇められなくなった精霊は、その力を無くし、本来の姿へ戻るということか。」
クロの言葉を継いだギンが、「なるほどなぁ。」と天を仰いだ。天井しか見えないはずなのに、その銀色の瞳には何か見えているかのようだった。
「本来の姿に戻るだけなら、まだましだ。」と、クロがぼそりと呟いた。
「人間達が自然を減らし、無気物だらけにするせいで、今ではその糧を得る場所が人間以外に無くなっている。食料になるような人間も今や、めったにいないとなれば、私たちはもう滅ぶしかない。」
ゆらゆらと怒ったように揺れていた尻尾が、だらりと下に垂れてしまった。項垂れているように見えるクロを、ギンは困った子供でも見るように優しく笑っている。
「お前たち精霊が、人間から得る気に欲をかいたことが全ての発端だ。殻のあるものに頼らない自分達を偉いものと勘違いした精霊たちが、人間達の生きることへの貪欲さを見誤ったから、今こんなことになっているんだろう。」
親が子を諭すように、先生が生徒に教えるように、優しく言葉が紡がれる。言っていることはきっと、クロたちにとってキツイ言葉のはずなのに、それは仕方の無いことだとでも言うように、ギンによって説明される。
ところがだ。
少しの間をおいて急に笑顔を消したギンが、睨んだようにクロを見た。思わず自分が睨まれたかのように感じた倫太郎がビクリと背筋を伸ばすと、クロが同じようにビクッとその身体を震わせた。
「いい加減、その精霊が一番という考えを見直したらどうだ。ここにある者たちは、皆それぞれに生きている。ただ、それだけのことで、上も下も無いはずだ。」
クロは、何も反論することなく静かに座っている。尻尾は垂れ下がったまま動かない。睨まれたわけでもない倫太郎でさえも、蛇に睨まれた蛙の様に固まった。
銀色の瞳がクロを捉えたまま、離さない。クロの毛が、ぶるるるっと逆立った。
息が苦しい。倫太郎は息を吸ったまま止めていたことに気が付き、はっと短く息を吐いた。
「僕は、この地球上にある全ての生物が生まれる前から、いやこの地球が生まれた時には、もうここにいた。全部、見てきた。滅びていく生物達も、新たに君臨する生物達も、ただずっと見てきた。」
ギンは、ひどく寂し気に言った。あの不思議な世界を、ギンは自分の記憶の世界だと言っていた。つまり、それらは全て、ギンが見て来たものだということだろうか。
何もかもが、ただ生まれて、そして死んでいく世界。
「見て来ただけだけどな。」
倫太郎の心に呼応して、自虐するかのように苦笑したギンは、再び言葉を続けた。心に直接話しかけてくるようなそれに、あの距離感の掴めない違和感が再び倫太郎を襲う。
「欲ばかりが膨らみ、形に縛られ身動きが取れなくなっていく人間が、いよいよ無気物に救いを求めていくこと自体は、決して悪いことではない。必然で、仕方の無いことだ。」
薄暗い社会科準備室。無気物に囲まれ、時間という自らが作り出したものに縛られ、自由を失っていく人間。それすらも、無気物に解決させようとしている。それは、ギンにとって自然の摂理とでも言うかのようだった。
「気を気たらしめる存在である地球がもつ、植物がもつ、本来あるべき姿なんてものは元々ない。時間が流れれば、地球だって変わる。精霊も、早々に諦めて、植物の気がまだ残る場所へ逃げ込んでしまえば良かったのさ。その欲を捨てて。」
「生き伸びようとすることは、欲か。」
「お前たちのそれは、生きることへの欲ではない。人間の上にいる自分達に酔いたいだけだ。」
言い返されて、クロは再び静かになってしまった。人間に神として崇《あが》められ、勘違いした精霊達は、今まさにその人間達によって忘れ去られようとしている。いや、もう忘れ去られてしまったのだ。
「ここまで来てしまった人間達に、精霊の事も考えろと言ったところでもうどうにもできないだろう。そもそも、その存在を見ることのできる人間が、もうほとんど残されていないのだから。」
クロの尻尾が、ピタリと止まる。マツ君は、菅原の肩の上で、そんなクロを心配そうに見るだけだ。
「何が悪いという問題ではない。そういうものだ。」
全てを諦めろとでも言うように、ギンが締めくくった。それは、たくさんの滅びゆくものを見て来たからこそ、言える一言だっただろう。
ギンは、再び目線を菅原の方に戻すと、机から下りて地図の方へと近づいて行く。そして、ゆっくりと浮いた。そのままでは身長が小さくて届かなかったのだろう。ゆっくりと浮いて、地図を覗き込んだ。
「そして今度こそ、生きている人間そのものが新たな神として君臨する。」
それは、特に強調されることも無く、ぼそりと付け足されたかのように言われた言葉だった。しかし、ギンから吐き出されたその言葉が、倫太郎に何かの警鐘を鳴らす。それはとても危険なことだと、本能的な所で感じているかのようだ。
浮いた状態で地図を覗き込んでいるギンを、菅原と神田が凝視している。倫太郎が初めてそれを見た時も、きっと同じ顔をしていたのだろうと、そんなことを考えるが、倫太郎の中では警鐘が小さいながらも鳴り響いたままだ。
「もしかしたら、ここにはまだ精霊が残っているかもしれないな。元々は精霊を神として祀ったものかもしれないし。」
菅原の手元で開かれたままの地図を指差して、ギンが言った。その人差し指が差す先は、この辺りでは一番大きい神社のようだった。
人間達が見失った本来の神である―――を、精霊に見出し、魂に見出し、死んだ人間に見出し、偶像化したただの張りぼて。それでも、神として崇められた精霊達がいたかもしれない場所だ。
「ここに行ってみたいが、あの自転車とやらで行けるか?」
どうやら、先ほどの言葉を説明する気は無いらしい。人間そのものが神として君臨するとは、どういうことなのか。倫太郎の中で響く、この音は何なのか。
「倫太郎?」
銀色の瞳が、倫太郎を捉える。思考することを、許してはくれないということだろうか。ただ、単にギンの中で話が終わってしまっただけかもしれないが。
倫太郎は、頭の中でまだ小さく響くその音を無視して、その指の差す場所を確認する。少し遠いそこは、自転車でも行けなくは無いが、バスの方が良いだろうか。
「あ、明日、僕が車を出しましょうか。」
意外な申し出をしながら、菅原がその手をおずおずと挙げた。車で行けばここならすぐだろう。
「でも、先生。せっかくの休みなんだし、休んだ方が。」
「いや、でも、僕も少し興味が。」
「え、あ、俺!俺も行きたい!」
神田が、息を吹き返したように手を挙げた。怖いものは嫌いそうなのに、大丈夫なのだろうかと倫太郎が心配そうに見れば、「ちょっと精霊とか、神とか、興味ある。」と、神田がぼそぼそと言った。
ギンは、全て納得したとでもいうようにうんうんと頷いた。どこか諦めたような、そんな表情でもあった。
がっくりと肩を落としている菅原は、明らかに疲れているようだ。ただでさえ仕事で疲れているというのに、あんな景色を見せられてしまっては、それこそ立っているのもやっとではないのかと、倫太郎はその丸まった背中を心配する。
それでもギンとクロが、この状況を終わらせる雰囲気など微塵も無い。
「それだけじゃない。」と、倫太郎の耳元でクロが言った。
倫太郎の肩から足を投げ出したクロは、少し大きくなったような気がする。そんなことを倫太郎が考えていたら、先ほどから視界の中でゆらゆらとゆれている尻尾が、ばしりと倫太郎に当たった。先ほどからずいぶんと乱暴なそれに、倫太郎は苦笑した。
「形にこだわる人間達は、自分達でそうぞうした神すらも型にはめ始めた。」
イライラしたように吐き出されたそれには、人間に対しての怒りが溢れていた。クロたちにとって、その栄華を保つための食糧であるべき人間達が、その役割を自ら放棄したとでも言いたいようだ。
「その癖して、それらが実は本当は神では無いのかもしれないと気がついて、どこかで信じるのをやめたんだ。奇跡は科学で証明され、奇跡が無くなれれば―――でさえいらなくなる。」
「———は消え、神と崇められなくなった精霊は、その力を無くし、本来の姿へ戻るということか。」
クロの言葉を継いだギンが、「なるほどなぁ。」と天を仰いだ。天井しか見えないはずなのに、その銀色の瞳には何か見えているかのようだった。
「本来の姿に戻るだけなら、まだましだ。」と、クロがぼそりと呟いた。
「人間達が自然を減らし、無気物だらけにするせいで、今ではその糧を得る場所が人間以外に無くなっている。食料になるような人間も今や、めったにいないとなれば、私たちはもう滅ぶしかない。」
ゆらゆらと怒ったように揺れていた尻尾が、だらりと下に垂れてしまった。項垂れているように見えるクロを、ギンは困った子供でも見るように優しく笑っている。
「お前たち精霊が、人間から得る気に欲をかいたことが全ての発端だ。殻のあるものに頼らない自分達を偉いものと勘違いした精霊たちが、人間達の生きることへの貪欲さを見誤ったから、今こんなことになっているんだろう。」
親が子を諭すように、先生が生徒に教えるように、優しく言葉が紡がれる。言っていることはきっと、クロたちにとってキツイ言葉のはずなのに、それは仕方の無いことだとでも言うように、ギンによって説明される。
ところがだ。
少しの間をおいて急に笑顔を消したギンが、睨んだようにクロを見た。思わず自分が睨まれたかのように感じた倫太郎がビクリと背筋を伸ばすと、クロが同じようにビクッとその身体を震わせた。
「いい加減、その精霊が一番という考えを見直したらどうだ。ここにある者たちは、皆それぞれに生きている。ただ、それだけのことで、上も下も無いはずだ。」
クロは、何も反論することなく静かに座っている。尻尾は垂れ下がったまま動かない。睨まれたわけでもない倫太郎でさえも、蛇に睨まれた蛙の様に固まった。
銀色の瞳がクロを捉えたまま、離さない。クロの毛が、ぶるるるっと逆立った。
息が苦しい。倫太郎は息を吸ったまま止めていたことに気が付き、はっと短く息を吐いた。
「僕は、この地球上にある全ての生物が生まれる前から、いやこの地球が生まれた時には、もうここにいた。全部、見てきた。滅びていく生物達も、新たに君臨する生物達も、ただずっと見てきた。」
ギンは、ひどく寂し気に言った。あの不思議な世界を、ギンは自分の記憶の世界だと言っていた。つまり、それらは全て、ギンが見て来たものだということだろうか。
何もかもが、ただ生まれて、そして死んでいく世界。
「見て来ただけだけどな。」
倫太郎の心に呼応して、自虐するかのように苦笑したギンは、再び言葉を続けた。心に直接話しかけてくるようなそれに、あの距離感の掴めない違和感が再び倫太郎を襲う。
「欲ばかりが膨らみ、形に縛られ身動きが取れなくなっていく人間が、いよいよ無気物に救いを求めていくこと自体は、決して悪いことではない。必然で、仕方の無いことだ。」
薄暗い社会科準備室。無気物に囲まれ、時間という自らが作り出したものに縛られ、自由を失っていく人間。それすらも、無気物に解決させようとしている。それは、ギンにとって自然の摂理とでも言うかのようだった。
「気を気たらしめる存在である地球がもつ、植物がもつ、本来あるべき姿なんてものは元々ない。時間が流れれば、地球だって変わる。精霊も、早々に諦めて、植物の気がまだ残る場所へ逃げ込んでしまえば良かったのさ。その欲を捨てて。」
「生き伸びようとすることは、欲か。」
「お前たちのそれは、生きることへの欲ではない。人間の上にいる自分達に酔いたいだけだ。」
言い返されて、クロは再び静かになってしまった。人間に神として崇《あが》められ、勘違いした精霊達は、今まさにその人間達によって忘れ去られようとしている。いや、もう忘れ去られてしまったのだ。
「ここまで来てしまった人間達に、精霊の事も考えろと言ったところでもうどうにもできないだろう。そもそも、その存在を見ることのできる人間が、もうほとんど残されていないのだから。」
クロの尻尾が、ピタリと止まる。マツ君は、菅原の肩の上で、そんなクロを心配そうに見るだけだ。
「何が悪いという問題ではない。そういうものだ。」
全てを諦めろとでも言うように、ギンが締めくくった。それは、たくさんの滅びゆくものを見て来たからこそ、言える一言だっただろう。
ギンは、再び目線を菅原の方に戻すと、机から下りて地図の方へと近づいて行く。そして、ゆっくりと浮いた。そのままでは身長が小さくて届かなかったのだろう。ゆっくりと浮いて、地図を覗き込んだ。
「そして今度こそ、生きている人間そのものが新たな神として君臨する。」
それは、特に強調されることも無く、ぼそりと付け足されたかのように言われた言葉だった。しかし、ギンから吐き出されたその言葉が、倫太郎に何かの警鐘を鳴らす。それはとても危険なことだと、本能的な所で感じているかのようだ。
浮いた状態で地図を覗き込んでいるギンを、菅原と神田が凝視している。倫太郎が初めてそれを見た時も、きっと同じ顔をしていたのだろうと、そんなことを考えるが、倫太郎の中では警鐘が小さいながらも鳴り響いたままだ。
「もしかしたら、ここにはまだ精霊が残っているかもしれないな。元々は精霊を神として祀ったものかもしれないし。」
菅原の手元で開かれたままの地図を指差して、ギンが言った。その人差し指が差す先は、この辺りでは一番大きい神社のようだった。
人間達が見失った本来の神である―――を、精霊に見出し、魂に見出し、死んだ人間に見出し、偶像化したただの張りぼて。それでも、神として崇められた精霊達がいたかもしれない場所だ。
「ここに行ってみたいが、あの自転車とやらで行けるか?」
どうやら、先ほどの言葉を説明する気は無いらしい。人間そのものが神として君臨するとは、どういうことなのか。倫太郎の中で響く、この音は何なのか。
「倫太郎?」
銀色の瞳が、倫太郎を捉える。思考することを、許してはくれないということだろうか。ただ、単にギンの中で話が終わってしまっただけかもしれないが。
倫太郎は、頭の中でまだ小さく響くその音を無視して、その指の差す場所を確認する。少し遠いそこは、自転車でも行けなくは無いが、バスの方が良いだろうか。
「あ、明日、僕が車を出しましょうか。」
意外な申し出をしながら、菅原がその手をおずおずと挙げた。車で行けばここならすぐだろう。
「でも、先生。せっかくの休みなんだし、休んだ方が。」
「いや、でも、僕も少し興味が。」
「え、あ、俺!俺も行きたい!」
神田が、息を吹き返したように手を挙げた。怖いものは嫌いそうなのに、大丈夫なのだろうかと倫太郎が心配そうに見れば、「ちょっと精霊とか、神とか、興味ある。」と、神田がぼそぼそと言った。
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