出会った英雄と僕 〜眠れる獅子が目覚めたら〜

和泉茉樹

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第四章 即席師弟編

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 馬は高価だけど、それは気にしていられない。
 僕とシリュウがそれぞれ、手持ちの資金で手に入る限りの良馬を一頭ずつ買い、その日にはリーンを離れていた。
 二人で馬が潰れてもおかしくない速度で移動し続け、それでも潰すわけにもいかず、休みを挟んで、全速で移動した。
 トウコが訪れていた砦、バンズ砦には翌朝に到着。馬を休ませている間に、僕とシリュウは少しだけ休んだ。それでも余裕はない。
 ここで傭兵の基地の情報も入った。今、傭兵の増援部隊が向かっていて、出発は三日前だった。すでに到着していてもおかしくない。
 それでも僕とシリュウはバンズ砦を出て、黒の領域へ飛び込んだ。
 駆けに駆け、半日が過ぎようとしていた。
 そろそろ、見えてくるはずだ、と思った時、かすかに何かが焼ける匂いが漂ってきた。
 緊張感が高まる。そして、焦燥も意識した。落ち着かないといけない。
 シリュウを見ると、彼は表情に何も浮かべず、馬を御していた。
 匂いはいよいよ強くなり、その時には連合軍が整備した道路を外れ、かろうじて木が伐採された帯のような道になった。
 そして基地が見えた。
 悪魔と人間が混戦の様相を展開していた。僕とシリュウはそこに突っ込む、馬上でシリュウは剣を抜いていた。僕も右手に業火を呼び出し、悪魔に叩きつける。
 人と悪魔の中を駆けている間に、状況は読み取れた。
 悪魔の攻勢を、人間が挟撃しているようだ。つまり、悪魔は基地を包囲していたようだが、そこに人間の増援部隊が到着し、逆に押し包んだ。そこで基地の生き残りも攻勢に出て、挟撃態勢になった。
 しかし、激戦である。僕も滅多に見たことのない数の、悪魔の軍勢だった。
 シリュウが僕を離れていく。向かう先を見ると、魔獣に乗っている悪魔がいた。鎧が立派で、中級悪魔のようだ。指揮官だろう。そこを落とせば、悪魔の統率は乱れる。傭兵たちも狙っているが、うまくは進んでいない。
 シリュウにそちらを任せ、僕は馬を進め、基地の門にたどり着いた。ボロボロの塀はかろうじて機能し、門も閉ざされている。
 ここでは門を守るしかない。僕の能力は中級悪魔との一騎打ちには向いていないが、多数の下級悪魔を相手にするのには適している。
 制御できる限りの業火が右手により展開され、下級悪魔を焼き払う。門の前に空間ができる。しかしすぐに悪魔が押し寄せてくる。
 何度も何度も、業火が迸り、門の前に消し炭、そして火の粉を発する悪魔の死骸が重なる。
 遠くで鉦が打ち鳴らされた。戦場で怒号のような声が巻き起こる。
 傭兵部隊が徐々に隊列を取り戻していく。基地を守るような配置に移動し、固まる。悪魔たちは逆に集団では動いていない。
 シリュウの乗った馬が駆けてくる。その手の剣が掲げられ、その切っ先に悪魔の首が刺さっていた。
 中級悪魔を、討ち取ったのだ。
 シリュウが雄叫びをあげる。それに合わせるように、傭兵部隊の兵士たちが声をあげた。
 悪魔たちが逃げ始める。それを傭兵たちは追い打ちをかけず、見守る。すでに少なくない犠牲を出したし、ここで追い打ちをかけても、意味はない。
 負けつつあったのが、どうにか、痛み分けになった形だ。
 シリュウが傭兵部隊に近づくと、彼がまた声を上げた。今度は鬨の声と呼べるものだった。
 傭兵部隊の幹部だろう数人がシリュウに歩み寄り、何か話している。僕は背後を振り返った。門が開き始めた。
 僕たちの目的は別だ。
 基地の中に一番に入った僕を、基地に残っていた負傷兵の男が出迎えた。僕の姿を見て、目に涙を浮かべて、何か喚いていた。
 それを理解するどころではない。僕は逆に彼に掴みかかるようにして、芸人一座のことを尋ねた。
 負傷兵は呆気にとられた顔になり、巻き込まれた、という趣旨のことを言った。それはわかっている。さらに質問、詰問すると、詳細はわからないという返事だった。
 僕は負傷者の集められている場所を聞いて、その場を離れた。
 不思議と、迷うことなく、そこにたどり着いた。
 元は食堂か何かだった広い部屋に、大勢が寝かされていた。軍医と看護師以外、傷を負っていないものはいない。全部で百人を超えている。
 僕は彼らの間を歩いた。一人一人、顔を確認する。
 そして、トウコを見つけた。
 最初、トウコがここにいなければいいと思っていた自分を意識して、次に、死んでいなくてよかった、という思いが湧いた。
 彼女の横に跪いて、その顔を覗き込んだ。眠っているが、うなされている。
 左腕に包帯が巻かれているが、真っ赤に染まって、ほとんど黒ずんでいるようにも見えた。治療が万全ではない。でも、この部屋で万全の治療を受けているものは、いないだろう。
 どれだけの時間、そうしていたのか、気づくとシリュウがすぐ横にいた。
「腕を落とすしかない」
 何を言っているのか、わからなかった。シリュウをじっと見たけど、彼は僕を見なかった。
「この腕では、いずれ身体中に毒が回ることになる。切断する」
 腕を、落とす?
 トウコの腕を?
 シリュウが立ち上がり、医者の方へ行くのを僕はじっと見ていた。
 腕を落とすだって?
 トウコの顔を見た。まだ意識は戻っていない。汗まみれになって、そこに横になっている。
 結局、僕はその場で全てを見ていた。医者がやってきて、シリュウの指示に従って、トウコの左腕を肘のあたりで切断した。その間もトウコはずっと意識を失っていた。
 刃が皮膚に、そして肉に食い込んだ時、わずかに体を震わせたのが、よくわかった。
 医者は断面に処置を施し、そして薬湯を飲ませた。トウコは先程より、苦しそうに見えた。
 その日も、翌日も、僕はトウコのそばにいた。看護師が定期的に薬湯を飲ませに来る。それ以外は、静かだった。ただ、周囲で負傷者が呻き、叫ぶ。
     その中でトウコだけが、何も言わない。
 ずっと眠っている。
「休め」
 やっぱりいつの間にか、シリュウが横にいた。僕に液体の入った器を差し出している。
 僕はそれを受け取って、飲んだ。
「美味いか?」
「美味い」
 正直、味はわからなかった。まるで麻痺したように、味も匂いも、感じなかった。何かが喉を流れた、とだけ感じた。そんな僕に気づいたようで、シリュウは顔をしかめる。
「この基地は放棄されることが正式に決まったそうだ。負傷者を護送する部隊が、もうこっちに向かっている」
「負傷した傭兵たちはどうなる?」不思議と口が動いた。「それぞれに家族のところに行くか、そうでなければ、傭兵団で保護すると思うけど、トウコはどうする?」
「民間人として扱われる。少数だが、そういう負傷者もいる」
「民間人? それはそうだけど、でも、トウコは行き場がない。そこは、どうなるんだ?」
 シリュウが僕の肩を叩いた。
「それはお前が考えることじゃない。傭兵団が保障する」
「トウコの未来も? 生活も? それはいつまで?」
 僕の問いかけに、シリュウは何も言わなかった。無言で、こちらを見ていた。
 その日はそのまま、シリュウはどこかへ行ってしまった。僕はトウコを見て、夜を明かした。
 その翌日には護送部隊が到着し、負傷者が運び出された。トウコはまだ目覚めておらず、腕の切断のこともあり、可能な限りこの場で休ませることになった、と医者が僕に報告した。
「また、目覚めますか?」
 医者が険しい顔を僕を見返した。
「やれることはやったつもりです。あとは、気力としか、言えません。申し訳ないです」
 気力、か。
 僕の脳裏には、シリュウと向かい合うトウコの姿が浮かんだ。
 彼女の気力は、目を瞠るものがある。
 なら、大丈夫だ。大丈夫なはずだ。
 護送の前日、夜中にトウコが小さな声を発した。僕はやっぱり彼女の隣にいた。
 声というより、吐息だった。彼女の瞼がゆっくりと持ち上がる。そしてその瞳の焦点が僕にあった。
 口が動くけど、声は出ない。僕も、何も言えなかった。
 彼女の口が少しだけ動いて、閉じられた。瞼ももう降りている。
 僕はただ彼女の様子を見ていた。
 護送されていくトウコに従うように、僕は馬を走らせた。シリュウは傭兵部隊の幹部と打ち合わせがあると言って、すでに基地を離れていた。バンズ砦で待っているはずだ。
 砦には夕方に到着し、負傷者たちも一度、降ろされた。
「ちょっと飯を食おう。それくらいできるだろう」
 待ち構えていたシリュウが僕をそう言って引っ張っていった。抵抗したいけどシリュウはやたら強い力で僕を引っ張った。
 砦の中庭にベンチがあり、そこで僕とシリュウは並んで座った。
 手渡されたサンドイッチを僕はじっと見ていた。食欲は、なかなか、湧いてこない。シリュウはこちらを気にせず、食べ始めた。
「傭兵たちと話をして、決めたことがある」
 自然な口調でシリュウが話した。
「トウコを、リーンで引き取る。病院の都合もできている」
 やっと僕は、シリュウを見ることができた。
「リーンに」
「そうだ。そうしたいんだろう? 違うか?」
 僕は何も言えなかった。
 ただ、涙が出た。
 シリュウが強く僕の肩を叩いた。
「泣くな。この阿呆め」
 涙がなかなか止まらなくて、僕は服の袖でそれを拭った。
「生きているんだ。全てが失われたわけじゃない」
 言い聞かせるようにそう言った後、シリュウはリーンでの計画を僕に話した。リーンで一番大きい病院に病室は確保されている、医者も予約済みで、医薬品も手配されている、と話しは続いた。万全である。
 その話を聞いて、僕は自分が情けなく感じた。
 僕がトウコのそばにいる間、何ができただろう。その間にシリュウは方々へ働きかけて、トウコのために実際に動いていた。
 僕とは、比べ物にならないほど、シリュウはトウコのために努力した。
「何もできなくてすまんな、これが精一杯だ」
 シリュウはその言葉で、話を締めくくった。
「シリュウは、すごいよ」僕は声が震えていた。「僕は何もしていない」
 鼻で笑ったシリュウが、
「俺にはお前のようなことはできん、怖くてな」
 と、呟いた。
 その意味は、よくわからない。
 不意に、僕とシリュウは、それぞれに補い合えるものがある、ということが浮かんだけど、すぐにその考えは霧散した。
 僕は、シリュウに頼りきりなんだろう、きっと。
 僕はサンドイッチをやっと、口に運んだ。

 リーンの街に戻って、トウコは病院に入り、その半月後、目を覚ました。
 最初こそぼんやりしていたが、徐々にはっきりと意識が戻り、腕を失ったことを理解して、涙を流した。痛みもあるようだけど、それはどうしようもない。
 これは遅れて気づいたことだけど、シリュウは病院その他の手配をする時、前払いとして相応の額を支払っていた。
 これは僕とシリュウの手持ちでは補いきれない額で、不足分をメリッサが立て替えてくれたという。
 その話を僕はメリッサから聞いた。そして彼女は、返して欲しいとは思わないし、返すとしてもずっと後でいい、と言っていた。
 目を覚ましてからさらに一ヶ月で、トウコは動けるようになった。法印士を何度も呼んで、治癒は迅速に進められた。
 事件から三ヶ月ほどで、トウコは病院を退院した。
 僕とシリュウはそのことをメリッサからの手紙で知った。一ヶ月ほどかかる仕事を受けて、リーンを離れていたのだ。手紙は帰る途中の砦で受け取った。
「やっとか」しみじみとシリュウが言う。「長かったな」
「でも、まだこれからだよ」
 僕はそう応じて、手紙を閉じた。
 トウコの医療費を払うために、僕たちは今回の仕事を受けた。もちろん、全額は払えない。そしてリーンを長く留守にすることにも抵抗があった。
 後押ししてくれたのは、メリッサだった。彼女がトウコについていてくれるというので、この仕事をすることができた。
 僕たちは四日の移動で、リーンに戻った。部屋に戻り、身支度を整える。風呂屋に行きたかったけど、時間を惜しんで、集合住宅の裏で水を浴びた。
 そしてメリッサの家族が経営する軽食屋へ向かう。
 久しぶりに会えると思うと、心が弾んだ。シリュウの方を見ると彼もどこか嬉しそうだ。
 軽食屋のドアを開ける。
「いらっしゃいませ」
 給仕の服をした女の子が振り返る。
 その服の左袖が、ひらりと舞った。
 驚いた顔の彼女が、少し照れるように笑みを見せた。
 僕の心に、安堵が浮かんだ。
 少し、視界の像が、じんわりと滲んだ。


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