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第三章 敵性領域探索編
九
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「何だよ、その顔は」
僕とシリュウを見て、マルトロスが言った。
「お陰様で助かった」
あっけらかんとそう言って、彼は僕が持ってきた果物を早速、皮もむかずに食べ始めた。
「心配したのが馬鹿みたいだ」
僕が思わずそういうと、隣でシリュウが一回、深く頷いた。
「そんなことより」マルトロスが起こしていた上体をこちらへ傾ける。
「あの悪魔の首はいくらになった?」
「あー……」
返事をしないわけにはいかない。
「あれは、あの場に捨ててきた。荷物になるから」
「……ちょっと。すぐには理解できないんだが、どういう意味かな」
受け入れ難いらしい。
「マルトロスを連れて帰る邪魔になるから、捨ててきたんだ」
「……馬鹿な」
マルトロスの顔が真っ青になり、そしてすぐに赤く染まる。分かりやすい奴なのだ。
「あれは相当な額だったはずだ。それを、捨てた? 嘘だろう? 俺を騙しているのか?」
「本当に捨てたんだ」
僕はそう言う以外に言いようがなくて、少し困った。
それを察したらしいシリュウが進み出てくれた。
「お前の命を助けたんだ。あの程度の首なんか、無視しておけ。ああいう悪魔とやりあうことも、今後、あるだろうしな。まぁ、あの悪魔は俺が倒したようなもんだ」
その一言でマルトロスの意識は、誰が中級悪魔を倒したか、の議論になだれ込んだようだった。シリュウと二人で激論を交わし、看護師が駆けつける騒ぎになった。
看護師をやんわりと引き取らせて、僕は宣言した。
「シリュウがマルトロスを助けたこと、マルトロスがシリュウを守ったこと、シリュウが中級悪魔の首を捨てたこと、マルトロスの命を救ったこと、その辺を加味して、貸借りなしだ。そうしよう」
二人は納得いかないようだったが、最後には渋々という感じで頷いた。
「例のユニットはどうなった?」
マルトロスの質問は、内容の割に軽い口調だ。
「僕たちは生き残りには一人しか会っていない。何人かな、生きていると思うけど」
そうか、と言ったきり、マルトロスは黙った。
「よくあることさ」
シリュウがそういうと、マルトロスは顔を歪めた。
「大した奴らじゃないのは知っていた。未熟で、いい加減で、危うかった。俺はたまたま連中に会って、護衛として自分を売り込み、浮かれていた連中はそれを受けた。でも、俺は護衛の役目を果たせなかった」
「それもよくあること」
淡々と、シリュウが応じた。そのシリュウをマルトロスが見上げる。
「そんな言葉で、納得できるか?」
「どんな言葉なら、納得出来る?」
シリュウの視線は氷のようだった。
「どんな言葉で自分を正当化できる? どういう表現を使えば、本当に自分を責めることができる? もうお前を責める奴らはほとんどいない。みんな死んでいる。その死んだ連中が、お前を責めるか? 生き方を説教するか? しないだろうな」
マルトロスの襟を、シリュウが掴んだ。
「無駄なことをするな。前を見ろ」
強い口調、重く響く口調だった。
視線を逸らしたマルトロスが、項垂れた。シリュウも襟を解放した。
「回復したら、一度だけ、手合わせしてやる」
マルトロスは視線を、寝台の脇に立てかけられている彼の剣に向けた。
僕たちは短い挨拶の後、病室を出た。
もうシリュウはマルトロスを見舞う気は無いらしく、剣の稽古を繰り返していた。使っている剣は、ドザが渡してきた剣で、もしかしたら、新しい剣を体に馴染ませようとしているのかも、と僕は思った。
ただ、それだけでは無いと思わせる、強い緊張感がその稽古には見えた。
周囲をたまに兵士や傭兵、様々な人が見学していく。拍手するもの、口笛を吹くものもいる。そんな観客を、シリュウは一顧だにせず、稽古を続けている。
僕は頻繁にマルトロスの様子を見に行って、彼が回復しているのを目の当たりにした。
法印士が一日に二度、様子を見に来る。劇的な回復と言えた。
治療室を出て、病室で三日を過ごし、怪我は全て癒えたようだった。
「よお、アルス」
砦の食堂にいる僕のところへ、マルトロスが一人でやってきた。すでに入院着は着ておらず、前と同じ軽鎧姿だ。背中に剣を背負っている。
今すぐにも黒の領域へ戻れそうだった。
「アルスには悪いことをした、シリュウを引き止めたせいで、お前もここから帰れなかっただろう?」
「そんなことないよ。気にしないでいい」
マルトロスが僕の向かいの席に腰を下ろした。そして料理を注文する。
「シリュウさんはどうしている?」
「シリュウ? 剣術の稽古を熱心にやっている」
「俺を助けるために、剣を折ったよな。悪いことをした」
僕は首を振って答えた。
「気にしないでいいよ。代わりの剣もあるわけだし」
料理が運ばれてきて、マルトロスは無言で食べ始めた。どうやら、入院食が相当、不満だったようだ。休む間もなく、口へ運んでいる。清々しい食べっぷりだった。
最後にケーキとコーヒーを注文したので、僕も緑茶を注文した。
お茶がテーブルにやってきて、やっと落ち着いた雰囲気になった。
「二人は、リーンが活動拠点だったよな?」
「そうだよ。マルトロスは、どこだっけ?」
「一応、トラスということになっている」
トラス。行ったことはないが、場所は知っている。
「家族がいる、とも思えないね」
「一人さ。安い部屋を借りている。ほとんどはそこにはいない。なんで、そんなことを聞く?」
僕は思わず頭をかいた。
「また会えるか、考えていた」
「アルスも、変な奴だな」
それがマルトロスの返事だった。僕はもう何も言わずにお茶を飲み、彼はケーキをつつきながら、コーヒーを楽しんでいる。
どうして、マルトロスのことを尋ねたんだろう。考えても、スッキリする言葉は浮かんでこなかった。考え続けても難しい。
席を立って僕たちは食堂を出た。
「すぐにシリュウと手合わせする?」
「待たせすぎたような気がしている。これから行くさ」
「体調は万全? あと何日かなら、待てるよ」
返事はなく、ただ、強気な笑みが返ってきた。
僕と支流が部屋を借りている宿泊施設の前には、今日も人が数人、集まっていた。その真ん中で、シリュウが剣の型を繰り返している。
「通してくれ」構わず、マルトロスが割り込んでいく。「これからメインイベントだ」
シリュウも僕たちに気づいて、動きを止めた。
「回復したか」
シリュウの簡潔な言葉に、マルトロスは頷く。
「お蔭さんで。すぐやれるかい?」
「待ってな」
シリュウは建物に戻り、服を着替えて出てきた。鎧はつけていない。
「防具がないと危ないぜ。手加減するつもりはない」
そんなマルトロスの言葉に、シリュウは肩をすくめるのみ。構わないらしい。
僕はそっと距離を置いた。周囲の観客もある。
まずマルトロスが剣を抜いた。頑丈そうな剣だ。
シリュウも背中に背負っていた剣をゆっくりと抜く。こちらは長いが細身で、鋭さが感じられた。
二人は距離を置いて、向かい合い、間合いを計っている。
二人の足がジリジリと地面をこすり、二人が立っている位置が変わる。僕は太陽の位置を考えた。正面から日差しを受けるのは不利だろう。
パッとマルトロスが踏み込んだ。シリュウの剣の突きが同時に繰り出された。
素早く二人が距離を取る。
「手加減は不要だ、本気で来い!」
叫んだのはマルトロスだった。シリュウは黙って、動かない。
「倒しに来い! さあ!」
まだマルトロスが叫ぶが、シリュウは無視する。
機を狙っているのは明らかだ。
焦ったのはマルトロスの方だったらしい。深く踏み込み剣を振るう。
シリュウがそれを背を逸らして躱し、絶妙なタイミングで剣を振った。
火花と、甲高い音。何かが落ちる。マルトロスの軽鎧の一部。
それが地面に落ちる前に、シリュウの逆襲。マルトロスは後退し、回り込むように凌ぐ。
どうにかシリュウの側面を攻撃する形を作ったマルトロスが、わずかにシリュウが身を引いた間に、もう一度、距離を取る。
マルトロスの鎧はボロボロだった。無数の斬撃の残滓が刻まれている。
一方のシリュウは無傷だった。
さすがのマルトロスも、声を発することができない。
僕も、できなかった。僕は話すどころか見ていることしかできない。
それほどの圧迫感を、シリュウが発していた。
次で決める気だな、とはっきりわかった。マルトロスもわかっているはず。だから、お互いに全力でぶつかっていく。
シリュウから、踏み込み。気配を消した、滑るような歩法。
「ヌウゥァ!」
マルトロスが吠える。
シリュウの剣を受けることを放棄、先に自分の剣を当てることにしたのがわかった。
相打ち、という言葉が僕の頭に浮かんだ。
しかし肉が切断される湿った音ではなく、甲高い音が起こった。
シリュウの剣は、マルトロスの剣を受け止めていた。
無謀だ。
僕は、マルトロスの豪腕を知っている。マルトロスの本気の一撃の重さは、尋常ではない。
姿勢を全く乱さないシリュウの足が地面を削り、滑る。
体が横にずれるが、それでもシリュウは姿勢を保った。
抜群のバランス感覚。そして、力加減。
「ルウゥア!」
シリュウの手が捻られ、マルトロスの剣を巻き込む動き。
澄んだ音と共にマルトロスの剣が宙に舞った。その剣が落ちてくるところをシリュウが掴んだ。
「さすがに、見ていたか。手首を飛ばすつもりだったが」
感心したような顔のシリュウの前で、マルトロスは手を振っている。
「中級悪魔の手首を落とした技だ。まさか、やってくるとは思わなかったけど、対処できた」
「それが才能さ」
ぽんとシリュウはマルトロスに剣を返した。
「これで満足しただろう?」
「はい」
剣を掴み、鞘に戻してマルトロスは一礼した。
「大変、勉強になりました。ありがとうございました」
「命を大事にしろ」
シリュウも剣を鞘に戻す。そして宿泊施設の方へ歩いて行った。
観客がやっと会話を始め、散りだした。僕はマルトロスに歩み寄る。
「僕たちは明日にでもリーンに戻るよ。マルトロスは?」
「俺も明日の朝、一旦、戻る。装備を整えて、仕事を紹介してもらう」
「じゃあ、これでお別れだな」
僕たちは軽く握手をして、別れた。
部屋に戻るとシリュウは寝台に横になって、眠っている。僕は眠りを邪魔しないように荷物を整理し、帰り支度をした。
翌朝、僕とシリュウは馬を借りて、ハマナス砦を出た。マルトロスとは、やはり顔を合わさなかった。シリュウもそのことについては、何も言わない。
二人でゆっくりと街道を進む。時々、連合軍や傭兵部隊の輸送馬車がとすれ違う。
「とんでもない訓練だった」
小休止の時、ポツンと生えている木陰に腰を下ろして、僕は言った。
「しかし勉強にはなった」
シリュウは馬を撫でている。
「色々なことがあった。楽しかった、とは一概に言えないけど、それでも、つまらなくはなかったな」
「そう思えるのも、生きているからだぞ」
どうやら僕が死にかけたことを言っているらしい。
「シリュウとシェリーには感謝しているよ。命の恩人だ」
返事はなかった。
夜は野宿をして、翌日の夕方、リーンの街に到着した。
「なんとも、懐かしいものだな、この街も」
「だいぶ留守にしたしね」
二人で借りている部屋へ向かって、装備を全部、外した。風呂屋へ行って汗を流し、それから軽食屋へ向かった。
「どういうわけか、ここの飯は美味いな」
シリュウがそんなことを言う。
僕たちは今後のついて打ち合わせをして、手持ちの財産からすると、早めに仕事を受けた方がいい、ということになった。
軽食屋を出て、街を歩く。
老人が立て看板の横に座り込んでいた。浮浪者に見える。その看板には、
私の息子も孫も、悪魔に殺されました。助けてください。
と、書いてあった。
そこを通り過ぎてから少しして、シリュウがぼそっとつぶやく。
「シェリーの両親のことを聞かなかった」
言われてみれば、僕はシェリーと色々なやり取りをしたけど、彼女は僕の家族のことも聞かないし、自分の家族のことも口にしなかった。
今でも、両親か、兄弟か姉妹が、生きているのだろうか。
でもその話をしないということが、答えにもなっている気がした。
つまり、彼女は一人でいることを選んだのだ。
あの洞窟で、孤独に、生きる。
契約者になったことで、彼女は声と同時に、仲間というものも失ったのだろう。
僕は持ち歩いている小さなポーチから地図を取り出した。
その地図には、シェリーが指差した、あの洞窟の位置が、印を付けられている。
この地図があれば、僕はまた彼女に会いに行けるだろう。
その時は何か、彼女が喜ぶものを持って行ってあげたい。
何が一番、嬉しいだろう。
そんなことを考えながら、僕はシリュウの少し後ろを歩いていた。
それから数週間が過ぎたある日、僕はとある場所で新聞を読んでいた。
その新聞には、小さな記事だけど、こんな記事があった。
トラスの青年剣士、中級悪魔を両断。
そんな見出しだった。読み進めると、それはマルトロスが中級悪魔を一人で討ち取った、という内容だった。
僕は思わず笑っていた。近くにいたシリュウが不思議そうにこちらを見る。僕は彼に新聞を手渡した。
ほう、とシリュウが声を漏らす。
「意外にやるもんだな。やはりいい腕をしているということだ」
新聞が戻ってくる。もう一度、文面を見た。
その文字からあのマルトロスの激しい声が聞こえてきそうだった。
僕はそっと、新聞を閉じた。
彼の未来に幸運があることを祈って。
僕とシリュウを見て、マルトロスが言った。
「お陰様で助かった」
あっけらかんとそう言って、彼は僕が持ってきた果物を早速、皮もむかずに食べ始めた。
「心配したのが馬鹿みたいだ」
僕が思わずそういうと、隣でシリュウが一回、深く頷いた。
「そんなことより」マルトロスが起こしていた上体をこちらへ傾ける。
「あの悪魔の首はいくらになった?」
「あー……」
返事をしないわけにはいかない。
「あれは、あの場に捨ててきた。荷物になるから」
「……ちょっと。すぐには理解できないんだが、どういう意味かな」
受け入れ難いらしい。
「マルトロスを連れて帰る邪魔になるから、捨ててきたんだ」
「……馬鹿な」
マルトロスの顔が真っ青になり、そしてすぐに赤く染まる。分かりやすい奴なのだ。
「あれは相当な額だったはずだ。それを、捨てた? 嘘だろう? 俺を騙しているのか?」
「本当に捨てたんだ」
僕はそう言う以外に言いようがなくて、少し困った。
それを察したらしいシリュウが進み出てくれた。
「お前の命を助けたんだ。あの程度の首なんか、無視しておけ。ああいう悪魔とやりあうことも、今後、あるだろうしな。まぁ、あの悪魔は俺が倒したようなもんだ」
その一言でマルトロスの意識は、誰が中級悪魔を倒したか、の議論になだれ込んだようだった。シリュウと二人で激論を交わし、看護師が駆けつける騒ぎになった。
看護師をやんわりと引き取らせて、僕は宣言した。
「シリュウがマルトロスを助けたこと、マルトロスがシリュウを守ったこと、シリュウが中級悪魔の首を捨てたこと、マルトロスの命を救ったこと、その辺を加味して、貸借りなしだ。そうしよう」
二人は納得いかないようだったが、最後には渋々という感じで頷いた。
「例のユニットはどうなった?」
マルトロスの質問は、内容の割に軽い口調だ。
「僕たちは生き残りには一人しか会っていない。何人かな、生きていると思うけど」
そうか、と言ったきり、マルトロスは黙った。
「よくあることさ」
シリュウがそういうと、マルトロスは顔を歪めた。
「大した奴らじゃないのは知っていた。未熟で、いい加減で、危うかった。俺はたまたま連中に会って、護衛として自分を売り込み、浮かれていた連中はそれを受けた。でも、俺は護衛の役目を果たせなかった」
「それもよくあること」
淡々と、シリュウが応じた。そのシリュウをマルトロスが見上げる。
「そんな言葉で、納得できるか?」
「どんな言葉なら、納得出来る?」
シリュウの視線は氷のようだった。
「どんな言葉で自分を正当化できる? どういう表現を使えば、本当に自分を責めることができる? もうお前を責める奴らはほとんどいない。みんな死んでいる。その死んだ連中が、お前を責めるか? 生き方を説教するか? しないだろうな」
マルトロスの襟を、シリュウが掴んだ。
「無駄なことをするな。前を見ろ」
強い口調、重く響く口調だった。
視線を逸らしたマルトロスが、項垂れた。シリュウも襟を解放した。
「回復したら、一度だけ、手合わせしてやる」
マルトロスは視線を、寝台の脇に立てかけられている彼の剣に向けた。
僕たちは短い挨拶の後、病室を出た。
もうシリュウはマルトロスを見舞う気は無いらしく、剣の稽古を繰り返していた。使っている剣は、ドザが渡してきた剣で、もしかしたら、新しい剣を体に馴染ませようとしているのかも、と僕は思った。
ただ、それだけでは無いと思わせる、強い緊張感がその稽古には見えた。
周囲をたまに兵士や傭兵、様々な人が見学していく。拍手するもの、口笛を吹くものもいる。そんな観客を、シリュウは一顧だにせず、稽古を続けている。
僕は頻繁にマルトロスの様子を見に行って、彼が回復しているのを目の当たりにした。
法印士が一日に二度、様子を見に来る。劇的な回復と言えた。
治療室を出て、病室で三日を過ごし、怪我は全て癒えたようだった。
「よお、アルス」
砦の食堂にいる僕のところへ、マルトロスが一人でやってきた。すでに入院着は着ておらず、前と同じ軽鎧姿だ。背中に剣を背負っている。
今すぐにも黒の領域へ戻れそうだった。
「アルスには悪いことをした、シリュウを引き止めたせいで、お前もここから帰れなかっただろう?」
「そんなことないよ。気にしないでいい」
マルトロスが僕の向かいの席に腰を下ろした。そして料理を注文する。
「シリュウさんはどうしている?」
「シリュウ? 剣術の稽古を熱心にやっている」
「俺を助けるために、剣を折ったよな。悪いことをした」
僕は首を振って答えた。
「気にしないでいいよ。代わりの剣もあるわけだし」
料理が運ばれてきて、マルトロスは無言で食べ始めた。どうやら、入院食が相当、不満だったようだ。休む間もなく、口へ運んでいる。清々しい食べっぷりだった。
最後にケーキとコーヒーを注文したので、僕も緑茶を注文した。
お茶がテーブルにやってきて、やっと落ち着いた雰囲気になった。
「二人は、リーンが活動拠点だったよな?」
「そうだよ。マルトロスは、どこだっけ?」
「一応、トラスということになっている」
トラス。行ったことはないが、場所は知っている。
「家族がいる、とも思えないね」
「一人さ。安い部屋を借りている。ほとんどはそこにはいない。なんで、そんなことを聞く?」
僕は思わず頭をかいた。
「また会えるか、考えていた」
「アルスも、変な奴だな」
それがマルトロスの返事だった。僕はもう何も言わずにお茶を飲み、彼はケーキをつつきながら、コーヒーを楽しんでいる。
どうして、マルトロスのことを尋ねたんだろう。考えても、スッキリする言葉は浮かんでこなかった。考え続けても難しい。
席を立って僕たちは食堂を出た。
「すぐにシリュウと手合わせする?」
「待たせすぎたような気がしている。これから行くさ」
「体調は万全? あと何日かなら、待てるよ」
返事はなく、ただ、強気な笑みが返ってきた。
僕と支流が部屋を借りている宿泊施設の前には、今日も人が数人、集まっていた。その真ん中で、シリュウが剣の型を繰り返している。
「通してくれ」構わず、マルトロスが割り込んでいく。「これからメインイベントだ」
シリュウも僕たちに気づいて、動きを止めた。
「回復したか」
シリュウの簡潔な言葉に、マルトロスは頷く。
「お蔭さんで。すぐやれるかい?」
「待ってな」
シリュウは建物に戻り、服を着替えて出てきた。鎧はつけていない。
「防具がないと危ないぜ。手加減するつもりはない」
そんなマルトロスの言葉に、シリュウは肩をすくめるのみ。構わないらしい。
僕はそっと距離を置いた。周囲の観客もある。
まずマルトロスが剣を抜いた。頑丈そうな剣だ。
シリュウも背中に背負っていた剣をゆっくりと抜く。こちらは長いが細身で、鋭さが感じられた。
二人は距離を置いて、向かい合い、間合いを計っている。
二人の足がジリジリと地面をこすり、二人が立っている位置が変わる。僕は太陽の位置を考えた。正面から日差しを受けるのは不利だろう。
パッとマルトロスが踏み込んだ。シリュウの剣の突きが同時に繰り出された。
素早く二人が距離を取る。
「手加減は不要だ、本気で来い!」
叫んだのはマルトロスだった。シリュウは黙って、動かない。
「倒しに来い! さあ!」
まだマルトロスが叫ぶが、シリュウは無視する。
機を狙っているのは明らかだ。
焦ったのはマルトロスの方だったらしい。深く踏み込み剣を振るう。
シリュウがそれを背を逸らして躱し、絶妙なタイミングで剣を振った。
火花と、甲高い音。何かが落ちる。マルトロスの軽鎧の一部。
それが地面に落ちる前に、シリュウの逆襲。マルトロスは後退し、回り込むように凌ぐ。
どうにかシリュウの側面を攻撃する形を作ったマルトロスが、わずかにシリュウが身を引いた間に、もう一度、距離を取る。
マルトロスの鎧はボロボロだった。無数の斬撃の残滓が刻まれている。
一方のシリュウは無傷だった。
さすがのマルトロスも、声を発することができない。
僕も、できなかった。僕は話すどころか見ていることしかできない。
それほどの圧迫感を、シリュウが発していた。
次で決める気だな、とはっきりわかった。マルトロスもわかっているはず。だから、お互いに全力でぶつかっていく。
シリュウから、踏み込み。気配を消した、滑るような歩法。
「ヌウゥァ!」
マルトロスが吠える。
シリュウの剣を受けることを放棄、先に自分の剣を当てることにしたのがわかった。
相打ち、という言葉が僕の頭に浮かんだ。
しかし肉が切断される湿った音ではなく、甲高い音が起こった。
シリュウの剣は、マルトロスの剣を受け止めていた。
無謀だ。
僕は、マルトロスの豪腕を知っている。マルトロスの本気の一撃の重さは、尋常ではない。
姿勢を全く乱さないシリュウの足が地面を削り、滑る。
体が横にずれるが、それでもシリュウは姿勢を保った。
抜群のバランス感覚。そして、力加減。
「ルウゥア!」
シリュウの手が捻られ、マルトロスの剣を巻き込む動き。
澄んだ音と共にマルトロスの剣が宙に舞った。その剣が落ちてくるところをシリュウが掴んだ。
「さすがに、見ていたか。手首を飛ばすつもりだったが」
感心したような顔のシリュウの前で、マルトロスは手を振っている。
「中級悪魔の手首を落とした技だ。まさか、やってくるとは思わなかったけど、対処できた」
「それが才能さ」
ぽんとシリュウはマルトロスに剣を返した。
「これで満足しただろう?」
「はい」
剣を掴み、鞘に戻してマルトロスは一礼した。
「大変、勉強になりました。ありがとうございました」
「命を大事にしろ」
シリュウも剣を鞘に戻す。そして宿泊施設の方へ歩いて行った。
観客がやっと会話を始め、散りだした。僕はマルトロスに歩み寄る。
「僕たちは明日にでもリーンに戻るよ。マルトロスは?」
「俺も明日の朝、一旦、戻る。装備を整えて、仕事を紹介してもらう」
「じゃあ、これでお別れだな」
僕たちは軽く握手をして、別れた。
部屋に戻るとシリュウは寝台に横になって、眠っている。僕は眠りを邪魔しないように荷物を整理し、帰り支度をした。
翌朝、僕とシリュウは馬を借りて、ハマナス砦を出た。マルトロスとは、やはり顔を合わさなかった。シリュウもそのことについては、何も言わない。
二人でゆっくりと街道を進む。時々、連合軍や傭兵部隊の輸送馬車がとすれ違う。
「とんでもない訓練だった」
小休止の時、ポツンと生えている木陰に腰を下ろして、僕は言った。
「しかし勉強にはなった」
シリュウは馬を撫でている。
「色々なことがあった。楽しかった、とは一概に言えないけど、それでも、つまらなくはなかったな」
「そう思えるのも、生きているからだぞ」
どうやら僕が死にかけたことを言っているらしい。
「シリュウとシェリーには感謝しているよ。命の恩人だ」
返事はなかった。
夜は野宿をして、翌日の夕方、リーンの街に到着した。
「なんとも、懐かしいものだな、この街も」
「だいぶ留守にしたしね」
二人で借りている部屋へ向かって、装備を全部、外した。風呂屋へ行って汗を流し、それから軽食屋へ向かった。
「どういうわけか、ここの飯は美味いな」
シリュウがそんなことを言う。
僕たちは今後のついて打ち合わせをして、手持ちの財産からすると、早めに仕事を受けた方がいい、ということになった。
軽食屋を出て、街を歩く。
老人が立て看板の横に座り込んでいた。浮浪者に見える。その看板には、
私の息子も孫も、悪魔に殺されました。助けてください。
と、書いてあった。
そこを通り過ぎてから少しして、シリュウがぼそっとつぶやく。
「シェリーの両親のことを聞かなかった」
言われてみれば、僕はシェリーと色々なやり取りをしたけど、彼女は僕の家族のことも聞かないし、自分の家族のことも口にしなかった。
今でも、両親か、兄弟か姉妹が、生きているのだろうか。
でもその話をしないということが、答えにもなっている気がした。
つまり、彼女は一人でいることを選んだのだ。
あの洞窟で、孤独に、生きる。
契約者になったことで、彼女は声と同時に、仲間というものも失ったのだろう。
僕は持ち歩いている小さなポーチから地図を取り出した。
その地図には、シェリーが指差した、あの洞窟の位置が、印を付けられている。
この地図があれば、僕はまた彼女に会いに行けるだろう。
その時は何か、彼女が喜ぶものを持って行ってあげたい。
何が一番、嬉しいだろう。
そんなことを考えながら、僕はシリュウの少し後ろを歩いていた。
それから数週間が過ぎたある日、僕はとある場所で新聞を読んでいた。
その新聞には、小さな記事だけど、こんな記事があった。
トラスの青年剣士、中級悪魔を両断。
そんな見出しだった。読み進めると、それはマルトロスが中級悪魔を一人で討ち取った、という内容だった。
僕は思わず笑っていた。近くにいたシリュウが不思議そうにこちらを見る。僕は彼に新聞を手渡した。
ほう、とシリュウが声を漏らす。
「意外にやるもんだな。やはりいい腕をしているということだ」
新聞が戻ってくる。もう一度、文面を見た。
その文字からあのマルトロスの激しい声が聞こえてきそうだった。
僕はそっと、新聞を閉じた。
彼の未来に幸運があることを祈って。
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