出会った英雄と僕 〜眠れる獅子が目覚めたら〜

和泉茉樹

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第十章 三者相克前進編

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 リーンの街に帰った時はさすがに懐かしさに襲われた。
 前触れもなく手が震えて、感動している自分に気づいた。
 僕が生活していた集合住宅の場所は更地になっていて、連合軍の契約者が吹っ飛ばした場所も、建物の再建が始まっていた。
 僕は教会に世話になることになり、シリュウと一緒に僧房の一室を借りた。
「あなた方はとんでもない組み合わせです」
 どこか穏やかに、リッカが僕たちに言った。
「最初のトラブルがちょっとしたことに思えますね。悪魔に味方し、連合軍と戦い、最終的には和平を結ばせる。とんでもないことです」
「全部、こいつの仕事だ」
 シリュウが僕の肩を叩く。リッカは微笑みを見せた。
 そのシリュウは何かを考えているようで、僧房を出ても、リーン中央教会の礼拝堂にある椅子に座っていることが多い。
 彼は大抵、片方の目を眼帯で隠していた。赤くなった方の瞳だ。
 時折、メリッサとトウコが訪ねてくる。二人とも礼拝堂で話をした。
「素敵な音色ね」
 メリッサが言うと、トウコも頷いた。
 大抵はハルカか、彼女が教えている少年少女がオルガンかピアノを弾いている。たまにヴァイオリンのこともある。
 その日はオルガンだった。
「考え事をするには最高だよ」
 そんなことをシリュウが言ったので、三人で小さく笑った。シリュウはムッとしたようだった。
 僕は一人でメリッサの店に行き、食べ物を買って僧房に持ち帰った。シリュウは前ほどではないが、メリッサの家族がやっている軽食屋の食べ物はよく食べる。
 逆に、教会の食堂で出る物にはそれほど手をつけない。
「どこか具合でも悪いの?」
「どうかな」
 そんな返事だった。
 僕にも考えることは多かった。
 僕自身が契約者になっていて、人間に囲まれて生きていくのに、どこか不自然さを感じていた。シリュウも契約者にされていて、彼に関してはただの契約者ではなく、死亡確実の重傷が治癒した場面さえあった。
 そんな僕たちは、どこへ行けば良いのか。
 リーンに戻って半月ほどが経った頃、シリュウが急に言った。
「俺をもう一度、教会の地下に封印してほしい」
 僕は冷静にそれを受け入れることができた。
「一応、聞いておくけど、理由は?」
「俺の存在は、無駄な混乱を生むだろう。連合が契約者に関する研究を切り上げるわけがない。俺もその中に巻き込まれるだろう。それに、俺は今、あまりに重要な存在すぎる」
 そうか、と僕は応じた。それにシリュウが眉を持ち上げる。
「なんだ、予測していたのか?」
「まぁ、そうだね。考えていた」
「どういう考えだ?」
 身を乗り出したシリュウに、僕は苦笑いした。
「シリュウを人間に戻す研究、そんなことをしようかな、と思っていた。そんな方法があるかはわからないし、あるとしてもそこにたどり着くまで、長い時間がかかる。だから、シリュウにはしばらく眠っていてもらうのが、最適かな、と」
「なんだ、そんなことか」
「僕には重要なことだよ」
 そうかい、とシリュウは頷いた。
 リッカに話をしたのは、その翌日で、僕たち二人でリッカを説得した。リッカの反応は素早かった。
 教会の地下を改装することになる。地下といっても、縦穴の下である。その空間に通じる通路を全て塞ぐことになった。
 翌日から教会にいる神父たちと、僕、シリュウがその作業を始めた。
 できるならどこかに依頼したかったけど、下手に情報が漏れるのは好ましくない。
 そんなわけで、地下の階層には一ヶ月がかかった。
 この間に聖都から封印術に詳しい専門家が呼ばれた。初老の男で、学者のような風貌である。
「ふむ」
 彼は完成した地下空間を確認した。
「悪くないな。最初に誰が作ったのか、調べてみたいな」
 それはまたにしてくださいね、とリッカが苦笑いする。
 シリュウが封印される前日、僕たちは久しぶりに実際にメリッサの軽食屋へ向かった。
「あら、珍しい」
 彼女はそう言って、僕たちをテーブルに導いた。トウコもやってくる。
「師匠、あの……」
 彼女は何か言おうとし、しかし、口を噤んだ。
「トウコ」シリュウが笑みを見せる。「鍛錬を怠るな」
 頷いたトウコが、離れていく。
 メリッサがそのうちに料理を運んできた。珍しく酒もある。二人でグラスを当てた。
「目覚めた時にどんな世界になっているか、不安だよ」
 弱音のようなことをシリュウが言ったので、僕は驚いた。
「本気で言っている?」
「本気だよ」
 そうか、と僕は頷いて、
「悪くない世界になるように、努力するよ」
 と、答えた。シリュウが胡乱な顔になる。
「お前一人で、世界が変わるか?」
「もちろん、一人じゃ無駄だね。でも、仲間を増やせば、どうにかなるさ」
「デカイことを言う奴だ」
 相好を崩して、シリュウが酒を煽った。そのままガツガツと料理に挑む。
 この日のことを、僕は忘れないだろう。
 翌朝、シリュウと僕は、リッカと、聖都から来た男と共に、地下に降りた。
 シリュウが壁際に寄りかかる。その彼の体に鎖が巻かれた。そして僕が以前、回収したままになっていた錠が、きつく鎖を締め付けた。
「これで準備はできた」
 こちらを封印を行う男が振り返ったので、僕はシリュウに歩み寄った。リッカもだ。
「次に目覚める時は、私はもういないでしょうね」
 リッカがそう言うとシリュウがニヤニヤ笑う。
「なら、リッカも一緒に封印されるか?」
「私はそういう興味はありません。シリュウ、次にあなたが生きる時代に、あなたの友、あなたの味方が多いことを、祈ります」
「ありがとよ」
 祈り始めたリッカから視線を移し、シリュウがこちらを見る。
「世話になったな、アルス」
「うん」
 それ以上、言葉が出なかった。目元を袖で拭う。
「シリュウ……」絞り出すように、僕は言った。「また会おう」
「そうだな。未来で待っているよ」
 僕はもう一度、目元を拭った。
 やってください、と男に頼むと。男は錠に触れながら何かを呟き始めた。すると、錠が、そして鎖がほのかに光を放ち始める。
 シリュウの体から、徐々に力が抜けていく。
「ありがとう、アルス」
 どうにか顔を上げていたシリュウがそう言って、がくりと首を下げた。
「終わりました」
 こちらを男が見て、シリュウから離れた。
 僕は改めて、シリュウを見た。
 八英雄の一人。
 そして、僕の無二の相棒。
 僕はしばらく、眠り始めたシリュウを眺めた。もう、彼はこちらを見ない。
 次に彼が目覚めるのは、いつになるだろう。
 僕はその時、生きているのか。
 生きていたい。
 リッカに促されて、地上に戻った。縦穴もこれから隠されることになっている。
 僧房を片付けて、僕はメリッサの店に向かった。時間は昼過ぎだ。店に入るとメリッサもトウコも働いていた。
「ちょっと良いかな」
 僕はメリッサを呼び止めた。
「ごめん」拝む仕草をするメリッサ。「ちょっと今、忙しくて」
 仕方なく、料理を注文し、一人で食事をした。気づくと、料理が皿から消えていた。味も何も、覚えていなかった。
 昼の営業時間が終わり、僕以外の客がほとんどいなくなってから、メリッサがやってきた。
「ごめん、それで何か、話?」
 うん、と僕は頷いて、心を定めた。
「僕は、この街を出て行く」
「出て行く? 仕事ってこと? 長いの?」
「仕事じゃないんだ」
 メリッサが首を傾げる。
「仕事じゃないって、引っ越すの?」
「黒の領域に行く」
「やっぱり仕事じゃないの」
 僕は首を横に振った。
「仕事じゃない。黒の領域で、生きていく」
 何を言っているのか、メリッサには想像もできないようだった。
「僕は悪魔と一緒に、生きる。やることがあるんだ」
「何、その、やりたいことって」
「シリュウを助ける。彼を人間に戻す」
 それから僕は、メリッサにかいつまんでシリュウの事情と僕の事情を話した。僕が契約者だとも伝えた。メリッサの中の驚きは、早い段階で引いていった。
「でも」メリッサが顔をしかめる。「あなたは人間でしょう? 聖都でもどこでも言って、そこで勉強すればいい」
「シリュウの件の他に、もう一つ、やりたいことがある」
 呆れた顔でメリッサが話を促す。
「悪魔と人間を融和させる」
「……そういう冗談?」
「いや、本気だ。三者停戦協定をより長く、続くようにしたい」
 もうメリッサは何も言わなかった。
「ごめん、メリッサ。僕は、身勝手だと思う」
 いいわよ、とメリッサは応じた。
「じゃあ、もう会えないのかもしれないのね?」
「出発は明後日だよ。また来てもいいかな」
「……もう、来ないで」
 彼女は顔を俯かせた。
 やはり、僕の行動は、彼女に悲しみしか生まないらしい。
 わかっていた。わかっていたけど、黙っていることはできなかった。
「ごめん、メリッサ」
 僕は席を立った。
「今まで、ありがとう」
 背中を向けた僕に、恨みごとがぶつけられるかと思ったけど、メリッサの声はなかった。
 店を出て、ほとんど荷物のない僧房に戻る。
 翌日は旅の準備をして日が暮れた。そして出発の日の朝が来た。
「幸運を」
 リッカは簡潔に僕を送り出した。
 リーンの街から黒の領域へ向かう馬車の停車場に向かう。
「アルス!」
 突然の声に振り向くと、こちらに走ってくる人がいる。
 メリッサだった。
 彼女はぶつかるように僕に抱きつくと、間近にこちらを見上げた。
「こちらから」彼女がいう。「会いに行ってもいい?」
「黒の領域だよ」
「悪魔と人間が親しくなれば、なんでもないでしょ?」
 それはそうだけど……。
「だからアルス、早くあなたの夢を現実にしてね」
「うん」
 僕は頷いた。
「頑張るよ」
 メリッサが一歩離れてから、すっと近づいて唇に唇を触れさせ、また離れた。
「じゃあね」
「じゃあ」
 僕は軽く手を掲げて、彼女に背中を向けた。
 契約した馬車に乗り込む。少しして、馬車が動き始めた。
 そっと外を伺うと、リーンの街がゆっくりと流れていく。そのうちに荒野になり、そして森林の中へ進んでいく。
 僕は、新しい世界に踏み込もうとしている。
 誰もいない、まっさらな道。
 何があるかはわからない。
 でも、何もかもがあるような気がした。
 自分がなりたい自分に、なれる気がする。
 それを後押しする、様々な人の面影、言葉。
 シリュウの声が聞こえた気がした。
 僕は馬車に揺られて、黒の領域へ入っていく。
 誰も知らない、未来が、今、始まろうとしている。
 僕は改めて、リーンの方を見た。
 もう見えなかった。
 僕は目を閉じる。
 まだ、何も始まっていない。
 これからだ。
 どこかで鳥が一声、鳴いた気がした。





(了)
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