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14歳の助走。
静かな時間。
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夕餉の刻が近づき、厨房に顔を出して小さく頼む。
「王様に約していた火の民の新酒『火守の雫』を、お席にお運びください。説明が要ると仰るはずなので、その時は呼んでください」
程なくして侍従が迎えに来る。食卓には柔らかな灯、器の縁は静かで、香りは薄い。王様が盃を手に取り、目だけで促された。
「この酒は、米どころとなった火の民が拵えました。仕上げの最後だけ、私が手伝いました。米を磨き、澄んだところだけをゆっくり引き出した酒です」
「米の酒か。米もお前がもたらした」
王様は一口含み、喉の奥でわずかに息を整える。先王妃様も盃を傾け、にこりと目を細めた。
「すっきりしたお味ね。香りが静かで良いわ」
「ありがとうございます」
「それとな、リョウエスト。良い湯だったぞ」
王様がふっと笑う。先王妃様は続けて言われた。
「あなたのお祖母様、とっても良い方ね。それに、この家はとても良いわ。ありがとう」
胸の奥が温かくなる。しばし、旅路の様子や沿道の人々のことを短く語り合い、頃合いを見て辞去した。夜更け前、控室に「お二人はお休みになりました」と報せが入る。どうか、ぐっすりと……そう願いながら、中庭の風を一つ吸い込んだ。
翌朝。控えの板に「ゆったりご起床、朝湯済み」と侍従の走り書き。先王妃様はお祖母様と庭へ出られたようだ。日陰の椅子がきちんと並び、浅い水音が邪魔をしない。二人が花の名を確かめ合い、時々笑っている姿が遠目に見えた。
昼餉が静かに済むと、王様は「ルディスの刻に」と仰る。茶と小さな菓子の用意。呼ばれて席に着くと、器の縁に薄い光が乗っていた。
「ひとつ頼みがある。異なる世界の話を聞きたい。お前の前世の……地球の日本、という国のことを」
盃の代わりに茶を持ち直し、言葉を選ぶ。ここにふさわしい静かな景色だけを、そっと取り出す。
「私のいた国は、四季の移り変わりがはっきりしていました。春には桜の花がいっせいに咲き、散る時は花びらが雪のように舞います。人々は木の下に敷物を広げて、家族や仲間と弁当を分け合い、花を見上げて過ごすのです」
「桜……こちらの桃の花とはまた違うか」
「はい。薄い、淡い、儚い色です。夏は蝉という虫が昼に鳴いて、夕立の後は土の匂いが濃くなります。暑い日には、氷を削って蜜をかけた菓子を食べました。秋は稲を刈り、月を眺める夜があります。丸い餅を積んで、すすきを飾って、静かに月を見ます。冬は雪が降り、障子越しの光が白くなります」
先王妃様が身を乗り出す。
「月を見るための夜……素敵ね」
「音を小さく、灯を低く。そんな夜でした。湯の文化もありました。湯殿がいくつも並ぶ街があって、人は旅の途中で湯に浸かり、体の疲れを抜きます。湯上がりには牛乳や甘い水を一口だけ。湯は熱すぎず、長くいられる温かさが良いとされました」
王様の目が愉快そうに光る。
「湯の国か。静養の家を喜ぶ心と、どこか似ていそうだ」
「庭づくりも似ています。石と水と木を少しずつ置いて、広く見せず、小さく深く。歩く速さを自然にゆっくりにしてくれます。茶も、湯を少し冷ましてから淹れて、香りを立たせます。菓子は小さく、甘さは薄く。今日のケーキも、美味しいです」
小さなルディスに目をやる。柔らかな生地に、果実の酸がほんの少し。王様は茶を一口含んでから、静かに頷かれた。
「人を急がせない知恵が多いのだな」
「はい。急ぎたい時ほど、遠回りの作法で整えます。道を掃いて、角を丸めて、合図を短く。……こちらで学んだことと、実はとても近いのだと、最近よく思います」
先王妃様が窓外の影を見て、楽しげに笑った。
「この家の歩き方も、それね。小さく深く。あなたのお祖母様と歩くと、自然と歩幅が揃うのよ」
「光栄です」
しばし、祭りの話もした。夏には灯りを持って踊る夜があり、秋には収穫を祝う市が立つこと。子どもが紙で作った風車を手に走り、祖父母が縁側でその様子を眺めていること。どの場面にも、誰かを急がせない手当があり、誰かの疲れを軽くする道具があること。
話が一段落すると、王様は茶器の縁を指で軽くなぞり、短く言われた。
「良い。続きはまた夜にでも聞こう」
「いつでも」
ルディスの刻は長くならず、静かに終わった。侍従が器を下げ、控室の板に「午後の散策、短く」と新しい紙が重ねられる。先王妃様はお祖母様と庭の陰を選び、王様は湯殿へ短い散歩。館の呼吸は、昨日よりさらに整っている。
廊の角で、侍女姿となっているミザーリが肩を並べた。
「前の国の話、良かったよ。ここに似合うところだけ、そっと置くのが上手い」
「この家の静けさを乱したくなくて」
「乱れていない。むしろ、静けさが深くなった」
小さく笑い合い、仕事へ戻る。今日も、余計は足さない。足りないところだけ、薄く手を添える。それで十分だ。外では低い見張りの合図、内では小さな水音。遠くで、先王妃様とお祖母様の笑い声が一度だけ弾んだ。
「王様に約していた火の民の新酒『火守の雫』を、お席にお運びください。説明が要ると仰るはずなので、その時は呼んでください」
程なくして侍従が迎えに来る。食卓には柔らかな灯、器の縁は静かで、香りは薄い。王様が盃を手に取り、目だけで促された。
「この酒は、米どころとなった火の民が拵えました。仕上げの最後だけ、私が手伝いました。米を磨き、澄んだところだけをゆっくり引き出した酒です」
「米の酒か。米もお前がもたらした」
王様は一口含み、喉の奥でわずかに息を整える。先王妃様も盃を傾け、にこりと目を細めた。
「すっきりしたお味ね。香りが静かで良いわ」
「ありがとうございます」
「それとな、リョウエスト。良い湯だったぞ」
王様がふっと笑う。先王妃様は続けて言われた。
「あなたのお祖母様、とっても良い方ね。それに、この家はとても良いわ。ありがとう」
胸の奥が温かくなる。しばし、旅路の様子や沿道の人々のことを短く語り合い、頃合いを見て辞去した。夜更け前、控室に「お二人はお休みになりました」と報せが入る。どうか、ぐっすりと……そう願いながら、中庭の風を一つ吸い込んだ。
翌朝。控えの板に「ゆったりご起床、朝湯済み」と侍従の走り書き。先王妃様はお祖母様と庭へ出られたようだ。日陰の椅子がきちんと並び、浅い水音が邪魔をしない。二人が花の名を確かめ合い、時々笑っている姿が遠目に見えた。
昼餉が静かに済むと、王様は「ルディスの刻に」と仰る。茶と小さな菓子の用意。呼ばれて席に着くと、器の縁に薄い光が乗っていた。
「ひとつ頼みがある。異なる世界の話を聞きたい。お前の前世の……地球の日本、という国のことを」
盃の代わりに茶を持ち直し、言葉を選ぶ。ここにふさわしい静かな景色だけを、そっと取り出す。
「私のいた国は、四季の移り変わりがはっきりしていました。春には桜の花がいっせいに咲き、散る時は花びらが雪のように舞います。人々は木の下に敷物を広げて、家族や仲間と弁当を分け合い、花を見上げて過ごすのです」
「桜……こちらの桃の花とはまた違うか」
「はい。薄い、淡い、儚い色です。夏は蝉という虫が昼に鳴いて、夕立の後は土の匂いが濃くなります。暑い日には、氷を削って蜜をかけた菓子を食べました。秋は稲を刈り、月を眺める夜があります。丸い餅を積んで、すすきを飾って、静かに月を見ます。冬は雪が降り、障子越しの光が白くなります」
先王妃様が身を乗り出す。
「月を見るための夜……素敵ね」
「音を小さく、灯を低く。そんな夜でした。湯の文化もありました。湯殿がいくつも並ぶ街があって、人は旅の途中で湯に浸かり、体の疲れを抜きます。湯上がりには牛乳や甘い水を一口だけ。湯は熱すぎず、長くいられる温かさが良いとされました」
王様の目が愉快そうに光る。
「湯の国か。静養の家を喜ぶ心と、どこか似ていそうだ」
「庭づくりも似ています。石と水と木を少しずつ置いて、広く見せず、小さく深く。歩く速さを自然にゆっくりにしてくれます。茶も、湯を少し冷ましてから淹れて、香りを立たせます。菓子は小さく、甘さは薄く。今日のケーキも、美味しいです」
小さなルディスに目をやる。柔らかな生地に、果実の酸がほんの少し。王様は茶を一口含んでから、静かに頷かれた。
「人を急がせない知恵が多いのだな」
「はい。急ぎたい時ほど、遠回りの作法で整えます。道を掃いて、角を丸めて、合図を短く。……こちらで学んだことと、実はとても近いのだと、最近よく思います」
先王妃様が窓外の影を見て、楽しげに笑った。
「この家の歩き方も、それね。小さく深く。あなたのお祖母様と歩くと、自然と歩幅が揃うのよ」
「光栄です」
しばし、祭りの話もした。夏には灯りを持って踊る夜があり、秋には収穫を祝う市が立つこと。子どもが紙で作った風車を手に走り、祖父母が縁側でその様子を眺めていること。どの場面にも、誰かを急がせない手当があり、誰かの疲れを軽くする道具があること。
話が一段落すると、王様は茶器の縁を指で軽くなぞり、短く言われた。
「良い。続きはまた夜にでも聞こう」
「いつでも」
ルディスの刻は長くならず、静かに終わった。侍従が器を下げ、控室の板に「午後の散策、短く」と新しい紙が重ねられる。先王妃様はお祖母様と庭の陰を選び、王様は湯殿へ短い散歩。館の呼吸は、昨日よりさらに整っている。
廊の角で、侍女姿となっているミザーリが肩を並べた。
「前の国の話、良かったよ。ここに似合うところだけ、そっと置くのが上手い」
「この家の静けさを乱したくなくて」
「乱れていない。むしろ、静けさが深くなった」
小さく笑い合い、仕事へ戻る。今日も、余計は足さない。足りないところだけ、薄く手を添える。それで十分だ。外では低い見張りの合図、内では小さな水音。遠くで、先王妃様とお祖母様の笑い声が一度だけ弾んだ。
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