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舞台裏
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――話は、謁見の間で衝撃的な言葉を受けた、少し前の時間へと遡る――
王が退出した後、広大な空間にひとり取り残されたレステュユルニは、ゆっくりと意識を現実へと引き戻した。
(リューネが……婚約?美しく、純粋で愛い弟が……この国を離れ、遠い異国で生涯を過ごすというのか?)
レステュユルニに限らず、他の兄姉たちも皆リューネとは腹違いの兄弟だった。
しかし、その事実が彼らのリューネへの深い愛情を揺るがせることはなかった。
皆、リューネを溺愛し、彼の無垢な笑顔に救われ、愛らしさに心を奪われてきた。
国益のために婚姻を結ぶとしても、誰もが当然のように、リューネは姫君を娶り、この国で穏やかに暮らしていくものだと信じて疑わなかった。
(納得できない。リューネが、我々の傍を離れるなど…。父上に、もう一度熟慮するよう説得しなければならない)
レステュユルニは、すでに謁見の間を後にした父王の背中を捉え、急ぎ足で追いかけた。
「父上、お待ちください!」
彼の声は焦燥に染まり、静まり返った宮殿の空気を切り裂いた。
「リューネの婚姻は、どうしても納得がいきません。どうか、もう一度お考え直しいただけないでしょうか!」
その言葉に、王の歩みがぴたりと止まった。ゆっくりと振り返り、静かにレステュユルニを見据える。
「儂だってできることなら、あの子にはこの国でのんびりと穏やかに暮らしてほしいと心から願っていたよ。本当だ。でもね、儂の力ではどうにもならない…」
いつも飄々とした表情を崩さない父王の顔に、珍しく深い悲哀の色が浮かんでいた。
そのどこか異様な神妙さに、レステュユルニの胸は騒めきを覚える。
「レステュユルニ、お前は先代王、お爺様の試験を覚えているか?」
「は……? 試験……? 一体、何の話をなさっているのですか、父上。今はリューネの話を――」
「少し、儂に付き合って」
促されるままに歩を進める。二人が向かったのは、王宮の一角にある書庫だった。
王族のみが立ち入ることを許された、知識の保管庫。
父王は奥深くへと進み、滅多に閲覧されることのない棚の前で立ち止まり、一冊の本をゆっくりと抜き取る。
「この本、見覚えがあるでしょ?」
静かな声が響く。
「儂もお前と同じ十五の歳の頃だったか……父上から突然、『今日はお前に試験をする』と告げられ、この書物を手渡された。でもね、全く歯が立たなかったんだよね」
レステュユルニは、確かにその古びた装丁に見覚えがあった。
「確か……計算式がずらりと並んでいて……私は数式にはそれなりに自信がありましたが、とても解けるような代物ではなく途中から理解することを諦めていました」
「王族に生まれた者は皆、この試験を受けるしきたり。儂の知る限り、五百年以上もの間誰も解くことができなかった」
(誰も……? 過去形……?)
レステュユルニの胸に、冷たい不安がじわじわと広がっていく。
「リューネがね、解いちゃったんだよね」
沈黙が流れた。
「誰も解けなかった計算式の正解など、分かるはずがないではありませんか」
レステュユルニの声は、わずかに震えていた。
「儂も、全く同じことを父上に問い詰めたよ。でもね、これを見て」
父王は、古い書物の重厚な背表紙の裏から、慎重に閉じ込められていた羊皮紙を静かに広げた。
その瞬間――
まるで隠された力が解放されたかのように、部屋中に金色の光を帯びた計算式の数字が浮かび上がる。
それらはゆっくりと空間を漂いながら、中央へと収束し、一つの魔法陣へと変貌を遂げる。
神秘的な輝きに包まれながら、静かに空間に浮かび上がるその光景は、言葉を失うほど幻想的だった。
「なっ……」
レステュユルニは、目の前で繰り広げられる信じがたい光景に、言葉を完全に奪われた。
「この羊皮紙には、リューネが書き込んだ計算式の回答が記されているの。正解を導き出すことで、紙に込められた魔術が反応し魔法陣が現れる仕組み」
「ですが、それが婚姻と、何の関係が……?」
レステュユルニは、ようやく震える声を押し出した。
目の前の光景は理解を超え、婚姻と結びつけることができなかった。
「『この計算式の答え導きし者、必ずそれを必要とする者が現れる――その者の願いを叶え、決して逆らってはならない』これは代々受け継がれてきた一文。きっと昔は“なぜ逆らってはならないのか”という理由も添えられていたんだろうけれど、長い年月の中で省かれてしまったんだろうね。リューネを求める者は、きっとこの魔法陣をも必要とする者。儂はそう理解している」
いつも飄々とした表情を崩さない父王の顔に、珍しく深い悲哀の色が浮かんでいた
レステュユルニは、これまで父王が弱々しい姿を見せたことが一度もなかったことに、胸の奥に重い衝撃を覚えた。
それほどまでに、父王もまたリューネを深く溺愛していたのだという事実が、レステュユルニの心に重くのしかかった。
「婚約者であるアルステルス殿の国は、古代の魔法を継承する優れた魔術師たちが多いらしいよ。中でも王族は、その才において他の追随を許さぬほどの存在だって。それにね婚約者殿は、リューネを襲撃した犯人も突き止めている。それだけじゃない、この国の大きな利益となるような経済の改革についても、合理的な交渉を進めてきた。挙げ句の果てには、使者を通じて届いた婚約の申し入れには、リューネを誰よりも大切に思い、必ず幸せにすると誓う言葉が綴られていた。その申し入れを読んだ時、断るための理屈すら儂には浮かばなかった」
そして父王は、突然、まるで重荷を下ろすように静かに言葉を付け加えた。
「儂は、リューネが結婚を終えたら、王位から退くつもり。後はヨロシクね、レステュユルニ」
書庫には、重い空気の中で一人茫然と立ち尽くすレステュユルニと、窓から差し込む光を受け、金色に美しく輝く魔法陣だけが静かに残された。
王が退出した後、広大な空間にひとり取り残されたレステュユルニは、ゆっくりと意識を現実へと引き戻した。
(リューネが……婚約?美しく、純粋で愛い弟が……この国を離れ、遠い異国で生涯を過ごすというのか?)
レステュユルニに限らず、他の兄姉たちも皆リューネとは腹違いの兄弟だった。
しかし、その事実が彼らのリューネへの深い愛情を揺るがせることはなかった。
皆、リューネを溺愛し、彼の無垢な笑顔に救われ、愛らしさに心を奪われてきた。
国益のために婚姻を結ぶとしても、誰もが当然のように、リューネは姫君を娶り、この国で穏やかに暮らしていくものだと信じて疑わなかった。
(納得できない。リューネが、我々の傍を離れるなど…。父上に、もう一度熟慮するよう説得しなければならない)
レステュユルニは、すでに謁見の間を後にした父王の背中を捉え、急ぎ足で追いかけた。
「父上、お待ちください!」
彼の声は焦燥に染まり、静まり返った宮殿の空気を切り裂いた。
「リューネの婚姻は、どうしても納得がいきません。どうか、もう一度お考え直しいただけないでしょうか!」
その言葉に、王の歩みがぴたりと止まった。ゆっくりと振り返り、静かにレステュユルニを見据える。
「儂だってできることなら、あの子にはこの国でのんびりと穏やかに暮らしてほしいと心から願っていたよ。本当だ。でもね、儂の力ではどうにもならない…」
いつも飄々とした表情を崩さない父王の顔に、珍しく深い悲哀の色が浮かんでいた。
そのどこか異様な神妙さに、レステュユルニの胸は騒めきを覚える。
「レステュユルニ、お前は先代王、お爺様の試験を覚えているか?」
「は……? 試験……? 一体、何の話をなさっているのですか、父上。今はリューネの話を――」
「少し、儂に付き合って」
促されるままに歩を進める。二人が向かったのは、王宮の一角にある書庫だった。
王族のみが立ち入ることを許された、知識の保管庫。
父王は奥深くへと進み、滅多に閲覧されることのない棚の前で立ち止まり、一冊の本をゆっくりと抜き取る。
「この本、見覚えがあるでしょ?」
静かな声が響く。
「儂もお前と同じ十五の歳の頃だったか……父上から突然、『今日はお前に試験をする』と告げられ、この書物を手渡された。でもね、全く歯が立たなかったんだよね」
レステュユルニは、確かにその古びた装丁に見覚えがあった。
「確か……計算式がずらりと並んでいて……私は数式にはそれなりに自信がありましたが、とても解けるような代物ではなく途中から理解することを諦めていました」
「王族に生まれた者は皆、この試験を受けるしきたり。儂の知る限り、五百年以上もの間誰も解くことができなかった」
(誰も……? 過去形……?)
レステュユルニの胸に、冷たい不安がじわじわと広がっていく。
「リューネがね、解いちゃったんだよね」
沈黙が流れた。
「誰も解けなかった計算式の正解など、分かるはずがないではありませんか」
レステュユルニの声は、わずかに震えていた。
「儂も、全く同じことを父上に問い詰めたよ。でもね、これを見て」
父王は、古い書物の重厚な背表紙の裏から、慎重に閉じ込められていた羊皮紙を静かに広げた。
その瞬間――
まるで隠された力が解放されたかのように、部屋中に金色の光を帯びた計算式の数字が浮かび上がる。
それらはゆっくりと空間を漂いながら、中央へと収束し、一つの魔法陣へと変貌を遂げる。
神秘的な輝きに包まれながら、静かに空間に浮かび上がるその光景は、言葉を失うほど幻想的だった。
「なっ……」
レステュユルニは、目の前で繰り広げられる信じがたい光景に、言葉を完全に奪われた。
「この羊皮紙には、リューネが書き込んだ計算式の回答が記されているの。正解を導き出すことで、紙に込められた魔術が反応し魔法陣が現れる仕組み」
「ですが、それが婚姻と、何の関係が……?」
レステュユルニは、ようやく震える声を押し出した。
目の前の光景は理解を超え、婚姻と結びつけることができなかった。
「『この計算式の答え導きし者、必ずそれを必要とする者が現れる――その者の願いを叶え、決して逆らってはならない』これは代々受け継がれてきた一文。きっと昔は“なぜ逆らってはならないのか”という理由も添えられていたんだろうけれど、長い年月の中で省かれてしまったんだろうね。リューネを求める者は、きっとこの魔法陣をも必要とする者。儂はそう理解している」
いつも飄々とした表情を崩さない父王の顔に、珍しく深い悲哀の色が浮かんでいた
レステュユルニは、これまで父王が弱々しい姿を見せたことが一度もなかったことに、胸の奥に重い衝撃を覚えた。
それほどまでに、父王もまたリューネを深く溺愛していたのだという事実が、レステュユルニの心に重くのしかかった。
「婚約者であるアルステルス殿の国は、古代の魔法を継承する優れた魔術師たちが多いらしいよ。中でも王族は、その才において他の追随を許さぬほどの存在だって。それにね婚約者殿は、リューネを襲撃した犯人も突き止めている。それだけじゃない、この国の大きな利益となるような経済の改革についても、合理的な交渉を進めてきた。挙げ句の果てには、使者を通じて届いた婚約の申し入れには、リューネを誰よりも大切に思い、必ず幸せにすると誓う言葉が綴られていた。その申し入れを読んだ時、断るための理屈すら儂には浮かばなかった」
そして父王は、突然、まるで重荷を下ろすように静かに言葉を付け加えた。
「儂は、リューネが結婚を終えたら、王位から退くつもり。後はヨロシクね、レステュユルニ」
書庫には、重い空気の中で一人茫然と立ち尽くすレステュユルニと、窓から差し込む光を受け、金色に美しく輝く魔法陣だけが静かに残された。
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