風は遠き地に

香月 優希

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第五章 竜が啼く

破邪の光 5

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「起……きろ……よ」
 啼義ナギはダリュスカインの身体を放し横たえると、血と泥にまみれた白い頬に震える指先を這わす。
「おい……起きろよ!」
 彼はもう、ぴくりとも反応を示さない。
「なあっ! なんとか言えって──ダリュスカイン!」
 無我夢中でダリュスカインの身体を揺すると、彼の手から巾着が転がり落ちた。
 啼義はそれを見つめ、少しの躊躇のあと、そっと取り上げた。巾着も赤に染まり、中が無事かは分からない。
<何が入っているんだ>
 掌の上で、慎重に逆さにしてみる。
 転がり出てきたのは、巾着の汚れが嘘のように綺麗なままの、紫水晶の勾玉だった。

「これは──」
<最も大切と思う相手に捧げるという、守護の勾玉>
 北の大地の風習だ。勾玉に用いる石の種類は様々だが、紫水晶は持ち主を悪しきいざないから護る。これが、ダリュスカインの精神の最後の砦を護ったのだろうか。

<最も、大切な相手?>
 
 その途端、勾玉の紫水晶と同じ色の瞳のリナの顔が、啼義の脳裏によぎった。自分を待つ者がいるように、帰りを待つ者がダリュスカインにもいたと言うのか。

「なんだよ……これ」
 啼義は、目を開けぬダリュスカインの顔を見下ろし、勾玉を握りしめた。
「なんなんだよ」

 そんな相手がいるなら、死んじゃ駄目じゃんかよ。なんで、あっさり逝ってんだよ。

 り上がる思いに耐えられなくなり、ついに彼は叫んだ。
「こんなの、自分で返しに行けよ!」
 
 こらえていた感情が吹き出して、啼義は慟哭どうこくした。
 羅沙ラージャを出てから、レキの死を知ってから。自分の両親のこと、そして今の戦い──あまりに様々な思いが交錯し、心をかき乱し続けて、全部吐き出さなければどうかなってしまいそうだった。

 遠い、雪の舞うあの日──

『私も、独りです』
 二人とも、確かに孤独な気がしていた。

 でも、独りなんかじゃないじゃないか。

<独りなんかじゃないのに>
 
 涙が出尽くして、声が枯れるほど泣いて。
 どれほどの時間が経ったのか。
 ふと、響いた鳥の声に導かれるように、啼義は暮れ始めた空を見上げた。


「──竜の、神様」
 ぽつりと呟く。
 空を見渡しながら、幼い頃にしたように、啼義はいつしか願っていた。

「どうか、ダリュスカインを──」
 この石の持ち主の元へ。

 けれど竜の姿など、どこに見える気配もない。
 泣きすぎて空っぽになったまま、啼義は立ち上がることもできずに、ダリュスカインの傍でぼんやりと空を眺め続けていた。

 そうしているうちに、涙の雫が、空にキラキラと光を散らしているように思えてきた。
<綺麗だ>
 魅入るように瞬きをするたび、その光は数を増しどんどん降ってくる。

「え?」
 異変に気づいて視線を落とした啼義は、目を見張った。

 ダリュスカインの身体が、蒼い光に包まれていく。
 啼義の握りしめた拳も光に包まれている。開いてみると、光は勾玉を包み込んでいた。それはやがて、そこに眠るダリュスカインの姿が見えないほど覆いつくしたかと思うと、彼の身体と勾玉を共にふわりと浮かし──瞬間的に大きく発光して、ダリュスカインの身体ごと消えた。

 地面には、無機質な血痕だけが残っている。

<なに──?>

 ただただ驚いて、唖然としている啼義の耳に。

「うっ……」
 背後から、砂利がザラザラと転がり落ちて行くような音と、くぐもった声が届いた。
 反射的に振り返った啼義の目に映ったのは──崩落した箇所に手をかけ、今しも這い上がろとしているしらかげだ。

「驃!」
 すぐに駆け寄ると、手を貸して登るのを手伝った。砂と血で全身酷い状態だが、驃はなんとか地面に上がりきり、大きく息をつく。
「驃っ! 生きてたんだな!」
 涙でぐしゃぐしゃな顔で、啼義は驃に抱きついた。「あいてててて」驃が苦痛に顔を歪め、啼義は慌てて離れる。
「ごめん……怪我してるよな」
 すると、驃は顔を顰めながらも、弱々しく笑った。
「大丈夫……じゃねえな。さすがに今回は、もう駄目かと思ったぜ」
 ぼろぼろの顔で自分を見つめる啼義の頬に、驃が、確かめるように手を触れる。「お前も、ひどい状態じゃないか」そう言う驃のグローブも破け、剥き出しになった何本かの指は血だらけだ。必死に崖にしがみつき、登ってきたのだろう。
「驃ぇ」
 啼義は安堵のあまり、再び泣き出した。子供のように泣きじゃくっている啼義を見て、驃が砂埃にまみれて傷だらけの顔で笑った。
「ほら。泣いてる場合じゃねえぞ。イルギネスたちが待ってるところまで、なんとか自力で帰らねえといけないんだから」

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