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9歳の記す者。
閑話・龍と少年少女。
「この壺の中に、例の“はちみつ煙酒”が入っておる。今日も頼めるかの?」
リディアが手を差し出すと、目をまん丸にした錬金学校の生徒――少年アリオンが、おそるおそる壺を受け取った。
「……あ、あのっ……はいっ。経年転化式、今日は……三ヶ月分、重ねます」
「うむ、よろしく頼む。時の流れの再現は、貴重な技よ。お主らのような者でなければ叶わぬ」
錬金学校から派遣されているのは、5人の生徒たち。
彼らはリョウエストの仲介で、『熟成を制御する』という錬金術の実習のために、リディアの蒸留所で作業している。
ただし――
(お、大きい……。あの人、ほんとに人? ドラゴンって本当にいたんだ……!)
(絶対に怒らせちゃいけないタイプだよ……!)
(ていうかお酒……めちゃくちゃ美味しそうな匂いしてるけど……私たち未成年……っ)
初日は全員、背筋を伸ばして震えながら壺に術をかけていた。
「よし、終わった。……あ、リディア様。ここ、香り変わりました」
少女カリナが声をかける。胸元まで垂れた銀の髪をまとめ、壺の上に手をかざす。
「ふむ、どれ……おお、まろみが増したな。焚き火の香がやや強くなっておる。面白い」
「……褒められた……!」
「当然じゃ。お主の術は的確で丁寧。雑味を削って、旨味だけを前に出す……見事よ」
「うれしい……っ」
彼らの緊張がほぐれ始めたのは、リディアがこうしてひとりずつ、丁寧に成果を見て、『言葉にして』褒めてくれたからだった。
「ねえリディア様! 龍って、ほんとに何百年も生きるの? その間、ずっと同じ味が好きなんですか?」
「よい質問じゃな。うむ、わらわは確かに何百年も生きておるが、好みは変わるものじゃぞ。若い頃は強い酒ばかりを好んだが、今は香りに重きを置いておる」
「へええ……僕はまだ甘いお酒にしか反応できないかも」
「それもよい。味覚は成長するものじゃ。酒と共に歳を重ねよ」
「リディアさん、……あの……私、ちょっと怖かったんです」
「ほう?」
「あの、大きくて……強そうで……それで、近寄っちゃいけない存在だって……でも、今は違います」
「……ふむ」
「お酒を作るリディアさんは、『美味しくしたい』ってすごく一生懸命で……私、それが好きです」
リディアは、ふっと優しく目を細めた。
「わらわも……お主らと交わることで、『変化』を学んでおる。これは熟成と似ておるのう」
その手のひらが、壺の温もりを確かめるように撫でた。
子どもたちは、もう『恐れ』ではなく、『尊敬)の眼差しでリディアを見ていた。その眼差しは、少しだけ家族に向けるような、温かなものに変わっていた。
「リディア様、ここの樽……底の温度、少し高すぎます。もしかして日差しが強くなってきたからかも」
「ふむ、なるほど。日照と気温の関係……わらわ、盲点じゃった。よく気づいたな、アリオン」
「へへ、ありがとうございます!」
アトリエ裏の酒蔵では、錬金学校の少年少女たちが今日も経年変化の術をかける準備をしていた。
もはや彼らにとって、『リディア様の酒蔵』は教室そのものになっていた。
「ねえ、リディアさん。お酒って、魔術と違って『正解』がない気がするんだけど……それって楽しい?」
赤毛の少女ナージャが、魔力調整の術式を書きながらぽつりと聞いた。
「楽しいのう。『これが正しい』という答えがないということは、常に新しい味と出会えるということじゃ」
「……うん。わたし、術式って窮屈だと思ってたけど、今日の調整は、なんか音楽みたいで楽しい」
「味の調律は、音の調律に似ておる。五感で調べ、心で決める。魔力よりも、心を込めよ」
リディアはそう言って、そっとナージャの手を取った。
「その指先に、わらわの味を託しておるのじゃ」
「……がんばります」
一方、少年のひとりダンは言った。
「ねえリディア様、あのさ……俺、ぶっちゃけ学校の勉強、好きじゃなくてさ。でも、ここの作業は夢中になれるんだ」
「ほう。それはなぜじゃ?」
「わかんない……でも、手を動かして、香りを嗅いで、リディア様が『よくできた』って言ってくれると、『あ、俺でもやっていいんだ』って思える」
リディアはその言葉を噛みしめるように受け止め、しばらくして言った。
「……それはお主に、『心を注げる何か』が見つかったということじゃ。ならば、この手で自分の道を開け」
「……うん!」
ある日、少女カリナが小さな箱を手渡してきた。
「これ、私たちからリディア様に。中身は……ちょっとした、おまけ」
「ほう、なんじゃ?」
開けると中に入っていたのは、小さな香り瓶。
それぞれに、生徒たちが自分の魔力で作った『香りの原酒』のサンプルが入っていた。
「それぞれ、自分の好きな香りを込めてます。まだ未熟だけど、リディア様の研究に少しでも使ってもらえたらって」
「……なんと。これは……ふふ、わらわの『最古の弟子たち』からの、初の贈り物じゃな」
リディアはふと、リョウエストの言葉を思い出していた。
(『家族っていうのは、未来を味わうもの』――)
今、まさにこの香り瓶は、その未来の香りだった。
「ありがとう。これは宝物じゃ」
彼女の声に、子どもたちは満面の笑みを浮かべた。
ある日、錬金学校の教官がアトリエを訪れ、リディアに静かに告げた。
「リディア様。お預けしていた実習生たちは、本日をもって一旦引き上げます。卒業試験の準備のために」
「……そうか。早いものじゃのう」
広間に戻ると、少年少女たちが荷物をまとめていた。
リディアを見ると、全員が手を止め、真っ直ぐに彼女へと向き直った。
「……あの、リディア様」
先に口を開いたのはアリオンだった。彼は手に一冊の分厚いノートを抱えていた。
「これ、みんなでまとめた『リディア様の酒熟成記録』です。僕たちが術式をかけた日や、香りの変化、失敗した日もぜんぶ」
「ほう、これは……」
リディアがページを開くと、見慣れた手書きの術式と、その横に『花のような香り』『失敗!でもレーズンっぽい味が出た!』などのコメントが並んでいた。
「……これは、わらわの『味の歴史』ではないか」
「はい。……だから、これで“終わり”じゃなくて、“始まり”なんです」
「……リディアさん、私、将来『酒と錬金術の融合研究』やりたいです。リディアさんと出会ったから」
少女ナージャが、少し涙をこらえるように言った。
「おお、よき志じゃ。わらわも協力する。いつでも相談に来い」
「……うんっ!」
「リディア様、俺、勉強苦手だったけど、この酒蔵があったから……卒業まで来れた。マジでありがとう!」
「ふふ、礼などいらぬ。お主が歩いた道は、すでに『お主のもの』になっておる。胸を張って進め」
「はいっ!」
•
そして少女カリナが、手に小瓶を抱えて前に出る。
「これ……リディア様が一番気に入ってくれた『樽香の原酒』。今日、この瓶で封じました。開けるのは……」
「わかっておる。『未来』の香りじゃな?」
カリナは泣き笑いになりながら頷いた。
「……はい!」
その夜。広間の机には、子どもたちが最後に調整した香り酒が並んでいた。
リディアはひとくち、それを飲んだ。
「……まろみ、香ばしさ、深み。未熟じゃが、これは確かに『お主らの味』じゃ。わらわが百年寝かせよう」
「えっ、百年!?」
「うむ。『未来の再会』に飲む。それまでに、もっとよい酒を揃えておかねばのう」
笑いが広がり、最後の夜がやわらかく更けていく。
翌朝、門の前。
「リディア様ー! また絶対、来ますね!」
「今度は弟子じゃなくて、研究者として!」
「また、おいしいお酒、教えてください!」
リディアは、大きな手を掲げて答えた。
「うむ。また来い、『わらわの蔵』は、いつでも開いておるぞ!」
リディアが手を差し出すと、目をまん丸にした錬金学校の生徒――少年アリオンが、おそるおそる壺を受け取った。
「……あ、あのっ……はいっ。経年転化式、今日は……三ヶ月分、重ねます」
「うむ、よろしく頼む。時の流れの再現は、貴重な技よ。お主らのような者でなければ叶わぬ」
錬金学校から派遣されているのは、5人の生徒たち。
彼らはリョウエストの仲介で、『熟成を制御する』という錬金術の実習のために、リディアの蒸留所で作業している。
ただし――
(お、大きい……。あの人、ほんとに人? ドラゴンって本当にいたんだ……!)
(絶対に怒らせちゃいけないタイプだよ……!)
(ていうかお酒……めちゃくちゃ美味しそうな匂いしてるけど……私たち未成年……っ)
初日は全員、背筋を伸ばして震えながら壺に術をかけていた。
「よし、終わった。……あ、リディア様。ここ、香り変わりました」
少女カリナが声をかける。胸元まで垂れた銀の髪をまとめ、壺の上に手をかざす。
「ふむ、どれ……おお、まろみが増したな。焚き火の香がやや強くなっておる。面白い」
「……褒められた……!」
「当然じゃ。お主の術は的確で丁寧。雑味を削って、旨味だけを前に出す……見事よ」
「うれしい……っ」
彼らの緊張がほぐれ始めたのは、リディアがこうしてひとりずつ、丁寧に成果を見て、『言葉にして』褒めてくれたからだった。
「ねえリディア様! 龍って、ほんとに何百年も生きるの? その間、ずっと同じ味が好きなんですか?」
「よい質問じゃな。うむ、わらわは確かに何百年も生きておるが、好みは変わるものじゃぞ。若い頃は強い酒ばかりを好んだが、今は香りに重きを置いておる」
「へええ……僕はまだ甘いお酒にしか反応できないかも」
「それもよい。味覚は成長するものじゃ。酒と共に歳を重ねよ」
「リディアさん、……あの……私、ちょっと怖かったんです」
「ほう?」
「あの、大きくて……強そうで……それで、近寄っちゃいけない存在だって……でも、今は違います」
「……ふむ」
「お酒を作るリディアさんは、『美味しくしたい』ってすごく一生懸命で……私、それが好きです」
リディアは、ふっと優しく目を細めた。
「わらわも……お主らと交わることで、『変化』を学んでおる。これは熟成と似ておるのう」
その手のひらが、壺の温もりを確かめるように撫でた。
子どもたちは、もう『恐れ』ではなく、『尊敬)の眼差しでリディアを見ていた。その眼差しは、少しだけ家族に向けるような、温かなものに変わっていた。
「リディア様、ここの樽……底の温度、少し高すぎます。もしかして日差しが強くなってきたからかも」
「ふむ、なるほど。日照と気温の関係……わらわ、盲点じゃった。よく気づいたな、アリオン」
「へへ、ありがとうございます!」
アトリエ裏の酒蔵では、錬金学校の少年少女たちが今日も経年変化の術をかける準備をしていた。
もはや彼らにとって、『リディア様の酒蔵』は教室そのものになっていた。
「ねえ、リディアさん。お酒って、魔術と違って『正解』がない気がするんだけど……それって楽しい?」
赤毛の少女ナージャが、魔力調整の術式を書きながらぽつりと聞いた。
「楽しいのう。『これが正しい』という答えがないということは、常に新しい味と出会えるということじゃ」
「……うん。わたし、術式って窮屈だと思ってたけど、今日の調整は、なんか音楽みたいで楽しい」
「味の調律は、音の調律に似ておる。五感で調べ、心で決める。魔力よりも、心を込めよ」
リディアはそう言って、そっとナージャの手を取った。
「その指先に、わらわの味を託しておるのじゃ」
「……がんばります」
一方、少年のひとりダンは言った。
「ねえリディア様、あのさ……俺、ぶっちゃけ学校の勉強、好きじゃなくてさ。でも、ここの作業は夢中になれるんだ」
「ほう。それはなぜじゃ?」
「わかんない……でも、手を動かして、香りを嗅いで、リディア様が『よくできた』って言ってくれると、『あ、俺でもやっていいんだ』って思える」
リディアはその言葉を噛みしめるように受け止め、しばらくして言った。
「……それはお主に、『心を注げる何か』が見つかったということじゃ。ならば、この手で自分の道を開け」
「……うん!」
ある日、少女カリナが小さな箱を手渡してきた。
「これ、私たちからリディア様に。中身は……ちょっとした、おまけ」
「ほう、なんじゃ?」
開けると中に入っていたのは、小さな香り瓶。
それぞれに、生徒たちが自分の魔力で作った『香りの原酒』のサンプルが入っていた。
「それぞれ、自分の好きな香りを込めてます。まだ未熟だけど、リディア様の研究に少しでも使ってもらえたらって」
「……なんと。これは……ふふ、わらわの『最古の弟子たち』からの、初の贈り物じゃな」
リディアはふと、リョウエストの言葉を思い出していた。
(『家族っていうのは、未来を味わうもの』――)
今、まさにこの香り瓶は、その未来の香りだった。
「ありがとう。これは宝物じゃ」
彼女の声に、子どもたちは満面の笑みを浮かべた。
ある日、錬金学校の教官がアトリエを訪れ、リディアに静かに告げた。
「リディア様。お預けしていた実習生たちは、本日をもって一旦引き上げます。卒業試験の準備のために」
「……そうか。早いものじゃのう」
広間に戻ると、少年少女たちが荷物をまとめていた。
リディアを見ると、全員が手を止め、真っ直ぐに彼女へと向き直った。
「……あの、リディア様」
先に口を開いたのはアリオンだった。彼は手に一冊の分厚いノートを抱えていた。
「これ、みんなでまとめた『リディア様の酒熟成記録』です。僕たちが術式をかけた日や、香りの変化、失敗した日もぜんぶ」
「ほう、これは……」
リディアがページを開くと、見慣れた手書きの術式と、その横に『花のような香り』『失敗!でもレーズンっぽい味が出た!』などのコメントが並んでいた。
「……これは、わらわの『味の歴史』ではないか」
「はい。……だから、これで“終わり”じゃなくて、“始まり”なんです」
「……リディアさん、私、将来『酒と錬金術の融合研究』やりたいです。リディアさんと出会ったから」
少女ナージャが、少し涙をこらえるように言った。
「おお、よき志じゃ。わらわも協力する。いつでも相談に来い」
「……うんっ!」
「リディア様、俺、勉強苦手だったけど、この酒蔵があったから……卒業まで来れた。マジでありがとう!」
「ふふ、礼などいらぬ。お主が歩いた道は、すでに『お主のもの』になっておる。胸を張って進め」
「はいっ!」
•
そして少女カリナが、手に小瓶を抱えて前に出る。
「これ……リディア様が一番気に入ってくれた『樽香の原酒』。今日、この瓶で封じました。開けるのは……」
「わかっておる。『未来』の香りじゃな?」
カリナは泣き笑いになりながら頷いた。
「……はい!」
その夜。広間の机には、子どもたちが最後に調整した香り酒が並んでいた。
リディアはひとくち、それを飲んだ。
「……まろみ、香ばしさ、深み。未熟じゃが、これは確かに『お主らの味』じゃ。わらわが百年寝かせよう」
「えっ、百年!?」
「うむ。『未来の再会』に飲む。それまでに、もっとよい酒を揃えておかねばのう」
笑いが広がり、最後の夜がやわらかく更けていく。
翌朝、門の前。
「リディア様ー! また絶対、来ますね!」
「今度は弟子じゃなくて、研究者として!」
「また、おいしいお酒、教えてください!」
リディアは、大きな手を掲げて答えた。
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