龍は暁に啼く

高嶺 蒼

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第三部 新たな己への旅路

大森林のエルフ編 第15話

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 「立ち話もなんだし、座って話そうか?」


 自分をじっと見つめたまま動かない男を見上げて、雷砂はそう提案する。
 そして、さっさとイスに腰掛けた。
 サファロはその姿を目で追い、少し遅れて同じようにイスへ腰を下ろす。
 そうしてお互いイスに座りしばし見つめ合った後。
 先に口を開いたのは雷砂の方だった。


 「で?オレにどんな用事?」


 サファロのうつろな瞳を見つめたまま、切り込むように問いかける。


 「シェズはいい人だから、迷惑はかけたくないんだけど?」


 雷砂は言いながら、サファロの真意を探るように彼の瞳の奥をのぞき込む。
 だが、そこに明確な感情など見あたらず、ただほの暗い闇が広がるだけ。
 雷砂は目を細め、


 「黒髪で赤い瞳の男の人に最近会った? オレの所へ行けって命令したのはその人?」


 そう、質問する。
 脳裏に浮かぶのは、初めて出会ってから雷砂に付きまとう男の、子供のような、でもどこか歪んだ笑顔。

 本人と、それから彼の影と立て続けにやり合って、思ったことがある。
 彼は他者を操ることを好む。
 己を殺してでも叶えたい強い願いのある者、歪んだ心を持つ者、心に弱さや隙を持つ者……彼らはそんな他者を黒い言葉で誘惑し、落とし利用する。

 雷砂はそれを何度も目の当たりにしてきた。
 だから今度も、と思ったのだ。
 だが、目の前の男の反応は、思ったものとは違った。


 「黒髪に赤い瞳……? 残念だが、知らないな。見たことも、ない。私は、巫女の命で君に会いに来た」


 わずかに怪訝そうな表情を浮かべ、彼は淡々と答える。
 答えを聞いて、雷砂はかすかに首を傾げた。

 目の前の男は明らかに普通の状態じゃない。
 恐らく、何者かによって操られているんじゃないかとは思うが、操っているのはどうやらあの男ではならしい。
 サファロ本人の言葉を信じるのであれば、だが。


 「ふぅん……巫女、ね。そんな人がオレに何の用?」

 「さあ? 巫女のお心は、私如きでは推し量れぬ。とにかく君は、彼女のお心に叶った、ということだ。……少し、のどが渇いたな? 茶でもどうだ?」

 「お茶? いいけど、オレ、ここではお茶を入れたこと無いから、よく分からないよ?」

 「気にするな。自分で入れる」


 言いながらサファロは立ち上がり、慣れた様子でシェズの家のキッチンの戸棚から必要な道具や茶葉を取り出し、お茶を入れる準備を始めた。
 雷砂は、その手慣れた様子に目を丸くして、


 「サファロはこの家に招かれた事があるの? もしかして、シェズの恋人、とか?」


 思わずそんな質問が口をついて出る。
 その言葉に、サファロの口元を自嘲の笑みが飾った。己でも知らないうちに。


 「私と彼女が恋人だった時期などありはしない。ただ、以前、ここではない別の彼女の家へ、何度か招かれた事がある。家具の配置や食器の置き方の好みは昔と変わっていないようだからな。物の場所さえ分かれば茶を入れるなど造作ないことだろう?」


 お茶を入れる手を止めることなく彼は答え、雷砂の前に湯気の立つ茶碗をそっと置いた。
 雷砂は無言のままその茶碗を見つめ、それからサファロの顔を見上げる。
 そしてゆっくりと手を伸ばし、茶碗を手に取り口に運んだ。

 その中に、なにかが入れられていることはすぐに分かった。
 常人には分からない程度のかすかな匂いから察するに、恐らく人を強制的に眠らせる類のものだろう。
 飲んでも眠るだけで、特に体への害は無さそうだ。
 頭の中の薬草の知識からそう結論づけた雷砂は、椀の中の液体を一気に飲み干した。

 あえて、相手の策にのってやるために。

 空になった茶碗をテーブルに置き、雷砂はシェズが心配しないように伝言を残すことにした。
 指先に魔力を乗せ、ふわふわと周囲を漂っている精霊を呼び寄せると、


 「シェズが帰ったら、オレは大丈夫だって伝えて。サファロが大森林を抜ける案内人を手配してくれるから、って」


 微笑み、少し多めに魔力を分けてやる。すると、精霊達は了承の意を伝えるように、明滅を繰り返し、しばし雷砂にまとわりついていた。


 「……逃げ、ないのか?」


 雷砂と精霊のやりとりをじっと見ていたサファロが、ぽつりと言葉をこぼす。
 目の前の少年はどうやら、己の身に起こる事を知った上で茶を飲み干したのだと、気がついて。


 「なんで? オレが逃げたら、困るんでしょ?」


 色違いの瞳がまっすぐにサファロを見つめる。その瞳の奥に揺れる感情を見通すように。
 その希有な瞳の輝きに、感情などもうなくなったはずのサファロの心の表面がわずかに波立つ。


 「逃げ、た方がいい。逃げて、くれ。どうか」


 気がついたときには、口からそんな言葉がこぼれていた。
 彼の言葉に、雷砂は少しだけ口元を微笑ませ、だがけだるそうな仕草で首を横に振る。


 「オレは、逃げないよ。逃げたらきっと、シェズに迷惑がかかる。……でしょ?」


 眠そうな声でそう返し、雷砂は重くなってきた瞼にあらがうことなく目を閉じた。


 「連れて、行くなら、シェズが戻る前に。オレの事情に、彼女を巻き込むな。巻き、込んだら……ゆる、さ、な……」


 最後まで言葉を紡ぐことなく、雷砂は深い眠りに落ちる。
 だが、言いたいことはきちんと相手に伝わっていた。
 サファロは、無言のまま眠りに落ちた雷砂を見下ろす。

 感情が死に絶えたように無表情な表情の中で、両の瞳だけがわずかに揺らいだ。
 その奥深くに閉じこめられている彼の感情を、ほんの少し伺わせるように。

 だが、唯一の証人足り得る雷砂が眠る今、それを知る者は他になく。
 当の本人であるサファロでさえも、己の感情の動きなどまるで気づかないまま、雷砂の幼い身体をそっと抱き上げた。

 思いの外軽い身体を優しく抱え直し、一歩前に踏み出そうとした足が思うように動かず、サファロは困惑したような視線を己の足へ向ける。
 が、足に変わったところなど見あたらず、まるで身体が勝手に雷砂を子の家から連れ出すという行為を拒否しているかのようだった。

 だが、たとえそうだとしても、このままこの場所へとどまっているわけにもいかない。
 サファロは、頭の命令に反抗するように思うようにならない身体を無理矢理に動かして、シェズの家を後にする。
 そして、来たときの道をそのまま辿り、里へと向かった。
 万が一にも知り合いに遭遇しないよう、木々の影にその身を隠し、己の気配を殺しながら。
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