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彼氏
扉〜とびら〜
西新宿のランドマークになっている、シティーホテルのロビー。
黒革の長椅子に座り、トモヤは本を読んでいた。
こうして水曜日に、ロビーで彼氏を待つ生活が、かれこれ四年も続いていた。
彼氏と出逢って間もない頃。ホテルのロビーでの待ち合わせは、居心地が悪かったが、最近では、友人との待ち合わせも、すすんでホテルのロビーを使うことが多かった。
トモヤの脇には、会社の近くにある銀座ダビドフに寄って購入した、彼氏の好きなシガー数本の入った袋があった。
まもなく、ホテルのエントランスから、リチャード・ジェームスのスーツと、ア・テストーニの革靴で身を固めた。トモヤの彼氏が現れた。
大学時代まで水泳で鍛えた体が、よりスーツのラインを奇麗に見せた。
イワタ タカシ。三九才。関西では、名が知れた飲食チェーンの役員だ。
社長である父親だけでなく、社外からも手腕が買われていた。インターネットを巧みに利用したマーケティング戦略により、売上を伸ばした。また、積極的な、他業種への新規事業参入のためにM&Aを繰り返した結果。会社を大きくした。イワタは、その立役者とも言われていた。
ここ数年間は、多忙を極めた。仕事のために、東京支社で週三日間を過ごし、残りの四日間は大阪で過ごした。
イワタは、ホテルのロビーの長椅子に座るトモヤに片手を上げ、軽く挨拶を交わした。そのまま、歩みを緩めることなく、何かを見据えるように、フロントに向かった。
トモヤは、いつものように、イワタが年間契約している部屋へ向かうための上層階専用エレベーターの前で、イワタを待っていた。
そこへ少し遅れてイワタがきた。直後に上層階行きのエレベーターが到着した。
二人は、部屋に入り軽いキスの後、ラフロイグ8年のストレートで乾杯した。
トモヤは、おもむろにイワタにブランドのロゴ入りの袋を渡した。
イワタは、最近ハマリだしたシガーを見て喜び、笑顔で礼を言った。トモヤは嬉しかった。滅多に感情を表に出さない彼氏が喜ぶ姿を見ると、今ここで、イワタに自分の「存在」を、認識してもらえていると思えた。
「何が食べたい?」
関西弁で説得力のある、低い声でイワタが言った。
「何がいいかな。いつもの焼き肉屋は、どうかな?」
トモヤが言ったが、食べたいものを聞く割には、結局イワタが決めるので、トモヤは、質問と認識していなかった。イワタの独り言に付き合っていると、割り切っていた。
関西人のイワタはもともと食べること、「食」にこだわりが強い。もちろん職業柄でもあるが。
当初、トモヤは恵比寿や、広尾のお洒落な店にイワタを誘ったが、曰く、高くて美味しくないと一掃されてしまった。
二十代後半のトモヤが、イワタのいうところの、高くても、値段に見合った美味しいものをだす店などとは、縁遠かった。
それからは、イワタが周りから聞きつけた、店に同行するようになった。
トモヤは、彼が贔屓にしている店を、いくつか候補にあげた。
一口グラスの酒を含み、彼の返答を待った。
「そうやな、今日は疲れたからな、ホテルのイタリアンで済ますか。久々に、バーニャカウダも食べたいしな」
そう言うと、イワタはグラスの中の酒を一気に飲み干した。
イワタがルームカードキーだけを、テーブルから取り、部屋一面の窓に広がる夜景に背を向けた。
部屋を出た二人は、ふかふかしたジュータンが敷かれた廊下を、エレベーターホールに向けて歩いていた。
ホテルのイタリアンリストランテは、平日の夜ということもあり、客はまばらだった。
バーニャカウダソースに、ほどよい大きさのパブリカを、トモヤが食した。
イワタは、食べたいと言っていたわりには、あまり手をつけず、冷やしたロゼのワインで喉を潤していた。
やがて、アクセントにアンチョビを効かせたラム肉が、運ばれてからは、イワタも、すすんで食した。
「リョウイチ君は、風邪治った? 子供って、小さいうちは、いろいろと、大変らしいね」
と、トモヤが言った。
「ああ、たいしたことなかったんやけど、まだ子供やし、なにがあるか、わからへんし、念のために、ヨメが病院につれて行ってくれたわ。まさか、夜中に、東京から大阪まで、タクシーで、駆けつけるわけいかないやろ。大事な会議も、翌朝からあったしな」
と、イワタが自分の肩を、片手で揉みながら言った。
トモヤは、彼の機嫌を伺いながら、彼にすすんで話題を提供した。そうしていると、グラスからワインが早く空いた。
イワタとトモヤの間には、二年以上カラダの関係が無かった。二人はそのことについて、あえて触れなかった。四年という歳月が、「恋人」という関係から、「自分に味方をしてくれるだろう相手」に、変わっていた。
それは、今までの時間が生み出した産物なのか。それとも・・・。二人は、深く考えることを意識的に避け、未来より現状を選んだ。
トモヤはやや千鳥足になっていたが。部屋に戻るとラフロイグ8年で、再び飲み直した。
イワタは、トモヤが買ってきてくれた、シガーを試そうとしていた。
東京行きの前日、イワタの妻がホテルに、大きなルイ・ヴィトンのハードトランクを送っていた。そのなかに、宿泊中の部屋で着るために、ジャージパンツやトレーナー、Tシャツが入っていた。体育会系だったイワタは、お洒落なパジャマよりも、そのほうが、リラックスできた。
いつも、そのセットを一泊分多く、用意させた。妻は知らないが、トモヤの分だった。
いつものように、Tシャツに、ジャージパンツを着た二人。
「おまえも、BMWなんてやめて、ポルシェにしろよ。エラさが、ちがうぜ」
「カッコいいよね。でも高いからな、会社員の俺じゃ無理だよ」
「中古なら、いけるやろ」
と、イワタが言った。
トモヤは、首を斜めにかしげながら、口をへの字にした。
最低限の空気は保とうと、トモヤは言葉を飲み込んだ。
酔うとイワタは、自分の持っているブランド製品の購入を周り人に勧める癖があった。それらは会社員であるトモヤには、とうてい手が届かないものばかりだった。
本気で勧めているのではなく、自分が持っているものが、いかにいいものかということを自慢したいだけということも、トモヤには気が付いていた。
また、イワタとは趣味が違うと思っていた。あまりに違いすぎていて、トモヤには反論する気も無くなっていた。過去に、そのことについて、イワタに話したことがあったが、論破を目的にした語り口に、閉口した経験があったからだ。
西新宿の高層階のホテルの一室から、イワタは、すべてを見下ろしていた。また、孤独でもあった。
イワタが住む大阪の家には、妻子がおり、大きな家に、大きな犬を飼っている。
結婚は、親からの許嫁をあてがわれた。妻の父は国会議員だった。
つまりは、策略結婚だ。
イワタにすれば、妻の実家の後押しは、ビジネス的にも有利になること、女性に対して全くではないが、あまり性的に興味が湧かないことが、かえって結婚を手段として、考えることができた。
庭では、小鳥たちが朝のさえずりをしていた。広く清潔なリビングの中から、大きな犬が、興味深げに鳥たちに見入っていた。その横から、まだ幼いイワタの息子リョウイチが、ちょっかいを出して、犬に吠えられていた。
いつものなにげない朝の始まりだ。
イワタの妻のエミは、カップにコーヒーを注ぐ。コーヒーの香ばしい香りが、部屋の空気を満たしていく。そのカップを口に持っていきながら、イワタは、新聞に目を通した。昨今の景気の悪さや、工場の海外流失などが、いつものように記事になっていた。
イワタの会社も、この景気の煽りをうけ、以前のような攻めの姿勢だけでは、いられなくなった。そんな光のみえない状況に、なかばへきえきしていた。
リョウイチが、イワタの向かい側に座り、ル・コルビュジェがデザインしたガラス製のダイニングテーブルの上に、おもちゃをのせて遊んでいる。
イワタは、この子の代まで会社を存続させんなくてはならない。そう思うと、自然に生命力が湧いてくるようだった。
「あなた、今日宅急便で、ホテルに荷物送っておきますね」
妻であるエミが言った。
その言葉に、明日は水曜日であるということが、改めてイワタの頭のなかで確認された。
トモヤと会う日だ。
四年という歳月は、長いのか、短いのかわからない。しかし、これからも、トモヤとの関係で、何かが生まれるようには思えなかった。
イワタのトモヤに対する想いは、マイノリティな本能を持つもの同士というだけでなく、自らの本能がトモヤを求めていた。
たとえカラダの関係が無くなったとはいえ、離れることができなかった。
「いつまでこうしていられるだろう」という疑問を、頭のなかで打ち消した。意味のない疑問だったからだ。
イワタとトモヤの本能は、世間に許されていない。それは、まだ多くの人たちに。
「本来、一緒にいてはいけないのではないか」と、イワタは考えることさえあった。
ダイニングに置かれているテレビでは、ニューハーフのランナーが、チャリティー番組で、二四時間走ることを伝えていた。
イワタは、愛車に乗り込み、片手でハンドルを握り、もう片方の手で、シフトレバーに手をかけた。
そして、フロントガラスに、息子のリョウイチの顔や、仕事のことを映し出しながら、ゆっくりと自宅ガレージから、ブラックのポルシェ・カイエンが、道へと滑り出した。
愛車を運転している時間は、イワタが、唯一独りになれる貴重な時間だ。
朝の通勤時間帯。イワタは、高速道路の追い越し車線を、他の車と同様のペースで流している。前の自動車に追走しているだけなのだが、その姿は、大柄な車体を持つ、四輪駆動のポルシェが、前の自動車を煽っているように見えた。
トモヤと、ずっと一緒に居られるわけがない。自分をとりまく状況が、許さないだろう。
「いずれくる、失いたくないが、失なわはなくてはいけない時」に、思いを巡らせながら、左まぶたの上方を、左手の人差し指で、軽くつりあげた。
当初からトモヤとは、イワタが結婚をしていることを知りながら、このような関係を続けていた。しかし、イワタは、彼を今後も自分に縛り付けることで、幸せを奪ってしまうのではないかと、ときどき心配になった。
だがイワタの中に潜む、もうひとりの自分が、「考えるな、どうにでもなる。この状況を奴も望んでいるはずだ」と、考えに蓋をさせた。
イワタの運転するブラックのポルシェ・カイエンが、会社の駐車場に吸い込まれていった。
黒革の長椅子に座り、トモヤは本を読んでいた。
こうして水曜日に、ロビーで彼氏を待つ生活が、かれこれ四年も続いていた。
彼氏と出逢って間もない頃。ホテルのロビーでの待ち合わせは、居心地が悪かったが、最近では、友人との待ち合わせも、すすんでホテルのロビーを使うことが多かった。
トモヤの脇には、会社の近くにある銀座ダビドフに寄って購入した、彼氏の好きなシガー数本の入った袋があった。
まもなく、ホテルのエントランスから、リチャード・ジェームスのスーツと、ア・テストーニの革靴で身を固めた。トモヤの彼氏が現れた。
大学時代まで水泳で鍛えた体が、よりスーツのラインを奇麗に見せた。
イワタ タカシ。三九才。関西では、名が知れた飲食チェーンの役員だ。
社長である父親だけでなく、社外からも手腕が買われていた。インターネットを巧みに利用したマーケティング戦略により、売上を伸ばした。また、積極的な、他業種への新規事業参入のためにM&Aを繰り返した結果。会社を大きくした。イワタは、その立役者とも言われていた。
ここ数年間は、多忙を極めた。仕事のために、東京支社で週三日間を過ごし、残りの四日間は大阪で過ごした。
イワタは、ホテルのロビーの長椅子に座るトモヤに片手を上げ、軽く挨拶を交わした。そのまま、歩みを緩めることなく、何かを見据えるように、フロントに向かった。
トモヤは、いつものように、イワタが年間契約している部屋へ向かうための上層階専用エレベーターの前で、イワタを待っていた。
そこへ少し遅れてイワタがきた。直後に上層階行きのエレベーターが到着した。
二人は、部屋に入り軽いキスの後、ラフロイグ8年のストレートで乾杯した。
トモヤは、おもむろにイワタにブランドのロゴ入りの袋を渡した。
イワタは、最近ハマリだしたシガーを見て喜び、笑顔で礼を言った。トモヤは嬉しかった。滅多に感情を表に出さない彼氏が喜ぶ姿を見ると、今ここで、イワタに自分の「存在」を、認識してもらえていると思えた。
「何が食べたい?」
関西弁で説得力のある、低い声でイワタが言った。
「何がいいかな。いつもの焼き肉屋は、どうかな?」
トモヤが言ったが、食べたいものを聞く割には、結局イワタが決めるので、トモヤは、質問と認識していなかった。イワタの独り言に付き合っていると、割り切っていた。
関西人のイワタはもともと食べること、「食」にこだわりが強い。もちろん職業柄でもあるが。
当初、トモヤは恵比寿や、広尾のお洒落な店にイワタを誘ったが、曰く、高くて美味しくないと一掃されてしまった。
二十代後半のトモヤが、イワタのいうところの、高くても、値段に見合った美味しいものをだす店などとは、縁遠かった。
それからは、イワタが周りから聞きつけた、店に同行するようになった。
トモヤは、彼が贔屓にしている店を、いくつか候補にあげた。
一口グラスの酒を含み、彼の返答を待った。
「そうやな、今日は疲れたからな、ホテルのイタリアンで済ますか。久々に、バーニャカウダも食べたいしな」
そう言うと、イワタはグラスの中の酒を一気に飲み干した。
イワタがルームカードキーだけを、テーブルから取り、部屋一面の窓に広がる夜景に背を向けた。
部屋を出た二人は、ふかふかしたジュータンが敷かれた廊下を、エレベーターホールに向けて歩いていた。
ホテルのイタリアンリストランテは、平日の夜ということもあり、客はまばらだった。
バーニャカウダソースに、ほどよい大きさのパブリカを、トモヤが食した。
イワタは、食べたいと言っていたわりには、あまり手をつけず、冷やしたロゼのワインで喉を潤していた。
やがて、アクセントにアンチョビを効かせたラム肉が、運ばれてからは、イワタも、すすんで食した。
「リョウイチ君は、風邪治った? 子供って、小さいうちは、いろいろと、大変らしいね」
と、トモヤが言った。
「ああ、たいしたことなかったんやけど、まだ子供やし、なにがあるか、わからへんし、念のために、ヨメが病院につれて行ってくれたわ。まさか、夜中に、東京から大阪まで、タクシーで、駆けつけるわけいかないやろ。大事な会議も、翌朝からあったしな」
と、イワタが自分の肩を、片手で揉みながら言った。
トモヤは、彼の機嫌を伺いながら、彼にすすんで話題を提供した。そうしていると、グラスからワインが早く空いた。
イワタとトモヤの間には、二年以上カラダの関係が無かった。二人はそのことについて、あえて触れなかった。四年という歳月が、「恋人」という関係から、「自分に味方をしてくれるだろう相手」に、変わっていた。
それは、今までの時間が生み出した産物なのか。それとも・・・。二人は、深く考えることを意識的に避け、未来より現状を選んだ。
トモヤはやや千鳥足になっていたが。部屋に戻るとラフロイグ8年で、再び飲み直した。
イワタは、トモヤが買ってきてくれた、シガーを試そうとしていた。
東京行きの前日、イワタの妻がホテルに、大きなルイ・ヴィトンのハードトランクを送っていた。そのなかに、宿泊中の部屋で着るために、ジャージパンツやトレーナー、Tシャツが入っていた。体育会系だったイワタは、お洒落なパジャマよりも、そのほうが、リラックスできた。
いつも、そのセットを一泊分多く、用意させた。妻は知らないが、トモヤの分だった。
いつものように、Tシャツに、ジャージパンツを着た二人。
「おまえも、BMWなんてやめて、ポルシェにしろよ。エラさが、ちがうぜ」
「カッコいいよね。でも高いからな、会社員の俺じゃ無理だよ」
「中古なら、いけるやろ」
と、イワタが言った。
トモヤは、首を斜めにかしげながら、口をへの字にした。
最低限の空気は保とうと、トモヤは言葉を飲み込んだ。
酔うとイワタは、自分の持っているブランド製品の購入を周り人に勧める癖があった。それらは会社員であるトモヤには、とうてい手が届かないものばかりだった。
本気で勧めているのではなく、自分が持っているものが、いかにいいものかということを自慢したいだけということも、トモヤには気が付いていた。
また、イワタとは趣味が違うと思っていた。あまりに違いすぎていて、トモヤには反論する気も無くなっていた。過去に、そのことについて、イワタに話したことがあったが、論破を目的にした語り口に、閉口した経験があったからだ。
西新宿の高層階のホテルの一室から、イワタは、すべてを見下ろしていた。また、孤独でもあった。
イワタが住む大阪の家には、妻子がおり、大きな家に、大きな犬を飼っている。
結婚は、親からの許嫁をあてがわれた。妻の父は国会議員だった。
つまりは、策略結婚だ。
イワタにすれば、妻の実家の後押しは、ビジネス的にも有利になること、女性に対して全くではないが、あまり性的に興味が湧かないことが、かえって結婚を手段として、考えることができた。
庭では、小鳥たちが朝のさえずりをしていた。広く清潔なリビングの中から、大きな犬が、興味深げに鳥たちに見入っていた。その横から、まだ幼いイワタの息子リョウイチが、ちょっかいを出して、犬に吠えられていた。
いつものなにげない朝の始まりだ。
イワタの妻のエミは、カップにコーヒーを注ぐ。コーヒーの香ばしい香りが、部屋の空気を満たしていく。そのカップを口に持っていきながら、イワタは、新聞に目を通した。昨今の景気の悪さや、工場の海外流失などが、いつものように記事になっていた。
イワタの会社も、この景気の煽りをうけ、以前のような攻めの姿勢だけでは、いられなくなった。そんな光のみえない状況に、なかばへきえきしていた。
リョウイチが、イワタの向かい側に座り、ル・コルビュジェがデザインしたガラス製のダイニングテーブルの上に、おもちゃをのせて遊んでいる。
イワタは、この子の代まで会社を存続させんなくてはならない。そう思うと、自然に生命力が湧いてくるようだった。
「あなた、今日宅急便で、ホテルに荷物送っておきますね」
妻であるエミが言った。
その言葉に、明日は水曜日であるということが、改めてイワタの頭のなかで確認された。
トモヤと会う日だ。
四年という歳月は、長いのか、短いのかわからない。しかし、これからも、トモヤとの関係で、何かが生まれるようには思えなかった。
イワタのトモヤに対する想いは、マイノリティな本能を持つもの同士というだけでなく、自らの本能がトモヤを求めていた。
たとえカラダの関係が無くなったとはいえ、離れることができなかった。
「いつまでこうしていられるだろう」という疑問を、頭のなかで打ち消した。意味のない疑問だったからだ。
イワタとトモヤの本能は、世間に許されていない。それは、まだ多くの人たちに。
「本来、一緒にいてはいけないのではないか」と、イワタは考えることさえあった。
ダイニングに置かれているテレビでは、ニューハーフのランナーが、チャリティー番組で、二四時間走ることを伝えていた。
イワタは、愛車に乗り込み、片手でハンドルを握り、もう片方の手で、シフトレバーに手をかけた。
そして、フロントガラスに、息子のリョウイチの顔や、仕事のことを映し出しながら、ゆっくりと自宅ガレージから、ブラックのポルシェ・カイエンが、道へと滑り出した。
愛車を運転している時間は、イワタが、唯一独りになれる貴重な時間だ。
朝の通勤時間帯。イワタは、高速道路の追い越し車線を、他の車と同様のペースで流している。前の自動車に追走しているだけなのだが、その姿は、大柄な車体を持つ、四輪駆動のポルシェが、前の自動車を煽っているように見えた。
トモヤと、ずっと一緒に居られるわけがない。自分をとりまく状況が、許さないだろう。
「いずれくる、失いたくないが、失なわはなくてはいけない時」に、思いを巡らせながら、左まぶたの上方を、左手の人差し指で、軽くつりあげた。
当初からトモヤとは、イワタが結婚をしていることを知りながら、このような関係を続けていた。しかし、イワタは、彼を今後も自分に縛り付けることで、幸せを奪ってしまうのではないかと、ときどき心配になった。
だがイワタの中に潜む、もうひとりの自分が、「考えるな、どうにでもなる。この状況を奴も望んでいるはずだ」と、考えに蓋をさせた。
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