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第十章 三者相克前進編

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 肉の塊は直立すると、徐々に輪郭がはっきりしてくる。
 悪魔、さっき自らを肉塊に捧げた悪魔の姿、顔かたちが現れた。
「アルスさん!」
 悪魔が僕を立たせ、交代していく。
 僕はそれを振り払った。
「逃げるな! 戦え!」
 僕が怒鳴ると、悪魔たちは明らかに怯えている。
 一歩、巨人が足を踏み下ろした。見上げる高さの位置の頭が周囲を睥睨し、腕を一振りする。
 契約者からこそ察知できだ、魔力の渦。
 僕の白い炎が壁となり、周囲の悪魔をその渦の激流から守る。
「シリュウは諦めるなと言った!」
 僕は剣を振り上げた。
「僕たちは諦めてはいけないんだ!」
 剣に黒い炎が吹き上がり、巨大な火の剣となる。
 振り回し、巨人を焼き切ろうとする。
 しかし炎は、巨人の周囲の魔力の壁に遮られている。
 くそ、届かない!
 力を練り上げ、より強く、より集中して、炎を繰り出す。
 それでも魔力の壁は抜けなかった。
 ぬっと悪魔の腕がこちらへ伸びてくる。炎の壁で押し返す。
 濃密な魔力の集中に、何かが弾ける音が聞こえ始めた。
「やれやれ」まるで緊張していない声が聞こえてきた。「アホめ」
 横を見ると、ドザが立っていた。
 そのドザが手を掲げると、巨人の腕の動きが止まった。
「どうしたら良いんですか? ドザさん!」
 僕は炎を放射し続けながら、怒鳴る。一方のドザは飄々としたものだ。
「シリュウを信じるしかないな」
「どういうことですか?」
 破裂する音が響き、巨人の腕が吹き飛ぶ。
「シリュウがあの中にいるのなら、シリュウが支配するのを待つしかない」
 言いながら、ドザは腰にあった剣を引き抜いた。細身の、見たこともない剣。
「その炎で牽制していろ、アルス。俺の援護だ」
 身をわずかに屈めた直後、ドザは強く跳んでいた。
 剣が翻ると、ごっそりと巨人に切り傷が生まれる。だけど、それもすぐに塞がる。
 僕は必死に炎を叩きつけた。
 ドザの体が空中の何もない場所を蹴る。いや、魔力の流れを蹴っているんだ!
 空中を右へ左へ、上へ下へ跳ねるドザは、まるで巨人の血しぶきをまとっているようだった。
 ついに、巨人の片腕が肩で切断された。僕はそこを狙って炎をぶつけ、傷口の治癒を許さない。地響きを立てて、腕が地面に落ちた。
 巨人が咆哮し、肩を抑える。その肩の断面から、腕が再生されようとする。
 しかしそれが不完全に止まる。
 さらなる咆哮。それを無視してドザは斬撃を繰り返し続ける。
 刃が、胸を切り裂く。
 そこから血が噴き出す。
 それが止まった時、そこに、何かが生えていた。
 人のように見える、いや、あれは、シリュウだ。
 目を閉じ、何かに集中している。
 巨人の右膝が切断された。姿勢が乱れ、倒れこむ。
「ルゥア!」
 ドザの剣が巨人の首を深く切り裂いた。
 その首からも何かが生えた。触手ではない。
 それは人間であり、悪魔だった。
 崩れるように、その人間や悪魔だったものがこぼれ落ちると、地面に落ちてチリと化して砕け散った。
 僕も炎で巨人を焼いていく。焼けた場所が治癒するたびに、悪魔が、人が、滲み出してくる。
 僕とドザは攻撃を続けた。
 巨人の動きはみるみる鈍くなる。ついに無事だった脚も破壊され、完全に倒れこんだ。
 周囲に控えていた悪魔たちも一斉に攻撃を始める。巨人はもう触手を出すこともできず、切られれば切られるほど、自分を構成している存在を失ってしまう。
 今までで一番大きい咆哮が響いた。
 巨人の輪郭が消滅、液体のようになり、周囲に広がり始める。僕は炎でそれを遮ったが周囲の悪魔はそういうわけにはいかない。
 大半が飲み込まれ、僕はドザがすくい上げて、近くの木の高い枝に持ち上げてくれた。
「何が……」
「もう個体を維持できないんだ」
 冷静にドザが言った。
 巨人はすでに姿を失い地面に広がる、ただの液体に変わっていた。
「奴だ!」
 ドザが言うなり、飛び出していく。
 液体から、一つの体が生えている。
 それは、巨人を支配していた悪魔だった。そこへドザが襲いかかる。
 剣が一閃する。
 苦鳴を上げてドザが吹っ飛んでいく。彼を弾き飛ばした悪魔が咆哮する。
 僕は炎を繰り出した。
 液体から壁が吹き上がり、炎を遮断。
 さらに液体の壁から腕が伸び、僕の首をつかんだ。握りつぶされるのではと思うほどの握力。
 腕が収縮、木の枝を離れ、僕は悪魔の元へ宙を飛ぶ。
「アルス!」
 声は、ドザ。
 反射的な行動だった。
 悪魔が生み出した壁は消え去り、悪魔のもう一方の手が槍のようになっているのが分かった。
 それが僕を貫く寸前、僕の手はドザが投げた彼の剣を握っている。
 悪魔の腕と、僕の手の剣が交錯する。
「最後まで世話を焼かせるよ」
 僕の胸を貫くはずだった悪魔の腕は、僕の胸に届く寸前に止まっている。
 シリュウが、僕の前に割り込んでいた。
 彼の胸を悪魔の腕が貫通している。
 僕の剣は、悪魔の額を刺し貫いていた。
 悪魔の体から力が抜け、液体になると、巨人だった液体に溶けていった。
「シリュウ!」
 僕は腰まで液体に浸かりつつ、シリュウを助けようとする。
 シリュウは苦い表情で、こちらを見ると、不敵に笑みを見せた。
「今から仕上げだ」
 シリュウが目を閉じると、彼の体が生えているあたりから、地面に広がる液体がかすかに動き、かすかな音が聞こえ始めた。
 シリュウの周囲から液体が徐々に粘度を増し、さらに硬化していく。
 ビシッとシリュウの周囲の液体がひび割れる頃には、周囲の液体の全てが動きを止め、固まりつつあった。
 やがて全ての液体が固まりきって、崩れ、砂のようになった。
 周囲にいた悪魔で、無事なものがその光景を呆然と見ていた。
 僕の周囲でも液体は消え、砂が覆い尽くすだけだ。
 その僕の目の前に、シリュウがいる。
 その胸に傷跡はない。
「まったく」シリュウが目を開いた。「俺も人間じゃなくなるとは、やってられんよ」
 僕は思わずシリュウに抱きついていた。
「おい、気持ち悪いことをするな」
 でも僕はシリュウから離れることはできなかった。
 涙が流れて、声をあげそうになったけど、それだけはどうにか堪えた。
 シリュウを助けるために、ここまでやってきた。
 それがうまくいったのか、実際にはわからない。
 でも、こうして目の前に、シリュウがいる。
 それでいいじゃないか。
「悪かったよ、アルス」
「大丈夫」
 僕はシリュウから離れて、目元を拭った。
「仕上げが残っている」
「行ってこい。俺は少し休む」
 言うなり、シリュウは倒れこんでしまった。僕はそれを支えて、そっと地面に下ろした。
 悪魔の生き残りたちが集まってくる。僕は彼らにシリュウを任せ、生き残っている馬を借りた。レムの元へ行って、悪魔軍の動きを把握し、指揮する必要がある。
「よう、アルス」
 馬を走り出させる寸前、ふらりとドザが戻ってきた。僕は手に持っていた剣を彼に投げた。
「ちゃんとお礼を言う暇もない。助かった」
 彼は受け取った剣を鞘に戻すと、その剣を鞘ごと僕に放ってきた。
「受け取れ。お前の戦果の証明だ」
 どう応じていいか、わからなかった。
「行け、時間がないんだろう?」
 頷いて、僕は馬を走らせた。
 連合軍の最後の抵抗はシリュウの力で潰えた。あとは、速さが肝心だ。
 レムの元に辿り着くと、彼女は戦況のおおよそを把握していた。
「新兵器は処理できたのですね?」
 彼女は一番にそれを訪ねてきた。
「ええ、大丈夫です」
「連合軍はひたすら後退しています。今、追撃中です」
 どうやら戦いはこちらの勝ちで終わりそうだ。
「部隊を維持できる、奪った地点を確保できる範囲で、追撃してください」
「相手の誘いを警戒しているのですね?」
「この戦いは、領地を奪い返す戦いではありません。連合軍を揺さぶるのが第一です」
 レムにはまだ少し、迷いがあるようだった。自分たちの領地、という意識があるのだろう。
「連合を完全に破綻させられるのなら、それはそれで良いのかもしれませんが、現状では不可能です。目的はただ一つ、連合の軍事行動を収束させるんです」
 はあっとレムは息を吐いた。
「あなたの考えが正しいのでしょう。しかし」
 彼女の瞳が光る。
「人間と悪魔が本当に融和できると?」
「それもまた、可能性の一つです。今、第一歩ですよ」
 瞳の色が、穏やかなものになった。
「この戦場は我々が支えます。あなたは、聖都へ行きたいのですね?」
「同盟、聖都、そして悪魔と呼ばれるあなた方、この三者が一致すれば、連合は動きを止めます。それが、現状での最善です。そしてそこにたどり着くために、僕はこれまで動いてきた。今、動きを止めるわけにはいかない」
 行きなさい、とレムが僕に手を差し出した。
「あなたを信用しましょう
 僕は軽く彼女をの手を握り、その場を離れた。
 複数の部下を連れて、馬で陣地を出た。向かう先は、聖都。
 途中で様々な情報が入ってきた。連合軍は再び悪魔と対峙しているが、仕掛ける素振りはないようだ。多くの犠牲が出ている。首都の方では、連合軍が同盟軍に対し和睦を申し出ているという。
 時間がなかった。
 最悪の可能性が残っている。
 連合軍が同盟軍と和解し、再び悪魔軍とぶつかり始めることだ。
 この二者の間でだけ和睦が成立するのは、避けなければならない。
 悪魔も入った三者で、和睦しなくては。
 僕たちは一ヶ月と二週間で聖都に戻ってきた。和睦が成ったという情報は、まだ入っていない。間に合ったのだろうか?
「アルス!」
 聖都ではマーストが迎えてくれた。
「和睦はどうなった?」僕は勢い込んで聞いた。「もう成立したか?」
 マーストが笑った。
「俺が遅らせているよ」
 言葉の真意を理解して、僕は膝から崩れ落ちた。
 まさか、こんな幸運があるだろうか。
「七人委員会はさっさと決めたがったが、俺はどうも、それが嫌でね。なんでかは、推し量ってくれ」
 この青年の考え一つが、最悪の展開を回避していた。
 僕は彼と共に、連合と同盟の和睦を話し合っている会議の場に、入っていった。
 同盟側の訝しげな表情、連合側の嫌悪感に満ちた視線。
 全てを受け止めて、僕は言った。
「私は悪魔軍の代表でこの場に来ています」
 一瞬の沈黙の後、会議の場がざわつく。それを抑えるようにマーストが言う。
「聖都は悪魔軍をこの場に参加させるように要請する。彼らにも意志はあり、仲間があり、そして流した血がある。同盟軍は彼らに救われ、連合軍は彼らを前に敗北した」
 マーストが場を見渡した。
「悪魔の勢力もまた、一個の組織であり、主張を持っている。それをはっきりさせるために、彼はここにいる」
 しんと静まり返った議場で、咳払いをした議長席の男が、こちらをじっと見た。
「要求は何か?」
 僕は心を落ち着けて、言った。
「連合による軍事行動を、停止してほしい」
「それは悪魔に対する軍事行動のことか?」
「同盟、聖都に対する軍事行動の停止も求める」
 連合の交渉に来ている男たちが明らかに怒気に包まれた。僕はそれを受けても、平然としていられた。この程度の圧力は、戦場では当たり前だ。
 僕の言葉に、同盟側はどこか居心地が悪そうだった。
「一時、休憩としましょう」議長が言った。「同盟の方々には、彼と話しをする時間が必要でしょうから」
 席についていた者たちが場を離れる。同盟の交渉人の数人が僕を囲んだ。
 彼らは悪魔の勝利を確認し、さらに悪魔と結ぶことにどれほどの利があるのか、知りたいようだった。僕はいくつかの条件を提示し、彼らを味方に引き込むために苦心した。
 一時間の休憩の後、議場に全員が揃い、僕も聖都の人間が座る一角に席をもらった。
 同盟は、悪魔と連携することを表明し、同時に、今回に限り、悪魔側の主張を支持することを明らかにした。
 ただし同時に、同盟は悪魔との共存には否定的であることをはっきりさせた。
 これは僕にとっては力不足というしかない。それでも、事態は転がり始めた。
 同盟はさらに、連合軍に軍事行動の停止を求め、さらに同盟、連合、聖都の支配域を以前と同じに戻すことを求めた。
 これは連合への譲歩ではあるが、しかし同盟と悪魔な協調との交換条件に近い。
 最後に、悪魔から奪った土地のうち、現時点で、悪魔が制している地点を除き、連合が制している地点は連合のものとすることを支持した。
 僕は悪魔の代表として、この悪魔の土地が削られる主張を肯定し、それを理由に、連合の停戦を求めた。
 連合側は身内で議論する必要を訴え、会議は再び休憩に入った。
「同盟がよく受け入れたもんだよ」
 休憩中、控室でマーストが声をかけてくる。
「根回ししてあったのか?」
「同盟軍にはね」
 なるほど、とマーストは納得したようだった。
「しかし、お前も危ない橋を渡るよな。そのうち、連合軍に消されるぜ」
「そうならないように努力するよ」
 やがて会議が再開され、連合側は停戦を受け入れた。
 こうして三者停戦協定と呼ばれることになる、連合、同盟、悪魔の間での停戦の約定が結ばれた。
 聖都では、ひとつ、悲しい知らせを受けた。
 スターリアが見つかったのだ。やはり、亡くなっていた。
 彼女はすでに荼毘に付され、大聖堂の一角で祭壇が設けられていた。僕はそこで花を手向け、別れをやっと意識した。
 彼女が僕を信用しなければ、マーストも僕を信用しなかっただろうし、協定が結ばれることもなかった。そもそも、悪魔も聖都も、今とは全く別の状況に置かれていただろう。
 僕が大聖堂を出ると、聖都には少しずつ人が戻っているのがわかった。建物の数も増えた。
 僕はこれからどこへ帰るのか、わからなかった。
 それをこれから、考える必要がある。
 でもまずはシリュウの元に戻る必要がある。
 僕は、やるべきことはやった。
 戦いを停めることができた。
 これからまた、全てが一から始まるのだ。
 この街のように。





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