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番外
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しおりを挟む今日は体調が悪いみたいだ。
セシルの顔色を見て、デウスは心配のあまり居ても立っても居られない感覚を覚えた。悪魔にこんな感情を抱かせるなんて、セシルくらいしかいないだろう。
ルシファーから与えられる仕事以外、デウスは殆ど人間界に通い詰めていた。そのせいか最近は常に怠さが付き纏うが、目を離している間にセシルが何か嫌な目に合っていないかと思うと我慢できなくなってしまう。
都市部は発展途上のため、あまり良い環境とは言えない。汚染水は垂れ流されているし、黒い煙は分厚く空を覆っている。セシルの体にあまり良くないのは悪魔であるデウスにも理解できた。況して、体調を崩しているのに外に出るのは心配だ。
「セシル、体調が悪いなら休もうよ」
けれど、セシルは赤い顔のままベッドから抜け出して、いつもの様に朝支度を始めてしまう。どうやら休む気はないらしい。けれど、息は荒いし、見たところ少しぼんやりしているようだ。
「セシル、セシル。人間って脆いんだろ? 死んじゃうよ」
顔を洗うセシルの背に少し離れた位置から「止めておこうよ」と言い募るが、聞こえていないのでセシルは止めてくれない。そうして朝食と呼んでいいのかも微妙なものを済まして、外套を掴むと取っ手に手を掛けてしまう。
外に出た途端に突き刺さる視線。汚らわしいとでも言いたげなそれに、デウスは全員の目を潰してやりたくなった。けれど、セシルは気にした様子も見せずに背を伸ばすと、先程までの陰りを拭いさって廊下を歩いていく。
足取りは悪くない。けれど、デウスには無理をしているのが分かってしまった。ずっと見ているのだ、どんなに隠そうと誤魔化せる筈もない。
「やあ、セシル。おはよう」
「おはようございます」
どうしようか。その時、向かいから学院の頭である男が声をかけてきた。人間の名前なんて興味がないので忘れたが、セシルはこの男に感謝しているみたいだ。仲も悪くないようなので、どうにかセシルに休息を促してくれないだろうか。そんなことを少しだけ期待したのだが、雑談を交わして別れてしまった。
「……何で誰も止めてくれないんだ」
デウスの目から見て顔色は悪かったが、傍から見るとセシルは無表情のままなので誰も気づかないようだ。
デウスはセシルの周りをくるくると飛び回り、何とか部屋に帰ってもらおうと考えていた。けれど、その間にも彼は足早に歩いていってしまう。
「ぁ、せ、先生……おはよう、ございます……」
「ああ、クランか。おはよう」
眼鏡を掛けた生徒が、セシルに声をかけてきた。伸ばしっぱなしの前髪の向こうで、控えめにチラチラとセシルを見上げている。
「あの、こ、この間の試験……ありがとうございます」
「……悪いが何のことか分からない」
「えっと……評価が、良かったので……びっくり、して……」
セシルは不思議そうに首を傾けた。
「貴方の頑張りに対しての評価だ。礼を言われるような事じゃない」
「ぁ、は、はい……でも、その、嬉し、かったので」
セシルは首を傾げつつも、わたわたと一人で慌てているクランを見下ろして眉を下げた。その間にもぶつぶつと歯切れ悪く続けているが、その全てが小さすぎて全く聞こえてこない。どんどん縮こまっていくクランを見兼ねたのか、セシルは俯いた緑髪にぽんと手を置いた。それだけでクランは大きく肩を跳ねさせる。聊か大袈裟過ぎる気もするが、セシルに気にした様子はなかった。
「あ、あの先生……?」
「こうされると落ち着かないか」
クランは目を丸くしていたが、次第に表情を和らげた。セシルも何かを懐かしむような色を乗せて、クランの頭を優しく撫でてやっている。あまりに羨ましくて緑頭を殺してやりたくなったが、セシルが穏やかな顔をしているからデウスは何とか殺意を抑え込んだ。
「ところで、今日の当番は貴方だったと思うが……」
「……あっ! ぼ、僕です! すぐに行きます!」
「そんなに慌てなくていいから転ばないように気をつけなさい」
その直後にクランはすっ転んだ。けれど、直ぐに立ち上がって謝り倒しながらも走っていく。セシルはそれを心配そうに見ていたが、背が見えなくなると上げていた手を下ろした。
クランが去ったかと思えば、次は背から足音が聞こえてくる。ドタバタと慌ただしい足音が止んだ同じタイミングで、セシルが僅かに身を強張らせたのが分かった。
「おい、悪魔!」
セシルへの態度があまりに生意気だったので括り殺してやりたい衝動が襲ってくる。けれど腹が立つことに、ソレは制服を着ていた。これでは、殺したくとも殺せない。
人間には沢山のルールがあって、セシルはその枠組みの中で生きている。魔界と違って、苛ついたからや弱いからという理由で殺してはいけないらしい。面倒だが、セシルの為だと苛立ちを飲み込んだ。
「……エルマか。どうしたんだ」
「これはどう言うこと!? 何で僕が、あの愚図より評価が低いんだ!」
エルマは薄っぺらな紙をセシルに突きつけて、唾を飛ばす勢いで詰め寄った。
セシルが勤めている学院は、貴族の子供が多いらしい。勉学は勿論のこと、戦闘のいろはも教えているようだ。今のところ争いは落ち着いているが、いつ戦火が巻き起こるか分からない。その為この学院では、戦線に置ける行動の取り方なども教えているらしい。
「人間って領土増やすの好きだよね」
魔界にもルシファーを降して成り変わろうとする者が偶にいるから、その気持ちは分からなくはない。デウスも権力は好きだったが、セシルと会ってから微塵も興味がなくなった。あそこに座ると人間界に来れなくなる。今でさえ仕事に時間を取られるのが嫌なのに、これ以上セシルと会えなくなるのは避けたい。
「クラスメイトを愚図と謗るのは感心しない」
「今はそんな話じゃないだろ! 僕が気に入らないからって評価を落とすなんて最低だぞ!」
「……それなら聞くが、今回の試験で彼より優れていると断言できるのか?」
セシルはエルマの威圧を跳ね除けると、静かな瞳で彼を見た。怖気づいたのは、食ってかかったエルマの方だ。
「確かに貴方の知識は幅広く、様々な分野で突出している。その点においては、この学院の中で貴方は優れた人材であると思っている」
「何だと!? ……うん?」
怒られると思っていたのだろう。エルマは不意にビンタでもされたような呆けた顔をした。
「だが、今回は前もって協力するように言ったはずだ。貴方の独断で仲間を危険に晒したこと覚えていないわけではないだろう。幸い、試験だったから良かったものの下手したらチームが全滅していた。今回の評価は正当なものだ」
「だ、だったら何で! あの愚図が上なわけ? あいつ、何もしてないじゃん!」
「愚図ではない。彼にはクランという名前がある」
「いいから理由は!」
エルマは地団駄を踏むと、セシルを睨みつけた。
その生意気な目、抉り出してやろうか。
「彼は仲間を纏めて、効率的な方法で砦を落とした。確かに、彼だけの力ではない。けれど、チームを纏め、役割を振った手腕は見事だ。それが今回の評価に繋がっている。今回に置いては紛れもなく、クランの方が素晴らしい結果を残した」
「ぐっ……ぐぐぐ」
エルマは顔を真っ赤にしつつも、言い返すことが出来ないようだった。
「納得いかない!」
「それなら次の試験で勝てるように努力すればいい」
「やっぱり僕が嫌いだから評価を落としたんだ!」
こいつ、もう煩いから首を引きちぎっても良いだろうか。でも、いきなり目の前で血が飛び散ったら、セシルはびっくりしてしまうかもしれない。それに俺がしたのにセシルのせいにされてしまったら可哀想だ。どうしよう。引き千切りたいのに引き千切れないなんて、セシルは悪魔に我慢させるのが上手だ。
デウスがどうやって懲らしめてやろうか考えている間にも、二人の口論は止まらない。
「人のせいにばかりしていては成長は見込めない。貴方はもう少し周りを見るべきだ」
「なっ!? 平民如きが貴族の僕を愚弄するな!!」
エルマは腰に手を当てて、セシルを睨みあげる。そこまで言うつもりはなかったのか。セシルは微かに眉を下げた。
頬が微かに上気している。いつもより呼吸は短く、セシルの目は少し虚ろだった。また熱が上がったのかもしれない。デウスは今すぐにでもセシルをベッドに連れて行ってあげたくなった。
セシルの体調の悪さが、エルマには分からないようだ。ひどく憤った様子でセシルに向かって腕を振り抜いた。避けたら余計に揉めると思ったのか、セシルに避けようとする気は感じられない。けれど、デウスはセシルが痛い思いをするのは耐えられなかった。
ここで殺すことが不味いのは分かっていたので、足を引っ掛けて転がしてやる。エルマは無様に顔から床に叩きつけられた。ごふっ、と阿呆みたいな声ですっ転んだエルマに、セシルは目をぱちくりとさせている。ごめんね、君を驚かせるつもりは全くなかったんだよ。
「……だ、大丈夫か?」
エルマの顔が、みるみるうちに赤くなっていく。それはそうだろう。叩こうとした相手に心配されるなんて恥の裏塗りだ。
エルマは真っ赤な顔で眉を吊り上げると、セシルが伸ばした手を思い切り叩き落とした。パシンッ、と乾いた音が鳴り、セシルの白い手にじわりと朱色が滲む。
「うるさい! 汚い手で僕に触るな悪魔め!」
こいつ殺すか。そう思ったが、今はそれよりもセシルの方が心配だ。デウスは直ぐに、セシルから痛みを取り上げた。代わりに自分の手が刃物で切られたような痛みを訴えるが、セシルの手から赤みが引いたのが見えてほっと安堵の息を漏らす。
セシルはエルマの背を見送り、きゅうっと僅かに唇を噛んだ。けれど、直ぐにそれを掻き消してしまう。
セシルは歳を経るに連れて、隠し事が上手くなった気がする。デウスの前で柔らかく綻んでいた表情は、最近は見ていない。いつだって張り詰めたような雰囲気で、周りに対してピリピリとした警戒心を解けないようだった。
「ねぇ、セシル。魔界に来るかい? ここは辛くはない?」
この細い首をポキンと圧し折れば、セシルはデウスのものになる。でも、きっと凄く痛いだろう。もしかしたら泣いてしまうかもしれない。
泣きじゃくるセシルの顔を思い出すと、デウスの胸はズキズキと痛くなった。連れて行きたい気持ちは変わらないが、何故か伸ばした手が震えてしまう。今まで何人も貶めて殺してきたはずなのに、それがセシルに代わるだけでこうも難しくなるのか。
「……もう少しだけ我慢しよう」
セシルに痛みを強いることはしたくない。
伸ばした手でセシルの頭を撫でてから、代わりに疲労を取り出した。触れた瞬間、セシルは眉をひそめて額を押さえる。少し触れただけだが痛みが走ったのだろう。そうして痛みをやり過ごすように堅く瞼を閉じていたが、ふっと顔を上げた。そうして、不思議そうに辺りを見渡す。
違うよ、そっちじゃない。こっちを見て。
「…………かみさま?」
その音に体が歓喜で震えたが、セシルは直ぐに自らを嘲るように口元を歪めた。
「……そんなわけ無いか。未練ったらしいな」
セシルは頭を振ると、止めていた歩みを再開させた。先程よりもしっかりとした足取りに、デウスは胸を撫で下ろした。
そうして追いかけようと思ったが、体の奥底から痛みが湧き出てきて不味いなと思う。内側から焼かれているようで、まともに立っていられない。セシルから取り上げた疲労は、体の中で何倍にも膨れ上がり暴れまわっているようだ。セシルが心配だったが、取り敢えず魔界に戻って力を取り戻してこなければ禄に役に立てないだろう。それに、身動きできないところを天使共に見つかったら厄介だ。デウスは一旦、体力を回復するために魔界へと飛び立った。
魔界は邪悪な気に満ちているから、居るだけで体力が回復していく。人の悲鳴や痛みは、悪魔にとって一番の食事だ。人間が食べるような物も取れないわけではないが、栄養というよりは嗜好品でしかない。人で言う菓子程度の役割しかなかった。
本当は、もっと効率的な方法があるにはある。色欲を司るデウスにとって、女を抱くのが一番の回復方法だった。デウスが求めさえすれば、力を欲する淫魔などの悪魔は幾らでも寄ってくるだろう。力のある者と肌を重ねることは、下級悪魔たちにとってはステータスになる。けれど、別れ際のセシルの泣き顔を思い出すと、適当な女に手を出す気にはなれなかった。本当は、セシルを抱きたい。でも、触れだけで痛みに顔を歪めて辛そうな顔をするから出来る訳もなかった。
キスだけで刺されたような顔をするのだ。体を繋げることは、セシルにとっては拷問でしかないはずだ。姿を現して手を伸ばしたら、跳ね除けられることは無いと確信がある。どんな苦痛を伴おうが受け入れてくれる。それが、何より辛い。
「触りたいな……」
微かに触れた指先に熱が宿っているような気がして、デウスはじっと掌を見下ろした。あの白い肌に思うままに触れる事ができたら、どれだけ満たされるだろう。そんなこと、セシルが死なない限りできる訳がないと知っているが、つい夢見てしまうことは仕方がないと思いたい。
かはっ、と渇いた咳が出て、喉が焼けたように痛くなる。シーツは真っ赤に染まり、自分の臭いが室内に充満していた。自分の血など見たのは何時ぶりか。ああ、これは不味いな。と、漠然と思う。
「アスモデウス、仕事だよぉ」
ノックもそこそこに、誰かが入室してきたようだ。重さを感じさせない軽やかな足音が止んだと思えば、真上から影が差す。重たくて仕方がない体に鞭を打って何とか視線だけを向ければ、半目の眠たそうな瞳とかち合った。
ベルフェゴールか、と思うものの一言だって返す気にはなれない。けれど、ベルフェゴールは不思議そうに声をかけてきた。話すだけで脳が揺れる気がして、此方の体調にも構わずに話しかけてくる事に舌を打ちたくなる。
「何をしてるの?」
「見てわからないのか」
話している間にも吐き気が込み上げてきて、デウスはシーツの上に嘔吐した。血混じりの吐瀉物を前に、眦に薄っすらと浮かんだ涙を拭う。腹の中でぐるぐると回る奇妙な感覚と、頭をかち割られたような痛みのせいで気分は最悪だ。
「……いつにも増して神臭いなぁ。性懲りもなく、また人間界に行ったの?」
ベルフェゴールは不快だと言わんばかりに眉を寄せて、デウスから距離を取るように足を下げた。そうして、心底嫌そうに顔を背ける。
「行くのは勝手だけど、その臭いをどうにかしてよ。臭くて仕方がないじゃないか」
「うるさいな。文句があるなら出ていけ……って仕事か……」
「そうだよぉ。ルシファー様はアスモデウスの行動に口は出さないけど、それは責任を果たしているからだよ。……仕事が出来ないのなら、アスモデウスを座に据えている意味なんて無いんだから」
「……わかってる」
デウスは赤く濡れた口元を腕で拭うと、ベッドから抜け出した。寝ていたお陰で、最初よりは幾分か楽になっている。
「それで、内容は?」
「人間界で戦争を引き起こせだってさ。……争いは良いよね、極限に瀕したとき人は大きな発明をする」
ベルフェゴールは瞳を歪めた。彼は発明があれば、基本的に他人なんてどうでもいい性質だ。今回の争いで何人死ぬか、そんなことは関係ないのだろう。それはデウスも同じだが、今は少しだけ気掛かりなことがあった。
「……場所は何処だ」
セシルに危険があったら従うことはできない。けれど、ベルフェゴールが口にしたのは遠く離れた国だった。デウスは安堵の息を漏らしてから、痛みを噛み殺して翼を広げる。早くも、セシルが恋しかった。
久し振りにセシルに会える。デウスは一秒でも早くセシルの顔が見たくて、急く気持ちのまま魔界にも立ち寄ることなく学院へと向かった。
撃鉄は引いてやったので、後は人次第だ。踏み留まるのか、潰し合うのか。それは人にしか決められない。デウス達が干渉するのは最初だけで、最後の一歩は人が超えなければ意味がないのだ。結果はベルフェゴールが見届けるだろう。
セシルの姿を求めて、デウスは弾む足取りで学院内を歩いていく。中庭で愛しい黒を見つけて、デウスは頬に笑みを浮かべた。顔色は悪くないようで安心する。
「エルマ」
けれど、セシルは何故か、生徒の腕を掴んでいるところだった。
エルマ、エルマ……と頭の中で唱えてみて、漸くセシルの手を叩いた奴だと思い出す。人間なんてセシル以外、全員が同じ顔だから逃げられると分からなくなってしまう。けれど、見つけたからには殺さないと、また何時セシルに害をなすのか分からない。
取り敢えず、セシルを驚かせてはいけないので話しが終わるのを待つことにした。
「……離せよ」
「それは出来ない」
「その耳は飾りなわけ? 汚い手で触るなって言ってんだけど」
エルマが目を吊り上げても、セシルに離す気はないようだ。首を横に振ると、そのまま静かにエルマを見下ろした。エルマはハッと自らを嘲るように唇を歪めると、セシルの方を見ることなく口を開く。
「……あいつらの言うとおりだよ。僕は端女の子どもで、偉そうに振る舞える立場じゃない」
エルマは大きく腕を振るうと、そのままセシルを突き放そうとした。けれど、敵わずに唇をきつく噛み締める。
「今まで散々言ったからね。いいよ、痛めつけたいなら好きすればいい。どうせ、親は何も言いやしない」
エルマは逃げることを諦めたらしい。体を反転させると、セシルを睨むようにして向き合った。セシルは表情を変えないまま、エルマの腕から手を離す。その僅かな動作ですら、エルマはビクリと肩を跳ねさせた。殴られるとでも思ったのかも知れないが、セシルはそのまま手を下ろしただけだ。
「俺は貴方が嫌いではない」
「……は?」
呆けた顔をしたエルマに、セシルは僅かに口元を緩めたようだった。それを正面から見たエルマの目が、更に大きくなる。
「陰口を叩く者がいる中で、貴方は必ず真っ向から来た。正直、腹が立ったのは一度や二度では済まないが、その姿勢自体は嫌いではないんだ」
「で、でも、あんたは僕のこと叱ってばっかじゃん」
「伸びしろがあるからだ。期待していなければ、そんなことはしない」
「…………今まで、そんなこと一言も言わなかった」
「一々言うことでもないと思ったんだが……」
「そこは言えよ!! 不器用か!」
セシルは首を傾げてから、「ごめんなさい」と謝っている。何故、セシルが謝らなければいけないのか。全く納得ができない。取り敢えず、このピンクの頭を引きちぎってから考えよう。
デウスがそんな風に物陰に引き摺りこむ算段を考えていたら、エルマがソワソワと落ち着かなくなった。頬を赤くしたあと、ボソボソと何かを呟いては黙るという意味のわからない行為を繰り返している。デウスは途轍もなく苛々した。
「えっ……いや、僕こそ……ぼく、は」
エルマは目玉をきょろきょろと動かして挙動不審だ。セシルは先を急くこともなく、エルマの言葉を待ってやっているようだった。
「……あんたのこと嫌い」
それなのに、そんなことを言うからセシルは僅かに眉を寄せた。セシルの泣きそうな顔に、デウスの方が慌ててしまう。こいつ、なんてことを言うんだ。
「だって……穢い黒のくせに何時の間にか皆に認められちゃってさ……僕は、全然なのに……」
「エルマ……」
「……でも、その……今まで言い過ぎたと思うから……ご、ごめん、なさい……」
エルマの言葉は徐々に小さくなり、最後は微風にすら掻き消されそうなほどではあったが、確かにセシルの耳に届いたようだ。セシルは微かに目を細めると、俯いたエルマの頭に優しく掌を置いた。そうして、表面をなぞるように遠慮がちに撫でる。
「貴方の頑張りは知っている。今からでも遅くはない。俺と一緒に教室に戻ろう」
「でも……僕のことなんて誰も待ってないし、自分で言うのも何だけど好かれてないのは知ってるよ……」
「そんなことはない。クランも迎えに来てくれている」
セシルが柱の影を指差すと、わわっと素っ頓狂な声が上がる。そうして自分の足に絡まったのかクランが飛び出てきた。彼は鼻の膨らみ辺りまで落ちた眼鏡を上げ直すと、所在無さげに俯いた。それをエルマが目を丸くして見つめる。
「何で……」
「め、迷惑かと思ったけど……エルマくんが心配で……」
「待っている人なら居るじゃないか」
エルマは背を叩かれて、顔を上げた。それにセシルが瞳を細めて、微かに口元を緩める。
「貴方の居場所は此処にある。産まれなんて関係ない。貴方は俺の生徒だ。誰にも馬鹿にはさせない」
エルマは徐々に顔を赤らめると、何故かセシルの足を踏みつけた。表情こそ動かさなかったが、セシルは驚きに小さく肩を跳ねさせる。ふざけんなよと、怒りが頭をぶち抜きそうになったけれど。
「早く来いよ……先生!」
先生と呼ばれたセシルが驚いたように丸くした瞳を、本当に、本当に嬉しそうに細めたからデウスも毒気を抜かれてしまう。デウスとしてはエルモの奴を滅多刺しにしても足りないくらいだったが、セシルが笑ったから止めておくことにした。
路地裏で二人きりの頃が恋しくないわけではないが、セシルは最近になって笑うことが増えた。生徒たちに囲まれた彼は微かに、だが確かに嬉しそうに柔らかな笑みを浮かべる。
その笑みを向けてほしいと思うものの、セシルと言葉を交わして触れてしまったら、彼を殺してしまいそうだった。本当は直ぐにでも、その命を摘み取ってこの腕に囲い込んでしまいたいくらいなのだから。
「……可愛いなあ」
弾けるような笑みではなくとも、デウスには何より輝いて見えた。まるで、きらきらと星が瞬くようだ。
セシルを見ていると、きゅうっと無いはずの心臓が締め付けられる気がする。腰ほどしか無かった小さなセシルはもう居ないけれど、それでもデウスの目には変わらず可愛く見えた。
「先生!」
生徒に呼ばれたセシルが、微かに目を細める。それは、何度も何度も恋をするほどに可愛い笑顔だった。
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