342 / 806
7歳の駈歩。
閑話・甜菜農家の希望
『農夫ルディオの回想』
陽が昇る前の薄明かりの中、私は鍬を握りしめ土の匂いを嗅ぎながら畑を歩いていた。ここルステインの中山間地外れにある小さな村で甜菜を作ってもう30年になる。だが正直に言ってこの10年は苦しい年が続いていた。雨が多すぎれば根が腐る。日照りが続けば育たない。収穫しても、売れるのはほんのわずか。甘味といえば蜂蜜や果物が主流で甜菜は「貧乏人の甘味」と揶揄されることもあった。
それでも耕し続けるしかなかった。先祖代々この土地で暮らしてきた。父も祖父も甜菜を育て粘土質の土に鍬を入れながら私に農の心得を教えてくれた。その手の温もりを私は忘れたことがない。だからどれほど損をしても借金が膨らんでも私は畑を捨てられなかった。
「甜菜で飯が食える時代なんて、来るわけがねぇさ」
村の誰かが言った。だが私は言い返すこともできなかった。現実があまりに厳しかったのだ。
そんな折春先に風の噂が届いた。「王都の商会が甜菜を買い取り始めたらしい」「しかも、かなりの高値で」…誰もが最初は信じなかった。どうせ新手の詐欺だろうと村では鼻で笑われた。だがその話は一度だけでは終わらなかった。
「スサン商会ってとこが、甜菜糖っていう新しい甘味料を作るんだと。しかも、王城に納めてるってよ」
耳を疑った。王城に?甜菜が?あの貧乏人の甘味が王様の口に?
最初に動いたのは隣村のディルさんだった。あの堅物の彼がスサン商会に出向いて契約を交わしたと聞いたとき村はどよめいた。だがその翌月には大量の甜菜を載せた荷馬車が村の外れを通っていった。まるで夢を見ているようだった。
「……ワシらも、やってみるか?」
村の長老がぼそりと呟いた。それがすべての始まりだった。
初めてスサン商会と取引した日を、私は生涯忘れないだろう。
早朝まだ霧の残る中獣人の御者が引く荷車が私の畑に現れた。がっしりした体格の男が丁寧に礼をして言った。
「契約書通り、甜菜250キロの引き取りに参りました」
私は胸が高鳴るのを抑えきれなかった。こんなにも整った取引が農村の我々に向けて行われているなど、かつてなかったことだ。品目ごとの規格、重さの計測、収穫後の保存指導…全てが明確でしかも買い取り額はこれまでの倍近く。
「これは…本当に、私の甜菜に払ってくれる額なのか?」
何度も問い直す私に獣人の商人は静かにうなずいた。
「あなた方の作物には、価値があります。スサン商会はそれを求めています」
それから村が変わった。甜菜の畑が急速に広がりこれまで小麦やジャガイモを作っていた土地にも試験的に甜菜が植えられるようになった。商会の巡回指導員が来て土壌の改良法や収穫時期の管理まで教えてくれる。一人ひとりの農家に希望が宿り始めた。
「孫がな、甘い菓子を食べたのは初めてだったんじゃ」
年老いた隣人が涙を拭きながら笑っていた。甜菜糖が村に戻ってくるのだ。買い取りと同時に商品として加工された甜菜糖も卸されるようになり、私たちは自分たちの育てた作物が他の誰かの喜びに変わる瞬間をはっきりと感じるようになった。
もちろん最初は不安もあった。本当に続くのか?王都の流行で終わるのではないか?だが秋口には噂が事実であると誰もが知った。王都の夜会に出された菓子に甜菜糖が使われたのだ。しかも王妃様ご自身が気に入られたと聞いた。
「王族が食べた…甜菜が、王族の口に…」
畑の仲間が泣いた。無理もない。私たちはずっと見下されてきた。安い、粗末、野暮ったいと。でも今同じ畑から生まれた作物が国を代表する場に出ている。誇らしいという言葉では足りなかった。
…だが、これは始まりにすぎなかった。
春の終わりスサン商会の回収隊が再び村を訪れた。荷車には見慣れない装置が積まれていた。小さな蒸留器と試験管のような器具。それを見て近くの青年が目を輝かせた。
「それなんですか?」
指導員の獣人がにこりと笑う。
「甜菜を糖にする前の試験器です。今後村単位で糖度を測ることでより高値での取引が可能になります」
まるで夢を見ているようだった。かつては品質など問われなかった。安い買い叩きが当たり前だった。それが今甘さの違いが、努力の違いが正しく値段に反映されるのだという。
若者たちの目が変わった。今まで村を出ていった者たちも連絡を寄越すようになった。
「村が…面白くなってきた。戻ってもいいかもしれない」
息子の友人がそう呟いていたのを私は畑の隅で耳にした。
それからというもの村では「甜菜研究会」なる集まりが生まれた。若手が中心となってどの畝でどんな肥料を使うか日照と灌水のバランスなど夜な夜な議論している。かつて夜の集会といえば愚痴ばかりだった。それが今は、明日への挑戦の場となっている。
スサン商会はただ買い取るだけではなかった。毎年農家と商会の交流会を王都で開くという。希望者は現地へ赴き王都の市場や流通を見学できる。どこに自分たちの作物が行きどのように使われるのかを知ることで、仕事への誇りが高まっていく。
「ルディオさん、あなたのところの甜菜、王都の『スサンの天使』に使われてるそうですよ」
獣人の指導員が笑顔で言った。
私はその言葉に返す言葉が見つからなかった。ただ手を胸に当ててしばらく黙っていた。
我々が育てた甜菜はもはやただの作物ではなかった。子どもや孫たちが未来を語るための土の中の希望となったのだ。
スサン商会という名前はもはや村にとって「遠い都の商人」ではない。共に進む仲間であり家族のような存在だった。
リョウエスト・スサン。その名を直接知る者は村には少ない。だが、彼が仕組んだ流通、彼が考えた買い取り制度、彼が願った未来は、確かに我々の暮らしの中に息づいている。
私たち甜菜農家はもう過去のように嘆いたりしない。
土を耕し、甘みを育て、誰かの笑顔へとつなげていく。
それが私たちの誇りであり、希望なのだ。
陽が昇る前の薄明かりの中、私は鍬を握りしめ土の匂いを嗅ぎながら畑を歩いていた。ここルステインの中山間地外れにある小さな村で甜菜を作ってもう30年になる。だが正直に言ってこの10年は苦しい年が続いていた。雨が多すぎれば根が腐る。日照りが続けば育たない。収穫しても、売れるのはほんのわずか。甘味といえば蜂蜜や果物が主流で甜菜は「貧乏人の甘味」と揶揄されることもあった。
それでも耕し続けるしかなかった。先祖代々この土地で暮らしてきた。父も祖父も甜菜を育て粘土質の土に鍬を入れながら私に農の心得を教えてくれた。その手の温もりを私は忘れたことがない。だからどれほど損をしても借金が膨らんでも私は畑を捨てられなかった。
「甜菜で飯が食える時代なんて、来るわけがねぇさ」
村の誰かが言った。だが私は言い返すこともできなかった。現実があまりに厳しかったのだ。
そんな折春先に風の噂が届いた。「王都の商会が甜菜を買い取り始めたらしい」「しかも、かなりの高値で」…誰もが最初は信じなかった。どうせ新手の詐欺だろうと村では鼻で笑われた。だがその話は一度だけでは終わらなかった。
「スサン商会ってとこが、甜菜糖っていう新しい甘味料を作るんだと。しかも、王城に納めてるってよ」
耳を疑った。王城に?甜菜が?あの貧乏人の甘味が王様の口に?
最初に動いたのは隣村のディルさんだった。あの堅物の彼がスサン商会に出向いて契約を交わしたと聞いたとき村はどよめいた。だがその翌月には大量の甜菜を載せた荷馬車が村の外れを通っていった。まるで夢を見ているようだった。
「……ワシらも、やってみるか?」
村の長老がぼそりと呟いた。それがすべての始まりだった。
初めてスサン商会と取引した日を、私は生涯忘れないだろう。
早朝まだ霧の残る中獣人の御者が引く荷車が私の畑に現れた。がっしりした体格の男が丁寧に礼をして言った。
「契約書通り、甜菜250キロの引き取りに参りました」
私は胸が高鳴るのを抑えきれなかった。こんなにも整った取引が農村の我々に向けて行われているなど、かつてなかったことだ。品目ごとの規格、重さの計測、収穫後の保存指導…全てが明確でしかも買い取り額はこれまでの倍近く。
「これは…本当に、私の甜菜に払ってくれる額なのか?」
何度も問い直す私に獣人の商人は静かにうなずいた。
「あなた方の作物には、価値があります。スサン商会はそれを求めています」
それから村が変わった。甜菜の畑が急速に広がりこれまで小麦やジャガイモを作っていた土地にも試験的に甜菜が植えられるようになった。商会の巡回指導員が来て土壌の改良法や収穫時期の管理まで教えてくれる。一人ひとりの農家に希望が宿り始めた。
「孫がな、甘い菓子を食べたのは初めてだったんじゃ」
年老いた隣人が涙を拭きながら笑っていた。甜菜糖が村に戻ってくるのだ。買い取りと同時に商品として加工された甜菜糖も卸されるようになり、私たちは自分たちの育てた作物が他の誰かの喜びに変わる瞬間をはっきりと感じるようになった。
もちろん最初は不安もあった。本当に続くのか?王都の流行で終わるのではないか?だが秋口には噂が事実であると誰もが知った。王都の夜会に出された菓子に甜菜糖が使われたのだ。しかも王妃様ご自身が気に入られたと聞いた。
「王族が食べた…甜菜が、王族の口に…」
畑の仲間が泣いた。無理もない。私たちはずっと見下されてきた。安い、粗末、野暮ったいと。でも今同じ畑から生まれた作物が国を代表する場に出ている。誇らしいという言葉では足りなかった。
…だが、これは始まりにすぎなかった。
春の終わりスサン商会の回収隊が再び村を訪れた。荷車には見慣れない装置が積まれていた。小さな蒸留器と試験管のような器具。それを見て近くの青年が目を輝かせた。
「それなんですか?」
指導員の獣人がにこりと笑う。
「甜菜を糖にする前の試験器です。今後村単位で糖度を測ることでより高値での取引が可能になります」
まるで夢を見ているようだった。かつては品質など問われなかった。安い買い叩きが当たり前だった。それが今甘さの違いが、努力の違いが正しく値段に反映されるのだという。
若者たちの目が変わった。今まで村を出ていった者たちも連絡を寄越すようになった。
「村が…面白くなってきた。戻ってもいいかもしれない」
息子の友人がそう呟いていたのを私は畑の隅で耳にした。
それからというもの村では「甜菜研究会」なる集まりが生まれた。若手が中心となってどの畝でどんな肥料を使うか日照と灌水のバランスなど夜な夜な議論している。かつて夜の集会といえば愚痴ばかりだった。それが今は、明日への挑戦の場となっている。
スサン商会はただ買い取るだけではなかった。毎年農家と商会の交流会を王都で開くという。希望者は現地へ赴き王都の市場や流通を見学できる。どこに自分たちの作物が行きどのように使われるのかを知ることで、仕事への誇りが高まっていく。
「ルディオさん、あなたのところの甜菜、王都の『スサンの天使』に使われてるそうですよ」
獣人の指導員が笑顔で言った。
私はその言葉に返す言葉が見つからなかった。ただ手を胸に当ててしばらく黙っていた。
我々が育てた甜菜はもはやただの作物ではなかった。子どもや孫たちが未来を語るための土の中の希望となったのだ。
スサン商会という名前はもはや村にとって「遠い都の商人」ではない。共に進む仲間であり家族のような存在だった。
リョウエスト・スサン。その名を直接知る者は村には少ない。だが、彼が仕組んだ流通、彼が考えた買い取り制度、彼が願った未来は、確かに我々の暮らしの中に息づいている。
私たち甜菜農家はもう過去のように嘆いたりしない。
土を耕し、甘みを育て、誰かの笑顔へとつなげていく。
それが私たちの誇りであり、希望なのだ。
あなたにおすすめの小説
異世界転生したので、文明レベルを21世紀まで引き上げてみた ~前世の膨大な知識を元手に、貧乏貴族から世界を変える“近代化の父”になります~
夏見ナイ
ファンタジー
過労死したプラントエンジニアの俺が転生したのは、剣と魔法の世界のド貧乏な貴族の三男、リオ。石鹸すらない不衛生な環境、飢える家族と領民……。こんな絶望的な状況、やってられるか! 前世の知識を総動員し、俺は快適な生活とスローライフを目指して領地改革を開始する!
農業革命で食料問題を解決し、衛生革命で疫病を撲滅。石鹸、ガラス、醤油もどきで次々と生活レベルを向上させると、寂れた領地はみるみる豊かになっていった。
逃げてきた伯爵令嬢や森のエルフ、ワケありの元騎士など、頼れる仲間も集まり、順風満帆かと思いきや……その成功が、強欲な隣領や王都の貴族たちの目に留まってしまう。
これは、ただ快適に暮らしたかっただけの男が、やがて“近代化の父”と呼ばれるようになるまでの物語。
最強魔法は生活魔法!? ~異世界ではモンスター退治も生活のうち~
gagaga
ファンタジー
神の気まぐれにより異世界へと転移した主人公田辺竜太(大学生)が生活魔法を駆使して冒険したり町の人と触れ合ったりする物語です。
なお、神が気まぐれすぎて一番最初に降り立つ地は、無人島です。
一人称視点、独り言多め、能天気となっております。
なお、作者が気ままに書くので誤字脱字は多いかもしれませんが、大目に見て頂けるとありがたいです。
ただ、敢えてそうしている部分もあり、ややこしくてすいません。(^^;A
ご指摘あればどんどん仰ってください。
※2017/8/29 連載再開しました!
出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜
シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。
起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。
その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。
絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。
役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。
神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします
夜明シスカ
ファンタジー
アリュールという世界の中にある一国。
アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。
いわゆる"神々の愛し子"というもの。
神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。
そういうことだ。
そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。
簡単でしょう?
えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか??
−−−−−−
新連載始まりました。
私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。
会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。
余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。
会話がわからない!となるよりは・・
試みですね。
誤字・脱字・文章修正 随時行います。
短編タグが長編に変更になることがございます。
*タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。
ひだまりのFランク冒険者
みなと劉
ファンタジー
ここは異世界。
そこの冒険者ギルドでは毎日仕事がてんこ盛り。
そんな中
冒険者ギルドには万年Fランクの冒険者が一人いる。
その名は、リルド。
彼は、特に何もない感じに毎日
「薬草採取」「石集め」Fランク向け「討伐」場合によっては「ポーション生成」をする。
この話はこの万年Fランク冒険者リルドの物語である。
家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜
奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。
パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。
健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。
【完結】うさぎ転生 〜女子高生の私、交通事故で死んだと思ったら、気づけば現代ダンジョンの最弱モンスターに!?最強目指して生き延びる〜
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
女子高生の篠崎カレンは、交通事故に遭って命を落とした……はずが、目覚めるとそこはモンスターあふれる現代ダンジョン。しかも身体はウサギになっていた!
HPはわずか5、攻撃力もゼロに等しい「最弱モンスター」扱いの白うさぎ。それでもスライムやコボルトにおびえながら、なんとか生き延びる日々。唯一の救いは、ダンジョン特有の“スキル”を磨けば強くなれるということ。
跳躍蹴りでスライムを倒し、小動物の悲鳴でコボルトを怯ませ、少しずつ経験値を積んでいくうちに、カレンは手応えを感じ始める。
「このままじゃ終わらない。私、もっと強くなっていつか……」
最弱からの“首刈りウサギ”進化を目指して、ウサギの身体で奮闘するカレン。彼女はこの危険だらけのダンジョンで、生き延びるだけでなく“人間へ戻る術(すべ)”を探し当てられるのか? それとも新たなモンスターとしての道を歩むのか?最弱うさぎの成り上がりサバイバルが、いま幕を開ける!
[完]異世界銭湯
三園 七詩
ファンタジー
下町で昔ながらの薪で沸かす銭湯を経営する一家が住んでいた。
しかし近くにスーパー銭湯が出来てから客足が激減…このままでは店を畳むしかない、そう思っていた。
暗い気持ちで目覚め、いつもの習慣のように準備をしようと外に出ると…そこは見慣れた下町ではなく見たことも無い場所に銭湯は建っていた…