龍は暁に啼く

高嶺 蒼

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第二部 旅のはじまり~小さな娼婦編~

小さな娼婦編 第九話

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 閉め切った部屋で明かりをつけることなく、少女は己に与えられたベッドの上で毛布にくるまり、うずくまっていた。
 もう、何時間もその姿勢のまま。
 断ることなく部屋に入った雷砂は、そっとベッドに腰を下ろして、毛布の固まりにそっと手を乗せた。


 「アレサ、オレだよ」


 びくりと震える相手をなだめるようにそっと声をかける。
 毛布がもぞもぞ動いて、泣きはらした目のアレサが顔を出し、びっくりしたように雷砂を見つめた。


 「雷砂、どうして?」

 「アレサを買い戻そうと思ってきたんだけど・・・・・・」

 「私を、買い戻す?雷砂が?」

 「うん。でも、ちょっとお金が足りなくて、もうちょっと時間がかかりそうなんだ。本当はすぐに連れて帰ってあげたかったけど、ごめんな」


 雷砂は申し訳なさそうに微笑んで、アレサの髪を優しく指先ですいた。
 アレサは雷砂の発言に驚いて言葉が出ない。

 雷砂は知っているのだろうか。
 娼婦一人を自由にするのにどれだけのお金が掛かるかということを。
 アレサだってそれほど詳しく知るわけではないが、それでも途方もない金額がかかることは分かる。

 連れ去られ、ここに売られ、呆然としている間に何もかもが終わって部屋に押し込められた。
 それからずっと、泣いていた。
 自分の境遇を呪い、残された母の心配をしながら。

 だがその涙も、少し前にやっと止まった。
 覚悟、したのだ。
 娼婦として生きるしかないということを。
 そうして自分の身を売って、母親を養い、自分の身代を買い戻すしか方法は無いのだと。

 雷砂の事が、脳裏をよぎらなかったかと言えば嘘になる。
 だが、どれだけ優しくしてくれてもしょせんは他人でしかないし、助けにきてくれる事なんて無いだろうと、そう思っていた。
 それなのに。

 今、雷砂は目の前にいて、すぐに買い戻せなくてごめんと、そう言ったのだ。
 昨日会ったばかりの赤の他人の為に、どうしてそこまでできるのか。
 そこまでする義理など、ないはずなのに。 


 「どうして?」

 「ん?」

 「どうして、そこまでしてくれるの?」

 「ん~、そうだなぁ」


 優しくアレサの頭を撫でながら、雷砂が言葉を探すように宙を見つめた。
 その横顔が余りに綺麗で、アレサは思わず見とれてしまう。


 「なんというか、オレのわがままみたいなものかな。ま、乗りかかった舟というか。とにかく、アレサをこのままにするのは、オレの気持ちがすっきりしないんだ」


 だから、アレサは何も気にしなくていいーそう言いながら、雷砂が優しく微笑んだ。
 そこには純粋な好意しか無く、アレサは少しだけがっかりしている自分に気がついた。

 本当は、アレサが好きだから助けたいんだと、言って欲しかった。
 そんなこと、ある訳ないと分かっていながらも、心のどこかでそんな言葉を望んでいた。

 だけど、雷砂はきっと誰にでも優しいのだ。
 もし、こうして苦境に陥っているのがアレサでなくても、雷砂はきっと助けてくれるのだろう。
 その事が、なんだかとても切なかった。
 止まった涙が再び頬を濡らす。


 「辛かったな。でも、もう大丈夫だ。買い戻す算段がつくまでアレサの夜はオレが買う。理不尽な事は、絶対にさせないから」

 「雷砂が、私を買うの?」


 アレサが目を丸くする。雷砂は、少女の頬を濡らす涙を拭ってやりながら、


 「うん。まあ、取り敢えずは3日分だけど」


 頷き、そう答えた。


 「じゃあ、私、3日間は雷砂のものなのね?」


 目を輝かせて身を乗り出した少女に気圧されたように身を引きながら、


 「そう、なるかな」


 再び頷く。


 「毎晩、来てくれる?」


 アレサは雷砂の顔をじっと見つめ、尋ねた。
 雷砂が頷いてくれることを祈りながら。


 「えっと、色々やることもあるし、毎晩は難しいと思うけど・・・・・・」


 そこまで言って、雷砂はすがるような少女の眼差しに気づいて少しだけ困った顔をし、


 「でも、出来るだけ顔を出すようにするよ。それじゃ、だめか?」


 小さく首を傾げて問いかけた。
 その問いに、アレサは素直に頷く。雷砂が誰にでも優しいのは仕方のないことだ。
 アレサを、アレサだけを特別に好きでいてくれる訳じゃ無いことも分かっている。

 それでも、雷砂が買ってくれた時間は、アレサと雷砂だけの時間だ。
 雷砂に迷惑をかけることはもちろん心苦しくはあったが、雷砂がアレサを買ってくれたという事実は、アレサの心を甘く満たしていた。


 「いいよ。それでいい。雷砂の用事の邪魔にならない範囲で構わないから」


 そう言って微笑むアレサの表情は妙に大人びて見えた。
 雷砂はそんな少女の変化に少し戸惑ったようにその顔を見つめた。
 アレサは雷砂の目をじっと見つめ返す。
 形になり始めた特別な想いが発する密かな熱を込めて。


 「でも、今夜は一緒にここで、眠ってくれるでしょう?」

 「・・・・・・ああ。今日はここにいる。朝まで、ちゃんと。だから、アレサは安心してゆっくり眠って良いよ」


 甘えを含んだアレサの問いに、雷砂は一瞬間をおいたものの、結局は頷いた。
 頭に浮かんだのはセイラの顔。
 彼女の元へ帰って、彼女の側でゆっくり休みたい気持ちもあったが、アレサをこのまま一人ここに置き去りにするのは忍びなかった。


 (ロウ、今日は用事が出来たから帰れない。その事を、セイラに伝えて。朝には帰るから、心配しないでって)


 ロウに向かって、心の中で語りかける。
 ロウと雷砂は常につながりを維持しているから、これでロウにはきちんと伝わっているはずだった。
 セイラにも、きちんと伝えてくれるだろう。
 セイラも、戻らない雷砂を心配してヤキモキすることなく、ゆっくり眠れるに違いない。

 その時の雷砂は、すっかり失念していた。
 ロウが基本的にはとても言葉が足りないと言うことを。
 それを翌日、嫌と言うほど思い知らされることになるのだが、この時の雷砂はそんなこと知る由もない。

 雷砂は、一緒にベッドを使おうというアレサの誘いを固辞して、彼女がベッドの入るのを確かめてから明かりを落とし、床にゴロンと横になる。
 目を閉じ、瞼の裏に愛しい人の顔を浮かべて、口元に笑みを刻むと声に出さずにそっと彼女におやすみを告げるのだった。




 セイラは、遅い時間になっても帰ってこない雷砂をまんじりともしないで待っていた。


 (今日は薬草を採りに行くっていってたから、それほど遅くならないと思っていたんだけど)


 もしかして、薬草を届けに行った昨夜の少女の家で、引き留められているのだろうか。
 そんなことを思いながら、セイラは昨夜見た少女の顔を脳裏に浮かべる。
 15歳という年齢に見合った若々しさと、溌剌とした愛らしさを持った少女だった。
 少し勝ち気そうな綺麗な顔立ちをしていたなと思い出す。

 単純な美しさで言えば、多分セイラやリインの方が上だろう。
 雷砂とて、彼女に特別な想いがあって助けようと思った訳ではないと言うことは分かっている。
 でも、セイラは気づいていた。
 少女の瞳に、育ち始めた雷砂への特別な想いがある事に。

 雷砂がモテることは今に始まった事ではないし、それは仕方が無いことだとも思っている。
 雷砂を独り占め出来ると思うほどうぬぼれてもいない。
 だが、心は思うようにいかないものだ。特に、嫉妬の思いというものは。


 (ヤキモチ、なのかなぁ)


 心の中で呟き、やっぱりヤキモチなんだろうなぁと苦笑する。
 自分はもう20歳で相手はまだ10歳。
 まだ子供ともいえる年齢の相手にヤキモチを焼く大人なんてみっともないとは思うのだが、仕方ない。
 それくらい、どうしようもないほどに雷砂が好きなのだから。今更、もうどうにもならないくらいに。

 雷砂を、想う。早く帰ってきて、私を安心させてーそんな思いと共に。
 その時、ふいに部屋の入り口が開いた。
 雷砂が帰ってきたかと顔を輝かせたセイラは、入ってきた人物を見て唇をとがらせた。

 入ってきたのは雷砂の忠実な僕。
 銀色の髪の美しい少女。
 その頭からは狼の耳がちょこんと生えていて、お尻からはふさふさした尻尾が生えていて、持ち主の感情にあわせるようにゆらゆら揺れている。
 その様が何とも可愛らしかった。


 「ちょっと、ロウ。人としてのマナーは教えたでしょ?部屋に入る前はちゃんとノックしてから入るようにって」


 少しとがった声の小言など気にした様子もなく、部屋に入り込んだロウは、セイラの前でぴたりと歩を止める。
 セイラはその、整っているが表情の乏しい顔をイスに座ったまま見上げた。


 「何か用なの?」

 「マスターから伝言」

 「雷砂から?」


 身を乗り出したセイラの目を見つめ、ロウが無表情に頷く。


 「そう。マスターは今日は帰らない。朝には帰るから心配するなって伝えて欲しいと、思念が送られてきた」

 「そっか。今日は戻らないのね」


 頷き、小さくため息。
 今日は1人で眠るのかと思うと少し寂しかった。
 基本、この部屋はセイラと雷砂の部屋で、リインの部屋は別にあるし、ロウは雷砂がいない時は姿を消していることが多い。
 昨夜はたまたま、セイラが雷砂を抱き枕にしているところにリインが乱入してきて、朝になって気がつけばロウまで紛れ込んでいた。

 まあ、最近はそうやって複数人数で眠ることも多く、雷砂と2人きりと言う方が少ない。
 だが、それ以上に1人で眠ることはほとんどなかったから、1人寝はなんとも物足りない感じがした。

 ちらりと、ロウを見る。
 一緒に寝ようと誘ってみようか、と。
 だが、雷砂が居ないのではきっぱりと断られるような気もする。
 セイラは1人苦笑いを浮かべ、それから軽い気持ちでロウに問いかけた。
 雷砂はどこにいるのか、と。

 問われたロウは、素直に雷砂の存在を検索する。
 その情報をこの町の地図情報と重ね合わせて、ちょっと考え込むように首を傾げた。


 「ロウ?」

 「知らない方が、いいこともある。聞かない方が、貴方のため」


 フルフルと、ロウが首を左右に振る。
 雷砂の居場所は分かるが教えないという意思表示だ。
 だが、思わせぶりなその発言に、セイラの中の疑心が頭をもたげた。


 「それは、どういうことかしら?怒らないって約束するから、雷砂の居場所、教えてくれない?」


 にっこり笑って再度問う。
 その顔を見つめながら、ロウは思う。
 怒らないと言っているのに目が笑っていない。その言葉は信じられない、と。


 「おやすみ。ロウはもう休む」


 そう言って踵を返そうとした狼耳の美少女を、セイラが後ろから羽交い締めにする。


 「そう言わずに、もうちょっとのんびりしてったら?たまにはお姉さんとゆっくりお話しましょうよ。ほら、雷砂が今どこにいて、ロウはどうしてそれを隠そうとするのか、とか」

 「・・・・・・話す必要は感じない」


 無感情な声の中に、少しだけ混じるうんざりとした響き。
 セイラはあえてそれを無視して、ロウを拘束し続ける。

 ロウにとって、セイラを振り払うことなど簡単だった。
 だが、彼女に乱暴な事をしたら雷砂が怒ることも分かっていた。
 だから抵抗する事すら出来ずにただ押し黙る。

 雷砂の現在地、それは「蝶の夢」と呼ばれる高級娼館だ。
 ロウも、知識としては娼館という概念は知っていた。
 それが男が女を求めて集まる場所だと言うことも。

 主である雷砂がそこにいるのは理由あっての事だろうし、もし女を求めて足を運んだのだとしても、ロウとしてはなんの問題も感じないのだが、セイラという雷砂が大事にしている人間はそうもいかないだろう。

 言って良いことと、悪いことがある。
 その事くらいは、流石のロウにも理解できた。
 だから、賢明にも口を噤む。
 しかし、セイラはそう簡単にはあきらめてくれそうになかった。


 「さ、2人で過ごす事なんて滅多にないし、今日は女同士腹を割って話しましょ。時間はまだ、たーっぷりあるんだから」


 ロウの華奢な体を抱え込んでベッドに腰掛けたセイラは、妙に凄みのある笑顔を浮かべてロウに話しかける。
 逃げられそうもない、とロウの額に冷や汗が一筋。

 もちろん、セイラはロウを逃がすつもりなんてない。
 うっかり口を滑らせたのが運の尽きだ。
 ロウには、雷砂がどこにいるか話すまできっちりつきあって貰うつもりである。
 寂しい1人寝のはずだったが、寂しがっている余裕はなさそうだった。





 (きれいな寝顔)


 眠る雷砂の顔を間近から見ながら、アレサはそんな感想と共に小さな吐息を漏らした。
 一緒にベッドで寝ようと誘ったのに、雷砂はさっさと床で丸くなってしまった。
 毛布一枚、かけることなく。

 仕方がないのでアレサも床で寝ることにしたのだ。
 今は毛布を雷砂と自分の体にかけて、固い床にゴロンと横になっている。
 雷砂は目を覚まさずに眠っている。
 悪意ある人間の気配には敏感なのに、自分に敵意を持たない相手にはとことん無防備だった。


 「・・・・・・ねぇ、私は雷砂のものなんだから、好きにしていいんだよ?」


 熱い、吐息混じりの言葉。
 だが、そのかすかな声に雷砂が反応することはない。
 それくらい、よく眠っているのだ。

 アレサは苦笑する。
 好きにしていい、そう言いながら、好きにして貰いたいと思っているのはアレサの方。
 今だって、雷砂の手に触れて欲しくて体が熱い。
 すぐ目の前の唇に自分の唇を触れ合わせたくて胸が壊れそうなくらいドキドキしていた。


 「雷砂は女の子なのに、こんな気持ちになるのは変だよね」


 それが普通ではないことは分かっている。
 でも、気持ちは止まらない。

 唇を寄せる。雷砂の、唇へと。

 唇と唇を触れ合わせ、その温度と柔らかさを確かめるようにしばらくそのままで居た。
 でも、それが15歳のアレサの精一杯。
 リンゴのように真っ赤な顔になって、ゆっくりと顔を離した。

 紅い顔のまま、息を殺して雷砂を見つめる。
 雷砂は、目を覚まさない。
 その事にほっと息をつき、アレサは雷砂の手を両手で握って目を閉じた。

 借金取りの男達に捕まってから、ずっと不安だった。
 でももう、今は何一つ不安はない。
 雷砂が、何とかしてくれると言ったのだ。
 アレサは、それを信じるだけだった。

 泣き疲れた目が眠りを欲しているのを感じて、とろとろと目を閉じる。
 眠りはすぐにやってきて。
 アレサは雷砂の手を宝物のように抱きしめたまま、朝までぐっすりと眠るのだった。
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