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第一章 信用度数最低編
八
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リーンの街に戻れたのは、ユニットを救出して、一週間後だった。
おおよそは、緩衝地帯に到達するのに一日、馬車と出会うまで一日、馬車で一日の移動、砦で三日、リーンまで一日である。
砦でユニットの三人は治療を受け、休息を取った。
僕とシリュウはやることもないので、砦を歩き回っていた。シリュウは剣術が気になるようで、兵隊の剣の稽古を真剣に見ていた。
ユニットの三人とともに、リーンに戻り、紹介所へ向かった。彼らの口添えを得て、僕の経歴に一つ、新しい戦歴が加わった。
シリュウは偽名を使い、新しく登録証を手に入れた。そこに至るまでが複雑で、様々な規則が拒絶しようとしたが、最終的には押し通せた。
彼は登録証ではリュウという名前である。
僕の信用度数は十八に回復した。これは最低限の仕事ができるレベルである。
最低限とはいえ、ユニットを斡旋してもらえるのは、嬉しいものだ。
ただ、僕はすぐに仕事を紹介してもらわずに、紹介所を出た。
「お前のことをよく知らない」
一緒に歩いているシリュウが言った。僕は黙ったまま進む。
交差点で、集合住宅とは違う方向へ進む。シリュウは黙ってついてくる。
「教会の掃除係になる原因の、探索行があった」
歩きながら、僕は話す。
「八人のユニットで、黒の領域へ踏み込んだ。二人ほど、抜群の腕の持ち主で、安心していた。何度か一緒に仕事をしていたしな。レールもユニットの一人だった」
頭の中に、いくつかの顔が浮かぶ。
「悪魔の群れに包囲されて、全員が必死に戦った。悪魔は全部で二十体はいたな。必死に包囲を破ろうとしたが、楽じゃなかったよ。どうにか穴を作り、そこに飛び込んだ。あとは必死に一人で走った。方向もわからなかった。仲間も見えなかった。でも走った。そこまでの戦果は全て捨て、最低限の装備と身一つだった」
無意識に首を振っていた。
「馬が、僕を追い越したのがわかった。これはあまりに出来すぎた偶然だった。悪魔に包囲されていた時、全員、馬から降りたんだ。馬は戦いに巻きこまれて、どこかへ行っていた。それが、僕を追いかけてきた。幸運だったとしか言えない。僕は馬に乗って、その馬が潰れるまで走り、どうにか生き延びた」
前方に、リーンの街の真ん中にある墓地が見えてくる。
「レールが生きているとは、思わなかった。助けられるわけもないけど、割り切れるものでもない」
「そんなものさ」
シリュウは感情の読めない声で、それだけ言って、また黙った。僕も何も言えず、歩いた。
墓地へ入り、外れの方にある巨大な石碑の前に立つ。
それは探索者の死者を弔うための、墓標である。遺体がなく、遺骨も遺髪もない者。家族のいない者。つまり、何も残さず、誰とも繋がりのないそういう者がここで弔われる。
僕はその石碑の前に立ち、じっとそれを見上げた。
手には、五年従軍勲章を握りしめている。
それを、石碑の前に置いてみた。そこに置かれている様子は、持ち主の元に戻ったようであり、その一方で、まるで置き去りにされたようで不似合いにも見えた。
しばらく、その様子を見ていた。
「お前が持っているべきだ」
背後で力強い声がした。
振り返ると、シリュウが腕を組んでこちらを見下ろしていた。
「お前が持っていろ」
どう答えればいいのか、わからない。
「お守りだと、思っておけばいい。そういうものなら、重荷でもあるまい」
もう一度、石碑を見た。石碑は何も語りかけてこない。
僕はその石碑の前から、自分の置いた勲章を拾い上げた。ポケットに入れる。
石碑に背を向けると、シリュウが微笑んだ。
「生きているのだから、やるべきことは多いぞ」
「ついこの前まで、眠ってたくせに」
軽くシリュウの胸を拳で打ってやる。二人で墓地の出口へ向かう。
その途中で、シリュウが足を止めた。僕も立ち止まり、彼の視線の先を見る。
そこにはどこにでもあるような墓標が一つある。ただ、古びていて、すぐには刻まれた文字が読めない。
シリュウが歩みを再開する。置いていかれそうになったので慌てて駆け寄る。
「どうしたの? 知り合いのお墓?」
「昔馴染みだ。懐かしいものだな」
そう言うなり、シリュウの大きい手が僕の頭に乗せられた。
「そのうち、お前も悲しみよりも強く、暖かい懐かしさを感じるようになる」
僕にはよくわからなかったけど、シリュウももう何も言わず、楽しそうに歩いて行った。
僕たちは、シリュウが好きだと言い出した軽食屋で腹ごしらえをすると、教会へ行くことにした。別に何かを祈りたいとかではなく、リッカに報告する必要があると思ったからだ。
教会の外の瓦礫の山は、いつの間にか消えていた。一週間以上、留守にしたのだ、それもあるだろう。
リッカがちょうど、礼拝堂にいた。やっと僕はオルガンを弾いているのが誰か、わかった。まだ学生だろう女の子が弾いていたのだ。教えているのは、名前も知らない女性で、尼僧服は着ていない。
「ハルカと言います。あなたが、アルスね」
「どうやら僕も有名人ですね」
「不死身だって聞いたわ」
さすがに苦笑するしかない。
僕たちの会話が終わるのを待って、リッカは応接室に僕とシリュウを導いた。
「リッカ」
初めて、シリュウが声を発した。それもリッカに対して。それだけで驚きだった。
リッカも驚いたようで、シリュウを黙って見据えた。
「俺は昔、リュウと名乗っていた」
どういうことだ? 例の偽名も、リュウだった。
「覚えているか? リッカ。お前はまだ子どもで、大人たちの陰に隠れていた」
そう言われたリッカは、肯定も否定もしない。そのリッカに、シリュウは続ける。
「ある日、俺が一人でいる時に、お前がやっぱり一人でやってきた。そして、俺に剣を見せて欲しい、と頼んだ。これは覚えているだろう?」
「ええ」
短い返事、肯定の返事だった。
それを受けて、シリュウは淡々と言った。
「毀れの剣を見て、どうしてこんなにボロボロなのか、お前は尋ねた。俺はこう答えた。切れば切るほど、傷つく剣だ、と。そうするとお前は小さな声で、言ったんだ。人間みたいね。そう言った」
「よく覚えています」
リッカが深くうなずき、何かを振り払うように首を振った。
「大昔のことでした。まだ今よりも悪魔との戦いが激しくて、この街には多くの兵士や傭兵が出入りしていた。私の家は、小麦の問屋で、軍とも関係が深かった。だから、あなたを恐れなかったのでしょう」
リッカの視線が、壁に向けられたので、僕はちらっとそれを追った。壁の肖像画を見ているようだ。
「教会に変な男がいる、と噂が立った。だから私は、あなたが気になっていた。話してみて、全然、恐ろしいとは感じませんでした。あの後、何回か、お話ししましたね」
「怖いもの知らずの娘だった」
「そうですね。でもあなたは、いつの間にか、どこかに消えてしまった。教会の人たちも、はぐらかすだけで、真実を教えてはくれなかった。そのうち、尼僧の一人がしつこい私に、書類を見せたのです。あなたが別の戦場に配置換えになった、というものです」
そう言いながら、リッカは笑った。
「今思えば、明らかに正規のものではなかったですわね」
「なぜ、尼僧になった?」
シリュウの言葉に、リッカが坐り直す。
「ある日、あなたが死んだという話を聞きました。その時、尼僧になると決めたのです。あなたのことを、尊敬していましたから」
「思い切ったものだ」
「でも五十年、続けられたのです。向いていたのでしょう」
リッカが席を立つと、デスクから何かを持ってきた。
「ここに、昔の記録を整理しておきました」
机に書類が置かれる。僕は断ってそれを手に取った。めくっていくと、五十年前の教会に関する資料のようだった。主に人員と物資の移動の記録。
「シリュウ、あなたが地下から出てきた時から、この日のことを考えてきました。私も、教会があなたを封印しているとは想像していませんでしたが、実際は今の通りです。なら、あなたの剣もどこかにあると、私は思いました」
シリュウが頷いている横で、僕は資料をどんどんめくった。リッカはゆっくりと話している。
「毀れの剣は地下にはなかったのでしょう? なら、どこかに隠されている。それを知るために、教会から何が出入りしたのか、どんな人が出入りしたのか、それをまとめました」
僕は資料をシリュウに渡そうとしたが、彼は拒否する。
「面倒臭い説明はいい。リッカは、どこにその剣があると思う?」
鋭い口調に、リッカは少し黙り、首を振った。
「わからないのです。残念ですが」
「なら、俺にもわからないな」
思わず僕は、そしてリッカも、シリュウの顔を確認した。彼はどこかスッキリした顔をしている。頭を掻きつつ、頷いている。
「いずれどこかで、また出会うだろう。今の剣も、それほど悪くない」
「そうですか」
リッカは何かに納得したようだ。しかし、すぐに表情が引き締まった。
「教会としては、あなたに謝罪しなくてはいけません。あなたをあそこに閉じ込め、五十年も眠らせていたことに、教会が無関係とは思えないのです。あなたが解放されたことは、いずれ、封印の秘密を知るものに察知されるでしょう。その時、悲劇が起きないことを、私は願うしかできません」
「方法はあるぞ」
軽い調子で応じたシリュウは、とんでもないことを言った。
「もう一回、封印してみるかい?」
さすがのリッカも、絶句した。僕もぽかんと口を開けてしまった。
「本気ですか?」
「いや、冗談さ」
そう返して、シリュウは自分の新しい剣を叩いた。
「悪くない武器もある。大抵の奴は、蹴散らせるさ。こっちこそ、教会に迷惑がかからないようにするよ」
僕は笑いそうになるのをこらえた。リッカもそんな表情だった。
「無力なことを、許してくださいね、シリュウ」
頷いたリッカの頭に、シリュウが手を置いた。
「大丈夫だ。気にするな」
リッカはしばらく、そのまま動かなかった。
僕たちは現在の状況のことを話し、また仕事を受けられそうだとリッカに報告した。彼女は控えめに祝福してくれて、少しだけ強めに、慎重に行動するように釘を刺した。
教会の帰りに武器屋に向かい、シリュウが剣の点検を受けた。
ユニットを助けたことで、連合軍からわずかの謝礼が出たので、僕の腰の剣は三ヶ月を待たずに全額を支払うことができた。その剣を、研いでもらうことにした。
「こんな出来の悪い剣、捨てちまえ」
初老の店主がそんな暴言を吐きながらも、きっちりと綺麗に研いでくれた。
二人で集合住宅の部屋に戻り、荷物を置いて、風呂屋へ行く。気づくと、シリュウが黙り込んでいる。話しかけても、返事は曖昧だった。
街中を歩いて帰ってきたら、部屋で僕は読書した。シリュウは大の字になって床に寝ていた。
空気に、かすかに違和感がある。
「五十年だぞ、アルス」
突然に、シリュウが声を出した。僕は本を置いてそちらを見る。
「五十年が経った。少女が、シワが目立つ年頃になる。しかし俺は、何も変わっていない。これを、どうやり過ごせばいいのだろうな」
「それは、僕にはわからないけど」
シリュウが起き上がる。
「墓地に、知っている名前がいくつもある。知っている名前の奴と、やはり知っている名前の奴が結婚していたと知る。そして二人とも死んでいる。すごいことだ。恐ろしい、とも言える」
彼が、恐ろしい、と口にするのは、どこか不思議だった。
戦いの場であんなに勇敢で、勇猛な人が、恐ろしい、と口にする。
どこかちぐはぐだった。
でもきっと、人間ってそういうものだ。
「眠ったと思うしかない」
僕が反射的にそういうと、シリュウの視線が貫くように鋭くこちらを向いた。
「一晩が五十年だった、ということか? アルス」
「そう。すぐに慣れるさ。生きているんだから」
シリュウが立ち上がり、僕をまっすぐに見下ろした。
「アルス。俺が感じているものがわかるか?」
僕は返事をしなかった。彼をまっすぐに見上げる。
「俺は、全てを失った」
意外に、人間らしいことを言うものだ。
まだ黙っている僕の襟首をシリュウが掴み、吊り上げる。
「全てだ。命以外。何もかも」
「命があるなら、全てじゃない」
僕が応じると、シリュウが片目を細める。僕はその顔をまっすぐに見て、言った。
「命があれば、全てを取り戻せるはずだ」
今度は、シリュウが黙った。目を閉じ、口元に力が入っているが、開く気配はない。きつくきつく、口元を引き結び、シリュウは黙っていた。
「違うか? シリュウは、最初から英雄だったか?」
ゆっくりと僕は寝台に降ろされた。体の力を抜き、目の前に立っているシリュウの脚を叩く。
「落ち着けよ。大丈夫だ」
シリュウが座り込み、俯いている。これもまた、似合わない態度だ。
「リッカに言ったのはシリュウじゃないか。問題ないって。僕も言うよ、問題ないって」
シリュウは、頷いて、また立ち上がると、「稽古をしてくる」と言って、剣を掴んで外へ出て行った。
僕は寝台に横になり、読書を再開した。
外で何かが動く気配と、かすかに届いてくる風を切る音。
一度、雄叫びが聞こえた。
それ以外は、静かな夜である。
(続)
おおよそは、緩衝地帯に到達するのに一日、馬車と出会うまで一日、馬車で一日の移動、砦で三日、リーンまで一日である。
砦でユニットの三人は治療を受け、休息を取った。
僕とシリュウはやることもないので、砦を歩き回っていた。シリュウは剣術が気になるようで、兵隊の剣の稽古を真剣に見ていた。
ユニットの三人とともに、リーンに戻り、紹介所へ向かった。彼らの口添えを得て、僕の経歴に一つ、新しい戦歴が加わった。
シリュウは偽名を使い、新しく登録証を手に入れた。そこに至るまでが複雑で、様々な規則が拒絶しようとしたが、最終的には押し通せた。
彼は登録証ではリュウという名前である。
僕の信用度数は十八に回復した。これは最低限の仕事ができるレベルである。
最低限とはいえ、ユニットを斡旋してもらえるのは、嬉しいものだ。
ただ、僕はすぐに仕事を紹介してもらわずに、紹介所を出た。
「お前のことをよく知らない」
一緒に歩いているシリュウが言った。僕は黙ったまま進む。
交差点で、集合住宅とは違う方向へ進む。シリュウは黙ってついてくる。
「教会の掃除係になる原因の、探索行があった」
歩きながら、僕は話す。
「八人のユニットで、黒の領域へ踏み込んだ。二人ほど、抜群の腕の持ち主で、安心していた。何度か一緒に仕事をしていたしな。レールもユニットの一人だった」
頭の中に、いくつかの顔が浮かぶ。
「悪魔の群れに包囲されて、全員が必死に戦った。悪魔は全部で二十体はいたな。必死に包囲を破ろうとしたが、楽じゃなかったよ。どうにか穴を作り、そこに飛び込んだ。あとは必死に一人で走った。方向もわからなかった。仲間も見えなかった。でも走った。そこまでの戦果は全て捨て、最低限の装備と身一つだった」
無意識に首を振っていた。
「馬が、僕を追い越したのがわかった。これはあまりに出来すぎた偶然だった。悪魔に包囲されていた時、全員、馬から降りたんだ。馬は戦いに巻きこまれて、どこかへ行っていた。それが、僕を追いかけてきた。幸運だったとしか言えない。僕は馬に乗って、その馬が潰れるまで走り、どうにか生き延びた」
前方に、リーンの街の真ん中にある墓地が見えてくる。
「レールが生きているとは、思わなかった。助けられるわけもないけど、割り切れるものでもない」
「そんなものさ」
シリュウは感情の読めない声で、それだけ言って、また黙った。僕も何も言えず、歩いた。
墓地へ入り、外れの方にある巨大な石碑の前に立つ。
それは探索者の死者を弔うための、墓標である。遺体がなく、遺骨も遺髪もない者。家族のいない者。つまり、何も残さず、誰とも繋がりのないそういう者がここで弔われる。
僕はその石碑の前に立ち、じっとそれを見上げた。
手には、五年従軍勲章を握りしめている。
それを、石碑の前に置いてみた。そこに置かれている様子は、持ち主の元に戻ったようであり、その一方で、まるで置き去りにされたようで不似合いにも見えた。
しばらく、その様子を見ていた。
「お前が持っているべきだ」
背後で力強い声がした。
振り返ると、シリュウが腕を組んでこちらを見下ろしていた。
「お前が持っていろ」
どう答えればいいのか、わからない。
「お守りだと、思っておけばいい。そういうものなら、重荷でもあるまい」
もう一度、石碑を見た。石碑は何も語りかけてこない。
僕はその石碑の前から、自分の置いた勲章を拾い上げた。ポケットに入れる。
石碑に背を向けると、シリュウが微笑んだ。
「生きているのだから、やるべきことは多いぞ」
「ついこの前まで、眠ってたくせに」
軽くシリュウの胸を拳で打ってやる。二人で墓地の出口へ向かう。
その途中で、シリュウが足を止めた。僕も立ち止まり、彼の視線の先を見る。
そこにはどこにでもあるような墓標が一つある。ただ、古びていて、すぐには刻まれた文字が読めない。
シリュウが歩みを再開する。置いていかれそうになったので慌てて駆け寄る。
「どうしたの? 知り合いのお墓?」
「昔馴染みだ。懐かしいものだな」
そう言うなり、シリュウの大きい手が僕の頭に乗せられた。
「そのうち、お前も悲しみよりも強く、暖かい懐かしさを感じるようになる」
僕にはよくわからなかったけど、シリュウももう何も言わず、楽しそうに歩いて行った。
僕たちは、シリュウが好きだと言い出した軽食屋で腹ごしらえをすると、教会へ行くことにした。別に何かを祈りたいとかではなく、リッカに報告する必要があると思ったからだ。
教会の外の瓦礫の山は、いつの間にか消えていた。一週間以上、留守にしたのだ、それもあるだろう。
リッカがちょうど、礼拝堂にいた。やっと僕はオルガンを弾いているのが誰か、わかった。まだ学生だろう女の子が弾いていたのだ。教えているのは、名前も知らない女性で、尼僧服は着ていない。
「ハルカと言います。あなたが、アルスね」
「どうやら僕も有名人ですね」
「不死身だって聞いたわ」
さすがに苦笑するしかない。
僕たちの会話が終わるのを待って、リッカは応接室に僕とシリュウを導いた。
「リッカ」
初めて、シリュウが声を発した。それもリッカに対して。それだけで驚きだった。
リッカも驚いたようで、シリュウを黙って見据えた。
「俺は昔、リュウと名乗っていた」
どういうことだ? 例の偽名も、リュウだった。
「覚えているか? リッカ。お前はまだ子どもで、大人たちの陰に隠れていた」
そう言われたリッカは、肯定も否定もしない。そのリッカに、シリュウは続ける。
「ある日、俺が一人でいる時に、お前がやっぱり一人でやってきた。そして、俺に剣を見せて欲しい、と頼んだ。これは覚えているだろう?」
「ええ」
短い返事、肯定の返事だった。
それを受けて、シリュウは淡々と言った。
「毀れの剣を見て、どうしてこんなにボロボロなのか、お前は尋ねた。俺はこう答えた。切れば切るほど、傷つく剣だ、と。そうするとお前は小さな声で、言ったんだ。人間みたいね。そう言った」
「よく覚えています」
リッカが深くうなずき、何かを振り払うように首を振った。
「大昔のことでした。まだ今よりも悪魔との戦いが激しくて、この街には多くの兵士や傭兵が出入りしていた。私の家は、小麦の問屋で、軍とも関係が深かった。だから、あなたを恐れなかったのでしょう」
リッカの視線が、壁に向けられたので、僕はちらっとそれを追った。壁の肖像画を見ているようだ。
「教会に変な男がいる、と噂が立った。だから私は、あなたが気になっていた。話してみて、全然、恐ろしいとは感じませんでした。あの後、何回か、お話ししましたね」
「怖いもの知らずの娘だった」
「そうですね。でもあなたは、いつの間にか、どこかに消えてしまった。教会の人たちも、はぐらかすだけで、真実を教えてはくれなかった。そのうち、尼僧の一人がしつこい私に、書類を見せたのです。あなたが別の戦場に配置換えになった、というものです」
そう言いながら、リッカは笑った。
「今思えば、明らかに正規のものではなかったですわね」
「なぜ、尼僧になった?」
シリュウの言葉に、リッカが坐り直す。
「ある日、あなたが死んだという話を聞きました。その時、尼僧になると決めたのです。あなたのことを、尊敬していましたから」
「思い切ったものだ」
「でも五十年、続けられたのです。向いていたのでしょう」
リッカが席を立つと、デスクから何かを持ってきた。
「ここに、昔の記録を整理しておきました」
机に書類が置かれる。僕は断ってそれを手に取った。めくっていくと、五十年前の教会に関する資料のようだった。主に人員と物資の移動の記録。
「シリュウ、あなたが地下から出てきた時から、この日のことを考えてきました。私も、教会があなたを封印しているとは想像していませんでしたが、実際は今の通りです。なら、あなたの剣もどこかにあると、私は思いました」
シリュウが頷いている横で、僕は資料をどんどんめくった。リッカはゆっくりと話している。
「毀れの剣は地下にはなかったのでしょう? なら、どこかに隠されている。それを知るために、教会から何が出入りしたのか、どんな人が出入りしたのか、それをまとめました」
僕は資料をシリュウに渡そうとしたが、彼は拒否する。
「面倒臭い説明はいい。リッカは、どこにその剣があると思う?」
鋭い口調に、リッカは少し黙り、首を振った。
「わからないのです。残念ですが」
「なら、俺にもわからないな」
思わず僕は、そしてリッカも、シリュウの顔を確認した。彼はどこかスッキリした顔をしている。頭を掻きつつ、頷いている。
「いずれどこかで、また出会うだろう。今の剣も、それほど悪くない」
「そうですか」
リッカは何かに納得したようだ。しかし、すぐに表情が引き締まった。
「教会としては、あなたに謝罪しなくてはいけません。あなたをあそこに閉じ込め、五十年も眠らせていたことに、教会が無関係とは思えないのです。あなたが解放されたことは、いずれ、封印の秘密を知るものに察知されるでしょう。その時、悲劇が起きないことを、私は願うしかできません」
「方法はあるぞ」
軽い調子で応じたシリュウは、とんでもないことを言った。
「もう一回、封印してみるかい?」
さすがのリッカも、絶句した。僕もぽかんと口を開けてしまった。
「本気ですか?」
「いや、冗談さ」
そう返して、シリュウは自分の新しい剣を叩いた。
「悪くない武器もある。大抵の奴は、蹴散らせるさ。こっちこそ、教会に迷惑がかからないようにするよ」
僕は笑いそうになるのをこらえた。リッカもそんな表情だった。
「無力なことを、許してくださいね、シリュウ」
頷いたリッカの頭に、シリュウが手を置いた。
「大丈夫だ。気にするな」
リッカはしばらく、そのまま動かなかった。
僕たちは現在の状況のことを話し、また仕事を受けられそうだとリッカに報告した。彼女は控えめに祝福してくれて、少しだけ強めに、慎重に行動するように釘を刺した。
教会の帰りに武器屋に向かい、シリュウが剣の点検を受けた。
ユニットを助けたことで、連合軍からわずかの謝礼が出たので、僕の腰の剣は三ヶ月を待たずに全額を支払うことができた。その剣を、研いでもらうことにした。
「こんな出来の悪い剣、捨てちまえ」
初老の店主がそんな暴言を吐きながらも、きっちりと綺麗に研いでくれた。
二人で集合住宅の部屋に戻り、荷物を置いて、風呂屋へ行く。気づくと、シリュウが黙り込んでいる。話しかけても、返事は曖昧だった。
街中を歩いて帰ってきたら、部屋で僕は読書した。シリュウは大の字になって床に寝ていた。
空気に、かすかに違和感がある。
「五十年だぞ、アルス」
突然に、シリュウが声を出した。僕は本を置いてそちらを見る。
「五十年が経った。少女が、シワが目立つ年頃になる。しかし俺は、何も変わっていない。これを、どうやり過ごせばいいのだろうな」
「それは、僕にはわからないけど」
シリュウが起き上がる。
「墓地に、知っている名前がいくつもある。知っている名前の奴と、やはり知っている名前の奴が結婚していたと知る。そして二人とも死んでいる。すごいことだ。恐ろしい、とも言える」
彼が、恐ろしい、と口にするのは、どこか不思議だった。
戦いの場であんなに勇敢で、勇猛な人が、恐ろしい、と口にする。
どこかちぐはぐだった。
でもきっと、人間ってそういうものだ。
「眠ったと思うしかない」
僕が反射的にそういうと、シリュウの視線が貫くように鋭くこちらを向いた。
「一晩が五十年だった、ということか? アルス」
「そう。すぐに慣れるさ。生きているんだから」
シリュウが立ち上がり、僕をまっすぐに見下ろした。
「アルス。俺が感じているものがわかるか?」
僕は返事をしなかった。彼をまっすぐに見上げる。
「俺は、全てを失った」
意外に、人間らしいことを言うものだ。
まだ黙っている僕の襟首をシリュウが掴み、吊り上げる。
「全てだ。命以外。何もかも」
「命があるなら、全てじゃない」
僕が応じると、シリュウが片目を細める。僕はその顔をまっすぐに見て、言った。
「命があれば、全てを取り戻せるはずだ」
今度は、シリュウが黙った。目を閉じ、口元に力が入っているが、開く気配はない。きつくきつく、口元を引き結び、シリュウは黙っていた。
「違うか? シリュウは、最初から英雄だったか?」
ゆっくりと僕は寝台に降ろされた。体の力を抜き、目の前に立っているシリュウの脚を叩く。
「落ち着けよ。大丈夫だ」
シリュウが座り込み、俯いている。これもまた、似合わない態度だ。
「リッカに言ったのはシリュウじゃないか。問題ないって。僕も言うよ、問題ないって」
シリュウは、頷いて、また立ち上がると、「稽古をしてくる」と言って、剣を掴んで外へ出て行った。
僕は寝台に横になり、読書を再開した。
外で何かが動く気配と、かすかに届いてくる風を切る音。
一度、雄叫びが聞こえた。
それ以外は、静かな夜である。
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