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第五章 竜が啼く
北へ 4
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それから数日は、穏やかな日が続いた。
啼義は時間を見つけては、"竜の加護"を少しでも動かせるように、アディーヌに手解きを受けているものの、そんなにすぐに成果が出るわけがない。ただ、ダリュスカインの動きが山脈の向こうに留まっていると分かったことで、焦る気持ちは消えていた。それもあってか、ほんの一瞬ほどだが、竜の加護の在処に触れられたような感覚を、幾度か掴むことができた。
その一方で彼は、リナとの接点が減ったことが気にかかっていた。朝、リナはアディーヌとどこかへ出掛けて行くのだが、その後アディーヌだけが戻り、リナが帰ってくるのはだいぶ遅い。昨日だけはアディーヌが夕方再び出掛け、一緒に帰ってきたが──その翌日も、リナは夕飯の支度の時間に戻らず、アディーヌだけが台所に立っていた。
中庭で木の長椅子に座して意識の集中を鍛錬していた啼義がふと目をやると、台所に動く人影が増えていて、リナの帰宅を期待して立ち上がったものの、窓越しに見えたのはイルギネスと驃だった。がっかりしながらもう一度腰を下ろし、目を瞑って「集中集中」と唱えながら、やはり片隅には疑問がよぎる。
<昨日もいなかったし、どこ行ってんだ?>
そこで、すっかり集中が途切れた自分に気づき、
「ああもう、しっかりしろ!」
啼義は一人で喚いて頭を振ると、今一度、思考を仕切り直した。
しかし、夕食直前に帰ってきたリナは、特に何かの報告をするでもなく、むしろ黙々と食事を終えて、手際よく食器類を洗い終えると、また部屋に篭ってしまった。いつもの朗らかな雰囲気が消え、なんとなく気が張っている空気を感じて、啼義は話しかけることも出来ずにその背中を黙って見送る。
<避けてるんじゃないよな? それとも俺、何かしたかな>
自分が、いつまでここにいられるのかも分からない。気持ちを自覚した矢先に距離ができてしまった気がして、けれど、それをどうかする方法も分からず、啼義の心には寂しさが募った。
かと言って下手に尋ねて、数日前のように拗れたら、それこそ立ち直れる気がしない。あるいは離れなければいけないなら、変に踏み込まずにこのまま旅立つ日を迎えた方が、辛くはないかも知れない。啼義は半ば強引にそう考えることにした。
だが、その夜──ついに事態が動いた。
夕食のあと、啼義とイルギネス、驃の三人が居間に残ったままくつろいで談笑していると、アディーヌが二階の自室から下りてきた。
「啼義様」
扉を開けたそこに立ったアディーヌの左右色違いの瞳には、何か──畏れのような感情が浮かんでいる。緊迫した空気を感じ、迎えた三人から笑顔が消えた。
「何があった?」
啼義が立ち上がる。アディーヌは啼義の前に進み出ると、自らを落ち着かせるように息を吐いて、告げた。
「ダリュスカインの波動が──山脈を越えてこちらへ」
「え?」
三人が口を揃えて聞き返す。
「先ほど突然、波動が近づいたのを捉えました。彼はもう山脈を越えて、こちら側へ来ている」
「なんだって?」
啼義の視界が、ふわりと眩んだ。暗くなった、とも錯覚する闇が、自分の周りにだけ落ちた気がした。
アディーヌは硬い表情で、ゆっくり、諭すように続ける。
「おそらくは、慈禊の祠付近に、強烈な波動を感じます。実は一度、見失いかけていたんです。それが突然、復活した。この動き──彼は、祠を使ったのではないかと……」
一番可能性が低いと考えていた、祠を抜ける道。信じ難いが、それが成されたと言うのか。
「あっちは、啼義の居場所に気づいているのか?」
イルギネスが顎に手を当て、険しい顔で独り言のように呟く。
「それは分かりません。けれど、イリユスの神殿の存在は知っている可能性が高い。目指してくるならば、追いつかれるでしょう」
驃が足を組み直し、啼義を見た。
「じゃあ、迎え討つか」
啼義はちらりと驃を見やり、それから視線を足元に落とす。わずかな時間、沈黙が落ちた。
「会いに行く」
啼義は、顔を上げた。
「これは、ただ仇を討てば済む話なんかじゃない。俺はダリュスカインと話がしたい。それに、もし戦うことになった時、ここをその場所にするわけにはいかない」
そしてイルギネスと驃を振り返った。
「ついて来てくれるか?」
二人は黙って頷いた。それはこの数日、啼義が伝えていた意志だ。ダリュスカインの心情を思えば、戦いは回避できないだろう。それでも、なぜ──本当に靂を手にかけたのか、真実はどうで、その心が何処にあったのかを聞かずに、刃を交えたくはなかった。
「承知いたしました」
アディーヌが、彼らの意思の一致を受け入れるように、その眼差しをイルギネス、驃に向け、最後に啼義に戻す。彼女は、あらたまった様子で啼義を見上げた。
「啼義様。ではもう一人、同行させて下さい」
「え?」
「リナを」
啼義は、文字通り息を呑んだ。今、誰と?
「私はこの通り不自由な身で、お力にはなれません。この数日で、リナには教えられるだけのことを伝えておきました。そしてもう、リナ自身の覚悟はできています」
啼義は時間を見つけては、"竜の加護"を少しでも動かせるように、アディーヌに手解きを受けているものの、そんなにすぐに成果が出るわけがない。ただ、ダリュスカインの動きが山脈の向こうに留まっていると分かったことで、焦る気持ちは消えていた。それもあってか、ほんの一瞬ほどだが、竜の加護の在処に触れられたような感覚を、幾度か掴むことができた。
その一方で彼は、リナとの接点が減ったことが気にかかっていた。朝、リナはアディーヌとどこかへ出掛けて行くのだが、その後アディーヌだけが戻り、リナが帰ってくるのはだいぶ遅い。昨日だけはアディーヌが夕方再び出掛け、一緒に帰ってきたが──その翌日も、リナは夕飯の支度の時間に戻らず、アディーヌだけが台所に立っていた。
中庭で木の長椅子に座して意識の集中を鍛錬していた啼義がふと目をやると、台所に動く人影が増えていて、リナの帰宅を期待して立ち上がったものの、窓越しに見えたのはイルギネスと驃だった。がっかりしながらもう一度腰を下ろし、目を瞑って「集中集中」と唱えながら、やはり片隅には疑問がよぎる。
<昨日もいなかったし、どこ行ってんだ?>
そこで、すっかり集中が途切れた自分に気づき、
「ああもう、しっかりしろ!」
啼義は一人で喚いて頭を振ると、今一度、思考を仕切り直した。
しかし、夕食直前に帰ってきたリナは、特に何かの報告をするでもなく、むしろ黙々と食事を終えて、手際よく食器類を洗い終えると、また部屋に篭ってしまった。いつもの朗らかな雰囲気が消え、なんとなく気が張っている空気を感じて、啼義は話しかけることも出来ずにその背中を黙って見送る。
<避けてるんじゃないよな? それとも俺、何かしたかな>
自分が、いつまでここにいられるのかも分からない。気持ちを自覚した矢先に距離ができてしまった気がして、けれど、それをどうかする方法も分からず、啼義の心には寂しさが募った。
かと言って下手に尋ねて、数日前のように拗れたら、それこそ立ち直れる気がしない。あるいは離れなければいけないなら、変に踏み込まずにこのまま旅立つ日を迎えた方が、辛くはないかも知れない。啼義は半ば強引にそう考えることにした。
だが、その夜──ついに事態が動いた。
夕食のあと、啼義とイルギネス、驃の三人が居間に残ったままくつろいで談笑していると、アディーヌが二階の自室から下りてきた。
「啼義様」
扉を開けたそこに立ったアディーヌの左右色違いの瞳には、何か──畏れのような感情が浮かんでいる。緊迫した空気を感じ、迎えた三人から笑顔が消えた。
「何があった?」
啼義が立ち上がる。アディーヌは啼義の前に進み出ると、自らを落ち着かせるように息を吐いて、告げた。
「ダリュスカインの波動が──山脈を越えてこちらへ」
「え?」
三人が口を揃えて聞き返す。
「先ほど突然、波動が近づいたのを捉えました。彼はもう山脈を越えて、こちら側へ来ている」
「なんだって?」
啼義の視界が、ふわりと眩んだ。暗くなった、とも錯覚する闇が、自分の周りにだけ落ちた気がした。
アディーヌは硬い表情で、ゆっくり、諭すように続ける。
「おそらくは、慈禊の祠付近に、強烈な波動を感じます。実は一度、見失いかけていたんです。それが突然、復活した。この動き──彼は、祠を使ったのではないかと……」
一番可能性が低いと考えていた、祠を抜ける道。信じ難いが、それが成されたと言うのか。
「あっちは、啼義の居場所に気づいているのか?」
イルギネスが顎に手を当て、険しい顔で独り言のように呟く。
「それは分かりません。けれど、イリユスの神殿の存在は知っている可能性が高い。目指してくるならば、追いつかれるでしょう」
驃が足を組み直し、啼義を見た。
「じゃあ、迎え討つか」
啼義はちらりと驃を見やり、それから視線を足元に落とす。わずかな時間、沈黙が落ちた。
「会いに行く」
啼義は、顔を上げた。
「これは、ただ仇を討てば済む話なんかじゃない。俺はダリュスカインと話がしたい。それに、もし戦うことになった時、ここをその場所にするわけにはいかない」
そしてイルギネスと驃を振り返った。
「ついて来てくれるか?」
二人は黙って頷いた。それはこの数日、啼義が伝えていた意志だ。ダリュスカインの心情を思えば、戦いは回避できないだろう。それでも、なぜ──本当に靂を手にかけたのか、真実はどうで、その心が何処にあったのかを聞かずに、刃を交えたくはなかった。
「承知いたしました」
アディーヌが、彼らの意思の一致を受け入れるように、その眼差しをイルギネス、驃に向け、最後に啼義に戻す。彼女は、あらたまった様子で啼義を見上げた。
「啼義様。ではもう一人、同行させて下さい」
「え?」
「リナを」
啼義は、文字通り息を呑んだ。今、誰と?
「私はこの通り不自由な身で、お力にはなれません。この数日で、リナには教えられるだけのことを伝えておきました。そしてもう、リナ自身の覚悟はできています」
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