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第九章 人間奮戦激闘編

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 三者の協議に僕はほとんど意見を口にしなかった。
 何せ悪魔は負けている側なのだ。交渉の場で、一番の力があるのは連合軍の代表である。同盟軍も漁夫の利を狙っているのは間違いない。
 交渉は連合軍に対して、同盟軍と悪魔軍が当たる、という構図になった。
 悪魔側としては奪われた領地の返還を求める主張は展開しなかった。とりあえずの目的は停戦であり、休戦になる。
 議論の焦点は、連合軍と同盟軍、その両者が悪魔から奪った土地をどれほど支配下に置くか、である。
 これは実に奇妙な理屈だと僕にもわかった。
 同盟軍は戦いらしい戦いをせず、ただこの場に現れただけで、領地を増やそうというのだ。
 どうやら同盟軍もここに進軍するまでに悪魔の領地を切り取ってきたようだけど、連合軍の侵略とは度合いが違う。
 同盟軍の主張の余地としては、連合軍は同盟軍と協調しない限り、悪魔軍と同盟軍の二方面から攻撃に晒されるだろう、ということになる。
 稚拙と言っても通りそうな理屈だけれど、同盟軍がそれを無視できないのは、この場が同盟軍による橋渡しで成立した、という事実だろう。
 この同盟軍と悪魔軍の協調、という可能性が、全くの空論、ありもしない妄想と思えない理由が、そこにある。
 実際に、同盟軍と悪魔軍の協調が、かすかに窺えるのが現状なのだ。
 連合軍としては、悪魔軍がまさか同盟軍を助けるわけがないし、逆に同盟軍が悪魔軍を受け入れるわけがない、という考えがあるはずだ。もちろん、大半の人間、ほとんどの人間が、人間と悪魔の共同歩調など、想像もしていない。
 その前提が揺らいでいるわけだ。
 だから僕は可能な限り、黙っていた。
 連合軍に対しては、疑心暗鬼にさせておくしかない。僕が何かを言って彼らを安心させたり、同盟軍を不安にさせるよりは、悪魔軍の考えが読めない上で、連合軍が勝手に悪い思い込みに支配されている方が、都合がいい。
 そして同盟軍にとっても、連合軍の疑心暗鬼は都合がいい。
 こうして交渉は同盟軍の主導に徐々に変化していき、連合軍は不安と、悪魔軍と同盟軍の不気味さを振り払えなくなっていった。
 三日ほど、議論を重ねた結果、停戦の形が輪郭をとり始め、どうやら安心してもいい状況になった。僕もこの期間、何度もレムたちと報告し合い、かつ、同盟軍の代表、時には連合軍の代表と話をした。非常に疲れる三日間だった。
 自分にこれほどの社交性があるとは、思わなかった。
 四日目になり、ついに三者会談は一つの結論に達した。
 まずは三者は停戦を決め、無期限で戦闘行動を起こさないと取り決めた。
 次に悪魔の領地の分配は、連合軍が七割を取り、同盟軍は三割を取る。これを悪魔軍は当然、奪還しようとしてはいけないし、足を踏み入れることも禁じられた。
 他にもいくつか細かな取り決めが三者の間、あるいは二者の間で取り交わされ、それぞれに書面にして、それぞれの陣営の代表としてそこに署名を入れた。
 僕たちは握手をして、それぞれの陣営に戻った。
 僕を迎えたキロはすぐにレムの元へ僕と同行し、僕の報告を詳細にその場で聞いた。
 悪魔たちの反応はそれほど大きくなく、やっと平穏が戻るのか、といった安堵が強いようだった。
 同盟軍との間では労働力として下級悪魔や中級悪魔を派遣することを前提として、試験的に運用する約束が成立したので、そのための準備が即座に始められた。
 僕がその場に行った方が話が早いと思ったけれど、それをレムは許さなかった。
「あなたの功績は評価に値しますが、何があるかは、わかりません。身辺に気をつけることです」
 僕が暗殺でもされると思っているようだ。僕はその考えを容れたけど、同盟軍からは僕は好感触を得ている自信があった。
 停戦の合意から一週間ほどで、労働部隊の第一陣が出発した。
 このままの平和が続けば、一番いいのは、僕には分かっている。
 でもこの平和は極めて不安定で、すぐに破られるだろう、と感じていた。
 僕の策には第二段階がある。これはまだ誰にも言っていなかった。
 レムにそのことを打ち明けたのは、これだけは僕の一存では決められないし、何よりも、悪魔たちにとって、危ない橋、それも超弩級の危険を孕んだ危ない橋だからだ。
「連合軍と同盟軍を攻撃する?」
 流石のレムも驚きを隠せず、立ち上がった。メムには席を外してもらっているので、僕と彼女しかいない。
「そうです。連合軍と同盟軍の補給線を攻撃します」
「あなたは……」
 声を詰まらせたレムが苦い口調で言う。
「あなたは平和を約束しておきながら、即座にそれを破ろうというのですか? あなたが成立させた、今の状態なのですよ?」
「現状は、一つの段階にすぎません。僕たちが動かなくても、連合軍が動くでしょう」
「何故ですか? 連合軍は我々から奪った土地の七割を手に入れています」
「それは不満でしょうね」
 僕が即答したので、レムは息を飲んで黙ってしまった。
「彼らは十割取れるはずが、七割しか取れていない。それも同盟軍と悪魔軍が連携する、という想定外の理由からです。彼らは想定外だったが故に、一歩、身を引きました。ですが、すぐに対処するでしょう。僕たちが同盟軍に対して、連合軍と距離を置くように計ったように、今度は連合軍が、悪魔軍と同盟軍を引き離そうとする」
 レムは言葉もない、という様子で、力なく椅子に腰を下ろした。
「僕たちが主導権を握り、展開をコントロールする必要があります」
「人間とは、卑怯な生き物ですね」
 悪魔にそう言われると、そうかもしれない、と思えた。
 でも僕はもう、その程度の言葉には動じなかった。
「食虫植物を知っていますか?」
「ええ。それが?」
「虫が食虫植物を卑怯者呼ばわりして、何になります?」
 この言葉にはレムも笑みを見せた。
「悪魔が虫のようですね」
「これは語弊がありました」
 僕は頭を下げ、顔を上げた時には真剣な表情を作った。
「卑怯でも、生き延びなければいけません」
「ええ、わかりました。あなたの考えを聞いておきます」
 僕はすでに整理がついている言葉を口にした。
「悪魔軍が今、連合軍と同盟軍に攻撃を仕掛けるのは、自殺行為です。しかし、それは相手もわかっている。だからこそ、今、彼らに攻撃を仕掛けます。密かに部隊を進ませ、まずは連合軍の補給線を攻めます。これはそれほどの打撃力は必要がありません。連合軍の怒りを煽るのが目的です。当然、悪魔軍からの攻撃と追われてはいけません、同盟軍が連合軍を攻撃している、と錯覚させます」
「そんなことが可能ですか?」
「可能にするしかありません。全ての目的は一つ、連合軍が同盟軍と衝突することです。連合軍が、同盟軍の物となった三割の土地を奪いにかかる、それが理想的な展開です」
 続けて、とレムが促す。
「連合軍が同盟軍を攻めた時、僕たちにとって、同盟軍が本当の友軍になるのです」
「わかってきました。我々が、同盟軍に味方し、連合軍と相対するのですね」
「そういうことです。実際の戦場で、同盟軍は完全に、悪魔軍と歩調を合わせることになります。それが次の段階です」
 僕が口を閉じると、レムは黙って考え始めた。
 彼女がこの策を拒絶する可能性もある。そうなったら、今の状態が長く続くことを頼りに、同盟軍とゆっくりと歩調を合わせるしかない。それはそれで、一つの道ではある。元も穏やかで、緩やかな道だ。
 でも僕が連合軍の意思だったら、そんな猶予は与えない。
 レムも連合軍の感覚、感情を理解できればいいのだけど……。
「私の独断というのは」
 やっとレムが口を開く。
「悪魔たちには異質でしょうね」
 どうやら、今回は議論をしない、と言っているようだった。僕は頷いて、
「まさか、今から議論します、と言われたらどう言えばいいか、迷っていました」
 と、冗談で言ってみた。レムも固いけれど、笑みを返してくる。
「私もあなたに毒されたようで、勝手に全体の意思を方向付けてしまうのは、我がことながら、驚きです」
「その方向づけを伺いましょう」
 レムが席を立って、壁の地図を剥がすと机の上に広げた。
「あなたの考えを受け入れます。詳細を教えてくださる?」
 僕は勇んで、地図に横に立つと指で示しつつ、連合軍の補給線を攻撃するのに最適な地点を伝え、さらに僕だけの発想と前置きして、同盟軍による行動と勘違いさせるための逃走経路も示した。
 レムは、細部はやはり他の悪魔たちと相談させて欲しい、と意見を出し、僕は一日と期限を決めた。とにかく、時間が惜しい。レムはその期限を守ると約束し、すぐに部屋を出て行った。
 一日があっという間に過ぎた。
 そしてレムは、その約束を守った。
 悪魔軍の中でも乗馬に慣れたものが選び抜かれ、彼らが以前の戦闘で連合軍から奪った馬に騎乗すると、綿密な作戦に従い、夜の森の中へ消えていった。
 彼らの至上命令は一つ。
 決して連合軍に捕まらないことである。
 悪魔が連合軍の補給線を襲ったと分かれば、すべてが終わる。
 極めて重要で、かつ、絶対的な命令だった。
 彼らはその使命を完璧に全うした。
 連合軍の補給線を攻撃して四度の夜が過ぎ、彼らは一人も欠けることなく、戻ってきた。
「もう一押し、してみたいのですが」
 僕はレムに打診してみた。レムはすぐに聞く姿勢になり、今回は同席しているメムは警戒の気配を発している。
「どうするつもりですか?」
「同盟軍の補給線も絶ってみたいのです」
 レムはもう驚かないようで、少しの思案の後、こちらに赤い瞳を向けた。
「連合軍に同盟軍を攻撃させるきっかけを作る、ということですね?」
「同盟軍の遠征軍の幹部と話した感じでは、彼らはそれほど兵站が充実していません。はっきりとは言いませんが、おそらく連合軍が動いたのに合わせて、急遽、部隊を編成したのでしょう。補給を絶てば、後退する目がある」
「それが連合軍には、攻める好機に見える、ということですか」
「連合軍からすれば、同盟軍が悪魔軍から離れるわけで、一石二鳥ですね」
 しかし、とレムは先を考えているようだ。
「同盟軍が去ってしまえば、我々は連合軍と再び、一対一で対峙するのでは?」
「その可能性はあります。ただ、事態を一気に動かすためには、まずは揺する必要があるでしょう。一度、同盟軍を遠ざけ、今度はより強い力で引きずり込む」
「これもまた、危険な賭けですね。私はここのところ、賭けばかりしているような気がします」
 まるで僕を責めるような口調だけど、まぁ、それもそうか。
「人間は賭けが好きなのです」
「何故ですか?」
「おそらく、寿命が短いからでしょう。あっという間に子供から大人になり、何かしらの失敗をして、それを老いたときに後悔する。そんな大人や老人の姿を僕たちは見て成長する。そうなると、自分もこのままでは失敗する、少しくらいはリスクを覚悟しよう、と思うかもしれない。大きな損を覚悟して、大きな利益を夢見る。人間とは自然に、そう考えるのでしょうね」
 僕も自分で言っておきながら、デタラメだと思った。
 多くの人間は、平穏を尊び、静かに生き、死んでいく。
 賭け事に没頭する人間なんて、一握りだ。
「人間が賭け事が好きだとして」レムが微笑む。「それを我々も学ぶべきですか?」
「その必要はありませんね」
 僕も笑みを見せていた。
「異なる存在がいる方が、何かと面白い」
「面白い? それは、人間のジョークか何かですか?」
「いえ、僕の直感です」
 呆れた顔になった後、レムは小さく笑うと、すぐに真剣さを取り戻した。切り替えが早いのは美徳だろう。
「あなたのその次の作戦も、議論にかけます。半日でいいでしょう」
 意外な返事に、どうやら表情が変わっていたようだ。レムが小さく頷く。
「人間のやり方を、この点は見習わさせていただきました。今ではみんな、短い時間で意見を戦わせるように意識しています」
「それには感謝しかないですね。丸一日、少しも進展しない議論を前にした時は、新手の拷問だと思いましたよ」
 それからレムとは細部を確認し、彼女が会議を開いているのを、僕は別室で待機した。
 悪魔たちは本当に半日で議論を終わりにして、結論を出した。まさか彼らがこの短時間で議論の癖や感覚を変化させたわけはないけれど、まずは形が大事だろう。やっているうちに、コツもわかるし、慣れてくる。
 結論は、僕の考えの支持だった。
 こうしてその日の夜から、同盟軍に対しても夜襲が行われ、連夜、連合軍と同盟軍の輸送部隊は、次々と炎に包まれた。そのうちに夜間の輸送は中止され、輸送部隊を襲う必要はなくなった。
 仕上げとして、兵站基地を焼き払う作戦に移り、これも防御が硬くなり、散発的な攻撃だけになった。
 そして想定通り、連合軍より先に同盟軍が音を上げた。
 同盟軍は連合軍と悪魔軍に、二千人程度の守備部隊を残して、本隊を撤退させることに決めた、と通告した。
 連合軍も悪魔軍も、同盟軍の支配している領地を侵略しないことを表明した。
 したが、それも半月程度だった。
 連合軍の部隊が同盟軍の守備隊に攻撃を仕掛け、これに守備隊はほとんどなす術もなく後退した。
 悪魔軍にとっては、これは想定のままである。
 連合軍が不審に思うのではないかと思うほど、悪魔軍の部隊が瞬く間に進出し、連合軍の先鋒を分断すると、これを包囲殲滅した。その上で同盟軍の守備部隊に加勢することを宣言し、陣地を構築し始めた。
 これに対して連合軍が対応しないわけがない。連合軍も停戦などなかったかのように、陣地を固め、部隊を整えていく。
 僕は早く同盟軍の本隊が再来することを願いつつ、連合軍と対峙する悪魔軍の中にいた。
 同盟軍がやってくるまでの十日ほどを悪魔軍は必死に支え、要は同盟軍に恩を売った。もちろん、悪魔軍が敗退すれば、何の意味もない。
 この一点に全てが懸かっている。
 それでも僕たちは危ない橋を渡りきり、来着した同盟軍の総指揮官が、恐れを禁じえないという顔で僕と面会し、
「なぜ悪魔が我々を助けるのか、想像もできない」
 と、口にした。僕は、
「悪魔にも誠意というものはあるのです」
 と、答えた。
 こうして僕が考えていた、連合軍に、同盟軍と悪魔軍が協力して当たる、という形が現実となった。
 今度こそ、本当の膠着、どちらも動けない形になったのだ。
 それは僕に時間ができたことも意味する。
 どうしても無視できないことを、やっとできる。
 シリュウを助けることが。





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