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二
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二
契約などと言っても、ただ、真利阿が呪文のような文句を唱え、そしてマナが部屋に満ちて、紋様が光った。それだけだった。何が変わるわけでもない。
変わったことと言えば、俺の名前が変わったことだ。
「今日からあんたは『狗彦』よ! 良いわね!」
真利阿が儀式の最後にそう一方的に宣言した。
「なんだよ、それ。晴彦でいいだろ?」
「良いの! あんたはこれから、私の犬になるのよ。漢字は『駄犬』の『犬』じゃなくて、『走狗』の『狗』にしてあげるわ。どう? カッコいいでしょ?」
「カッコよくねえよ。もっと別の名前にしてくれよ」
しかし、もう真利阿はそれを受け入れなかった。こうして、真利阿と俺、狗彦は契約した。真利阿がマスターとなったわけだ。
それから俺は引っ越しの準備、となるはずが、必要な荷物は全部、綺会学園の寮に送られてきていた。俺はアンジェがそれをやったのだとすぐに分かった。アンジェはまだ家にいるのだろう。家に一度、帰りたい、と学園に申請したが、受理されなかった。
そういうわけで、俺は契約が終わってからほとんど間をおかず、自分の荷物が廊下に積まれた、男子寮の一室のドアの前にいた。ドアをノックすると、「どうぞー」と声が聞こえた。俺はドアを開けた。
「おーおー、あんたかぁ、真利阿が契約したマリオネットって」
部屋に入ると、二人の少年がいた。声をかけてきたのは、二段ベッドの上のベッドのふちに腰かけた少年だ。茶色い髪を伸ばしているが、校則とかはないのだろうか、というのが第一印象だった。
もう一人の少年は、下の段のベッドで座っていた。黙ってこちらを見ている。小柄な少年だ。かなり線が細い。
俺はとりあえず、上の段で足をぶらぶらさせている少年に声をかけた。
「あんたが、隼丸?」
「そう。下の奴は、小李。そういうあんたは、狗彦、だっけ?」
もう浸透しているのか、と思いながら、俺は頷いておいた。茶髪の少年、隼丸がベッドから音もなく跳び下りると、俺の腕を掴んできた。なんだ? と思っていると、そのままボディチェックのように全身を触られた。
「ふぅん、結構、良い体しているな。素材は普通なのかな」
「素材?」
「体の構成素材だよ。なんだ、本当にマリオネットのこと、よく知らないのか? じゃあ、噂になっている、今まで人間として生活していた、っていうのは、事実ってこと?」
まぁな、と俺が答えると、隼丸は楽しそうに笑って、ポンポンと俺の肩を叩いた。
「それなら、これからやることがいっぱいあるだろうな。お疲れさん」
「やっぱり、珍しいのか? 俺みたいな奴」
うーん、と隼丸は唸ってから答えた。
「俺は聞いたことないね。かなり珍しいんじゃないか? 小李、お前は知っているか?」
隼丸が話を振ると、ベッドの下段に座っている少年が、ちらりとこちらを見た。
「……知らない。……初めてじゃないの?」
「だよなぁ。まぁ、新品のマリオネットと対応は同じだろうから、不安がることもないさ。ちょうどまだ新年度になってすぐだし、仲間は大勢いる。まぁ、大概は年下だろうけど。新品のマリオネットは、大概、小学生か中学生の年齢だからな」
そう言われて、俺は気付いた。
「俺、自分が子供の時の記憶があるけど」
「子ども? 何歳だ?」
「いや、何歳だろう。小学生になる前くらいだと思うけど」
隼丸がニヤニヤと笑った。
「それ、作られた記憶だろ?」
「そうかな。もう良く分からないけど。とりあえず、マリオネットは、生まれた時にはすでに人間で言う六歳から十二歳程度だ、ってことか」
「そうなるな。俺は今、高校一年で、年齢は八歳だ。小李は十歳かな?」
俺が視線を向けると、隼丸の言葉に、小李が小さく頷いた。
俺は隼丸と小李に手伝ってもらって、荷物を室内へ入れたが、結局、荷物の半分は置き場がなかった。とりあえず、入らない荷物は廊下に放置して、俺は隼丸と小李の話を聞いた。
綺会学園の寮は男子と女子に別れていて、その中でさらにマスターとマリオネット、マイト、マイスターに分けられる。同性同士のマスターとマリオネットが部屋を共にする事はあるらしい。男子寮は四人一部屋、女子寮は二人一部屋だ。ちなみに、俺の入った部屋は三人しかいない。
今も、俺は真利阿と繋がるチョーカーを首に巻いていて、それは隼丸と小李も、それぞれ、首に自分のマスターと繋がるチョーカーをしていた。
隼丸のマスターは本堂優奈という名だと聞いて、俺はそれがお披露目での和装の少女だと気付いた。隼丸も、優奈と真利阿は仲が良いと言っていたから、間違いないだろう。
「ここ、本当に都内か?」
俺は話しながら踏み込んだ部屋の奥のカーテンを持ち上げて呟いた。窓の外には、学校の敷地内をクモの巣のように走っている歩道と、そこを照らす明かり、そして遠くに林が見えた。俺は遠くまで広がる林と、学校の施設を見た。
俺の隣に隼丸が立つ。
「昼間になれば分かると思うけど、この学校は、かなり木立が多いな。でも、向こうには戦闘場があるし、体育設備も充実している」
「体育設備?」
「そう。中等部と高等部、大学の綺会造形大学の施設を全部合わせると、地上と地下で体育館が三十くらいある。プールも大きなところが五か所あるな。球技のコートは、大概、地下だ」
俺はため息を吐いた。なんだ、そりゃ。どういう学校だ。
「戦闘場っていうのは?」
「マリオネットの模擬戦闘の会場だよ。荒野と、廃墟の二パターンが、それぞれ二面ずつある。そこは全天候型だな。ドームになっている。ほら、見えるか?」
隼丸が窓の向こう、夜の景色を指差すが、ぼんやりと何かが見えるだけで、ドームは判別がつかない。そもそも、そう簡単に信じられる話じゃない。
「ドームって、野球場みたいな奴?」
「そう、他になんのドームがあるんだよ。スノードームか? もしかして、リックドム?」
訳の分からない単語は捨て置いて、俺は制服の胸ポケットに入っている学生証を取り出した。
綺会学園高等部・マリオネット科カテゴリーA・一年三組、と書かれていた。それを隼丸が覗きこむ。
「お。学科は俺たちと同じで、俺と同じ教室だな。明日、教室で仲良くしてやるよ。カテゴリーAだから、通常戦闘型の奴しかいないから、ちょっとピリピリしているけどな。まぁ。機械人間ばっかりのカテゴリーBよりはマシだ」
「小李は?」
「……僕はカテゴリーAの一年五組」
小さな声で返事が返ってきた。隼丸が肩をすくめる。
「マスターは全員、同じ教室なんだけどな」
「真利阿と、優奈さんと、誰?」
「月子だよ。特徴的だから、すぐ分かる」
特徴的? 俺が首をかしげると、隼丸はニヤニヤと笑った。
「月子は、金髪だからな」
「外国人か?」
「いや、日本人。まぁ、顔はあまり濃くないから、ギャルっぽくはないが、まぁ、化粧したら、渋谷とかにいそうではあるな。クク、あいつはホント、特徴的だよ。それと狗彦、優奈に『さん』はいらないよ。優奈、って呼んでいい」
その言葉に俺は思わず呆れながら答える。
「それは本人に聞かないと」
「大丈夫。今、了承を取った」
「今?」
隼丸がちょいちょいと首のチョーカーを指差す。
「今、意志を疎通させたんだ。確認済み、ってこと」
「そんなこともできるのか?」
「高度にマスターとマリオネットがリンクすればな。まぁ、俺と優奈のレベルじゃないと無理だけど。小李は出来ないよ」
俺は首筋のチョーカーを意識した。真利阿のマナを感じる。しかし意思までは感じない。俺は自分の中にある真利阿のマナをしっかりと形作らせようとする。じわじわと広がっていたマナが、植物の葉の葉脈のようにくっきりと筋を作り始める。
微かに、頭の中に声が響いた。
はっとした次の瞬間には、その声は消えていた。隼丸が不思議そうな顔でこちらを見ている。
「どうした?」
「ん? ……いや、何でもない」
俺はふぅと、息を吐いた。この部屋には二台の二段ベッドがある。その片方は、今は下の段に荷物が山と置かれ、上の段は俺が寝るようにベッドが作られている。隼丸が時計を確認した。そして部屋の一角を指差した。
「風呂はそこ。大浴場は、今はもう閉まっているから、明日以降の楽しみだな。大浴場は朝の六時から夜の九時までだ。バスタオルやらなんやらは脱衣所にある。お前、髭は?」
「髭?」
「そう。伸びる?」
俺が頷くと、隼丸が不思議そうな顔をした。
「狗彦、お前、本当に人間みたいだな」
「髭が何なんだよ。隼丸は、生えないのか?」
「あぁ。優奈の趣味でね。脚だって、つるつるだ。あそこは秘密。小李だってそうだ。マリオネットにわざわざ髭をのばさせたり、剃らせたりするのは無駄だし。何なら、人工の毛を植毛すれば良いしな」
ここでは「普通」が、俺が生きている世界とはことごとく違うな、と思いながら、俺は肩を小さく落とした。まったく、俺はこれからどうなるんだ?
私、虚木真利阿は、部屋で本堂優奈相手に、紅茶を飲みながら、唸っていた。
「なぁ~……、ぬぅ~……」
「何よ、真利阿。後悔しているの?」
「そりゃ~、ねぇ~」
ぐったりと肘をついた腕に頭をもたれさせつつ、私は答えた。
「なんか、大見得きっちゃったしなぁ。まぁ、どういう形になるのかは分からないけどさぁ、狗彦も言われてたけど、私、神守泰平と戦わなくちゃ、いけないわけじゃない?」
「大丈夫だって、真利阿。どうせ、どこでも戦わないって」
優奈が笑いながらそう言って、急に真面目な表情になり、それから微笑んだ。
「どしたの?」
「今、隼丸から、意識が飛んできて、私のことを狗彦くんが呼び捨てにして良いか、どうか、だって。良いって答えておいたけど、問題ないわよね?」
「ないけど、うーん、そういう事が出来るのって、便利で良いなぁ」
優奈が笑みを深くする。
「だったら、狗彦くんと、仲良くなればいいじゃない」
「狗彦はさぁ、なんていうか、仇みたいなものだし。私の団十郎を滅茶苦茶にしちゃって。まったく、どうやって復讐しようかな。あー、違う違う。復讐の前に、泰平をどうにかしないと」
「狗彦くんを呼び捨てにしているってことは、まぁ、それなりに、仲が良いんじゃないの」
むっとして、私は目の前の紅茶の注がれたティーカップを持ち上げた。そしてズズズと紅茶をすすった。
「違うの? 真利阿」
「ちょっとお互いのことを知っているだけよ。そういえば、団十郎のことで思い出したけど、あいつ、かなりの美人と一緒にいたな」
「人間?」
記憶を思い返し、断言する。
「オートマタ。それも、かなり高価な、ちゃんとした奴」
「それは、例の柏原博士の最新作なんじゃないの?」
「外見はそうでもなかったけど、たぶん、プログラムはね」
カップを机に戻しながら、私は記憶をよくよくと思い返し、あのオートマタの表情の動きを意識の中で再現した。
あの微笑み方や、ちょっとした時の表情の変化は、そう簡単には再現できるものではない。オートマタの劣悪なものは、表情どころか細やかな動作それ自体が不可能なものもあるが、あの狗彦といたオートマタは、表情も人間と変わらない、超一流だろう。
私が考え込んでいると、優奈がニコニコと笑う。
「でも、良かったじゃない。柏原博士のオートマタと組めるのよ。あなたも色々と勉強になるわよ」
「まぁ、ねぇ」
私は渋々、肯定しておいた。
柏原博士とは、柏原雨彦という名の、マイトだ。マリオネットやオートマタを数多く設計している。マリオネットの設計、オートマタの設計とは、つまりギアの設計である。それには特殊な才能が必要とされているが、今のところ、その因子、要素は、確定されていない。その中で、柏原雨彦は、有力なマイトだった。
私も、マイトを目指している身としてはその柏原博士の作品、それも一般に出回っている大量生産品ではなく、おそらく一点ものの、特殊なマリオネットと直に触れあえるのは、貴重な機会だ。
「真利阿、どうしてマイト科に転科しなかったの?」
お茶を飲んでから、優奈がそう訊いてきたので、私は唸り返しておいた。優奈が笑う。
「まだ家族のことを考えているの?」
「まだって、重要なんだもん」
「一流のマイトなら、親のことなんて考えずに生きていけるわよ? 真利阿、まだ自信がないんでしょう? まぁ、自分の作ったオートマタが暴走して、その上、あっという間に破壊されたんじゃ、仕方ないか」
私はその言葉に答えずに、部屋の奥を見た。
この部屋は寮の中でも特別な部屋で、三人部屋の作りになっている。部屋の奥には、三人目のためのスペースがあったが、そこには今、人が一人入れる水槽が置かれていた。その中に、まだ二十代に見える男が、全裸で沈んでいた。
私のオートマタ、団十郎だ。今は狗彦に破壊されて、ギアが完全に沈黙し、停止状態になっている。下半身は機械のままで、骨が折れているので妙に首が長い。
「真利阿、あなたは、マスターになるべきよ」
優奈の言葉に、私は顔をしかめた。
「それは、血筋の話?」
「まぁ、それもあるわね。虚木家は、マスターの家系でしょ? あなたがいくら才能がなくても、何かできるでしょ?」
「出来たら、今ごろ、ギリギリの成績で高等部に滑りこんだり、最弱ランクのEランクにいたりしないわよ。私、マイトの方が向いているんだって」
私はグイッと、カップの中身を飲みほして、音を立ててテーブルにカップを戻した。
「大丈夫。絶対に、親を驚かすような発見か、発明をして、私はマイトになるから」
「……そうね、まぁ、応援しているわ。そのためにも、狗彦くんと仲良くね」
私は顔をさらに苦りきった顔に変えてから、立ち上がった。そして洗面所へ向かおうとした。それを優奈の「真利阿」という声が引きとめた。どこか真剣な響きに、私は足を止めた。
「本当に」優奈が言う。「本当に、泰平に負けたら、学校、辞めるの?」
私は真剣な顔で、頷いた。
「それでも、構わないわ」
優奈が、緩い笑みを見せた。
「真利阿、本当にそう思っている、っていう顔、してないよ?」
「本気よ、私」
「冗談はそれくらいにしておいてね」
私の言葉を、優奈は冗談と受け取ったようだった。まぁ、それでも良いか、と思いながら、私は優奈がティーセットをお盆に載せて台所へ向かうのを見送り、今度こそ、洗面所に入った。
歯を磨いてから、鏡をじっと見る。
「私は、泰平に、負けたら」
声に出して言う。
「学校を、辞める」
自分の表情を自分で見てみたが、それを本気で言っているかどうかは、酷く分かりづらかった。しかし、そこには確かに、真剣さというものが感じられた。私はちゃんと、それを真剣に考えているのだと分かった。
そして、そう考えているのであれば、少しは、目があるかもしれない、と思えた。
私は、真剣に、あの次期生徒会長の最有力候補と言われる、Aランクの、噂ではSランクとも呼ばれる、最高のマスターに、よく分からないマリオネットと組んで、挑もうとしているわけだ。
それは滑稽なことかもしれない。馬鹿げているかもしれない。ただの妄想、見栄や戯言にすぎないと思われるかもしれない。
しかし私は、真剣にそれを実現しようと考えたのなら、それは必ず実現すると、そう思う人間なのだ。
私には、出来るだろうか。出来ると思う自分もいるし、出来ないと思う自分もいる。
大丈夫。いつも通りだ。最初の団十郎を作った時も、綺会学園に来た時も、いつも、私はそういう二つの心を抱えていた。大丈夫。だったら、どうにかなるということだ。どうする事も出来る。
絶対的な不可能では、ないのだ。
「真利阿?」
洗面所に優奈が入ってきた。私は両手で頬をパンパンと叩いた。優奈がびっくりした顔する。そして首をかしげた。
「やってみるだけよ! 何事も!」
私は大きな声で言った。
(続く)
契約などと言っても、ただ、真利阿が呪文のような文句を唱え、そしてマナが部屋に満ちて、紋様が光った。それだけだった。何が変わるわけでもない。
変わったことと言えば、俺の名前が変わったことだ。
「今日からあんたは『狗彦』よ! 良いわね!」
真利阿が儀式の最後にそう一方的に宣言した。
「なんだよ、それ。晴彦でいいだろ?」
「良いの! あんたはこれから、私の犬になるのよ。漢字は『駄犬』の『犬』じゃなくて、『走狗』の『狗』にしてあげるわ。どう? カッコいいでしょ?」
「カッコよくねえよ。もっと別の名前にしてくれよ」
しかし、もう真利阿はそれを受け入れなかった。こうして、真利阿と俺、狗彦は契約した。真利阿がマスターとなったわけだ。
それから俺は引っ越しの準備、となるはずが、必要な荷物は全部、綺会学園の寮に送られてきていた。俺はアンジェがそれをやったのだとすぐに分かった。アンジェはまだ家にいるのだろう。家に一度、帰りたい、と学園に申請したが、受理されなかった。
そういうわけで、俺は契約が終わってからほとんど間をおかず、自分の荷物が廊下に積まれた、男子寮の一室のドアの前にいた。ドアをノックすると、「どうぞー」と声が聞こえた。俺はドアを開けた。
「おーおー、あんたかぁ、真利阿が契約したマリオネットって」
部屋に入ると、二人の少年がいた。声をかけてきたのは、二段ベッドの上のベッドのふちに腰かけた少年だ。茶色い髪を伸ばしているが、校則とかはないのだろうか、というのが第一印象だった。
もう一人の少年は、下の段のベッドで座っていた。黙ってこちらを見ている。小柄な少年だ。かなり線が細い。
俺はとりあえず、上の段で足をぶらぶらさせている少年に声をかけた。
「あんたが、隼丸?」
「そう。下の奴は、小李。そういうあんたは、狗彦、だっけ?」
もう浸透しているのか、と思いながら、俺は頷いておいた。茶髪の少年、隼丸がベッドから音もなく跳び下りると、俺の腕を掴んできた。なんだ? と思っていると、そのままボディチェックのように全身を触られた。
「ふぅん、結構、良い体しているな。素材は普通なのかな」
「素材?」
「体の構成素材だよ。なんだ、本当にマリオネットのこと、よく知らないのか? じゃあ、噂になっている、今まで人間として生活していた、っていうのは、事実ってこと?」
まぁな、と俺が答えると、隼丸は楽しそうに笑って、ポンポンと俺の肩を叩いた。
「それなら、これからやることがいっぱいあるだろうな。お疲れさん」
「やっぱり、珍しいのか? 俺みたいな奴」
うーん、と隼丸は唸ってから答えた。
「俺は聞いたことないね。かなり珍しいんじゃないか? 小李、お前は知っているか?」
隼丸が話を振ると、ベッドの下段に座っている少年が、ちらりとこちらを見た。
「……知らない。……初めてじゃないの?」
「だよなぁ。まぁ、新品のマリオネットと対応は同じだろうから、不安がることもないさ。ちょうどまだ新年度になってすぐだし、仲間は大勢いる。まぁ、大概は年下だろうけど。新品のマリオネットは、大概、小学生か中学生の年齢だからな」
そう言われて、俺は気付いた。
「俺、自分が子供の時の記憶があるけど」
「子ども? 何歳だ?」
「いや、何歳だろう。小学生になる前くらいだと思うけど」
隼丸がニヤニヤと笑った。
「それ、作られた記憶だろ?」
「そうかな。もう良く分からないけど。とりあえず、マリオネットは、生まれた時にはすでに人間で言う六歳から十二歳程度だ、ってことか」
「そうなるな。俺は今、高校一年で、年齢は八歳だ。小李は十歳かな?」
俺が視線を向けると、隼丸の言葉に、小李が小さく頷いた。
俺は隼丸と小李に手伝ってもらって、荷物を室内へ入れたが、結局、荷物の半分は置き場がなかった。とりあえず、入らない荷物は廊下に放置して、俺は隼丸と小李の話を聞いた。
綺会学園の寮は男子と女子に別れていて、その中でさらにマスターとマリオネット、マイト、マイスターに分けられる。同性同士のマスターとマリオネットが部屋を共にする事はあるらしい。男子寮は四人一部屋、女子寮は二人一部屋だ。ちなみに、俺の入った部屋は三人しかいない。
今も、俺は真利阿と繋がるチョーカーを首に巻いていて、それは隼丸と小李も、それぞれ、首に自分のマスターと繋がるチョーカーをしていた。
隼丸のマスターは本堂優奈という名だと聞いて、俺はそれがお披露目での和装の少女だと気付いた。隼丸も、優奈と真利阿は仲が良いと言っていたから、間違いないだろう。
「ここ、本当に都内か?」
俺は話しながら踏み込んだ部屋の奥のカーテンを持ち上げて呟いた。窓の外には、学校の敷地内をクモの巣のように走っている歩道と、そこを照らす明かり、そして遠くに林が見えた。俺は遠くまで広がる林と、学校の施設を見た。
俺の隣に隼丸が立つ。
「昼間になれば分かると思うけど、この学校は、かなり木立が多いな。でも、向こうには戦闘場があるし、体育設備も充実している」
「体育設備?」
「そう。中等部と高等部、大学の綺会造形大学の施設を全部合わせると、地上と地下で体育館が三十くらいある。プールも大きなところが五か所あるな。球技のコートは、大概、地下だ」
俺はため息を吐いた。なんだ、そりゃ。どういう学校だ。
「戦闘場っていうのは?」
「マリオネットの模擬戦闘の会場だよ。荒野と、廃墟の二パターンが、それぞれ二面ずつある。そこは全天候型だな。ドームになっている。ほら、見えるか?」
隼丸が窓の向こう、夜の景色を指差すが、ぼんやりと何かが見えるだけで、ドームは判別がつかない。そもそも、そう簡単に信じられる話じゃない。
「ドームって、野球場みたいな奴?」
「そう、他になんのドームがあるんだよ。スノードームか? もしかして、リックドム?」
訳の分からない単語は捨て置いて、俺は制服の胸ポケットに入っている学生証を取り出した。
綺会学園高等部・マリオネット科カテゴリーA・一年三組、と書かれていた。それを隼丸が覗きこむ。
「お。学科は俺たちと同じで、俺と同じ教室だな。明日、教室で仲良くしてやるよ。カテゴリーAだから、通常戦闘型の奴しかいないから、ちょっとピリピリしているけどな。まぁ。機械人間ばっかりのカテゴリーBよりはマシだ」
「小李は?」
「……僕はカテゴリーAの一年五組」
小さな声で返事が返ってきた。隼丸が肩をすくめる。
「マスターは全員、同じ教室なんだけどな」
「真利阿と、優奈さんと、誰?」
「月子だよ。特徴的だから、すぐ分かる」
特徴的? 俺が首をかしげると、隼丸はニヤニヤと笑った。
「月子は、金髪だからな」
「外国人か?」
「いや、日本人。まぁ、顔はあまり濃くないから、ギャルっぽくはないが、まぁ、化粧したら、渋谷とかにいそうではあるな。クク、あいつはホント、特徴的だよ。それと狗彦、優奈に『さん』はいらないよ。優奈、って呼んでいい」
その言葉に俺は思わず呆れながら答える。
「それは本人に聞かないと」
「大丈夫。今、了承を取った」
「今?」
隼丸がちょいちょいと首のチョーカーを指差す。
「今、意志を疎通させたんだ。確認済み、ってこと」
「そんなこともできるのか?」
「高度にマスターとマリオネットがリンクすればな。まぁ、俺と優奈のレベルじゃないと無理だけど。小李は出来ないよ」
俺は首筋のチョーカーを意識した。真利阿のマナを感じる。しかし意思までは感じない。俺は自分の中にある真利阿のマナをしっかりと形作らせようとする。じわじわと広がっていたマナが、植物の葉の葉脈のようにくっきりと筋を作り始める。
微かに、頭の中に声が響いた。
はっとした次の瞬間には、その声は消えていた。隼丸が不思議そうな顔でこちらを見ている。
「どうした?」
「ん? ……いや、何でもない」
俺はふぅと、息を吐いた。この部屋には二台の二段ベッドがある。その片方は、今は下の段に荷物が山と置かれ、上の段は俺が寝るようにベッドが作られている。隼丸が時計を確認した。そして部屋の一角を指差した。
「風呂はそこ。大浴場は、今はもう閉まっているから、明日以降の楽しみだな。大浴場は朝の六時から夜の九時までだ。バスタオルやらなんやらは脱衣所にある。お前、髭は?」
「髭?」
「そう。伸びる?」
俺が頷くと、隼丸が不思議そうな顔をした。
「狗彦、お前、本当に人間みたいだな」
「髭が何なんだよ。隼丸は、生えないのか?」
「あぁ。優奈の趣味でね。脚だって、つるつるだ。あそこは秘密。小李だってそうだ。マリオネットにわざわざ髭をのばさせたり、剃らせたりするのは無駄だし。何なら、人工の毛を植毛すれば良いしな」
ここでは「普通」が、俺が生きている世界とはことごとく違うな、と思いながら、俺は肩を小さく落とした。まったく、俺はこれからどうなるんだ?
私、虚木真利阿は、部屋で本堂優奈相手に、紅茶を飲みながら、唸っていた。
「なぁ~……、ぬぅ~……」
「何よ、真利阿。後悔しているの?」
「そりゃ~、ねぇ~」
ぐったりと肘をついた腕に頭をもたれさせつつ、私は答えた。
「なんか、大見得きっちゃったしなぁ。まぁ、どういう形になるのかは分からないけどさぁ、狗彦も言われてたけど、私、神守泰平と戦わなくちゃ、いけないわけじゃない?」
「大丈夫だって、真利阿。どうせ、どこでも戦わないって」
優奈が笑いながらそう言って、急に真面目な表情になり、それから微笑んだ。
「どしたの?」
「今、隼丸から、意識が飛んできて、私のことを狗彦くんが呼び捨てにして良いか、どうか、だって。良いって答えておいたけど、問題ないわよね?」
「ないけど、うーん、そういう事が出来るのって、便利で良いなぁ」
優奈が笑みを深くする。
「だったら、狗彦くんと、仲良くなればいいじゃない」
「狗彦はさぁ、なんていうか、仇みたいなものだし。私の団十郎を滅茶苦茶にしちゃって。まったく、どうやって復讐しようかな。あー、違う違う。復讐の前に、泰平をどうにかしないと」
「狗彦くんを呼び捨てにしているってことは、まぁ、それなりに、仲が良いんじゃないの」
むっとして、私は目の前の紅茶の注がれたティーカップを持ち上げた。そしてズズズと紅茶をすすった。
「違うの? 真利阿」
「ちょっとお互いのことを知っているだけよ。そういえば、団十郎のことで思い出したけど、あいつ、かなりの美人と一緒にいたな」
「人間?」
記憶を思い返し、断言する。
「オートマタ。それも、かなり高価な、ちゃんとした奴」
「それは、例の柏原博士の最新作なんじゃないの?」
「外見はそうでもなかったけど、たぶん、プログラムはね」
カップを机に戻しながら、私は記憶をよくよくと思い返し、あのオートマタの表情の動きを意識の中で再現した。
あの微笑み方や、ちょっとした時の表情の変化は、そう簡単には再現できるものではない。オートマタの劣悪なものは、表情どころか細やかな動作それ自体が不可能なものもあるが、あの狗彦といたオートマタは、表情も人間と変わらない、超一流だろう。
私が考え込んでいると、優奈がニコニコと笑う。
「でも、良かったじゃない。柏原博士のオートマタと組めるのよ。あなたも色々と勉強になるわよ」
「まぁ、ねぇ」
私は渋々、肯定しておいた。
柏原博士とは、柏原雨彦という名の、マイトだ。マリオネットやオートマタを数多く設計している。マリオネットの設計、オートマタの設計とは、つまりギアの設計である。それには特殊な才能が必要とされているが、今のところ、その因子、要素は、確定されていない。その中で、柏原雨彦は、有力なマイトだった。
私も、マイトを目指している身としてはその柏原博士の作品、それも一般に出回っている大量生産品ではなく、おそらく一点ものの、特殊なマリオネットと直に触れあえるのは、貴重な機会だ。
「真利阿、どうしてマイト科に転科しなかったの?」
お茶を飲んでから、優奈がそう訊いてきたので、私は唸り返しておいた。優奈が笑う。
「まだ家族のことを考えているの?」
「まだって、重要なんだもん」
「一流のマイトなら、親のことなんて考えずに生きていけるわよ? 真利阿、まだ自信がないんでしょう? まぁ、自分の作ったオートマタが暴走して、その上、あっという間に破壊されたんじゃ、仕方ないか」
私はその言葉に答えずに、部屋の奥を見た。
この部屋は寮の中でも特別な部屋で、三人部屋の作りになっている。部屋の奥には、三人目のためのスペースがあったが、そこには今、人が一人入れる水槽が置かれていた。その中に、まだ二十代に見える男が、全裸で沈んでいた。
私のオートマタ、団十郎だ。今は狗彦に破壊されて、ギアが完全に沈黙し、停止状態になっている。下半身は機械のままで、骨が折れているので妙に首が長い。
「真利阿、あなたは、マスターになるべきよ」
優奈の言葉に、私は顔をしかめた。
「それは、血筋の話?」
「まぁ、それもあるわね。虚木家は、マスターの家系でしょ? あなたがいくら才能がなくても、何かできるでしょ?」
「出来たら、今ごろ、ギリギリの成績で高等部に滑りこんだり、最弱ランクのEランクにいたりしないわよ。私、マイトの方が向いているんだって」
私はグイッと、カップの中身を飲みほして、音を立ててテーブルにカップを戻した。
「大丈夫。絶対に、親を驚かすような発見か、発明をして、私はマイトになるから」
「……そうね、まぁ、応援しているわ。そのためにも、狗彦くんと仲良くね」
私は顔をさらに苦りきった顔に変えてから、立ち上がった。そして洗面所へ向かおうとした。それを優奈の「真利阿」という声が引きとめた。どこか真剣な響きに、私は足を止めた。
「本当に」優奈が言う。「本当に、泰平に負けたら、学校、辞めるの?」
私は真剣な顔で、頷いた。
「それでも、構わないわ」
優奈が、緩い笑みを見せた。
「真利阿、本当にそう思っている、っていう顔、してないよ?」
「本気よ、私」
「冗談はそれくらいにしておいてね」
私の言葉を、優奈は冗談と受け取ったようだった。まぁ、それでも良いか、と思いながら、私は優奈がティーセットをお盆に載せて台所へ向かうのを見送り、今度こそ、洗面所に入った。
歯を磨いてから、鏡をじっと見る。
「私は、泰平に、負けたら」
声に出して言う。
「学校を、辞める」
自分の表情を自分で見てみたが、それを本気で言っているかどうかは、酷く分かりづらかった。しかし、そこには確かに、真剣さというものが感じられた。私はちゃんと、それを真剣に考えているのだと分かった。
そして、そう考えているのであれば、少しは、目があるかもしれない、と思えた。
私は、真剣に、あの次期生徒会長の最有力候補と言われる、Aランクの、噂ではSランクとも呼ばれる、最高のマスターに、よく分からないマリオネットと組んで、挑もうとしているわけだ。
それは滑稽なことかもしれない。馬鹿げているかもしれない。ただの妄想、見栄や戯言にすぎないと思われるかもしれない。
しかし私は、真剣にそれを実現しようと考えたのなら、それは必ず実現すると、そう思う人間なのだ。
私には、出来るだろうか。出来ると思う自分もいるし、出来ないと思う自分もいる。
大丈夫。いつも通りだ。最初の団十郎を作った時も、綺会学園に来た時も、いつも、私はそういう二つの心を抱えていた。大丈夫。だったら、どうにかなるということだ。どうする事も出来る。
絶対的な不可能では、ないのだ。
「真利阿?」
洗面所に優奈が入ってきた。私は両手で頬をパンパンと叩いた。優奈がびっくりした顔する。そして首をかしげた。
「やってみるだけよ! 何事も!」
私は大きな声で言った。
(続く)
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