病んだ友人から送られてくる怪文書

赤尾丿

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一つ目の文章

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私は都内在住のプログラマーで、可も不可もない生活をしている。
趣味といえば新しく出た惣菜パンを食べることか、自販機のコンプリートぐらいである。
ただ、唯一の楽しみが友人から送られてくる怪文書であった。
数年前に某SNSで知り合った友人Mは、何かをきっかけに病んでしまった。
突然言っていることがおかしくなり、私は真摯に相談に乗った。
正直に言うと怖いもの見たさという気持ちもあったと思うが、彼にとってそれは何か救いになっていたのかもしれない。
しばらくのやり取りの後、彼は落ち着いたようで社会復帰を目指して頑張ると言っていた。
その後、彼とは話さなくなった。何度かメッセージを送ってみても返事はなかった。
若干不安にもなったが、所詮はネットの友人だ。まぁ上手くやってるんだろう。とそこまで気にしないようにしていた。
しかしある時、突然怪文書が送られてくるようになった。
動機も不明で何を求めているのかも分からないが、私はその怪文書の虜になってしまった。
その文章から意味が繋がっていない文字列や、個人的な情報を除いてここに書いた。
ぜひ、非日常を楽しんでもらいたい。



「綱渡りのような生き方をしている」
壁から生えた人面がそう言った。
「あまりに多くの絶望を忘れ、たまに思い出し消化してみるが、積もる絶望の方が多いではないか」
口角が異様に釣り上がり、目尻につきそうである。鼻先は垂れていて、目はこれでもかと歪んでいる。
「何と愉快な生き物か。そうまでして何になりたいと言うのか」
突然、眉が歪み口角が下がる。あれは憤怒の顔だ。
「有機物風情が生きる事を望むなかれ。所詮は茶番である」
異様な顔である。
怒りに満ちている表情の中、その目の奥には何も無い。
掴みどころのないくうであった。
ふざけろと叫んだ。だが声は出なかった。喉の奥に鉛が詰まっている。錆びた鉄の味がした。
壁の顔はまた笑う。今度は口の形が上下逆さまになり、三日月のようになっていた。
「ああ、そうだろう、そうだろう。お前は何も言えない。お前はただの肉の塊だ。感情という名の錆びた歯車が、がたがた音を立てているだけだ」
壁の向こうから、何かが這いずる音が聞こえる。壁一面に走るひび割れが、まるで血管のように脈動し始めた。
いや、違う。壁自体が呼吸している。
私は自分の存在が、この壁に吸い込まれていくような、そんな錯覚に襲われた。
いや、一方で頭のずっと奥に引っ張られるような感覚がする。
この手も視界も遠く、遠く離れていく。
ドアを叩く音がする。
ドアを叩く音がする。
「胸は押し潰され、腹はぐるぐると回り、背中は張り付いて離れない。頭から流れる電気信号が、心によって阻まれ起き上がることを許されない」
そう、私は記号になった。
ドアを叩く音は止まない。
ドンドンドン。ドンドンドン。
それは私の鼓膜を叩く音。
内側から叩く音が、私を空っぽにする。
壁の顔は、もう何も言わない。
ただ、その三日月のように裂けた口が、黒い穴になっている。
穴の中から、どろりとしたものが流れ出す。
それは、私の絶望だ。
私が忘れた、消化できなかった、すべての絶望。
それが、どろどろと、私という記号に降り注ぐ。
黒い雨。
私は、溶けていく。
記号が、滲んでいく。
文字が、意味を失っていく。
私という存在の輪郭が、曖昧になっていく。
ただの、黒い染み。
どろりとした絶望の海に、私は完全に溶け込んだ。
ドアを叩く音は、もう聞こえない。
いや、違う。
その音は、私の中から響いている。
私が、ドアを叩いている。
早く開かないか。開かないとまずいのだ。なぜ開かないのか。
ドアノブがない。
押しても引いても開かない。

***

「──死んだ方が幸福だ」と君は言う。
恰幅の良い体、ボサボサの髪、シミのついたTシャツ。
「死んだら幸福か分からない」と反論する。
学生の頃、よく友人とそんなことを話していた。
厨二病か、高二病とも言うらしい。絶望している風がだったのだ。
「死んでみるか」
そう言った君はハッとしていた。当然それは禁句である。
将来に淡い期待を抱き、甘い夢を見る私達にとってそれは違和感だった。
「それは面白くない。死ぬんだったら、教科書に載りたい」と、必死に考え話を逸らした。
「載ってどうする。落書きでもされたら呪い殺すのか?」
「自分が教科書に載ったあと、落書きしたやつを呪い殺そうなんていうのは幸福だな」と言うと、君は少し考え込んだ。
「生きてる限り幸福から逃げられないな」と君は言い、それでこの話は終わった。
夕暮れの帰路、セミがうるさい中、妙な沈黙のまま家の前まで歩いた。
「また明日」
君はそう言って歩いていった。
この時からなのか、私は心に何かを飼っている。

***

──16:48。
キャラクターの電子時計がその時刻を指している。
酷い夢だ。
なにか食えるものはないかとキッチンへ向かう。
そのままにして残された洗い物や、カップ麺のの袋が落ちている。
冷蔵庫を開けると卵があった。
この白い塊から手のひらに伝わる冷たさが、眼鏡のように克明に目の前の景色を見させる。
割った卵3つ、とソースの袋、コップが3つに耐熱容器が2つ。
フォークとスプーンが1つずつ。スポンジが1つ。
まるで国のようであった。
そう妄想を膨らませる頃には卵をしまって、暗い台所に立ち尽くしていた。
あの2つの卵は元は1つの国で、内戦により国が別れた。
離れた1つの卵は別の種族が暮らしている。
あのコップは恐ろしい魔物で、スプーンを1つ喰ってしまった。スポンジから逃げ出した人々はソースの袋へ移住するのだ。
食卓へ目を向ける。もはや1人用となった板材には、使い終わった食器、カップ麺、器が乱雑に置かれている。
フランソワは言った。
「カップ麺王国の奴らはいつもこちらを見てはヨダレを垂らしている。虎視眈々と狙っているのだ」
金色の巻き毛と、音符のような髭の彼はフランソワ・デュワーズ。
フォーク出身、ボウル王国の貴人である。
フランソワは、私の返事を待っていた。だが、いくら待っても、私は言葉を発しない。彼の視線は、私の目の奥、記号になった私の空白を覗き込んでいる。
「……お前は、一体、何なのだ?」
フランソワの声が、かすかに震える。
私は何も答えない。
すると、彼の瞳、フォークの柄の傷が、ゆっくりと揺らぎ始めた。
彼の顔、人面は、再びフォークの貴人の顔に戻っていく。
しかし、その表情は、先ほどまでの気品に満ちたものではなかった。
彼の視線は、私の背後にある食器の山へと移る。
そこには、カップ麺の容器、汚れた皿、腐った料理の入ったボウル。
そこに王国はなかった。
ボウル王国は、存在しなかった。
カップ麺王国も、存在しなかった。
そこにいるのは、フランソワ、ただ一人。
「……なぜだ?」
彼の口から、か細い声が漏れる。
金色の巻き毛が、ゆっくりと垂れ下がる。
音符のような髭が、無意味に揺れている。
彼は、自分が一人であることに気づいてしまったのだ。
彼は、私がただの記号になったように、彼の世界が、ただの台所の片隅の、汚れた食器の山であることを悟ってしまったのだ。
絶望が、彼を包み込む。
彼は、その場に固まった。
フォークの貴人は、もはやフォークの貴人ではない。
ただの、汚れたフォーク。
動かなくなったフォークは、皿の上に転がり落ちる。
カシャン、と小さな音が響いた。
その音は、私の中から響く、ドアを叩く音と重なって、一つの不協和音を奏でる。
ドンドンドン。カシャン。
ドンドンドン。カシャン。
私は、絶望の海の中で、ただその音を聞いていた。
私は、ただその音を聞いていた。
カシャン。ドンドンドン。カシャン。ドンドンドン。
それは私の鼓動でもなければ、壁の音でもない。
ただの、無意味な、ただの、汚れた音。
フランソワは、皿の上で、もう二度と動かないだろう。
彼の金色の巻き毛は、もうただの錆びた金属の屑。
音符のような髭は、もうただの汚れ。
私は、彼の最期を見届けた。
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