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第五章 竜が啼く
対峙 2
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翌朝は快晴だった。標高が上がってきているので、少し肌寒いが、日が当たればまだ昼は暖かい。しかしここから先は比較的険しい山道となる。寒さに対しての準備も必要だろう。
「いよいよ、いつ遭遇するかって感じだな」
驃が剣を鞘に納め、啼義を振り向く。イルギネスが、隣で自らの剣身を手入れしながら「まあ、行ってみないと分からんが、なるようになるだろう」とのんびり付け加えた。
「淵黒の竜の何かが本当に絡んでいるとしても、やるべきことは変わらないさ」
「うん」
啼義は、やや緊張した面持ちで返した。
ミルファで始まった、啼義に対する驃の朝の鍛錬はしっかり習慣化し、啼義の剣技は順調に腕を上げていた。初日から数日は指の皮が剥けて酷く痛んだりもしたが、今はそんなこともない。
「でも、竜の加護をどう発動するのかが、まだ掴めないんだよな」
それが、最大の不安要素ではある。上手く使えれば、魔物の核となる魔石の位置を捉えて確実に仕留めることが可能となるらしいが、今のところそれらしい力が発揮できたのは、アディーヌの家を飛び出した日のあの一度だけだ。
一連の事件は、淵黒の竜による動きなのか。あるいはそれに近い力を持った他の存在の仕業なのか。
ダリュスカインは果たして、話をできる状態なのだろうか。
分からないことだらけだが、これ以上机上で推測を重ねたところで、進展はないだろう。
<ダリュスカイン>
羅沙の社にいた頃──ある討伐で魔物たちを一掃した時の、高く結った金の髪をなびかせ、悠然と岩場に立っていた彼の姿を、啼義は思い出していた。
<本当のお前に、会いたい>
あの気高い、金の獅子のような男に、何が起こっているというのか。
この目で真実を見るまでは、どんな噂も決定づけられるものではない。
それに。
幼いあの日──自分の傍で、一緒に雪が舞うのを眺めていたダリュスカインは、確かに自分の味方だったのだと、今の啼義には分かった。
啼義の、心から欲するものが叶わない寂しさを、彼は分かっていたのだ。けれど同じようでいて、境遇は全く違った。
<靂がどれほど俺を思っていてくれていたかなんて、あの時の俺には分かってなかった>
自分の欲するものがそこにあることに気づかず、ないと突っぱねた啼義のことを、それが叶わないダリュスカインはどう思っていたのだろう。
<分かりあえなくても、仕方がないかも知れない。でも>
こんなにも敵対したいわけではない。それに、靂のことだって──
<俺は、この目で見ていないんだ。ちゃんと聞きたい>
靂は本当に、もういないのか。
分かりきっていると思いながら、一縷の希望を探している自分も、啼義は消し去れずにいた。
朝に出発し峠をいくつか越えると、日が暮れる前にルオの集落に辿り着ける。そろそろ集落の入り口の門が見えようかという頃、大きな荷車を引いた一行がこちらへ向かってくるのが見えた。
「商人かな。通り過ぎるまで脇に寄って待とう」
イルギネスが言い、みんなで道の端に退避した。近づいて来る荷車は複数続いているようだ。わりと大きな荷を積んでいる。
「商人にしちゃ、人数が多くないか?」
驃が訝しむ。やがてしっかり姿が判別できるようになると、それは商人ではなく、子供を含む複数の家族連れだと分かった。
「あの」
イルギネスが先頭の壮年の男に声をかけると、彼は「なんだい?」と歩を止めたが、その場で足踏みをして忙しない。
「ルオは、この先ですか?」
すると男は目を見張り、質問で返してきた。
「あんたたち、ルオに向かうのかい?」
「はい」
「やめた方がいい、あっちは危険だ」
「え?」
男は早口でまくし立てる。
「俺たちは、ルオから来たんさ。あの辺で何が起こってるのか、俺たちも正直分かんねえんだ。でも、魔物だかなんだか、近隣の集落が続けてやられた。普通じゃねえことが起こってる。巻き込まれる前に逃げてきたんだよ」
その顔には、怯えの感情が渦巻いていた。
「悪いことは言わねえから、今からでも引き返しな」
そこまで言うと、男は返事を待たずに荷車を引いて歩き出した。その後ろにぞろぞろと四、五家族ほどが、皆ちらちらと啼義たちを気にしつつ、足早に通り過ぎていった。
遠ざかる荷車を見送りながら、驃が険しい顔で呟く。
「こりゃ、こっちもそれなりに気合い入れて向かわないと、やばそうだな」
ルオに着いてみると、先ほどの話が嘘のように長閑な山景色が広がり、奥の畑には農作業をする人の姿もあった。もぬけの殻というわけではないようだ。根拠のない話に、そうそう住処をあとにする気になれない者も一定数はいるのだろう。
「今のところ、妙な気配はないけれど……」
リナがあたりを見渡す。イルギネスがその隣に立ち、同じように周囲を眺めながら口を開いた。
「そうだな。どうする? 今日はひとまず、泊まれる場所を探して休むか」
驃も無造作に腰の剣に左手を添えたまま、進み出る。
「まあ、じき日も暮れるし──」柄から手を放し、身体を大きく伸ばした。「早く装備を解いて、楽になりたいぜ」
「重そうだもんな」啼義の言葉に、驃は苦笑した。
「重いってより、暑いんだよ」
啼義はミルファを出る時、町での滞在中はむしろ周囲より軽装だった驃が、思いの外しっかりした鎧を持っているのを見て驚いたのだ。
イルギネスは肩当てこそ金属製だが胸当ては革素材で比較的軽量なのに対し、驃のそれは全体的に金属素材を基調とした本格的なもので、重量もそれなりにある。
イルギネス曰く「俺は魔術付与で戦うからそれほど力技じゃないが、驃は純粋に剣のみの戦法だから、直接斬り込むには防御力もないと危険だし、俺より体力面も鍛えられてるからな」だそうだ。
「楽になりたいとは言っても、噂やら不穏な状況が近いのは本当なようだから、完全に装備を解くわけにはいかなそうだがな」
イルギネスが顎に手を当て、呟いた。
「いよいよ、いつ遭遇するかって感じだな」
驃が剣を鞘に納め、啼義を振り向く。イルギネスが、隣で自らの剣身を手入れしながら「まあ、行ってみないと分からんが、なるようになるだろう」とのんびり付け加えた。
「淵黒の竜の何かが本当に絡んでいるとしても、やるべきことは変わらないさ」
「うん」
啼義は、やや緊張した面持ちで返した。
ミルファで始まった、啼義に対する驃の朝の鍛錬はしっかり習慣化し、啼義の剣技は順調に腕を上げていた。初日から数日は指の皮が剥けて酷く痛んだりもしたが、今はそんなこともない。
「でも、竜の加護をどう発動するのかが、まだ掴めないんだよな」
それが、最大の不安要素ではある。上手く使えれば、魔物の核となる魔石の位置を捉えて確実に仕留めることが可能となるらしいが、今のところそれらしい力が発揮できたのは、アディーヌの家を飛び出した日のあの一度だけだ。
一連の事件は、淵黒の竜による動きなのか。あるいはそれに近い力を持った他の存在の仕業なのか。
ダリュスカインは果たして、話をできる状態なのだろうか。
分からないことだらけだが、これ以上机上で推測を重ねたところで、進展はないだろう。
<ダリュスカイン>
羅沙の社にいた頃──ある討伐で魔物たちを一掃した時の、高く結った金の髪をなびかせ、悠然と岩場に立っていた彼の姿を、啼義は思い出していた。
<本当のお前に、会いたい>
あの気高い、金の獅子のような男に、何が起こっているというのか。
この目で真実を見るまでは、どんな噂も決定づけられるものではない。
それに。
幼いあの日──自分の傍で、一緒に雪が舞うのを眺めていたダリュスカインは、確かに自分の味方だったのだと、今の啼義には分かった。
啼義の、心から欲するものが叶わない寂しさを、彼は分かっていたのだ。けれど同じようでいて、境遇は全く違った。
<靂がどれほど俺を思っていてくれていたかなんて、あの時の俺には分かってなかった>
自分の欲するものがそこにあることに気づかず、ないと突っぱねた啼義のことを、それが叶わないダリュスカインはどう思っていたのだろう。
<分かりあえなくても、仕方がないかも知れない。でも>
こんなにも敵対したいわけではない。それに、靂のことだって──
<俺は、この目で見ていないんだ。ちゃんと聞きたい>
靂は本当に、もういないのか。
分かりきっていると思いながら、一縷の希望を探している自分も、啼義は消し去れずにいた。
朝に出発し峠をいくつか越えると、日が暮れる前にルオの集落に辿り着ける。そろそろ集落の入り口の門が見えようかという頃、大きな荷車を引いた一行がこちらへ向かってくるのが見えた。
「商人かな。通り過ぎるまで脇に寄って待とう」
イルギネスが言い、みんなで道の端に退避した。近づいて来る荷車は複数続いているようだ。わりと大きな荷を積んでいる。
「商人にしちゃ、人数が多くないか?」
驃が訝しむ。やがてしっかり姿が判別できるようになると、それは商人ではなく、子供を含む複数の家族連れだと分かった。
「あの」
イルギネスが先頭の壮年の男に声をかけると、彼は「なんだい?」と歩を止めたが、その場で足踏みをして忙しない。
「ルオは、この先ですか?」
すると男は目を見張り、質問で返してきた。
「あんたたち、ルオに向かうのかい?」
「はい」
「やめた方がいい、あっちは危険だ」
「え?」
男は早口でまくし立てる。
「俺たちは、ルオから来たんさ。あの辺で何が起こってるのか、俺たちも正直分かんねえんだ。でも、魔物だかなんだか、近隣の集落が続けてやられた。普通じゃねえことが起こってる。巻き込まれる前に逃げてきたんだよ」
その顔には、怯えの感情が渦巻いていた。
「悪いことは言わねえから、今からでも引き返しな」
そこまで言うと、男は返事を待たずに荷車を引いて歩き出した。その後ろにぞろぞろと四、五家族ほどが、皆ちらちらと啼義たちを気にしつつ、足早に通り過ぎていった。
遠ざかる荷車を見送りながら、驃が険しい顔で呟く。
「こりゃ、こっちもそれなりに気合い入れて向かわないと、やばそうだな」
ルオに着いてみると、先ほどの話が嘘のように長閑な山景色が広がり、奥の畑には農作業をする人の姿もあった。もぬけの殻というわけではないようだ。根拠のない話に、そうそう住処をあとにする気になれない者も一定数はいるのだろう。
「今のところ、妙な気配はないけれど……」
リナがあたりを見渡す。イルギネスがその隣に立ち、同じように周囲を眺めながら口を開いた。
「そうだな。どうする? 今日はひとまず、泊まれる場所を探して休むか」
驃も無造作に腰の剣に左手を添えたまま、進み出る。
「まあ、じき日も暮れるし──」柄から手を放し、身体を大きく伸ばした。「早く装備を解いて、楽になりたいぜ」
「重そうだもんな」啼義の言葉に、驃は苦笑した。
「重いってより、暑いんだよ」
啼義はミルファを出る時、町での滞在中はむしろ周囲より軽装だった驃が、思いの外しっかりした鎧を持っているのを見て驚いたのだ。
イルギネスは肩当てこそ金属製だが胸当ては革素材で比較的軽量なのに対し、驃のそれは全体的に金属素材を基調とした本格的なもので、重量もそれなりにある。
イルギネス曰く「俺は魔術付与で戦うからそれほど力技じゃないが、驃は純粋に剣のみの戦法だから、直接斬り込むには防御力もないと危険だし、俺より体力面も鍛えられてるからな」だそうだ。
「楽になりたいとは言っても、噂やら不穏な状況が近いのは本当なようだから、完全に装備を解くわけにはいかなそうだがな」
イルギネスが顎に手を当て、呟いた。
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