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最終章
【last ver.】 —————。
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ギンが消えたその日、土曜日の夕方に降り出した雨は、日曜日の夜まで降り続いた。
冷たい雨が止んだ月曜日の朝、雨に濡れた木々や道路が、太陽の光を反射して、キラキラと銀色に輝いていた。
――――――――――
『無気物が意思を持ち、その権利を主張するようになれば、気を糧にして生きている者たちは、確実に滅びるだろう。』
そんな書き出しで書き始めてはみたものの、何もかも初めてのことだ。倫太郎は、キーボードを叩く手を止め、椅子にもたれかかった。ギシリと椅子の沈む音がする。
ゲームにしか使われていなかったPCのキーボードは、左手を打つあたりだけ妙に色が褪せている。右手で打った時の音と、左手で打った時の音が違う気がして、その右部分がいかに使われていなかったかを知る。
精霊について書き始めてはみたが、その生態や性質みたいなものを書けば、きっとクロたちをますます追い詰めてしまうだけだろうと考えた倫太郎は、精霊を題材にした小説を書くことにした。それが「ファンタジー」という括りになってしまうことに違和感はあったが、他にこれといって当てはまるものがないのだから仕方が無い。
ギンがいたら「人間ってほんとバカだな。」と、銀色の瞳を細めて笑ったことだろう。
倫太郎が小説を書き始めるに至るまでの経緯に、岸間春の勧めがあるというのだから、縁というのは不思議なものだ。
それならばと、彼女が紹介してくれた本を片っ端から読んでみれば、それらは総じて、目に見えないものたちを区別し、名前を付け、分類する、そんな話ばかりで、倫太郎は苦笑せざるを得なかった。
『量はあるが、味が悪い。』
図書館で岸間春について呟いたクロの言葉の意味が、今ならわかる気がする。
「これもオススメ!」というメッセージと共に、今日も素人が書いたファンタジー小説が送られてくる。「もう、要らない。」と、いつ返信しようかと毎日のように考えては、それを送れないでいることに倫太郎は蟀谷をかく日々だ。
あの日から、倫太郎は数か月前となんら変わらないかのように普通に学校に通っている。たまに、菅原と社会科準備室でたわいもない話をするのが、倫太郎の楽しみだ。社会科の係である神田も毎回付いてきては、準備室でその辺を物色しながら、思い出したように笑う。
わだかまっていた何かは、嘘のように剥がれ落ちて、景色が見違えるほどにキラキラと光って見えた。
「そんなもの、全部お前の思い込みだ。」
そっけなく言う黒猫のクロは、あれから一緒に学校に行くことは一度も無かったが、倫太郎がたまに外出するときなどは、ついて来る。
「私は、元々ここにいたんだ。私がお前の傍にいるんじゃなくて、お前が私の傍にいるんだ。」と、ひどく見下ろしたように言われたけれど、その尻尾はくるくると嬉しそうに揺れている。
いつの間にか見えるようになってしまったらしい母親には「どこかのお家のクロちゃん。」と呼ばれ、近所の飼い猫風にゴロゴロと喉を鳴らしていじられている様は、ただの猫だ。
少し休憩しようと、キーボードから手を離し、一度伸びをする。そして、慣れた手つきでゲーム画面を立ち上げた。ギンが夢中になってやっていた、それだ。
後になって一体何を作っていたのか、セーブしておいたものを見てみれば、ただ不思議な物体が並んでいただけに見えたそれは、新しい世界にも見えた。全てのものが何ものでもない、本来自由であるべきものたちが、本当に自由である世界。
倫太郎は、そこまで考えて、考えすぎかもしれないと、笑ったのだった。
見えないものを感じて欲しい。
なんとなく思いついた言葉を書くために、倫太郎はもう一度、先ほどまで書いていた小説の画面を開く。
それは、行と行の間、そして、言葉と言葉の間に、物語を描く、丁寧に丁寧に、言葉に囚われず、それを並べていく作業だ。
見えている物と物の間に、何かを感じて欲しい。学校ではその間にあるものを、無駄と言って排除することを学んできたが、言葉の間にあるものを描くことは、未だ否定されていない。
願いを、紡ぐ。
そこに生まれる何かを、必要としている精霊がいるのだと、わかってくれなくても良い。ただ、目に見えない何かを否定しない、そんな世界であってほしいと倫太郎は思いながら、カチカチカチとリズムを刻むようにキーボードを叩く。
小説投稿サイトの向こう側にいるシロが、美味しい美味しいと言って食べてくれるような、そんなものが書きたい。それが歪んだ何かだとしても、彼らが生きているならそれで良い。
「いよいよ、倫太郎まで言葉に囚われて、私を消す気か。」と、書き始めた当初は怒っていたクロだったが、最近は倫太郎がPCに向かい始めると、妙に首にまとわりつくようになった。
しかも、その執筆が進むにつれて少しずつ大きくなっているような気がするのは、きっと思い違いでは無いと思う。
思えば、その頃からクロは成長していった気がする。今や立派な黒猫となって、その灰色の瞳で倫太郎を迎える様は、部屋の主のようだ。
あまり、言葉に縛られてくれるなよ。———と、クロがぶつぶつと文句を言っている。
滅びゆく精霊たちを救うことは、もうできない。
おそらくは、人間達が滅びゆくことを止めることも、もうできない。
でも、この愛しい精霊たちについて書いておくことはできる。
言葉という形あるものに囚われている生き物だからこそ、できること。
残し、伝えるということ。
そして、そこにまた小さな精霊達が集ってくれることを、倫太郎は願った。
~END~
冷たい雨が止んだ月曜日の朝、雨に濡れた木々や道路が、太陽の光を反射して、キラキラと銀色に輝いていた。
――――――――――
『無気物が意思を持ち、その権利を主張するようになれば、気を糧にして生きている者たちは、確実に滅びるだろう。』
そんな書き出しで書き始めてはみたものの、何もかも初めてのことだ。倫太郎は、キーボードを叩く手を止め、椅子にもたれかかった。ギシリと椅子の沈む音がする。
ゲームにしか使われていなかったPCのキーボードは、左手を打つあたりだけ妙に色が褪せている。右手で打った時の音と、左手で打った時の音が違う気がして、その右部分がいかに使われていなかったかを知る。
精霊について書き始めてはみたが、その生態や性質みたいなものを書けば、きっとクロたちをますます追い詰めてしまうだけだろうと考えた倫太郎は、精霊を題材にした小説を書くことにした。それが「ファンタジー」という括りになってしまうことに違和感はあったが、他にこれといって当てはまるものがないのだから仕方が無い。
ギンがいたら「人間ってほんとバカだな。」と、銀色の瞳を細めて笑ったことだろう。
倫太郎が小説を書き始めるに至るまでの経緯に、岸間春の勧めがあるというのだから、縁というのは不思議なものだ。
それならばと、彼女が紹介してくれた本を片っ端から読んでみれば、それらは総じて、目に見えないものたちを区別し、名前を付け、分類する、そんな話ばかりで、倫太郎は苦笑せざるを得なかった。
『量はあるが、味が悪い。』
図書館で岸間春について呟いたクロの言葉の意味が、今ならわかる気がする。
「これもオススメ!」というメッセージと共に、今日も素人が書いたファンタジー小説が送られてくる。「もう、要らない。」と、いつ返信しようかと毎日のように考えては、それを送れないでいることに倫太郎は蟀谷をかく日々だ。
あの日から、倫太郎は数か月前となんら変わらないかのように普通に学校に通っている。たまに、菅原と社会科準備室でたわいもない話をするのが、倫太郎の楽しみだ。社会科の係である神田も毎回付いてきては、準備室でその辺を物色しながら、思い出したように笑う。
わだかまっていた何かは、嘘のように剥がれ落ちて、景色が見違えるほどにキラキラと光って見えた。
「そんなもの、全部お前の思い込みだ。」
そっけなく言う黒猫のクロは、あれから一緒に学校に行くことは一度も無かったが、倫太郎がたまに外出するときなどは、ついて来る。
「私は、元々ここにいたんだ。私がお前の傍にいるんじゃなくて、お前が私の傍にいるんだ。」と、ひどく見下ろしたように言われたけれど、その尻尾はくるくると嬉しそうに揺れている。
いつの間にか見えるようになってしまったらしい母親には「どこかのお家のクロちゃん。」と呼ばれ、近所の飼い猫風にゴロゴロと喉を鳴らしていじられている様は、ただの猫だ。
少し休憩しようと、キーボードから手を離し、一度伸びをする。そして、慣れた手つきでゲーム画面を立ち上げた。ギンが夢中になってやっていた、それだ。
後になって一体何を作っていたのか、セーブしておいたものを見てみれば、ただ不思議な物体が並んでいただけに見えたそれは、新しい世界にも見えた。全てのものが何ものでもない、本来自由であるべきものたちが、本当に自由である世界。
倫太郎は、そこまで考えて、考えすぎかもしれないと、笑ったのだった。
見えないものを感じて欲しい。
なんとなく思いついた言葉を書くために、倫太郎はもう一度、先ほどまで書いていた小説の画面を開く。
それは、行と行の間、そして、言葉と言葉の間に、物語を描く、丁寧に丁寧に、言葉に囚われず、それを並べていく作業だ。
見えている物と物の間に、何かを感じて欲しい。学校ではその間にあるものを、無駄と言って排除することを学んできたが、言葉の間にあるものを描くことは、未だ否定されていない。
願いを、紡ぐ。
そこに生まれる何かを、必要としている精霊がいるのだと、わかってくれなくても良い。ただ、目に見えない何かを否定しない、そんな世界であってほしいと倫太郎は思いながら、カチカチカチとリズムを刻むようにキーボードを叩く。
小説投稿サイトの向こう側にいるシロが、美味しい美味しいと言って食べてくれるような、そんなものが書きたい。それが歪んだ何かだとしても、彼らが生きているならそれで良い。
「いよいよ、倫太郎まで言葉に囚われて、私を消す気か。」と、書き始めた当初は怒っていたクロだったが、最近は倫太郎がPCに向かい始めると、妙に首にまとわりつくようになった。
しかも、その執筆が進むにつれて少しずつ大きくなっているような気がするのは、きっと思い違いでは無いと思う。
思えば、その頃からクロは成長していった気がする。今や立派な黒猫となって、その灰色の瞳で倫太郎を迎える様は、部屋の主のようだ。
あまり、言葉に縛られてくれるなよ。———と、クロがぶつぶつと文句を言っている。
滅びゆく精霊たちを救うことは、もうできない。
おそらくは、人間達が滅びゆくことを止めることも、もうできない。
でも、この愛しい精霊たちについて書いておくことはできる。
言葉という形あるものに囚われている生き物だからこそ、できること。
残し、伝えるということ。
そして、そこにまた小さな精霊達が集ってくれることを、倫太郎は願った。
~END~
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