龍は暁に啼く

高嶺 蒼

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第二部 旅のはじまり~小さな娼婦編~

小さな娼婦編 第二十五話

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 「エメルっ!エメル、返事をなさい!!」


 ヴェネッサの叫びが、薄暗い空間に響きわたる。それを聞きつけたアゴルがヴェネッサのもとへ駆け寄ってきた。


 「どうした?なにかトラブルか?」

 「エメルが、今回の捜索対象と遭遇したようなんですけれども・・・・・・」

 「おっ、そいつは重畳。この依頼、思ったより早くすみそうだな。エメル様々ってヤツだぜ。で、嬢ちゃんはなんだって?」

 「撤退準備を急ぎ、撤退を、と」

 「撤退?」

 「ええ。少々・・・・・・いえ、かなり危険な相手のようですわ」

 「なるほどな。当たりを引いちまったってわけか」

 「どうやら、そのようですわね」

 「で、どうする?」

 「どうするもこうするも、逃げるしかないでしょうね。エメルの判断に間違いはありませんもの」


 感情を押し殺したような声でアゴルに答え、ヴェネッサは自分のクランのメンバーに撤退の指示を出す。
 そして己自身もてきぱきと撤退準備に加わった。
 アゴルもつられたように撤退指示を伝えた後、


 「嬢ちゃんはどうするんだ?置いてくのか?」


 思わずと言うようにそう問いかけた。
 そんな彼に、にっこりとヴェネッサが笑いかける。その瞳に絶対零度の輝きを乗せたまま。


 「まさか。私がエメルを見捨てるなどあり得ませんわ。申し訳ありませんけど、うちのクランのメンバーをお願いできますかしら?」

 「おいおい、まさか一人で残ろうって訳じゃねぇだろうな?」

 「そのまさかですわ。私はエメルを待って一緒に脱出します」


 決意に満ちた顔で、当然のようにそう答えるヴェネッサ。
 アゴルは呆れたようにその顔を見やり、それから片手で目元を覆って天を仰ぐと、はーっと大きく息を吐き出した。

 リーダーなのになに言ってやがると、そんな気持ちもある。
 だが、そういわざるを得ない彼女の気持ちも、アゴルには分かってしまった。
 取り残されたのが自分のクランの仲間だったら、アゴルでも今のヴェネッサと同じ事をするだろう。
 アゴルにとっての仲間とは、長く苦楽を共にした家族と同じ。
 最近はもう少しドライなクランも増えてきているようだが、ヴェネッサのクランもアゴルの所と同じ様な関係性なのだろう。
 どんなに危険と分かっていても、家族を見捨てることは出来ない。

 ヴェネッサの気持ちを痛いほど理解してしまったアゴルには、彼女を無理矢理連れて行くことは出来そうになかった。
 だが、彼女一人を残して撤退する事も、アゴルの信条に反している。
 見た目はごついが、とにかく女子供に弱い男だ。
 何を置いても女、子供は大切にーそれが昔から揺るぐことのない彼の信条だった。


 (仕方ねぇなぁ)


 そんな思いと共に、彼は自分の副官とも呼べる男を近くに呼んで指示を与えた。
 指示の内容はもちろん、女共を連れて、先に逃げとけという内容。
 自分たちのリーダーの性質をよく理解している苦労性の男は、諦めたようにため息を漏らし、その指示に黙って従った。
 無茶せず、必ず生きて戻るように、しっかりと念押しをした上で。

 [シルヴァリオン][鋼の淑女]、リーダーを欠いた2つのクランが粛々と撤退していく。
 それを見送り、ヴェネッサは再度、通信用の宝玉を握ってエメルへの連絡を試みたが答えが返る様子もなく、ヴェネッサは諦めたように一見装飾品にしか見えないアイテムを胸元にしまい込んだ。


 「あなたが残る必要はなかったと思いますけれど?」

 「あー、女を残して逃げるってのは、どうにも性にあわなくてな」

 「そういう、無闇な女扱いは心外ですけれども、まあ、今は余剰戦力として一応感謝しておきますわ」


 そんな上から目線の感謝の言葉に苦笑を漏らしつつ、アゴルは薄暗い通路の先を見た。
 まだ、なにも見えない。
 が、大きな何かの気配がこちらに向かってくる事は、何となく感じられた。
 ヴェネッサも同じ事を感じたのだろう。整った顔をややひきつらせ、


 「なんというか、とんでもない大当たりを引いてしまったみたいですわね」


 こんな事なら、もう少し参加者を募ってから出発するんでしたわ、などとぶつぶつとこぼす。
 それを漏れ聴いたアゴルが再び苦笑を漏らし、


 「あんな化け物みたいな存在感のヤツに、数で当たっても犠牲者が増えるだけだ。ま、今回は運が悪かったってヤツだな。とりあえず、何とかなるように頑張ってみようや」


 背中に担いだ両手剣を鞘から抜き、油断なく構える。


 「どんな化け物が来るかはわからねぇが、ま、お前さんと嬢ちゃんが逃げるだけの時間くらいは、稼げるように努力してみるさ」


 そういってニッと笑いかければ、ヴェネッサはしらっとした表情で、


 「随分と男臭い考え方ですのね。守られたからって、別に惚れたりしませんわよ?私、可愛いものが好きですの」


 ときっぱりと。


 「可愛くねぇ女だなぁ。別に惚れてほしいとも思ってねぇけどよ」

 「可愛くなくて結構ですわ。私が好きになった相手にだけ、可愛いと思ってもらえれば十分ですもの。さ、そろそろ見えますわよ」


 2人は油断することなく武器を構えたまま、軽口をたたき合う。
 と、その時、暗がりから転がり出るように、猫耳の少女が駆けだしてきた。


 「エメル!待ちくたびれましたわ」


 喜色にまみれたその声に、疲れ果てていたエメルはぎょっとしたように声の主を見つめた。
 そこにいたのは、もう逃げているはずだった人。


 「なっ・・・・・・何でヴェネッサがここにいるにゃあぁぁぁ」


 それは心からの叫びだった。
 敵を彼女に近づけてはいけないと急ブレーキをかけたエメルの身体に、後ろから飛んできた白い糸が絡みついてその動きを奪う。
 そのまま巨大な蜘蛛に引き寄せられるエメルを見て、ヴェネッサが飛び出した。


 「エメルっ、すぐに助けますわ」

 「ばっ、危ねぇ!!」


 だが、ヴェネッサの動きを読むように伸びてきた蜘蛛の足を見て、アゴルはとっさにヴェネッサの身体を突き飛ばしていた。
 目標を失った丸太のような足が、アゴルの身体をくの字に折り曲げる。

 鎧が守ってくれたせいか、風穴を開けられることは避けられたが、衝撃だけはどうにもならず、アゴルは地面を派手に転がった。
 壁にぶつかり、止まった身体を何とか起きあがらせるも、ダメージは思った以上に深く、思わず片膝を落としてしまう。


 (くっそぉ。肋を何本か持って行かれたな。腹の中も、傷ついてるかもしれねぇ)


 そんなアゴルを、ヴェネッサはちらりと見つめ、それから蜘蛛と彼の間に立ちふさがるように武器を構えた。


 「庇ってくれたお礼に、逃がして差し上げます。私が時間を稼ぎますから早くお逃げになって」

 「ばっかやろう・・・・・・んなこと出来るか」

 「けがをした貴方に時間稼ぎは無理ですわ。せいぜい逃げるのが精一杯でしょう?いいから、お早く」

 「女を、見捨てていけるか!!」


 獅子の咆哮のような叫びに、ヴェネッサは肩越しにアゴルの瞳を睨みつけた。


 「持っていて一文にもならないような、そんなプライドは捨てておしまいなさい。あの化け物はちょっと異常ですわ。誰かが戻って知らせないと被害が広がるばかり。そうでしょう?」

 「ぐっ」

 「さあ。私の稼げる時間はわずかですわよ?」

 「くそっ、分かった。この借りは必ず返す」

 「さっき私を助けて下さったでしょう?おあいこですわ」

 「うっせぇ。返すったら返すんだよ。だから・・・・・・」


 剣を杖に何とか立ち上がり、アゴルは強い眼差しでヴェネッサを見た。


 「死ぬんじゃねぇぞ。必ず助けを呼ぶ」

 「・・・・・・期待しないで、待ってますわ。では、ごきげんよう」


 ヴェネッサはふわりと微笑み前を向く。
 そしてもう振り向こうとはしなかった。
 アゴルは彼女の後ろ姿を一睨みし、言うことをきかない足に舌打ちをしながら、精一杯の速度でその場を離れた。
 残されたのはヴェネッサとエメル、そして異形の大蜘蛛だけ。


 「ヴェネッサも逃げるにゃ!!」


 エメルが叫ぶ。
 大蜘蛛は、エメルを糸でからめ取った後の攻撃以降、攻撃らしい攻撃もせずに様子をうかがっているようだった。
 そのことを不思議に思いながら、ヴェネッサも叫び返す。


 「嫌ですわ。エメルと一緒でなければ、逃げないと決めてますの」


 にっこり微笑み、動こうとしない敵をまじまじと見つめてから、おもむろに己の獲物を鞘に納めた。
 何故か分からないが、蜘蛛は攻撃をためらっているようだ。
 今なら逃げられるかもしれないが、そうするつもりは毛頭なかった。
 エメルが、あの蜘蛛に捕らわれている限りは。だから。


 「さ、私も糸で縛って連れてお行きなさい。エメルと一緒なら、それもきっと楽しいですわ」

 「なっ、なっ、何をいいだすにゃ~~!!バカすぎるにゃっ!!」

 「エメルはお黙りなさい。さ、どうぞ」


 糸に捕らわれたままのエメルがバタバタと暴れ、ヴェネッサはただじっと蜘蛛を見つめる。
 蜘蛛は、なにやら戸惑ったようにこちらを伺っているように見えた。


 (あなたは、人間?)


 不意に、頭の中に声が届く。
 それは、通信用アイテムを通じた思念での会話によく似ていた。
 エメルの声ではない。ということは、この声は目の前の怪物のものなのだろう。
 その声は、不気味な蜘蛛の異形のものとは思えないほどに愛らしい声であった。


 (ええ、人間ですわ)


 心を落ち着けて答えを返す。


 (人間は、殺さない)


 次いで返ってきたそんな思念に内心驚きを感じつつ、ヴェネッサはにこやかに、


 (じゃあ、私と貴方が捕まえている者を、どうか逃がしてくれませんこと?)


 ダメもとの提案をしてみるも、即座に、


 (それはダメ)


 そんな素っ気ない返事が返ってくる。
 反射的にどうしてと返した彼女の脳裏に届く、


 (あなた達は、エサ、だから)


 そんな言葉に、思わず身を震わせた。


 (えっと、私たちを、殺すつもりはないんですわよね?)

 (殺さない)

 (じゃあ、エサって言うのは・・・・・・)

 (魔力、もらう)

 (それだけ、ですの?頭からボリボリ食べるとかは・・・・・・)

 (しない)

 (な、なるほど、ですわ)


 相手の言葉にほっとする。
 敵が真実を語っているとは限らないのだが、何となく本当の事だろうと感じた。

 そんな彼女の身体を、白い糸がそっとからめ取る。
 そしてそのまま、蜘蛛の巨体のそばに引き寄せられ、その背に乗せられた。
 同じく拘束された、エメルと共に。


 「ヴェネッサはバカだにゃ。あれだけ逃げろって言ったのに」

 「エメル、さっきからバカバカ言い過ぎですわ。温厚なこの私でも流石に怒りますわよ?」

 「アタシ1人が死ねばすむ事だったのに」

 「そんなの、許しませんわよ。死ぬつもりはありませんけど、もしその時が来たなら一緒に死にましょうね」

 「バカにゃ。こんな異端の猫一匹のためだけに」

 「む。またバカって言いましたわね?それに、こんなって言わないで下さい。エメルはただの猫じゃありませんもの。あなたは私の、ただ1人の大切な猫ですわ。その事を、もう少し、自覚して下さいね?」

 「うっ。そんな恥ずかしいセリフを臆面もにゃくよく言えるのにゃ・・・・・・」


 エメルの顔が、赤く染まる。
 その顔をにこにこ眺めながら、


 「ふふ、そんなに恥ずかしそうに。可愛らしいですわぁ~」


 うっとりと、ヴェネッサもまた恍惚とした表情で頬を染める。
 そんな変態的な表情を呆れたように見やりながら、


 「仕方にゃいリーダーだにゃ。でも、ま、こんな状態でもうどうすることもできにゃいし、運を天に任せるしかなさそうだにゃあ」


 はあぁっと大きく息を吐き出して、どうにでもなれとばかりに、ごつごつとした天井を見上げた。 
 さっき1人で逃げていたときの恐怖はいつの間にかどこかへいってしまった。
 さっきよりも余程絶望的な状況だと思うのだが、不思議なものだ。

 1人じゃない。信頼できる人がそばにいる。
 ただそれだけのことが、エメルの心を落ち着かせてくれるのだった。
 そんな奇妙な安らぎの中で。
 疲れた身体が求めるままに眠気を覚えたエメルは、大胆にも可愛らしいいびきをかいてぐっすりと眠ってしまったのだった。そんな彼女を、ヴェネッサが愛おしそうに見つめ、この可愛らしい生き物を必ず守ってみせると決意を新たにしたことに、全く気づくことなく。




 彼女は、背中に捕らえたエサを乗せて、すっかり慣れ親しんだ坑道をゆっくりと進んでいた。
 遭遇した瞬間は驚いたが、正直助かったとも思っていた。
 強さを求めて次から次へと魔力を持つモノ達を補食した結果、この鉱山に彼女の糧となる生き物がほぼ居なくなってしまっていたから。

 とはいえ、背中に捕らえた生き物を食べてしまうつもりはなかった。
 彼女たちの中の魔力というべき力を少々吸い取るだけに止めるつもりである。

 それはなぜか。
 理由はただ一つだ。
 彼女たちが人間という種であるから。
 彼女が今、唯一執着する雷砂と同じ種であると言うだけで、彼女たちは死を免れたのだった。

 以前、人間の男達を補食して以降、彼女の内面は随分と変わってしまった。
 生存本能と欲望、そして少しの愛情と好奇心しかなかった彼女の心に、理性と言うべきものが芽生えたのだ。

 人という複雑な生き物を補食し、その知識の一端を手に入れた彼女は理解していた。
 雷砂の同族たる人間を殺す事は禁忌であると言うことを。
 同族を殺された雷砂は、激怒するだろう。
 そんな雷砂と相対するのはごめんだった。

 彼女は雷砂と殺し合いたいのではない。
 ただ、じゃれ合い、遊び相手となってほしいのだ。

 もし怒ったら、雷砂はきっと彼女と遊んでくれない。
 それだけは、どうあっても避けなければならなかった。

 だから、彼女は人間という種族をなるべく殺さないようにしようとは思っていた。
 最初の男達は、まあ仕方がない。
 不可抗力だったし、彼らにも運がなかった。
 まあ、彼らの犠牲があったからこそ、エメルとヴェネッサは死なずに済んだのだから、小悪党であった彼らも最後に人の役に立ったともいえる。本人たちは、そんな役になど立ちたく無かったと、声を大にして抗議するに違いないだろうが。

 とりあえずは、思いがけなく手に入れた人間から魔力と情報を得ることから始めようと、彼女は思う。
 生まれてからずっと、この暗闇の中に潜んでいた。
 エサのなくなったこの場所を捨てるにしても、少しは情報を仕入れておかないと、思わぬ所で足をすくわれてしまうかもしれない。

 それに、彼女は興味があった。人間という生き物の知性や生態、それぞれの個性というべきものに。
 遠からぬ未来、雷砂と出会う時の為に、色々な知識を得ておきたい。
 そんなことを考えながら、彼女は自分の寝床に向かって8本の足をせっせと動かすのだった。
 
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