【完結保証】僕の異世界攻略〜神の修行でブラッシュアップ〜

リョウ

文字の大きさ
561 / 689
14歳の助走。

ヤルス君の気づき。

しおりを挟む
 夜の宴が終わり、広間の熱がゆっくり引いていく時刻だった。窓を半ば開けた客間に涼しい風が流れ込み、灯りの油がかすかに揺れる。縁に座って一息ついていると、廊下を小走りにやってきた足音が止まり、戸口で深い息が一つ落ちた。

「従兄弟よ、僕はもっと仕事をしたい」

 ヤルス君だ。額に汗、目は正面。息は弾んでいるが、声に迷いはない。後ろからリディアが現れ、指でスキットルを軽く弾いた。

「火は良いの。だが、薪を見ずにくべる火はすぐに消えるぞ」

「わかってる。でも僕、走れるし、荷も持てる。道も覚えた。だから……」

「だからこそ、だよ」

 僕は卓の上に置かれた水差しを指先で彼のほうへ押しやり、空の杯を二つ見せた。ヤルス君は一拍おいて、僕とリディアの杯に半分ずつ水を注ぐ。量はきちんと、手首の角度も静かだ。注ぎ終えると、卓の角を布で拭き、水差しの口を上向きにして置く。目が僕を見る。

「悪くない。今の所作の意味、いくつ言える?」

「喉を潤すため……それと、話の区切りにするため。卓を濡らさないため。水差しの口を上に向けるのは、次の人が取りやすいように」

「そう。従者見習いの仕事は一つ一つに意味がある。意味が見えると、やり方が変わる。まずはそれを癖にしてほしい」

 僕は指を二本、軽く立てた。

「次にもう一つ。相手に今何が必要か考えて動くこと。相手の目線に立って、半歩だけ前に出る。それが大事。三歩出たら邪魔になる。半歩なら引ける」

「半歩……」

「広間に行こう。ちょうど片付けが始まる。そこで半歩を見せてごらん」

     

 広間では太い燭台の火が順に消され、長卓の上では器の音が軽く歌っている。獣人伯の家令が指先だけで合図を飛ばし、手早く静かな片付けが進む。床では子どもたちが布巾を絞って走り、厨房では大鍋の蓋が息を吐いた。ヤルス君は一呼吸分、入口で立ち止まり、流れを見た。僕は背中から小さく囁く。

「最初は半歩。合図を待て」

 彼は歩幅を半分に落とし、音を立てない足取りで近づく。家令が長卓の脚を畳もうとして、一角が一人分足りない。ヤルス君は角の向こう側に回り、手のひらを卓の縁に添え、目で「ここを持ちます」と伝える。家令の眉が一つ上がり、頷きが返ってくる。四隅が同時に畳まれ、脚が静かに滑った。最初の半歩、成功だ。

 次にヤルス君は、器の山の間を抜ける小柄な女将の肩がわずかに下がるのを見た。彼女の手元の盆には盃が重なりすぎている。彼は正面に立たず、斜め後ろからそっと木の受け台を差し入れ、負担のかかっている二枚だけを移す。女将は言葉を発さず、目だけで笑い、彼は軽く会釈して離れた。相手の歩幅を乱さない半歩。良い。

 床の一角で、薄いガラスの破片が灯りを反射した。布巾台の下だ。子どもが裸足で走ってくる。ヤルス君は手をひらりと上げて子どもの進路を緩やかに曲げ、布で破片を包み、腰を落として拭く。同時に、通り道の端に小さな木札を立てる。矢印が描かれた簡単な札だ。誰も足を切らない。半歩の工夫で、次に同じことが起きないように痕跡を残した。

 リディアが背後で低くつぶやく。

「よい。我慢がある」

 ヤルス君は調子に乗らないように息を整え、次の半歩を探す。燭台の蝋が垂れている。彼は火消しを借り、炎の順番を確かめてから静かに蓋をかぶせる。最後に窓の錠を半分だけ下ろし、風が通る道だけ残す。意味を考えた所作が、流れを邪魔しない。

 そこまで順調だった。だからこそ、次で欲が出たのだろう。厨房から重い大鍋が出てくる。中にはまだ温いスープが半分ほど。二人で持つべき重さだ。だが鍋を出した料理人は別の鍋へ向かってしまい、通路が一瞬空いた。ヤルス君の足が前に出かかる。二歩、行きそうな気配。僕は息を飲み、リディアは首を横に振る。

 その時、ヤルス君自身が気づいた。彼は足を止め、鍋の取っ手に触れる前に周囲を見渡す。ちょうど近くにいたドワーフの職人と目が合った。ヤルス君は眉で合図し、手のひらを下に向けて「一緒に」の仕草をする。職人が頷き、二人で息を揃えて持ち上げる。歩幅は短く、踵は床を擦らない。通路の角では一拍待ち、通る者に先を譲る。鍋は揺れず、床には一滴も落ちない。置き場に下ろすと、二人で小さく手の甲を打ち合わせた。

 戻ってきたヤルス君が、僕の前で深呼吸をした。

「今の、二歩行きそうになりました。気づけました」

「気づいて止まれたなら上出来。半歩に戻せたのは、とても良い」

 リディアが笑う。

「欲は熱だ。熱は要る。だが鍋は二つの手で持つもの。落とせば誰かが火傷する。半歩の欲を貯めておけ」

「はい」

 片付けの最後、ヤルス君は洗い桶の位置を少しずらした。人と桶の動線が交差していた場所だ。ずらす前に周りを見て、合図でひと呼吸間を作り、床の水を拭き、桶の横に木札で矢印を立てた。終わってしまえば小さな工夫だが、導線が滑らかになって、布巾を運ぶ子どもたちの足が止まらなくなる。家令が遠くから親指を立て、ヤルス君は軽く頭を下げた。




 片付けが終わり、広間に静けさが戻る。僕は腰袋から掌に収まる薄い手帳を取り出した。柔らかな革の表紙に、短い紐。角は丸い。

「これを渡す。今日の気づき、これからの気づきをここに記録していこう。名前は……半歩帳にしようか。動作と意味を一行で。うまくいかなかったことも、書く。言葉が出ないなら絵でいい」

「半歩帳……」

「例えば、さっきの三つ。『卓の脚を支える……相手の準備を待って持つ』『破片……矢印で導線を作る』『鍋……二人で持つ合図を先に』。それから、今の気づきも」

 ヤルス君は手帳を胸の前で開き、最初の頁にゆっくりと文字を書いた。

「焦ったらダメだ」

 筆先は最初少し震えたが、二文字目以降は落ち着いた線になった。彼は続けて短く書き足す。

「半歩で出て、半歩で戻る。合図を先に。重さは分ける」

 ページを閉じると、ヤルス君は手帳を紐で腰に結びつけ、きゅっと結び目を確かめた。

「従兄弟、ありがとう。僕、明日から毎晩書きます。間違えたことも書きます」

「それが一番の近道だよ。半歩の記録は、明日の一歩を軽くする」

 リディアが顎を上げた。

「その帳面、宴の前にも開け。人の顔を見て、昨日の半歩を思い出すのじゃ。そうすれば今日の半歩が早くなる」

「はい、リディア」

「うむ。では褒美に、わらわの国の言葉を一つ教えてやろう。『風待ち』……走る前に風を見るという意味だ。半歩帳の一番上に小さく書いておけ」

 ヤルス君は笑って、表紙の内側の角に小さく書き入れた。風待ち。書き終えると、胸の前で小さく拳を握る。

「僕、焦らない。半歩で行きます」

「見てる。間違えたら、一緒に直そう」

 広間の灯りが一つ消え、夜風がカーテンを柔らかく揺らした。片付けの音は遠のき、廊下に細い影が伸びる。ヤルス君は一礼して走り、角でいったん立ち止まってから、半歩だけ前に出た。その背に、リディアが満足げに目を細める。

「良い芽だ。焦げ付かせねば、よく燃える」

「うん。明日の市場でも、半歩を見せてもらおう」

 僕は手元の杯に残った水を飲み干し、小さく息を吐いた。紙の匂い、油の匂い、夜の草の匂い……それらが静かに混ざり合い、広間の奥で誰かの笑い声が一度だけ弾んだ。半歩帳の白い頁が、これからどれだけ埋まっていくのか。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕だけ別な場所に飛ばされた先は異世界の不思議な無人島だった。

アノマロカリス
ファンタジー
よくある話の異世界召喚… スマホのネット小説や漫画が好きな少年、洲河 愽(すが だん)。 いつもの様に幼馴染達と学校帰りの公園でくっちゃべっていると地面に突然魔法陣が現れて… 気付くと愽は1人だけ見渡す限り草原の中に突っ立っていた。 愽は幼馴染達を探す為に周囲を捜索してみたが、一緒に飛ばされていた筈の幼馴染達は居なかった。 生きていればいつかは幼馴染達とまた会える! 愽は希望を持って、この不思議な無人島でサバイバル生活を始めるのだった。 「幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕の授かったスキルは役に立つものなのかな?」 「幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕は幼馴染達よりも強いジョブを手に入れて無双する!」 「幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕は魔王から力を授かり人類に対して牙を剥く‼︎」 幼馴染達と一緒に異世界召喚の第四弾。 愽は幼馴染達と離れた場所でサバイバル生活を送るというパラレルストーリー。 はたして愽は、無事に幼馴染達と再会を果たせるのだろうか?

勇者パーティのサポートをする代わりに姉の様なアラサーの粗雑な女闘士を貰いました。

石のやっさん
ファンタジー
年上の女性が好きな俺には勇者パーティの中に好みのタイプの女性は居ません 俺の名前はリヒト、ジムナ村に生まれ、15歳になった時にスキルを貰う儀式で上級剣士のジョブを貰った。 本来なら素晴らしいジョブなのだが、今年はジョブが豊作だったらしく、幼馴染はもっと凄いジョブばかりだった。 幼馴染のカイトは勇者、マリアは聖女、リタは剣聖、そしてリアは賢者だった。 そんな訳で充分に上位職の上級剣士だが、四職が出た事で影が薄れた。 彼等は色々と問題があるので、俺にサポーターとしてついて行って欲しいと頼まれたのだが…ハーレムパーティに俺は要らないし面倒くさいから断ったのだが…しつこく頼むので、条件を飲んでくれればと条件をつけた。 それは『27歳の女闘志レイラを借金の権利ごと無償で貰う事』 今度もまた年上ヒロインです。 セルフレイティングは、話しの中でそう言った描写を書いたら追加します。 カクヨムにも投稿中です

【完結】テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~

永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。 転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。 こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり 授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。 ◇ ◇ ◇ 本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。 序盤は1話あたりの文字数が少なめですが 全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。

転生したみたいなので異世界生活を楽しみます

さっちさん
ファンタジー
又々、題名変更しました。 内容がどんどんかけ離れていくので… 沢山のコメントありがとうございます。対応出来なくてすいません。 誤字脱字申し訳ございません。気がついたら直していきます。 感傷的表現は無しでお願いしたいと思います😢 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ありきたりな転生ものの予定です。 主人公は30代後半で病死した、天涯孤独の女性が幼女になって冒険する。 一応、転生特典でスキルは貰ったけど、大丈夫か。私。 まっ、なんとかなるっしょ。

異世界転生したので、文明レベルを21世紀まで引き上げてみた ~前世の膨大な知識を元手に、貧乏貴族から世界を変える“近代化の父”になります~

夏見ナイ
ファンタジー
過労死したプラントエンジニアの俺が転生したのは、剣と魔法の世界のド貧乏な貴族の三男、リオ。石鹸すらない不衛生な環境、飢える家族と領民……。こんな絶望的な状況、やってられるか! 前世の知識を総動員し、俺は快適な生活とスローライフを目指して領地改革を開始する! 農業革命で食料問題を解決し、衛生革命で疫病を撲滅。石鹸、ガラス、醤油もどきで次々と生活レベルを向上させると、寂れた領地はみるみる豊かになっていった。 逃げてきた伯爵令嬢や森のエルフ、ワケありの元騎士など、頼れる仲間も集まり、順風満帆かと思いきや……その成功が、強欲な隣領や王都の貴族たちの目に留まってしまう。 これは、ただ快適に暮らしたかっただけの男が、やがて“近代化の父”と呼ばれるようになるまでの物語。

ペット(老猫)と異世界転生

童貞騎士
ファンタジー
老いた飼猫と暮らす独りの会社員が神の手違いで…なんて事はなく災害に巻き込まれてこの世を去る。そして天界で神様と会い、世知辛い神様事情を聞かされて、なんとなく飼猫と共に異世界転生。使命もなく、ノルマの無い異世界転生に平凡を望む彼はほのぼののんびりと異世界を飼猫と共に楽しんでいく。なお、ペットの猫が龍とタメ張れる程のバケモノになっていることは知らない模様。

異世界魔法、観察してみたら

猫チュー
ファンタジー
異世界に転生した少年レイは、ある日、前世の記憶を取り戻す。 未知でありながら日常の一部となっている魔法に強い興味を抱いた彼は、村の魔法オババに師事し、修行の日々を送る。 やがてレイは、この世界の魔法が、地球で学んだ知識と多くの共通点を持つことに気づいていく。 師の元を離れ、世界を知っていく中で、少年は魔法を観察し、考え、少しずつ理解を深めていく。 これは、少年レイが世界を、魔法を、科学していく物語。

35年ローンと共に異世界転生! スキル『マイホーム』で快適5LDK引きこもり生活 ~数学教師、合気道と三節根で異世界を論破する~

月神世一
ファンタジー
紹介文 「結婚しよう。白い壁の素敵なお家が欲しいな♡」 そう言われて35年ローンで新築一戸建て(5LDK)を買った直後、俺、加藤真守(25歳)は婚約者に捨てられた。 失意の中、猫を助けてトラックに轢かれ、気づけばジャージ姿の女神ルチアナに異世界へと放り出されていた。 ​「あげるのは『言語理解』と『マイホーム』でーす」 ​手に入れたのは、ローン残高ごと召喚できる最強の現代住宅。 電気・ガス・水道完備。お風呂は全自動、リビングは床暖房。 さらには貯めたポイントで、地球の「赤マル」から「最新家電」までお取り寄せ!? ​森で拾った純情な狩人の美少女に胃袋を掴まれ、 罠にかかったポンコツ天使(自称聖騎士)が居候し、 競馬好きの魔族公爵がビールを飲みにやってくる。 ​これは、借金まみれの数学教師が、三節根と計算能力を武器に、快適なマイホームを守り抜く物語。 ……頼むから、家の壁で爪を研ぐのはやめてくれ!

処理中です...