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第四章 因縁の導き
魔の刻石 2
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翌朝、啼義は早く目が覚めた。今度こそもう、熱の感覚はない。
隣のベッドにイルギネスの姿はなかった。今朝も、裏庭で驃と朝稽古をしているのかも知れない。混じってみようかという気になって、ベッドから立ち上がった時、ふと、姿見に写った自分の姿が目に入った。
<ディアード──父親に、どのくらい似てるのかな>
自分の顔なのに、久しぶりにちゃんと見たような気がする。鏡の中の自分は髪も目も黒くて、素朴な印象だ。比較的珍しい髪色のイルギネスなどと違って、雑踏に紛れれば、そんなに目につくような容姿でもないだろう。
変わったところと言えば、背中の中ほどまであった髪が、肩先までしかないことか。しかし意外にも、感傷的な気分は沸かなかった。
「これでも充分、似合うじゃねえか」
すっきりした自分の姿に、気持ちが軽くなり、啼義は微笑んだ。少し日に焼けているのは、ここに来るまで外にいることが多かったせいだろう。そのせいか、前よりもいくらか、精悍な顔つきになったようにも見える。
「よし」
身支度を整えて、裏庭へ行ってみよう。啼義は体をぐっと伸ばし、窓の外を見た。今日は快晴だ。
先に気づいたのは、驃だった。
「啼義じゃないか。おはよう」
イルギネスと二人、木の長椅子に腰掛けて穏やかな空気だが、すでに汗だくだ。
「おはよう」
「おはよう。調子はどうだ?」イルギネスが尋ねる。
「もう大丈夫。朝稽古は、終わったのか?」
その言葉に、驃が嬉しそうに返した。「お、やるか?」
「いや、その……まだそこまでは──」どんな感じか見てから、混じろうと思ってたのだ。しかし、驃の耳には届いていない。彼は木刀を手に庭の真ん中まで進むと、振り向いた。
「そこの木刀を持ってこっちへ来い。まずは軽く、お手並み拝見といこう」
戸惑いの表情を浮かべた啼義に、イルギネスが楽しそうな視線を投げ、簡素な革の防具を手渡しながら口を開く。
「気をつけろよ。あいつの言う軽くは、全然軽くないからな」
「え」
言われなくても、そんな予感しかしない。啼義は若干の不安を覚えながらも、装備を整え、置いてあった木刀を手にして、驃の前に進み出た。
「よろしくお願いします」驃が丁寧に一礼し、啼義もそれに倣う。「よろしくお願いします」
互いに木刀を構え、その先が触れ合った瞬間──見たこともないような速さで、驃の一撃が啼義を身体ごと吹っ飛ばした。なんとか倒れるのを堪えた啼義は、体勢を立て直し、次の一打をギリギリで受ける。
<──ってぇ!>
腕全体に痺れるような衝撃が走り、思わず木刀を落としかけるも耐えた。だがそこに、もう一打が容赦なく振り下ろされ、今度こそ、敢えなく手から木刀が転げ落ちる。間髪入れず、驃の木刀が左の肩当てをしたたかに突き、啼義はなす術もなく地面に転がった。
「勝負あり!」
ただの突きなのに、あまりにもあっけなく転がされて、啼義は呻いた。腕と肩の感覚が飛んで、戻ってくるまで、少しの時間を要した。
<どこが軽いんだ!>
転がったまま、心の中で文句を言ってみたが、きっと驃にとっては、本当に軽いのだろう。やっと身を起こしたそこに颯爽と立つ驃の姿の、なんと勇ましいことか。顔の傷跡すら、凛々しさを後押ししているように見える。驃は口元を上げた。
「体勢を立て直すのは速いな。あとは基本の筋力と、足腰に力が欲しいところか。剣自体の扱い方も甘い」
「うん……」
驃の的確な講評に、少しばかりの悔しさを覚えながらも、啼義は立ち上がり、衣服についた土をはらった。肩当て越しに突かれた左肩が、鈍く痛む。靂は魔術と刀使いだったので、剣も彼なりの指導があったとは言え、きちんと習ったとは言い難い。だけど、こうもあっさり負かされるとは。そこで啼義は、唐突に思いついた。
「驃」
「ん?」
啼義は姿勢を正して、驃に向き合う。啼義の顔には、何やら真剣な色が浮かんでいる。空気を読み、驃の口元から笑みが消えた。
「なんだ?」
「俺に、剣を教えてくれないか」
真っ直ぐに驃を見つめる。
「剣でもなんでも──強くなりたいんだ。今のままじゃ、俺はダリュスカインに全く歯が立たない」
「ふむ」
驃の赤い瞳が、探るように啼義の黒い瞳を覗きこむ。
「……そうか」
闘志を宿す眼差しに気圧されそうになりながらも、啼義は逸らすことなく見返した。沈黙が落ち──ふと、驃が破顔した。屈強なイメージとは真逆の、少年のような笑顔だ。
「よし。そう言うなら、とことんまで、厳しく鍛えてやるぜ」
「え」
「手加減はしないから、根を上げるなよ」
歯を見せて笑う驃に、とことん扱かれる自分を想像し、啼義は勢いのまま申し出てしまった自分を、わずかに後悔した。
その様子を、アディーヌは二階の自室の窓から微笑ましげに眺めていた。が──
<啼義様の右肩には、やはり何か、異のものの気配を感じる>
昨晩一緒に過ごした時、密かに感じた異質な気配──それはどうやら、啼義の右肩に憑いているようだと、彼女は見当をつけた。
<あとで、きちんと診る必要があるわね>
話を聞いた今、それは彼を襲撃した魔術師の仕業の一つの可能性が高い。しかし、よくある呪念の気配とは、何かが違う気がする。それなら尚のこと、気配の原因を解き明かさなければならない。
隣のベッドにイルギネスの姿はなかった。今朝も、裏庭で驃と朝稽古をしているのかも知れない。混じってみようかという気になって、ベッドから立ち上がった時、ふと、姿見に写った自分の姿が目に入った。
<ディアード──父親に、どのくらい似てるのかな>
自分の顔なのに、久しぶりにちゃんと見たような気がする。鏡の中の自分は髪も目も黒くて、素朴な印象だ。比較的珍しい髪色のイルギネスなどと違って、雑踏に紛れれば、そんなに目につくような容姿でもないだろう。
変わったところと言えば、背中の中ほどまであった髪が、肩先までしかないことか。しかし意外にも、感傷的な気分は沸かなかった。
「これでも充分、似合うじゃねえか」
すっきりした自分の姿に、気持ちが軽くなり、啼義は微笑んだ。少し日に焼けているのは、ここに来るまで外にいることが多かったせいだろう。そのせいか、前よりもいくらか、精悍な顔つきになったようにも見える。
「よし」
身支度を整えて、裏庭へ行ってみよう。啼義は体をぐっと伸ばし、窓の外を見た。今日は快晴だ。
先に気づいたのは、驃だった。
「啼義じゃないか。おはよう」
イルギネスと二人、木の長椅子に腰掛けて穏やかな空気だが、すでに汗だくだ。
「おはよう」
「おはよう。調子はどうだ?」イルギネスが尋ねる。
「もう大丈夫。朝稽古は、終わったのか?」
その言葉に、驃が嬉しそうに返した。「お、やるか?」
「いや、その……まだそこまでは──」どんな感じか見てから、混じろうと思ってたのだ。しかし、驃の耳には届いていない。彼は木刀を手に庭の真ん中まで進むと、振り向いた。
「そこの木刀を持ってこっちへ来い。まずは軽く、お手並み拝見といこう」
戸惑いの表情を浮かべた啼義に、イルギネスが楽しそうな視線を投げ、簡素な革の防具を手渡しながら口を開く。
「気をつけろよ。あいつの言う軽くは、全然軽くないからな」
「え」
言われなくても、そんな予感しかしない。啼義は若干の不安を覚えながらも、装備を整え、置いてあった木刀を手にして、驃の前に進み出た。
「よろしくお願いします」驃が丁寧に一礼し、啼義もそれに倣う。「よろしくお願いします」
互いに木刀を構え、その先が触れ合った瞬間──見たこともないような速さで、驃の一撃が啼義を身体ごと吹っ飛ばした。なんとか倒れるのを堪えた啼義は、体勢を立て直し、次の一打をギリギリで受ける。
<──ってぇ!>
腕全体に痺れるような衝撃が走り、思わず木刀を落としかけるも耐えた。だがそこに、もう一打が容赦なく振り下ろされ、今度こそ、敢えなく手から木刀が転げ落ちる。間髪入れず、驃の木刀が左の肩当てをしたたかに突き、啼義はなす術もなく地面に転がった。
「勝負あり!」
ただの突きなのに、あまりにもあっけなく転がされて、啼義は呻いた。腕と肩の感覚が飛んで、戻ってくるまで、少しの時間を要した。
<どこが軽いんだ!>
転がったまま、心の中で文句を言ってみたが、きっと驃にとっては、本当に軽いのだろう。やっと身を起こしたそこに颯爽と立つ驃の姿の、なんと勇ましいことか。顔の傷跡すら、凛々しさを後押ししているように見える。驃は口元を上げた。
「体勢を立て直すのは速いな。あとは基本の筋力と、足腰に力が欲しいところか。剣自体の扱い方も甘い」
「うん……」
驃の的確な講評に、少しばかりの悔しさを覚えながらも、啼義は立ち上がり、衣服についた土をはらった。肩当て越しに突かれた左肩が、鈍く痛む。靂は魔術と刀使いだったので、剣も彼なりの指導があったとは言え、きちんと習ったとは言い難い。だけど、こうもあっさり負かされるとは。そこで啼義は、唐突に思いついた。
「驃」
「ん?」
啼義は姿勢を正して、驃に向き合う。啼義の顔には、何やら真剣な色が浮かんでいる。空気を読み、驃の口元から笑みが消えた。
「なんだ?」
「俺に、剣を教えてくれないか」
真っ直ぐに驃を見つめる。
「剣でもなんでも──強くなりたいんだ。今のままじゃ、俺はダリュスカインに全く歯が立たない」
「ふむ」
驃の赤い瞳が、探るように啼義の黒い瞳を覗きこむ。
「……そうか」
闘志を宿す眼差しに気圧されそうになりながらも、啼義は逸らすことなく見返した。沈黙が落ち──ふと、驃が破顔した。屈強なイメージとは真逆の、少年のような笑顔だ。
「よし。そう言うなら、とことんまで、厳しく鍛えてやるぜ」
「え」
「手加減はしないから、根を上げるなよ」
歯を見せて笑う驃に、とことん扱かれる自分を想像し、啼義は勢いのまま申し出てしまった自分を、わずかに後悔した。
その様子を、アディーヌは二階の自室の窓から微笑ましげに眺めていた。が──
<啼義様の右肩には、やはり何か、異のものの気配を感じる>
昨晩一緒に過ごした時、密かに感じた異質な気配──それはどうやら、啼義の右肩に憑いているようだと、彼女は見当をつけた。
<あとで、きちんと診る必要があるわね>
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