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◇ 喜ばせたいのに(2)
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「……無礼を承知で申し上げます。私はこの件の首謀者が、王太子殿下ではないかと考えております」
ノエルの発言に部屋の空気が凍る。まだ憶測でしかないのに、ノエルは王妃の、それも唯一の息子にはっきりと疑いをかけたのだ。
「本当に無礼だこと。なぜ私の息子がそんな真似を?」
「大公殿下とインス子爵令嬢が結ばれること。そして私が婚約破棄されることで、王太子殿下にとって大きなメリットがあるからです」
イザベラ嬢が王都にやってきたのは、王太子とノエルの復縁にともなって、ジョスランとの婚約が破棄されるという話を手紙で聞いたから。実際、スフィア公爵邸で皆がその噂を口にするのを聞いて、彼女は自分が踊らされているのだと気づきもしなかっただろう。
しかしノエルはふと、疑問に思ったのだ。ノエルと復縁するなどという噂が王宮で流れた時点で、オーギュスト王太子なら猛然と否定したはずだ。「私が結婚するのはアロイスだ」と。
それなのにノエルは、王太子が否定したという話をただの一度も聞いていないのだ。
「宴会で話を聞いてまわった限り、噂の出どころは王宮でした。もし王太子殿下が一度でも否定なさっていれば、噂が王宮の外に出ることもなかったでしょう」
ノエルとの復縁を真っ先に否定するはずの王太子が、なぜ噂が広まっても沈黙していたのか。
根も葉もない話を耳にして、王太子も最初は否定しようと思ったはずだ。けれどもし、ジョスランとノエルの婚約が破棄されれば、王太子にとってこれほど都合のいい話はない。
以前から度々、アロイスを仕事面で助けるよう言われていた。アロイス本人からも同様の手紙が届いていたが、ノエルが結婚して大公婿になれば、ジョスランが不在の場合はノエルが当主代理としてベルクール大公家の決裁を任せられる。代わりの利かない立場。対して、アロイスの補佐は必ずしもノエルでなくてよい。
来月、結婚式が無事に終わってしまえばノエルを王宮に出仕させることは困難。それで王太子が復縁の噂を利用して、ジョスランを別のオメガと結婚させる計画を立てたのではないかと、ノエルは考えたのだ。
もしイザベラ嬢がジョスランを篭絡できれば、ノエルとの婚約は破棄される。ローランの継母はイザベラ嬢に。ノエルと成婚していればカルリエ侯爵家の後ろ盾も得られたが、それがインス子爵家に変わるとなれば格が数段落ちる。王太子からすれば、政敵の勢力が大いに削がれるということだ。
復縁の噂を否定するのは、ノエルが婚約破棄された後でいい。優れたアルファが二度も他のオメガを選んだとなれば、ノエルのほうに問題があったのだと簡単に広まるだろう。行き場をなくした状態で「アロイスの補佐官になってはどうか」と改めて話を持ち掛ければ、ノエルの父が快諾することは目に見えている。
「ベルクール大公家の力を削いで、前々から望んでおられたとおり私を王宮に出仕させることも叶います。王太子殿下なら、スフィア公爵家に調べられても足取りが掴めないだけの工作ができると思うのですが……」
いかがでしょうかと、王妃の顔色をうかがう。自分で話しながら思ったが、物的証拠もなしに疑いをかけるのは本当に無礼なことだ。しかし予想外にも、王妃の表情にこれといった乱れはない。
「仮にオーギュストが首謀者だとして。あなたと本当に復縁したくて、噂を流したのだとは思わないの?」
「あっ……その話を言い出した者は他にいると考えております。ご自分にメリットがあったとしても、王太子殿下は運命のお相手を傷つけるような噂を流布しないと思いますので」
王太子が人を使って噂を流すとすれば、前もってアロイスに相談するはず。しかし運命のアルファが他のオメガと結婚するだなんて話、嘘だとわかっていてもオメガにとっては辛いものだ。王太子はアロイスを溺愛しているので、偶然耳に入った噂を一時的に利用しただけだろうとノエルは思っている。
「私の考えは以上になります。あくまでも私個人の憶測でしかありませんが」
憶測の域を出ていないこと、そしてベルクール大公家とは関係ない、ノエルの個人的な考えだと改めて強調する。これでもし罰せられても、ノエルだけで済むだろう。
すべて話しきった。しかしノエルが息をつく暇もなく、王妃が扇子を広げて口元を隠した。これはあまりよくない兆候だ。
「……スフィア公爵邸での騒ぎだけれど。あなたが大公を庇ったそうね」
「は、はい。イザベラ嬢のフェロモンが強まったので、大公殿下には後ろに下がっていただきました」
急に振られた話題に、ノエルは少し動揺しながら返した。王太子の話についてはお咎めなく終わったようだが、今度はジョスランが襲われた時の対応について咎められるのかもしれない。
「申し訳ありません。私がもっと早く騎士を呼んでいれば、大公殿下に危険が及ぶことはなかったのですが」
「そんなことはどうでもいいわ。あなた、扇子で叩かれそうになったんですって?」
「はい。ですが叩かれる前に受け止めたので、イザベラ嬢が傷害罪に問われることはないかと」
「あらそう。その後で大公と一曲踊って、曲の最後に口づけされたことも聞いたけれど」
「あっ……」
そんな話まで耳に入っていたのかと、ノエルは恥ずかしさで顔を伏せた。王妃の前で表情を乱すと叱られてしまうのだが、こればかりはどうしようもない。案の定、王妃の声に苛立ちが滲み始めた。
「顔をあげなさい。大公がとった行動を、あなたは人前で許すような人間ではないわよね?」
「もちろんです! あれは大公殿下が急に……」
「やっぱり。同意なくされたことだったのね」
私の思ったとおりだわと、王妃がぱちんと扇子を閉じる。
「ノエル。私に相談したいことがあるなら、今ここで言いなさい」
「えっ……?」
「あなたはいつもそうよ。いい加減、遠慮するのはやめたらどう?」
いつになく態度を和らげた王妃に、ノエルはさらに動揺してしまう。こちらがしたい話はすべてしたはずなのだがと、考えを巡らせてみたが……
「あっ。先程の件について、スフィア公爵に伝えることはありますか? よろしければ帰りに私が」
「結構よ。私が直接話すから」
「そうですか……ではもし可能でしたら、復縁の噂を流した人物が誰なのか調」
「それも私が聞きたい話と違うわ」
どちらも外れだった。何に悩んでいるのか見透かしているような王妃の態度に、ノエルはもう一度よく考えてみる。何か王妃に相談すべきことで、伝え忘れていることがあるだろうか。
相談できていないこと、相談できていないこと……と考えるうちに、まったくの別件がノエルの頭にぽんと浮かんだ。誰かに相談したいことと言うと、もうそれ以外ない気がする。
「あの……王妃陛下にといいますか、誰にも相談できていないことがあるにはあるのですが」
「ほらみなさい。私なら解決できることなのでしょう?」
そう言われてみると確かに、王妃に聞けば解決する話ではある。今回の騒ぎとは別件なのだがと確認してみても、王妃は時間がないからさっさと話せと言うばかりだ。
──いいのかな……義母になる人だったと思えば、たずねてみても。
そうはいっても、王妃に聞くには恥ずかしすぎる内容だ。しかしノエルが躊躇している間に、せっかく和らいでいた王妃の態度が元に戻りつつある。
これ以上待たせるわけにはいかないと、ノエルは思い切って口を開いた。
「それではお言葉に甘えて……実は私の知識不足で上手くいっていないことがありまして。参考になる本があればと屋敷の書庫を探したりもしたのですが、これぞという本が見つからず、どなたかに口頭で教えていただくしかないかなと思っ」
「端的に言って」
「あっ……」
前置きをぴしゃりと止められて、心臓がいよいよ悲鳴をあげている。ノエルは膝の上で両手を握りしめ、同時に目をぎゅっと瞑った。
「その……端的に申し上げますと……私が知りたいのは夫を喜ばせる方法、です!」
言ってしまった。しかも思いの外、力強く言い切ってしまった。そして王妃からなんの返事もない。ノエルがおそるおそる目を開けてみると、向かいのソファーで王妃が目を丸くしている。
「あなた。私の力を借りたいことがそれしかないの?」
「申し訳ありません! 本当なら母に教わることなのでしょうが……」
自分からも何か、ベッドの上で喜んでもらえるようなことをしたいとは思っているのだが、何をどうしてよいかわからない。しかし継母はおそらく教えてくれないし、親交のある夫人たちにはとても聞けないのだとノエルが早口で説明すると、王妃が忙しなく扇子を開いた。そして……
「ぷっ……あはははっ!」
執務室の中に王妃の笑い声が響き渡った。扇子で顔をすっぽり覆うようにして豪快に笑っている。
不躾な質問を不愉快に思われてはいないようで、ノエルもそこはひとまずほっとした。しかし王太子と婚約していた八年の間、一度も無かったことだ。
そんなに面白いことを聞いてしまったのだろうかとノエルが自分の質問を反芻していると、しばらくしてやっと王妃の笑いがおさまってきた。
「はぁ。いや、いいのよ。そういうことなら」
「えっと……?」
「オーギュストのことよ。シャレー伯爵家の令息が急に割り込んできたでしょう?」
「はい。その件で何か、問題がありましたか?」
「問題があったかなんて。私の心配は余計だったのかしら」
首を傾げるノエルに、王妃は話した。王太子から婚約破棄を申し渡された時、ノエルが我慢して身を引いただけではないかと疑っていたのだと。
「うちの息子に何を言われようと耐えていたのに、婚約破棄にあっさり応じたでしょう? 国王陛下はあなたが納得しているというけれど、私はどうも信じられなくて」
「ああ……当時はもちろん、衝撃を受けました。しかし運命のお相手は、誰もが出会えるものではありませんから」
ノエルがその場で婚約破棄に応じたのは、アロイスでなければ王太子を幸せにできないのだと速やかに納得できたからだ。そして婚約破棄の後は意外にも、肩の荷が下りたという感覚が強かった。
今も王太子とアロイスの婚約が認められて、ふたりが番になれたらいいのにと思っている。それが嘘偽りないノエルの本心なのだが、王妃はまだ探るような眼差しを向けてくる。
「それじゃあ、大公があなたを無理やり束縛しているということもないのね? 入学式の時だって、一方的にべたべたされて嫌がっているように見えたけれど」
「嫌がってはおりません……! ジョスラン様には本当に、良くしていただいております」
「ふうん。オーギュストのことは王太子殿下としか呼ばなかったのに、大公のことは名前で呼んでいるのね」
王妃の指摘に、ノエルがあっと口を開く。公の場では名前で呼ばないよう努めていたのだが、この頃はジョスランを名前で呼ぶ時間が増えたのもあってつい口から出てしまった。婿教育の時にも公私をしっかり切り替えるよう教えられていたのだが、もうぼろぼろである。
「申し訳ありません……以後気をつけます」
「あなたまさか、名前で呼べと強要されているのではないわよね? 宴会で大公に口づけされてすぐ、あなたが嫌がっているのを見たとも聞いたけれど」
「えっ? そんなことは……」
否定しかけたノエルだったが、少し考えてみると確かに、嫌がっているように見えた者もいるかもしれない。その場でジョスランにキスを返すよう提案されて、公の場でそんなことはできないと、ノエルは首を勢いよく横に振ってしまったのだから。
近くに居た者にはノエルが恥ずかしがっているだけだと伝わっていたと思うが、遠くから見ていた者の目には、ジョスランから口づけされたことに対して嫌がっているように映ったのかもしれない。
もちろん、嫌なわけがない。ただ、ローランの入学式の時はジョスランから触れられることにまったく慣れていない状態で、しかも隣の席に父が座っているのに破廉恥なことをされかけて、ひどく慌てた記憶がある。
スフィア公爵邸の宴会のほうは、王太子との復縁を否定するために親しい姿を見せつけようと、事前にジョスランと打ち合わせはしてあった。しかしまさか、人前で唇にキスされるとは思っていなかったので、恥ずかしさのあまり過剰に反応してしまった気がする。王妃はそんなノエルの姿を自分の目で見て、また人づてに聞いて、ジョスランとの関係が一方的なものだと誤解しているのだ。
あれは単に人前でされるのが恥ずかしかっただけで、まったく嫌ではない。ノエルがそう弁解すると、王妃はノエルの言葉に嘘がないか確認するかのようにまじまじと顔を確認した後で、大きく溜息を吐いた。
「はぁ……本当に、私の心配は余計だったようね。もしあなたがオーギュストとの婚約破棄に渋々応じて、大公から無理に求婚されたのだとしたら。結婚の承認を取り消すよう国王陛下に申し上げられるのは、私くらいのものだと思ったのだけれど」
「……そういうことでしたか」
王妃の考えがわかって、ノエルの胸がじわりと温かくなる。
王太子の婚約者だった時は誰に対しても厳しい人という印象で、婚約破棄の後は会うこともなくなっていた。しかしその間も、王妃はノエルのことを考えてくれていたのだ。もしノエルが望まぬ結婚を強いられているなら、助けなければならないと。
そういうことなら、スフィア公爵邸での事件について詳細を聞きたいという理由で、なぜかノエルが呼び出されたのも頷ける。もし本当にジョスランから束縛されていたら、「結婚のことで話を聞きたい」という呼び出し内容では、ノエルはきっと屋敷から出してもらえなかっただろう。
しかも王妃からすれば、ノエルだけを呼び出したのにジョスランから同行すると手紙が届いたのだ。それがなおさら、疑いを強めてしまった。ノエルが逃げられないよう、王妃からの手紙であっても構わず検閲し、ひとりで外出することも許していないのではないかと。
「ご心配をおかけしました。私はその……大公殿下と結婚できる日を、本当に心待ちにしておりますので」
「ええそうね。この私が力を貸してやると言っているのに、出てきたのが『夫を喜ばせる方法を知りたい』なんて望みだったのだから」
「そっ、それについても本当に、申し訳ありません……」
改めて考えると、一国の王妃に向かって閨のことを教えてくれと頼むなんて本当に不躾かつ恥ずかしい質問をしたものだ。しかしノエルが慌てて頭を下げても、王妃が気に留める様子はない。
「別に咎める気はないわ。私が具体的に教えるまでもないことだもの」
「……と申されますと?」
「あなたの場合、第一性が同じなのだから。相手にされたことを取り入れればいいじゃない」
良いと知った上でやっていることなのだから、そのとおりに真似れば間違いないと言われてノエルはハッとした。
その観点はなかった。ようはジョスランが毎度楽しそうに、そして執拗にノエルにしてくることをそのままジョスランに返せばいいのだ。
「あとはまあ、帰りにブティックに寄って煽情的な夜着でも買えばいいんじゃない?」
「せっ、煽情的な……」
「際どいものである必要はないわ。普段は控えめなあなたが、自ら夜着を買ってきたという事実が重要なのよ」
その服はどうしたと聞かれたら、自分で買ってきましたと言ってやればいい。それだけで屋敷の中を駆け回って喜ぶだろうと王妃に言われて、ノエルも確かにそうかもしれないと思ってしまった。
着るものを工夫するというのもまた、ノエルにとっては完全に盲点。まるで目の前の霧が一気に晴れたような心地だ。
「これでもう、私に相談したいことはないみたいね」
「はい……! お知恵を授けていただきありがとうございました。後日、何かお礼を」
「結構よ。その代わり、噂を流したのは私ではないと大公に伝えてちょうだい。その脅迫状も持って帰るのね」
脅迫状と言って指さされたのは、テーブルの上に放り投げられていたジョスランからの手紙だ。手に取って中身を確かめて、ノエルはぎょっとした。
副騎士団長からはお詫びの手紙だと聞いていたのに、どこにも謝罪の言葉がない。それどころか、王妃が噂の拡大を止めなかったことを痛烈に批判し、そもそも噂を流したのは王妃ではないかと書かれている。
──ああ……ジョスラン様は王妃陛下を疑っていたんだ。
王都内外に情報網を持っていて、ジョスランとノエルの婚約が破棄されて得をする人間と考えれば、確かに王妃も候補に入る。王太子とノエルがよりを戻せば婿教育の手間が省けるし、噂が急速に広まったのも、王妃が計画のためにわざと止めなかったのだと考えれば説明がつく。
ただ、仮に王妃が首謀者だとしてもこの手紙はやりすぎだ。何せ最後の行に「もし噂を流したのがお前なら無事で済むと思うな」とはっきり書かれている。王妃が言うとおり、どう読んでも脅迫状。これではノエルを無理やり束縛していると思われても仕方ないだろう。
ノエルがまた慌てて頭を下げようとすると、王妃にすかさず止められた。
「今回はおあいこよ。あなたに復縁の意志があるならと思って、騒ぎが大きくなるのを傍観していたのは事実だもの」
「寛大な御心に感謝申し上げます……」
「寛大にもなるわ。国王陛下も弟君の味方をなさるし、あなたも大公に惚れているなんて。もうあきらめて、あのじゃじゃ馬を本気で躾けるしかないわね」
あのじゃじゃ馬というのは、きっとアロイスのことだ。庶子であっても、貴族を両親に持つオメガは本当に希少な存在。家柄だけ見ればノエルの次に身分が高い未婚のオメガはアロイスだし、治癒の力も持っている。そして何より、王太子から愛されているところが大きい。
王妃が本気で教育すると決めたからには、アロイスの代わりになるオメガが見つかりそうにないということだろう。
「王妃陛下。もし婿教育の人手が足りないようでしたら、私も週に一度……」
「結構よ。あなたは結婚式の準備に専念なさい」
よかれと思っての提案だったが、王宮に出仕させればまた脅迫状が届くだろうと鼻で笑われてしまった。そんなことがあっては確かに困るなと、ノエルもそれ以上は何も言わなかった。どうやらジョスランの執着は、ノエルが思っていたよりもっと強い……というか、少し強すぎるようだ。
王族に無礼を働くのはさすがにやめるよう言わなければなと思いつつ別れの挨拶をすると、王妃も席を立って扉の前まで送ってくれた。
「では王妃陛下。私はこちらで失礼します」
最後にもう一度お辞儀して部屋を出ようとしたのだが、ノエルが頭を上げた瞬間に、体が柔らかいもので包まれた。王妃に抱きしめられている。
「あの……」
「幸せになりなさい」
慣れない状況にノエルは首を傾げたが、しばらくして気づいた。ジョスランと結婚することについて、祝福の言葉をかけられているのだ。
「あっ、ありがとうございます」
「何をぐずぐずしているの? こういう時はすぐに抱き返すものよ」
「はいっ……!」
そういうものなのかとノエルが王妃の背中におそるおそる手を添えると、ふっと笑われた。また何か面白いことをしてしまったのだろうか。しかし女性に抱きしめられるのが初めてだからか、それとも相手が王妃だからなのか、ノエルは妙にそわそわしてしまう。よく考えたら、自分の母にすら抱きしめられたことがなかった。
実母は王妃と同じ年頃なので、きっと似たような感じなのだろう。おしろいの匂いがして、温かく柔らかい。もし母が生きていれば、結婚の前にこうして抱きしめて、幸せを願ってくれたのかもしれない。
王妃と別れて馬車に乗っても、ノエルの体には抱きしめられた感覚がまだ残っている。去り際、結婚式が終わったら義理の姉弟になるわけだから、以降はお姉様と呼ぶようにと王妃に言われた。
恐れ多いことだが、王妃の望みだ。ふたりきりの時はそう呼ぶようにしようと思いながら、ノエルは帰りの馬車に揺られたのだった。
ノエルの発言に部屋の空気が凍る。まだ憶測でしかないのに、ノエルは王妃の、それも唯一の息子にはっきりと疑いをかけたのだ。
「本当に無礼だこと。なぜ私の息子がそんな真似を?」
「大公殿下とインス子爵令嬢が結ばれること。そして私が婚約破棄されることで、王太子殿下にとって大きなメリットがあるからです」
イザベラ嬢が王都にやってきたのは、王太子とノエルの復縁にともなって、ジョスランとの婚約が破棄されるという話を手紙で聞いたから。実際、スフィア公爵邸で皆がその噂を口にするのを聞いて、彼女は自分が踊らされているのだと気づきもしなかっただろう。
しかしノエルはふと、疑問に思ったのだ。ノエルと復縁するなどという噂が王宮で流れた時点で、オーギュスト王太子なら猛然と否定したはずだ。「私が結婚するのはアロイスだ」と。
それなのにノエルは、王太子が否定したという話をただの一度も聞いていないのだ。
「宴会で話を聞いてまわった限り、噂の出どころは王宮でした。もし王太子殿下が一度でも否定なさっていれば、噂が王宮の外に出ることもなかったでしょう」
ノエルとの復縁を真っ先に否定するはずの王太子が、なぜ噂が広まっても沈黙していたのか。
根も葉もない話を耳にして、王太子も最初は否定しようと思ったはずだ。けれどもし、ジョスランとノエルの婚約が破棄されれば、王太子にとってこれほど都合のいい話はない。
以前から度々、アロイスを仕事面で助けるよう言われていた。アロイス本人からも同様の手紙が届いていたが、ノエルが結婚して大公婿になれば、ジョスランが不在の場合はノエルが当主代理としてベルクール大公家の決裁を任せられる。代わりの利かない立場。対して、アロイスの補佐は必ずしもノエルでなくてよい。
来月、結婚式が無事に終わってしまえばノエルを王宮に出仕させることは困難。それで王太子が復縁の噂を利用して、ジョスランを別のオメガと結婚させる計画を立てたのではないかと、ノエルは考えたのだ。
もしイザベラ嬢がジョスランを篭絡できれば、ノエルとの婚約は破棄される。ローランの継母はイザベラ嬢に。ノエルと成婚していればカルリエ侯爵家の後ろ盾も得られたが、それがインス子爵家に変わるとなれば格が数段落ちる。王太子からすれば、政敵の勢力が大いに削がれるということだ。
復縁の噂を否定するのは、ノエルが婚約破棄された後でいい。優れたアルファが二度も他のオメガを選んだとなれば、ノエルのほうに問題があったのだと簡単に広まるだろう。行き場をなくした状態で「アロイスの補佐官になってはどうか」と改めて話を持ち掛ければ、ノエルの父が快諾することは目に見えている。
「ベルクール大公家の力を削いで、前々から望んでおられたとおり私を王宮に出仕させることも叶います。王太子殿下なら、スフィア公爵家に調べられても足取りが掴めないだけの工作ができると思うのですが……」
いかがでしょうかと、王妃の顔色をうかがう。自分で話しながら思ったが、物的証拠もなしに疑いをかけるのは本当に無礼なことだ。しかし予想外にも、王妃の表情にこれといった乱れはない。
「仮にオーギュストが首謀者だとして。あなたと本当に復縁したくて、噂を流したのだとは思わないの?」
「あっ……その話を言い出した者は他にいると考えております。ご自分にメリットがあったとしても、王太子殿下は運命のお相手を傷つけるような噂を流布しないと思いますので」
王太子が人を使って噂を流すとすれば、前もってアロイスに相談するはず。しかし運命のアルファが他のオメガと結婚するだなんて話、嘘だとわかっていてもオメガにとっては辛いものだ。王太子はアロイスを溺愛しているので、偶然耳に入った噂を一時的に利用しただけだろうとノエルは思っている。
「私の考えは以上になります。あくまでも私個人の憶測でしかありませんが」
憶測の域を出ていないこと、そしてベルクール大公家とは関係ない、ノエルの個人的な考えだと改めて強調する。これでもし罰せられても、ノエルだけで済むだろう。
すべて話しきった。しかしノエルが息をつく暇もなく、王妃が扇子を広げて口元を隠した。これはあまりよくない兆候だ。
「……スフィア公爵邸での騒ぎだけれど。あなたが大公を庇ったそうね」
「は、はい。イザベラ嬢のフェロモンが強まったので、大公殿下には後ろに下がっていただきました」
急に振られた話題に、ノエルは少し動揺しながら返した。王太子の話についてはお咎めなく終わったようだが、今度はジョスランが襲われた時の対応について咎められるのかもしれない。
「申し訳ありません。私がもっと早く騎士を呼んでいれば、大公殿下に危険が及ぶことはなかったのですが」
「そんなことはどうでもいいわ。あなた、扇子で叩かれそうになったんですって?」
「はい。ですが叩かれる前に受け止めたので、イザベラ嬢が傷害罪に問われることはないかと」
「あらそう。その後で大公と一曲踊って、曲の最後に口づけされたことも聞いたけれど」
「あっ……」
そんな話まで耳に入っていたのかと、ノエルは恥ずかしさで顔を伏せた。王妃の前で表情を乱すと叱られてしまうのだが、こればかりはどうしようもない。案の定、王妃の声に苛立ちが滲み始めた。
「顔をあげなさい。大公がとった行動を、あなたは人前で許すような人間ではないわよね?」
「もちろんです! あれは大公殿下が急に……」
「やっぱり。同意なくされたことだったのね」
私の思ったとおりだわと、王妃がぱちんと扇子を閉じる。
「ノエル。私に相談したいことがあるなら、今ここで言いなさい」
「えっ……?」
「あなたはいつもそうよ。いい加減、遠慮するのはやめたらどう?」
いつになく態度を和らげた王妃に、ノエルはさらに動揺してしまう。こちらがしたい話はすべてしたはずなのだがと、考えを巡らせてみたが……
「あっ。先程の件について、スフィア公爵に伝えることはありますか? よろしければ帰りに私が」
「結構よ。私が直接話すから」
「そうですか……ではもし可能でしたら、復縁の噂を流した人物が誰なのか調」
「それも私が聞きたい話と違うわ」
どちらも外れだった。何に悩んでいるのか見透かしているような王妃の態度に、ノエルはもう一度よく考えてみる。何か王妃に相談すべきことで、伝え忘れていることがあるだろうか。
相談できていないこと、相談できていないこと……と考えるうちに、まったくの別件がノエルの頭にぽんと浮かんだ。誰かに相談したいことと言うと、もうそれ以外ない気がする。
「あの……王妃陛下にといいますか、誰にも相談できていないことがあるにはあるのですが」
「ほらみなさい。私なら解決できることなのでしょう?」
そう言われてみると確かに、王妃に聞けば解決する話ではある。今回の騒ぎとは別件なのだがと確認してみても、王妃は時間がないからさっさと話せと言うばかりだ。
──いいのかな……義母になる人だったと思えば、たずねてみても。
そうはいっても、王妃に聞くには恥ずかしすぎる内容だ。しかしノエルが躊躇している間に、せっかく和らいでいた王妃の態度が元に戻りつつある。
これ以上待たせるわけにはいかないと、ノエルは思い切って口を開いた。
「それではお言葉に甘えて……実は私の知識不足で上手くいっていないことがありまして。参考になる本があればと屋敷の書庫を探したりもしたのですが、これぞという本が見つからず、どなたかに口頭で教えていただくしかないかなと思っ」
「端的に言って」
「あっ……」
前置きをぴしゃりと止められて、心臓がいよいよ悲鳴をあげている。ノエルは膝の上で両手を握りしめ、同時に目をぎゅっと瞑った。
「その……端的に申し上げますと……私が知りたいのは夫を喜ばせる方法、です!」
言ってしまった。しかも思いの外、力強く言い切ってしまった。そして王妃からなんの返事もない。ノエルがおそるおそる目を開けてみると、向かいのソファーで王妃が目を丸くしている。
「あなた。私の力を借りたいことがそれしかないの?」
「申し訳ありません! 本当なら母に教わることなのでしょうが……」
自分からも何か、ベッドの上で喜んでもらえるようなことをしたいとは思っているのだが、何をどうしてよいかわからない。しかし継母はおそらく教えてくれないし、親交のある夫人たちにはとても聞けないのだとノエルが早口で説明すると、王妃が忙しなく扇子を開いた。そして……
「ぷっ……あはははっ!」
執務室の中に王妃の笑い声が響き渡った。扇子で顔をすっぽり覆うようにして豪快に笑っている。
不躾な質問を不愉快に思われてはいないようで、ノエルもそこはひとまずほっとした。しかし王太子と婚約していた八年の間、一度も無かったことだ。
そんなに面白いことを聞いてしまったのだろうかとノエルが自分の質問を反芻していると、しばらくしてやっと王妃の笑いがおさまってきた。
「はぁ。いや、いいのよ。そういうことなら」
「えっと……?」
「オーギュストのことよ。シャレー伯爵家の令息が急に割り込んできたでしょう?」
「はい。その件で何か、問題がありましたか?」
「問題があったかなんて。私の心配は余計だったのかしら」
首を傾げるノエルに、王妃は話した。王太子から婚約破棄を申し渡された時、ノエルが我慢して身を引いただけではないかと疑っていたのだと。
「うちの息子に何を言われようと耐えていたのに、婚約破棄にあっさり応じたでしょう? 国王陛下はあなたが納得しているというけれど、私はどうも信じられなくて」
「ああ……当時はもちろん、衝撃を受けました。しかし運命のお相手は、誰もが出会えるものではありませんから」
ノエルがその場で婚約破棄に応じたのは、アロイスでなければ王太子を幸せにできないのだと速やかに納得できたからだ。そして婚約破棄の後は意外にも、肩の荷が下りたという感覚が強かった。
今も王太子とアロイスの婚約が認められて、ふたりが番になれたらいいのにと思っている。それが嘘偽りないノエルの本心なのだが、王妃はまだ探るような眼差しを向けてくる。
「それじゃあ、大公があなたを無理やり束縛しているということもないのね? 入学式の時だって、一方的にべたべたされて嫌がっているように見えたけれど」
「嫌がってはおりません……! ジョスラン様には本当に、良くしていただいております」
「ふうん。オーギュストのことは王太子殿下としか呼ばなかったのに、大公のことは名前で呼んでいるのね」
王妃の指摘に、ノエルがあっと口を開く。公の場では名前で呼ばないよう努めていたのだが、この頃はジョスランを名前で呼ぶ時間が増えたのもあってつい口から出てしまった。婿教育の時にも公私をしっかり切り替えるよう教えられていたのだが、もうぼろぼろである。
「申し訳ありません……以後気をつけます」
「あなたまさか、名前で呼べと強要されているのではないわよね? 宴会で大公に口づけされてすぐ、あなたが嫌がっているのを見たとも聞いたけれど」
「えっ? そんなことは……」
否定しかけたノエルだったが、少し考えてみると確かに、嫌がっているように見えた者もいるかもしれない。その場でジョスランにキスを返すよう提案されて、公の場でそんなことはできないと、ノエルは首を勢いよく横に振ってしまったのだから。
近くに居た者にはノエルが恥ずかしがっているだけだと伝わっていたと思うが、遠くから見ていた者の目には、ジョスランから口づけされたことに対して嫌がっているように映ったのかもしれない。
もちろん、嫌なわけがない。ただ、ローランの入学式の時はジョスランから触れられることにまったく慣れていない状態で、しかも隣の席に父が座っているのに破廉恥なことをされかけて、ひどく慌てた記憶がある。
スフィア公爵邸の宴会のほうは、王太子との復縁を否定するために親しい姿を見せつけようと、事前にジョスランと打ち合わせはしてあった。しかしまさか、人前で唇にキスされるとは思っていなかったので、恥ずかしさのあまり過剰に反応してしまった気がする。王妃はそんなノエルの姿を自分の目で見て、また人づてに聞いて、ジョスランとの関係が一方的なものだと誤解しているのだ。
あれは単に人前でされるのが恥ずかしかっただけで、まったく嫌ではない。ノエルがそう弁解すると、王妃はノエルの言葉に嘘がないか確認するかのようにまじまじと顔を確認した後で、大きく溜息を吐いた。
「はぁ……本当に、私の心配は余計だったようね。もしあなたがオーギュストとの婚約破棄に渋々応じて、大公から無理に求婚されたのだとしたら。結婚の承認を取り消すよう国王陛下に申し上げられるのは、私くらいのものだと思ったのだけれど」
「……そういうことでしたか」
王妃の考えがわかって、ノエルの胸がじわりと温かくなる。
王太子の婚約者だった時は誰に対しても厳しい人という印象で、婚約破棄の後は会うこともなくなっていた。しかしその間も、王妃はノエルのことを考えてくれていたのだ。もしノエルが望まぬ結婚を強いられているなら、助けなければならないと。
そういうことなら、スフィア公爵邸での事件について詳細を聞きたいという理由で、なぜかノエルが呼び出されたのも頷ける。もし本当にジョスランから束縛されていたら、「結婚のことで話を聞きたい」という呼び出し内容では、ノエルはきっと屋敷から出してもらえなかっただろう。
しかも王妃からすれば、ノエルだけを呼び出したのにジョスランから同行すると手紙が届いたのだ。それがなおさら、疑いを強めてしまった。ノエルが逃げられないよう、王妃からの手紙であっても構わず検閲し、ひとりで外出することも許していないのではないかと。
「ご心配をおかけしました。私はその……大公殿下と結婚できる日を、本当に心待ちにしておりますので」
「ええそうね。この私が力を貸してやると言っているのに、出てきたのが『夫を喜ばせる方法を知りたい』なんて望みだったのだから」
「そっ、それについても本当に、申し訳ありません……」
改めて考えると、一国の王妃に向かって閨のことを教えてくれと頼むなんて本当に不躾かつ恥ずかしい質問をしたものだ。しかしノエルが慌てて頭を下げても、王妃が気に留める様子はない。
「別に咎める気はないわ。私が具体的に教えるまでもないことだもの」
「……と申されますと?」
「あなたの場合、第一性が同じなのだから。相手にされたことを取り入れればいいじゃない」
良いと知った上でやっていることなのだから、そのとおりに真似れば間違いないと言われてノエルはハッとした。
その観点はなかった。ようはジョスランが毎度楽しそうに、そして執拗にノエルにしてくることをそのままジョスランに返せばいいのだ。
「あとはまあ、帰りにブティックに寄って煽情的な夜着でも買えばいいんじゃない?」
「せっ、煽情的な……」
「際どいものである必要はないわ。普段は控えめなあなたが、自ら夜着を買ってきたという事実が重要なのよ」
その服はどうしたと聞かれたら、自分で買ってきましたと言ってやればいい。それだけで屋敷の中を駆け回って喜ぶだろうと王妃に言われて、ノエルも確かにそうかもしれないと思ってしまった。
着るものを工夫するというのもまた、ノエルにとっては完全に盲点。まるで目の前の霧が一気に晴れたような心地だ。
「これでもう、私に相談したいことはないみたいね」
「はい……! お知恵を授けていただきありがとうございました。後日、何かお礼を」
「結構よ。その代わり、噂を流したのは私ではないと大公に伝えてちょうだい。その脅迫状も持って帰るのね」
脅迫状と言って指さされたのは、テーブルの上に放り投げられていたジョスランからの手紙だ。手に取って中身を確かめて、ノエルはぎょっとした。
副騎士団長からはお詫びの手紙だと聞いていたのに、どこにも謝罪の言葉がない。それどころか、王妃が噂の拡大を止めなかったことを痛烈に批判し、そもそも噂を流したのは王妃ではないかと書かれている。
──ああ……ジョスラン様は王妃陛下を疑っていたんだ。
王都内外に情報網を持っていて、ジョスランとノエルの婚約が破棄されて得をする人間と考えれば、確かに王妃も候補に入る。王太子とノエルがよりを戻せば婿教育の手間が省けるし、噂が急速に広まったのも、王妃が計画のためにわざと止めなかったのだと考えれば説明がつく。
ただ、仮に王妃が首謀者だとしてもこの手紙はやりすぎだ。何せ最後の行に「もし噂を流したのがお前なら無事で済むと思うな」とはっきり書かれている。王妃が言うとおり、どう読んでも脅迫状。これではノエルを無理やり束縛していると思われても仕方ないだろう。
ノエルがまた慌てて頭を下げようとすると、王妃にすかさず止められた。
「今回はおあいこよ。あなたに復縁の意志があるならと思って、騒ぎが大きくなるのを傍観していたのは事実だもの」
「寛大な御心に感謝申し上げます……」
「寛大にもなるわ。国王陛下も弟君の味方をなさるし、あなたも大公に惚れているなんて。もうあきらめて、あのじゃじゃ馬を本気で躾けるしかないわね」
あのじゃじゃ馬というのは、きっとアロイスのことだ。庶子であっても、貴族を両親に持つオメガは本当に希少な存在。家柄だけ見ればノエルの次に身分が高い未婚のオメガはアロイスだし、治癒の力も持っている。そして何より、王太子から愛されているところが大きい。
王妃が本気で教育すると決めたからには、アロイスの代わりになるオメガが見つかりそうにないということだろう。
「王妃陛下。もし婿教育の人手が足りないようでしたら、私も週に一度……」
「結構よ。あなたは結婚式の準備に専念なさい」
よかれと思っての提案だったが、王宮に出仕させればまた脅迫状が届くだろうと鼻で笑われてしまった。そんなことがあっては確かに困るなと、ノエルもそれ以上は何も言わなかった。どうやらジョスランの執着は、ノエルが思っていたよりもっと強い……というか、少し強すぎるようだ。
王族に無礼を働くのはさすがにやめるよう言わなければなと思いつつ別れの挨拶をすると、王妃も席を立って扉の前まで送ってくれた。
「では王妃陛下。私はこちらで失礼します」
最後にもう一度お辞儀して部屋を出ようとしたのだが、ノエルが頭を上げた瞬間に、体が柔らかいもので包まれた。王妃に抱きしめられている。
「あの……」
「幸せになりなさい」
慣れない状況にノエルは首を傾げたが、しばらくして気づいた。ジョスランと結婚することについて、祝福の言葉をかけられているのだ。
「あっ、ありがとうございます」
「何をぐずぐずしているの? こういう時はすぐに抱き返すものよ」
「はいっ……!」
そういうものなのかとノエルが王妃の背中におそるおそる手を添えると、ふっと笑われた。また何か面白いことをしてしまったのだろうか。しかし女性に抱きしめられるのが初めてだからか、それとも相手が王妃だからなのか、ノエルは妙にそわそわしてしまう。よく考えたら、自分の母にすら抱きしめられたことがなかった。
実母は王妃と同じ年頃なので、きっと似たような感じなのだろう。おしろいの匂いがして、温かく柔らかい。もし母が生きていれば、結婚の前にこうして抱きしめて、幸せを願ってくれたのかもしれない。
王妃と別れて馬車に乗っても、ノエルの体には抱きしめられた感覚がまだ残っている。去り際、結婚式が終わったら義理の姉弟になるわけだから、以降はお姉様と呼ぶようにと王妃に言われた。
恐れ多いことだが、王妃の望みだ。ふたりきりの時はそう呼ぶようにしようと思いながら、ノエルは帰りの馬車に揺られたのだった。
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