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14歳の助走。
火の民の初盃。
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昼前、伯の家令が家臣を一人連れて駆け込んできた。息を整えるやいなや、低い声で言う。
「お願いがございます。米の酒が……できそうでして」
「やろう。今すぐに」
そう言ってから、あ……今日の段取りが、と舌が遅れる。けれどローランとストークが同時に一歩出て、胸に手を当てた。
「こちらは任せてください。行ってきて良いですよ」
「食器と水は手配しておきます。終わったら合図を」
「助かる。じゃあ、行こう、リディア」
「うむ。酒は好きじゃ」
家令に案内されて入った蔵は、甕の匂いとほんのり甘い香りに満ちていた。甕の口では、白く霞んだ液が静かに泡を切っている。
「濁酒ができかけているね。いい香りだ」
「火の民は酒があまり強くありません。ご教授を」
甕肌に指を当てて温を確かめ、ひと口だけ味を見る。麹の甘みの奥に、しっかり骨が立っている。火の民の蔵らしく、温がわずか高めだが、酵母が負けていない。
「ここから清酒にしよう。今日の夕餉に間に合うぶんは、雫取りで」
「雫取り……?」
「袋に入れて、圧をかけずに滴った分だけを汲むやり方だよ。量は少ないけど、最初の顔を素直に出せる」
リディアが顎を上げる。
「わらわは熱を読もう。火は刺さらせぬ」
「頼む」
蔵人たちに呉れ木の架台と梁、それに布袋を用意してもらう。小人の織り手に頼んで細かい目の布を何枚も重ね、ドワーフが榾木の枠をぎしりと組む。甕から汲み上げた醪を袋へ移すと、白い雫がぽとり、ぽとり……まっさらな陶碗に落ち始めた。
「このまま夕方まで雫を待とう。明日以降は『槽』で搾る。木槽に袋を並べて、ゆっくり圧をかけるんだ。荒くはしない。火の民の息で押す」
「四拍じゃな」リディアが笑う。「吸って、吐いて、止めて、吸う……それで押す」
合間に蔵の奥を見て回る。蒸しの釜、麹室、酒母の甕。麹は黄の花がきれいに回っており、酒母は酸も香りも上々だ。
「温度は手の甲で三段。朝の基準、昼の許容、止める温……壁に板を掛けよう。火は四拍で扱う。火入れは……今日は少量だけ試す。六十と少しを保って、息一巡を三度。長く熱を刺さない」
「承知しました」蔵元代わりの若い者が真顔で頷く。
昼過ぎ、雫が一壺ぶん溜まった。透明な水晶みたいに、うっすら緑が差している。焙った米ぬかの香りと、青い草の芯が細く立ち上がった。リディアがほんの少しだけ手をかざし、火の民の薪竈に四拍の息を落とす。温がすっと一定になり、僕は銅の温尺で確かめて頷く。
「よし。これは火入れを入れた清酒だ。別に、雫そのままの生も少しだけ取っておこう」
瓶はまだないので、小さな甕に詰め、口元を紙で覆って蝋で封じる。甕ごと井戸の陰に半分沈め、風が通るように葦簀を立てた。蔵人たちが息を詰めて見守る中、僕は蔵元代わりに手短に段取りを書いて渡す。
「明日から槽で搾り、滓を落ち着かせて、一本目の火入れ……それから静かに寝かせる。瓶が整うまではこの甕でいい。黒い布で覆って光を避けよう」
「はい」
家令がそっと耳打ちする。
「できたのなら……その、卸を」
「僕のところへ卸してくれないかな。扱いは丁寧にする。値は君らで決めよう。銘の名も、火の民で」
「わらわにも寄越せ」リディアが口角を上げる。「酒の守り手は、味見の権を持つ」
「もちろん、二人にも」
夕餉の刻。卓の端に、小さな甕が二つ並んだ。ひとつは雫の生、もうひとつは火入れの清酒。杯に少しずつ注ぐと、部屋の空気が一瞬だけ静まる。
「まずは、生の雫を」
伯が杯を持ち、光を透かせる。口に含んだ瞬間、微かに肩が震えた。喉を落ちる音が静かに響き、伯はゆっくりと息を吐く。
「……水と火が、手を取っておる」
「次に、清酒を」
今度は香りが丸く立ち上がり、米の甘みが輪郭を持って舌に広がる。火の民の火入れは一本芯が通っていて、刃がない。伯は杯を置き、目元に手をやった。
「……わが里で、こういう酒が……」
「里の米で、里の火で、里の息で。君たちの酒だよ」
伯は堪えきれず、指の節で目を拭った。家令も、蔵人も、兵も、笑いながら同じように目を押さえる。リディアは杯を軽く掲げて言う。
「良い。誇りの味じゃ。泣いてよい酒は、良い酒じゃ」
その夜、僕は蔵に戻って、最初の卸の覚え書きを作った。銘は火の民が決めること、甕口の封蝋は火の紋で統一すること、歩留まりの数字は二度読みすること、火入れの温は四拍で測ること……そして、卸先にリョウエスト商会の倉とリディアの樽部屋を加えること。蔵元代わりが小さく笑って言う。
「名前は……『火守の雫』にしようか」
「良い名だね」
甕の影でナビが喉を鳴らし、尾で僕の頬をくすぐる。米の香りと木の匂いが、熱の土地の夜に薄く溶けた。回数を重ねれば、もっと良くなる……そう分かる初盃だった。
「お願いがございます。米の酒が……できそうでして」
「やろう。今すぐに」
そう言ってから、あ……今日の段取りが、と舌が遅れる。けれどローランとストークが同時に一歩出て、胸に手を当てた。
「こちらは任せてください。行ってきて良いですよ」
「食器と水は手配しておきます。終わったら合図を」
「助かる。じゃあ、行こう、リディア」
「うむ。酒は好きじゃ」
家令に案内されて入った蔵は、甕の匂いとほんのり甘い香りに満ちていた。甕の口では、白く霞んだ液が静かに泡を切っている。
「濁酒ができかけているね。いい香りだ」
「火の民は酒があまり強くありません。ご教授を」
甕肌に指を当てて温を確かめ、ひと口だけ味を見る。麹の甘みの奥に、しっかり骨が立っている。火の民の蔵らしく、温がわずか高めだが、酵母が負けていない。
「ここから清酒にしよう。今日の夕餉に間に合うぶんは、雫取りで」
「雫取り……?」
「袋に入れて、圧をかけずに滴った分だけを汲むやり方だよ。量は少ないけど、最初の顔を素直に出せる」
リディアが顎を上げる。
「わらわは熱を読もう。火は刺さらせぬ」
「頼む」
蔵人たちに呉れ木の架台と梁、それに布袋を用意してもらう。小人の織り手に頼んで細かい目の布を何枚も重ね、ドワーフが榾木の枠をぎしりと組む。甕から汲み上げた醪を袋へ移すと、白い雫がぽとり、ぽとり……まっさらな陶碗に落ち始めた。
「このまま夕方まで雫を待とう。明日以降は『槽』で搾る。木槽に袋を並べて、ゆっくり圧をかけるんだ。荒くはしない。火の民の息で押す」
「四拍じゃな」リディアが笑う。「吸って、吐いて、止めて、吸う……それで押す」
合間に蔵の奥を見て回る。蒸しの釜、麹室、酒母の甕。麹は黄の花がきれいに回っており、酒母は酸も香りも上々だ。
「温度は手の甲で三段。朝の基準、昼の許容、止める温……壁に板を掛けよう。火は四拍で扱う。火入れは……今日は少量だけ試す。六十と少しを保って、息一巡を三度。長く熱を刺さない」
「承知しました」蔵元代わりの若い者が真顔で頷く。
昼過ぎ、雫が一壺ぶん溜まった。透明な水晶みたいに、うっすら緑が差している。焙った米ぬかの香りと、青い草の芯が細く立ち上がった。リディアがほんの少しだけ手をかざし、火の民の薪竈に四拍の息を落とす。温がすっと一定になり、僕は銅の温尺で確かめて頷く。
「よし。これは火入れを入れた清酒だ。別に、雫そのままの生も少しだけ取っておこう」
瓶はまだないので、小さな甕に詰め、口元を紙で覆って蝋で封じる。甕ごと井戸の陰に半分沈め、風が通るように葦簀を立てた。蔵人たちが息を詰めて見守る中、僕は蔵元代わりに手短に段取りを書いて渡す。
「明日から槽で搾り、滓を落ち着かせて、一本目の火入れ……それから静かに寝かせる。瓶が整うまではこの甕でいい。黒い布で覆って光を避けよう」
「はい」
家令がそっと耳打ちする。
「できたのなら……その、卸を」
「僕のところへ卸してくれないかな。扱いは丁寧にする。値は君らで決めよう。銘の名も、火の民で」
「わらわにも寄越せ」リディアが口角を上げる。「酒の守り手は、味見の権を持つ」
「もちろん、二人にも」
夕餉の刻。卓の端に、小さな甕が二つ並んだ。ひとつは雫の生、もうひとつは火入れの清酒。杯に少しずつ注ぐと、部屋の空気が一瞬だけ静まる。
「まずは、生の雫を」
伯が杯を持ち、光を透かせる。口に含んだ瞬間、微かに肩が震えた。喉を落ちる音が静かに響き、伯はゆっくりと息を吐く。
「……水と火が、手を取っておる」
「次に、清酒を」
今度は香りが丸く立ち上がり、米の甘みが輪郭を持って舌に広がる。火の民の火入れは一本芯が通っていて、刃がない。伯は杯を置き、目元に手をやった。
「……わが里で、こういう酒が……」
「里の米で、里の火で、里の息で。君たちの酒だよ」
伯は堪えきれず、指の節で目を拭った。家令も、蔵人も、兵も、笑いながら同じように目を押さえる。リディアは杯を軽く掲げて言う。
「良い。誇りの味じゃ。泣いてよい酒は、良い酒じゃ」
その夜、僕は蔵に戻って、最初の卸の覚え書きを作った。銘は火の民が決めること、甕口の封蝋は火の紋で統一すること、歩留まりの数字は二度読みすること、火入れの温は四拍で測ること……そして、卸先にリョウエスト商会の倉とリディアの樽部屋を加えること。蔵元代わりが小さく笑って言う。
「名前は……『火守の雫』にしようか」
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