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◇ 喜ばせたいのに(1)
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スフィア公爵邸の夜会に参加した翌日。ノエルは寝不足の目を時折擦りながら、執務室で午後を過ごしていた。午前中に片づけるはずだった仕事を淡々と処理していくノエルに、ジョスランが声をかける。
「ねぇ婿殿。そろそろ機嫌を直して」
「えっ? 普段どおりですが……」
「嘘だね。さっきから一度も私を見てくれないじゃないか」
そういえば今日はそんな余裕がなかったなと、ノエルは慌ててペンを置いた。ジョスランのほうを見ると、めずらしく申し訳なさそうな顔をしている。
「抑えが効かなくてごめんね。昨日みたいに襲われたらと思うと、早く番になってしまいたくて」
「うふふ……私も同じ気持ちですよ」
昨晩、帰宅するともう日付が変わっており、ノエルが入浴を済ませて部屋に戻った瞬間、待っていたよとジョスランに組み敷かれた。最後のほうは窓の外が白みかかっていて、それでもどうにか普段どおりの時間にベッドを出られた。
おかげでローランと一緒に朝食をとって登校を見送れはしたのだが、寝不足の顔だけはどうにもできず、ローランからは期待のまなざしを向けられてしまうし、眠気で仕事が進まないしで結局仮眠をとることになった。そして今、午前中の遅れを取り戻そうとせかせか働いているというわけだ。
ノエルが「明日に響かない程度に」と頼んだのにこうなってしまって、ジョスランはノエルの機嫌を損ねてしまったと思ったのだろう。ノエルがまったく怒っていないとわかって、ジョスランは安堵した様子で仕事に戻り、ノエルも手元の書類に再び目を落とす。
ジョスランの抑えが効かなかったのは、おそらく番になるのを急ぎたい気持ちがあってのことだろうなとノエルも察していた。
昨晩のようにジョスランが未婚のオメガに迫られて、万が一にも番になってしまったら。そう思うとノエルも不安で、出来るだけジョスランの望みに応えようと頑張りはしたのだが、また自分のほうが気を失って終わってしまい申し訳ない限りだ。
そしてノエルにはもうひとつ、ジョスランに申し訳なく思っていることがある。
――やっぱりジョスラン様は、私が気を失った後に⋯⋯
発情期の時からずっと気になっていたので、昨晩のノエルは体に痕をつけられる度に回数を数えていた。最後のほうは朦朧としていたので自信薄だが、それでもノエルが記憶していた数よりずっと、体に残っていたキスマークのほうが多かったのだ。
不慣れなノエルに対してもどかしく感じる時もあるのだと、ジョスランから直接言われたことだってある。おびただしい数の痕はきっと欲求不満の表れなのだろう。
しかしわかったところで、それを解決する術をノエルは知らない。夫を喜ばせる方法──それはおそらく、必要になった折に母親からこっそり教えてもらうことなのだ。
とはいえ継母のクラリッサが、ノエルの悩みを聞いて親切に教えてくれるとは思えない。他に頼れるとすれば人生の先輩、親交のある夫人たちだが……彼女たちに相談したが最後、「カルリエ侯爵令息が夫を喜ばせる方法を知りたがっている」という噂話が巡り巡ってジョスランの耳に届くことになる。想像しただけで恥ずかしくてとても聞けそうにない。
そうしてノエルが誰にも相談できないまま数日が過ぎ、スフィア公爵からイザベラ・インス子爵令嬢が夜会に忍び込んだ経緯について手紙が届いた。
今日は補佐官のマイヤー卿が休みなので、執務室にはジョスランとノエルだけ。ソファーに並んで座り、ノエルも一緒に手紙を読ませてもらう。
まずはスフィア公爵夫人が夜会で姿を見ていないと言っていた男爵令嬢について。彼女の無事は公爵家の騎士によって確認された。なぜ招待状がイザベラ嬢の手に渡ったのかと問いただすと、二週間ほど前にインス子爵家の使者が招待状を買い取りに来たのだという。
話を聞いて招待状を欲しがっているのはイザベラ嬢だろうと見当はついたが、ここ最近父である男爵が事業で失敗し、負債を返済するためにとにかく金が必要な状況だった。めぼしい家財はすでに売り払っており、男爵位を手放すよりはと取引に応じたそうだ。
スフィア公爵はインス子爵が娘可愛さにジョスランとの約束を反故にしたのだろうと考えた。しかしインス子爵は招待状を買い取ったことはおろか、娘が王都に来ていたことすら知らなかったのだ。
実際、件の男爵令嬢にインス子爵家の騎士と使用人を確認させたが、男爵家にやってきた使者はおらず、使者の似顔絵を見たインス子爵曰く面識のない人物。男爵令嬢も、やってきた使者は身なりも喋り方もいかにも貴族の補佐官といったふうで、その時はインス子爵家の人間だと疑わなかったが、思い返してみれば子爵家の紋章が入った物を何も身に着けていなかったかもしれないというのだ。
インス子爵はまったく関与していない。それなら娘が招待状の入手から自分で計画して、外部から人を雇ったのかというと、どうやらそれも違うらしい。イザベラ嬢を尋問した結果、招待状は自分で入手したのではなく、夜会の一週間ほど前に領地の屋敷に届いたと話したのだという。
その封筒の差出人はインス子爵で、受け取ったイザベラ嬢は「もう王都に戻ってもいいという連絡だろうか」と期待したそうだ。しかし封を切ってみると、中には特に親しくした覚えのない男爵令嬢からの手紙と、その令嬢が使うはずの招待状が入っていた。
手紙には王太子がノエルと結婚するため、近々ジョスランとの婚約が破棄されるらしいという話、スフィア公爵邸で開かれる夜会にジョスランが参加すること、イザベラ嬢が謹慎中なのでインス子爵の名前を使って手紙を送った旨と、王都に来るなら滞在先と衣装も準備すると書かれていた。
イザベラ嬢は男爵令嬢がジョスランと自分の仲を応援しているのだと思い込み、封筒の内容が父からの呼び出しだったと偽って王都へ。指定された滞在先でドレスに着替え、スフィア公爵邸の夜会に……ということだったらしい。
スフィア公爵の手紙の最後には、イザベラ嬢に届いた手紙は領地に置いてきたそうなので、入手でき次第筆跡を鑑定すると書かれている。しかしこれほどの計画を実行できる人間が、捜査の糸口になるような筆跡を残すとは考え難い。きっとスフィア公爵も、ジョスランが被害に遭った手前確認はするが、有力な手掛かりにはならないと思っていることだろう。
ジョスランもノエルと同じ考えのようで、今にも溜息を吐きそうな顔をしている。
「残念だけどここまでかな。ふざけた噂を流した張本人もわからずじまいなんだけど」
「そうですね。似顔絵と手紙の筆跡だけではさすがに……」
スフィア公爵家の力をもってしても、犯人の足取りを掴むのは困難だろう。しかし少なくともこの計画を考えた人間は、王都内外に情報網を持っている。
スフィア公爵夫人が男爵令嬢に招待状を送っていたこと。男爵が最近になって事業に失敗し、家財を売るほどの負債を抱えていること。領地で謹慎しているイザベラ嬢が相変わらずジョスランに執着していること。そしてスフィア公爵邸の夜会にジョスランが参加するという情報を掴んでいた。
それほどの情報通で、なおかつジョスランとノエルの結婚を妨害して得をする人物はと考えて、ノエルは一旦思考を止めた。とてつもなく嫌な予感がする。
もし頭に浮かんだ人物が首謀者なら、スフィア公爵にこれ以上の捜査は不要だと伝えたほうがいいかもしれない。ノエルが考え込んでいると、ふいにジョスランに体を持ち上げられ、膝の上に座らされた。後ろから抱きしめられて、ノエルのうなじに吐息があたる。
「ジョスラン様。まだ仕事が……」
「うん。でも今の私には癒しが必要なんだ」
──ジョスラン様……さすがにお疲れみたいだな。
何もしないからと囁くジョスランの声は気怠げで、ノエルは自分を抱きしめているジョスランの腕にそっと自分の手を重ねた。ノエルの思っているとおりなら、ジョスランはほとんど眠っていないはずなのだ。
これで癒しになるならとジョスランに抱きしめられていると、執務室の扉がノックされた。
「旦那様、奥様。お取込み中のところ失礼いたします」
声の主は執事長のロバートだ。奥様に至急お渡ししたい手紙があるといわれて、ノエルは慌ててジョスランの腕を抜け出した。スフィア公爵からの手紙を読む時に鍵をかけておいたのだ。
ノエルが鍵をあけて廊下に出ると、ロバートの表情がやけに曇っている。
「申し訳ありません奥様。すぐにお渡ししたほうがよろしいかと思いまして……」
差し出された盆の上を見て、ノエルはその理由を察した。ロバートが「至急」とまで言ったのも頷ける。手紙の封蝋にくっきりと押されているのは、王妃の印だ。
封筒を手に執務室の中に戻ってみれば、ジョスランが腕を広げて待っている。しかしノエルが元どおり膝に座っても、ジョスランは腹の虫がおさまらないらしい。
「で、誰かな? 私と婿殿の時間を邪魔した奴は」
「えっと……」
ノエルが受け取った手紙をおずおずと見せると、次の瞬間にはジョスランの手で取り上げられた。
「こんなもの読まなくていい。どうせふざけた内容だよ」
「こんなものだなんて……! 王妃陛下にはお世話になっておりますので」
「ちっ。私を通すよう兄嫁様にも言っておけばよかった」
読まずに放置すれば罰せられてしまうのはノエルのほうなので、ジョスランも渋々返してくれた。手紙を開封して、さっと目を通す。
「兄嫁様はなんだって?」
「スフィア公爵邸での件について、私に詳細を確認したいらしいのですが……」
便箋一枚の、半分にも満たない内容。スフィア公爵邸での出来事を聞いた。国王が弟君を心配しているので、代わりに状況を把握したい。明日の午後五時、王妃宮の執務室に来るように。ただそれだけが書かれている。
手紙の内容を聞いて、先程まで苛立っていたジョスランも首を傾げている。
「どうしてそんなことを私の婿殿が? スフィア公爵夫人に聞けばいいじゃないか」
ジョスランの言うとおり、状況を知りたいのなら公爵夫人を呼び出すのが一番だ。まあスフィア公爵夫妻もジョスランも忙しいので、関係者の中で最も動きやすいノエルが選ばれたのかもしれない。
「ジョスラン様。明日、王妃陛下にお会いしてきます。ローランを出迎えてから王宮に向かっても間に合いますし」
「行かないで。詳細を聞きたいなんて言って、本当は別の話をするつもりなんだ」
「別の話、ですか?」
「ああ。大公はろくでもない男だから、私の息子と結婚しなさいってね」
一瞬、ジョスランの話に笑いかけてしまったノエルだったが、冷静に考えてみると笑い事ではないかもしれない。
もうかなり前のことになるが、ローランの入学式で王妃と会った時。彼女はノエルの婿教育に割いた時間を惜しんでいるようだった。しかも社交の場で王妃が不在の時は目を光らせるようにと、本来なら王太子婿が担う役割を言いつけられたのだ。
──そうだよな。王太子殿下と私が復縁するなんて話、王宮で広まったら王妃陛下も黙っておられないはずなのに……
ノエルが王太子の婚約者だった頃、宮の管理や侍従の人事は王妃が取りまとめていて、宮内の風紀については特に厳しく取り締まっていた記憶がある。そういえば情報交換仲間の夫人たちから、噂が王宮の外まで広まったのは王太子とノエルの復縁を望んでいる者が多いからだろうという話もあった。もしかするとその中に、王妃も含まれていたのかもしれない。
しかし王妃に何を言われようとも、ノエルの心は決まっている。
「ご安心ください。万が一、王妃陛下からそのようなお話があっても応じませんので」
「本当に? 王太子にまったく未練がないんだね?」
「えっと……私が初めて好きになった人はジョスラン様ですので。想ってもいないお相手に、未練も何もありませんよね?」
ノエルが首を傾げると少し遅れて、それもそうかとジョスランが呟いた。ありもしない未練が気になるなんて、やはり相当疲れているのだろう。
「ちょうどいい機会なので、王妃陛下におうかがいしてきます。王宮内で噂がどう広まっていったのかご存じだと思いますので」
「じゃあ私も一緒に行くよ。兄嫁様がふざけた噂を放置しなければ、私が襲われることはなかったんだから、納得のいく説明をしてもらわないと」
ジョスランの提案に、ノエルも確かにと頷く。いくら忙しくとも自分の息子である王太子、そして王弟の婚姻に影響のある噂を放置していたのはやはり不自然だ。
謁見が明日の午後五時ということで、ジョスランはノエルに同行する旨の手紙を王妃に送り、ノエルのほうはスフィア公爵邸を訪ねて捜査資料を写させてもらい、それぞれが王妃に会う準備を整えていたのだが……
王妃に謁見する日の朝。いつもどおり家族三人で寝ていたはずが、ローランと一緒に目覚めるとジョスランの姿がない。不思議に思ってジョスランの部屋に行ってみると、部屋から出てきたグレアム医師と鉢合わせた。
「ああ、奥様。ちょうどいいところに」
「グレアム先生? 大公殿下に何か……」
「ええ。昨日から少し不調をお感じだったそうでして」
夜中に熱っぽさを感じたジョスランは自室に戻って安静にしていたが、朝になっても治らなかったのでグレアム医師が呼ばれたのだという。ただの風邪だがジョスランにしてはめずらしく熱が高いので、今日は一日仕事を休んで様子をみるよう伝えたそうだ。
「奥様は今日、王妃陛下に謁見なさるとか?」
「はい。大公殿下も一緒に来てくださる予定だったのですが、ひとりで行ってきます」
「それがよろしいですね。帰ってきたらぜひ、看病して差し上げてください」
「わかりました……!」
看病なら得意だとノエルが張り切って部屋に入ると、ジョスランはベッドで横になり、目の下まで布団を引きあげて荒い息を吐いていた。
「あれ? 婿殿がどうしてここに……」
夢かなと言うジョスランに、現実ですよとノエルが返す。熱が高いとは聞いていたが、額に手をあててみると驚くほど熱い。
「触っては駄目だよ。君とローランにうつったら大変だ」
「あっ……申し訳ありません」
「グレアムに言ったのに。君が部屋に入らないようにしてって」
確かに、ただの風邪とはいえジョスランがここまで苦しむものが、ノエルを介してローランにうつってしまったら大変だ。ノエルはジョスランの額から手を離し、ベッドから少し距離をとった。
「こんな日にごめんね。熱なんて滅多に出さないのに……」
「大丈夫です。王妃陛下とお話しするのは慣れていますから」
「私の代わりに副騎士団長を連れて行って。他にも何人か、彼に護衛を選んでもらって」
「そういたします。ジョスラン様はゆっくりお休みになってくださいね」
副騎士団長はベータ男性なのでオメガのフェロモンが効かない。結婚して跡継ぎもいるので、ジョスランも安心してノエルを任せられるのだろう。風邪が治るまで部屋に入らないようにと言われて、ノエルは少し寂しい気持ちでジョスランの部屋をあとにした。
──グレアム先生からは、ぜひ看病して差し上げるようにと言われたんだけどな……
あんなにジョスランが苦しんでいるのに、何もしてあげられない。しかしローランにうつると心配な気持ちはよくわかるし、今日はこれから王妃に謁見する予定もある。王宮に風邪を持ち込まないためにも、ジョスランの言うとおりにしたほうがいい。
ノエルは気持ちを切り替えてローランを送り出し、副騎士団長に護衛の準備を頼んだ。執務室でマイヤー卿と仕事をするも、婚約者という立場では当主代理の決裁ができない。まだ結婚していないことをもどかしく思いながら自分の仕事を片づけると、もうローランを出迎える時間だ。
「ただいま、ノエル父様」
「おかえりなさい……! そして行ってきます!」
「ああ。気をつけるんだぞ」
ローランのことは専属侍従のパトリックに任せ、ノエルは副騎士団長と馬車に乗って王宮に向かった。窓の外を見れば、誰が乗っているのかと興味深そうにこちらを眺める人々の姿が目に入る。馬車を挟むようにして、馬に乗った護衛たちが厳重に警備しているからだろう。
ノエルも出発前に思った。こんなに護衛がつくのは王族くらいのものだと。数を減らすようその場でやんわりと言ってもみたのだが、ジョスランが同乗しないことを考えると妥当な人数だと集まった騎士団員たちに押し切られててこうなってしまったのだ。道を騒がせて申し訳ないので、もう一度やんわりと指摘してみる。
「やっぱり護衛の数が多すぎたかな……何人か帰らせようか?」
「ご理解ください。奥様に傷ひとつでもつけば団員の首が飛びますので」
「そんな。大公殿下はその程度のことで首を刎ねるようなお方ではないよ」
ノエルの言葉に副騎士団長が目を丸くする。何か言いたげだが結局何も言われないまま、護衛の数が減らされることもなかった。
王妃宮の前で馬車が停まり、護衛たちは外で待機。副騎士団長とノエルのふたりで宮の中に入る。
──懐かしいな……ここに来るのは一年ぶりくらいか。
以前は婿教育で、教育が終わった後は仕事で。毎日訪れては一日の大半を過ごしていた場所。まだ結婚しておらず王太子妃宮が使えないので、ノエルの執務室は王妃宮にあったのだ。警備にあたる騎士の顔ぶれもほとんど変わっておらず、目が合うと丁寧に挨拶してくれる。
王妃の執務室に着いたのは約束の時間より少し早かったのだが、すぐに入室を許可された。入れるのはノエルだけなので、副騎士団長とは扉の前でお別れだ。
「副騎士団長はここで待機を」
「御意。こちら、王妃陛下にお渡しするよう大公殿下から預かってきた手紙でございます」
「あっ……ありがとう」
副騎士団長が言うには、自分も同行すると連絡しておきながら体調を崩してしまったので、お詫びの言葉をジョスランが一筆したためたそうだ。ジョスランが体調不良で来られないことはすでにノエルが連絡してあったのだが、それだけでは足りないと思ったようだ。
ジョスランからの手紙を王妃の執務官に渡し、ノエルも一緒に執務室に入る。
「王妃陛下にノエル・カルリエがご挨拶申し上げます」
「挨拶はいいから早く座りなさい」
「は、はい……!」
時計を見るとまだ五時前なのだが、王妃に急かされてソファーに着席する。執務官からジョスランの手紙を渡されて、王妃の眉がぴくりと動くのをノエルは見逃さなかった。どうやら今日もあまり機嫌がよくないらしい。
「これは何の手紙? 来られないことはすでに聞いたけれど」
「はい。私から連絡しておりましたが、大公殿下からも手紙でひとことお詫び申し上げたいとのことで」
「あらご丁寧なこと。来てもいいけど部屋には入れないと返事してあったのに」
──えっ? そんな話になっていたのか……
ノエルはてっきり、ジョスランの謁見も許可されたものとばかり思っていた。ノエルが驚く前で、王妃が手紙を開けて目を通す。
「……ノエル。あなたはこの手紙の内容を知っているの?」
「封をした状態で渡されましたので、内容そのものは把握しておりませんが……何か問題がございましたか?」
「結構よ。時間がないから本題に入りましょう」
王妃が人払いし、執務官と王宮侍女たちが速やかに部屋を出て行く。そして扉が閉じられた瞬間、王妃は読み終わった手紙をテーブルに放り投げた。ノエルが知る限り、どんなに気分を害するようなことがあっても、王族の品位を疑われるようなことをする人ではない。ノエル以外に誰も見ていなくてもだ。
一体、ジョスランからの手紙に何が書かれていたのか。そもそも、同席を許可しなかったことも気になる。しかし時間がないとのことなので、今はとにかく用件に沿って説明するのだと、ノエルは調査資料の写しを王妃に手渡した。
「イザベラ嬢が王弟殿下に危害を加えようとした件について、資料の写しをお持ちしました。私が説明するより直接ご覧になったほうが早いかと思いまして」
「そうね。私が読むほうが早いわ」
嫌味に聞こえるが、ノエルが思うに少しだけ王妃の機嫌がよくなった。長々と口頭で説明するより、文書で渡されるのを好む人だ。
王妃はあっという間に資料を読み終え、眉間を指でつまんだ。
「なんとも手の込んだことをしてくれたものね」
「はい……」
「首謀者に心当たりは?」
王妃にずばりと問われて、ノエルに緊張が走る。
イザベラ嬢がひとりで、もしくはインス子爵が手を貸してやったことなら、とっくに解決していた。しかし実際はもっと大掛かりで、なおかつ首謀者の足取りが掴めそうにない。ただノエルはすでに、不可解な点に気づいている。
「あくまで私の考えですが……今回の件は、王太子殿下と私が復縁するという噂が広まってこそ、実行に移せる計画だったと思っております」
「続けて」
おそるおそる口を開いたノエルに、王妃が発言を続けるよう短く促す。続けてと言われれば、話すしかない。それが王妃にとって失礼な内容であってもだ。
しかし自分の考えがもし当たっているなら、スフィア公爵家の調査を止めるかどうか、インス子爵家と男爵家への罰をどの程度に留めておくべきか、この場で王妃の判断を仰いだほうがいいかもしれない。
ノエルは一旦姿勢を正し、またおそるおそる口を開いた。
「……無礼を承知で申し上げます。私はこの件の首謀者が、王太子殿下ではないかと考えております」
「ねぇ婿殿。そろそろ機嫌を直して」
「えっ? 普段どおりですが……」
「嘘だね。さっきから一度も私を見てくれないじゃないか」
そういえば今日はそんな余裕がなかったなと、ノエルは慌ててペンを置いた。ジョスランのほうを見ると、めずらしく申し訳なさそうな顔をしている。
「抑えが効かなくてごめんね。昨日みたいに襲われたらと思うと、早く番になってしまいたくて」
「うふふ……私も同じ気持ちですよ」
昨晩、帰宅するともう日付が変わっており、ノエルが入浴を済ませて部屋に戻った瞬間、待っていたよとジョスランに組み敷かれた。最後のほうは窓の外が白みかかっていて、それでもどうにか普段どおりの時間にベッドを出られた。
おかげでローランと一緒に朝食をとって登校を見送れはしたのだが、寝不足の顔だけはどうにもできず、ローランからは期待のまなざしを向けられてしまうし、眠気で仕事が進まないしで結局仮眠をとることになった。そして今、午前中の遅れを取り戻そうとせかせか働いているというわけだ。
ノエルが「明日に響かない程度に」と頼んだのにこうなってしまって、ジョスランはノエルの機嫌を損ねてしまったと思ったのだろう。ノエルがまったく怒っていないとわかって、ジョスランは安堵した様子で仕事に戻り、ノエルも手元の書類に再び目を落とす。
ジョスランの抑えが効かなかったのは、おそらく番になるのを急ぎたい気持ちがあってのことだろうなとノエルも察していた。
昨晩のようにジョスランが未婚のオメガに迫られて、万が一にも番になってしまったら。そう思うとノエルも不安で、出来るだけジョスランの望みに応えようと頑張りはしたのだが、また自分のほうが気を失って終わってしまい申し訳ない限りだ。
そしてノエルにはもうひとつ、ジョスランに申し訳なく思っていることがある。
――やっぱりジョスラン様は、私が気を失った後に⋯⋯
発情期の時からずっと気になっていたので、昨晩のノエルは体に痕をつけられる度に回数を数えていた。最後のほうは朦朧としていたので自信薄だが、それでもノエルが記憶していた数よりずっと、体に残っていたキスマークのほうが多かったのだ。
不慣れなノエルに対してもどかしく感じる時もあるのだと、ジョスランから直接言われたことだってある。おびただしい数の痕はきっと欲求不満の表れなのだろう。
しかしわかったところで、それを解決する術をノエルは知らない。夫を喜ばせる方法──それはおそらく、必要になった折に母親からこっそり教えてもらうことなのだ。
とはいえ継母のクラリッサが、ノエルの悩みを聞いて親切に教えてくれるとは思えない。他に頼れるとすれば人生の先輩、親交のある夫人たちだが……彼女たちに相談したが最後、「カルリエ侯爵令息が夫を喜ばせる方法を知りたがっている」という噂話が巡り巡ってジョスランの耳に届くことになる。想像しただけで恥ずかしくてとても聞けそうにない。
そうしてノエルが誰にも相談できないまま数日が過ぎ、スフィア公爵からイザベラ・インス子爵令嬢が夜会に忍び込んだ経緯について手紙が届いた。
今日は補佐官のマイヤー卿が休みなので、執務室にはジョスランとノエルだけ。ソファーに並んで座り、ノエルも一緒に手紙を読ませてもらう。
まずはスフィア公爵夫人が夜会で姿を見ていないと言っていた男爵令嬢について。彼女の無事は公爵家の騎士によって確認された。なぜ招待状がイザベラ嬢の手に渡ったのかと問いただすと、二週間ほど前にインス子爵家の使者が招待状を買い取りに来たのだという。
話を聞いて招待状を欲しがっているのはイザベラ嬢だろうと見当はついたが、ここ最近父である男爵が事業で失敗し、負債を返済するためにとにかく金が必要な状況だった。めぼしい家財はすでに売り払っており、男爵位を手放すよりはと取引に応じたそうだ。
スフィア公爵はインス子爵が娘可愛さにジョスランとの約束を反故にしたのだろうと考えた。しかしインス子爵は招待状を買い取ったことはおろか、娘が王都に来ていたことすら知らなかったのだ。
実際、件の男爵令嬢にインス子爵家の騎士と使用人を確認させたが、男爵家にやってきた使者はおらず、使者の似顔絵を見たインス子爵曰く面識のない人物。男爵令嬢も、やってきた使者は身なりも喋り方もいかにも貴族の補佐官といったふうで、その時はインス子爵家の人間だと疑わなかったが、思い返してみれば子爵家の紋章が入った物を何も身に着けていなかったかもしれないというのだ。
インス子爵はまったく関与していない。それなら娘が招待状の入手から自分で計画して、外部から人を雇ったのかというと、どうやらそれも違うらしい。イザベラ嬢を尋問した結果、招待状は自分で入手したのではなく、夜会の一週間ほど前に領地の屋敷に届いたと話したのだという。
その封筒の差出人はインス子爵で、受け取ったイザベラ嬢は「もう王都に戻ってもいいという連絡だろうか」と期待したそうだ。しかし封を切ってみると、中には特に親しくした覚えのない男爵令嬢からの手紙と、その令嬢が使うはずの招待状が入っていた。
手紙には王太子がノエルと結婚するため、近々ジョスランとの婚約が破棄されるらしいという話、スフィア公爵邸で開かれる夜会にジョスランが参加すること、イザベラ嬢が謹慎中なのでインス子爵の名前を使って手紙を送った旨と、王都に来るなら滞在先と衣装も準備すると書かれていた。
イザベラ嬢は男爵令嬢がジョスランと自分の仲を応援しているのだと思い込み、封筒の内容が父からの呼び出しだったと偽って王都へ。指定された滞在先でドレスに着替え、スフィア公爵邸の夜会に……ということだったらしい。
スフィア公爵の手紙の最後には、イザベラ嬢に届いた手紙は領地に置いてきたそうなので、入手でき次第筆跡を鑑定すると書かれている。しかしこれほどの計画を実行できる人間が、捜査の糸口になるような筆跡を残すとは考え難い。きっとスフィア公爵も、ジョスランが被害に遭った手前確認はするが、有力な手掛かりにはならないと思っていることだろう。
ジョスランもノエルと同じ考えのようで、今にも溜息を吐きそうな顔をしている。
「残念だけどここまでかな。ふざけた噂を流した張本人もわからずじまいなんだけど」
「そうですね。似顔絵と手紙の筆跡だけではさすがに……」
スフィア公爵家の力をもってしても、犯人の足取りを掴むのは困難だろう。しかし少なくともこの計画を考えた人間は、王都内外に情報網を持っている。
スフィア公爵夫人が男爵令嬢に招待状を送っていたこと。男爵が最近になって事業に失敗し、家財を売るほどの負債を抱えていること。領地で謹慎しているイザベラ嬢が相変わらずジョスランに執着していること。そしてスフィア公爵邸の夜会にジョスランが参加するという情報を掴んでいた。
それほどの情報通で、なおかつジョスランとノエルの結婚を妨害して得をする人物はと考えて、ノエルは一旦思考を止めた。とてつもなく嫌な予感がする。
もし頭に浮かんだ人物が首謀者なら、スフィア公爵にこれ以上の捜査は不要だと伝えたほうがいいかもしれない。ノエルが考え込んでいると、ふいにジョスランに体を持ち上げられ、膝の上に座らされた。後ろから抱きしめられて、ノエルのうなじに吐息があたる。
「ジョスラン様。まだ仕事が……」
「うん。でも今の私には癒しが必要なんだ」
──ジョスラン様……さすがにお疲れみたいだな。
何もしないからと囁くジョスランの声は気怠げで、ノエルは自分を抱きしめているジョスランの腕にそっと自分の手を重ねた。ノエルの思っているとおりなら、ジョスランはほとんど眠っていないはずなのだ。
これで癒しになるならとジョスランに抱きしめられていると、執務室の扉がノックされた。
「旦那様、奥様。お取込み中のところ失礼いたします」
声の主は執事長のロバートだ。奥様に至急お渡ししたい手紙があるといわれて、ノエルは慌ててジョスランの腕を抜け出した。スフィア公爵からの手紙を読む時に鍵をかけておいたのだ。
ノエルが鍵をあけて廊下に出ると、ロバートの表情がやけに曇っている。
「申し訳ありません奥様。すぐにお渡ししたほうがよろしいかと思いまして……」
差し出された盆の上を見て、ノエルはその理由を察した。ロバートが「至急」とまで言ったのも頷ける。手紙の封蝋にくっきりと押されているのは、王妃の印だ。
封筒を手に執務室の中に戻ってみれば、ジョスランが腕を広げて待っている。しかしノエルが元どおり膝に座っても、ジョスランは腹の虫がおさまらないらしい。
「で、誰かな? 私と婿殿の時間を邪魔した奴は」
「えっと……」
ノエルが受け取った手紙をおずおずと見せると、次の瞬間にはジョスランの手で取り上げられた。
「こんなもの読まなくていい。どうせふざけた内容だよ」
「こんなものだなんて……! 王妃陛下にはお世話になっておりますので」
「ちっ。私を通すよう兄嫁様にも言っておけばよかった」
読まずに放置すれば罰せられてしまうのはノエルのほうなので、ジョスランも渋々返してくれた。手紙を開封して、さっと目を通す。
「兄嫁様はなんだって?」
「スフィア公爵邸での件について、私に詳細を確認したいらしいのですが……」
便箋一枚の、半分にも満たない内容。スフィア公爵邸での出来事を聞いた。国王が弟君を心配しているので、代わりに状況を把握したい。明日の午後五時、王妃宮の執務室に来るように。ただそれだけが書かれている。
手紙の内容を聞いて、先程まで苛立っていたジョスランも首を傾げている。
「どうしてそんなことを私の婿殿が? スフィア公爵夫人に聞けばいいじゃないか」
ジョスランの言うとおり、状況を知りたいのなら公爵夫人を呼び出すのが一番だ。まあスフィア公爵夫妻もジョスランも忙しいので、関係者の中で最も動きやすいノエルが選ばれたのかもしれない。
「ジョスラン様。明日、王妃陛下にお会いしてきます。ローランを出迎えてから王宮に向かっても間に合いますし」
「行かないで。詳細を聞きたいなんて言って、本当は別の話をするつもりなんだ」
「別の話、ですか?」
「ああ。大公はろくでもない男だから、私の息子と結婚しなさいってね」
一瞬、ジョスランの話に笑いかけてしまったノエルだったが、冷静に考えてみると笑い事ではないかもしれない。
もうかなり前のことになるが、ローランの入学式で王妃と会った時。彼女はノエルの婿教育に割いた時間を惜しんでいるようだった。しかも社交の場で王妃が不在の時は目を光らせるようにと、本来なら王太子婿が担う役割を言いつけられたのだ。
──そうだよな。王太子殿下と私が復縁するなんて話、王宮で広まったら王妃陛下も黙っておられないはずなのに……
ノエルが王太子の婚約者だった頃、宮の管理や侍従の人事は王妃が取りまとめていて、宮内の風紀については特に厳しく取り締まっていた記憶がある。そういえば情報交換仲間の夫人たちから、噂が王宮の外まで広まったのは王太子とノエルの復縁を望んでいる者が多いからだろうという話もあった。もしかするとその中に、王妃も含まれていたのかもしれない。
しかし王妃に何を言われようとも、ノエルの心は決まっている。
「ご安心ください。万が一、王妃陛下からそのようなお話があっても応じませんので」
「本当に? 王太子にまったく未練がないんだね?」
「えっと……私が初めて好きになった人はジョスラン様ですので。想ってもいないお相手に、未練も何もありませんよね?」
ノエルが首を傾げると少し遅れて、それもそうかとジョスランが呟いた。ありもしない未練が気になるなんて、やはり相当疲れているのだろう。
「ちょうどいい機会なので、王妃陛下におうかがいしてきます。王宮内で噂がどう広まっていったのかご存じだと思いますので」
「じゃあ私も一緒に行くよ。兄嫁様がふざけた噂を放置しなければ、私が襲われることはなかったんだから、納得のいく説明をしてもらわないと」
ジョスランの提案に、ノエルも確かにと頷く。いくら忙しくとも自分の息子である王太子、そして王弟の婚姻に影響のある噂を放置していたのはやはり不自然だ。
謁見が明日の午後五時ということで、ジョスランはノエルに同行する旨の手紙を王妃に送り、ノエルのほうはスフィア公爵邸を訪ねて捜査資料を写させてもらい、それぞれが王妃に会う準備を整えていたのだが……
王妃に謁見する日の朝。いつもどおり家族三人で寝ていたはずが、ローランと一緒に目覚めるとジョスランの姿がない。不思議に思ってジョスランの部屋に行ってみると、部屋から出てきたグレアム医師と鉢合わせた。
「ああ、奥様。ちょうどいいところに」
「グレアム先生? 大公殿下に何か……」
「ええ。昨日から少し不調をお感じだったそうでして」
夜中に熱っぽさを感じたジョスランは自室に戻って安静にしていたが、朝になっても治らなかったのでグレアム医師が呼ばれたのだという。ただの風邪だがジョスランにしてはめずらしく熱が高いので、今日は一日仕事を休んで様子をみるよう伝えたそうだ。
「奥様は今日、王妃陛下に謁見なさるとか?」
「はい。大公殿下も一緒に来てくださる予定だったのですが、ひとりで行ってきます」
「それがよろしいですね。帰ってきたらぜひ、看病して差し上げてください」
「わかりました……!」
看病なら得意だとノエルが張り切って部屋に入ると、ジョスランはベッドで横になり、目の下まで布団を引きあげて荒い息を吐いていた。
「あれ? 婿殿がどうしてここに……」
夢かなと言うジョスランに、現実ですよとノエルが返す。熱が高いとは聞いていたが、額に手をあててみると驚くほど熱い。
「触っては駄目だよ。君とローランにうつったら大変だ」
「あっ……申し訳ありません」
「グレアムに言ったのに。君が部屋に入らないようにしてって」
確かに、ただの風邪とはいえジョスランがここまで苦しむものが、ノエルを介してローランにうつってしまったら大変だ。ノエルはジョスランの額から手を離し、ベッドから少し距離をとった。
「こんな日にごめんね。熱なんて滅多に出さないのに……」
「大丈夫です。王妃陛下とお話しするのは慣れていますから」
「私の代わりに副騎士団長を連れて行って。他にも何人か、彼に護衛を選んでもらって」
「そういたします。ジョスラン様はゆっくりお休みになってくださいね」
副騎士団長はベータ男性なのでオメガのフェロモンが効かない。結婚して跡継ぎもいるので、ジョスランも安心してノエルを任せられるのだろう。風邪が治るまで部屋に入らないようにと言われて、ノエルは少し寂しい気持ちでジョスランの部屋をあとにした。
──グレアム先生からは、ぜひ看病して差し上げるようにと言われたんだけどな……
あんなにジョスランが苦しんでいるのに、何もしてあげられない。しかしローランにうつると心配な気持ちはよくわかるし、今日はこれから王妃に謁見する予定もある。王宮に風邪を持ち込まないためにも、ジョスランの言うとおりにしたほうがいい。
ノエルは気持ちを切り替えてローランを送り出し、副騎士団長に護衛の準備を頼んだ。執務室でマイヤー卿と仕事をするも、婚約者という立場では当主代理の決裁ができない。まだ結婚していないことをもどかしく思いながら自分の仕事を片づけると、もうローランを出迎える時間だ。
「ただいま、ノエル父様」
「おかえりなさい……! そして行ってきます!」
「ああ。気をつけるんだぞ」
ローランのことは専属侍従のパトリックに任せ、ノエルは副騎士団長と馬車に乗って王宮に向かった。窓の外を見れば、誰が乗っているのかと興味深そうにこちらを眺める人々の姿が目に入る。馬車を挟むようにして、馬に乗った護衛たちが厳重に警備しているからだろう。
ノエルも出発前に思った。こんなに護衛がつくのは王族くらいのものだと。数を減らすようその場でやんわりと言ってもみたのだが、ジョスランが同乗しないことを考えると妥当な人数だと集まった騎士団員たちに押し切られててこうなってしまったのだ。道を騒がせて申し訳ないので、もう一度やんわりと指摘してみる。
「やっぱり護衛の数が多すぎたかな……何人か帰らせようか?」
「ご理解ください。奥様に傷ひとつでもつけば団員の首が飛びますので」
「そんな。大公殿下はその程度のことで首を刎ねるようなお方ではないよ」
ノエルの言葉に副騎士団長が目を丸くする。何か言いたげだが結局何も言われないまま、護衛の数が減らされることもなかった。
王妃宮の前で馬車が停まり、護衛たちは外で待機。副騎士団長とノエルのふたりで宮の中に入る。
──懐かしいな……ここに来るのは一年ぶりくらいか。
以前は婿教育で、教育が終わった後は仕事で。毎日訪れては一日の大半を過ごしていた場所。まだ結婚しておらず王太子妃宮が使えないので、ノエルの執務室は王妃宮にあったのだ。警備にあたる騎士の顔ぶれもほとんど変わっておらず、目が合うと丁寧に挨拶してくれる。
王妃の執務室に着いたのは約束の時間より少し早かったのだが、すぐに入室を許可された。入れるのはノエルだけなので、副騎士団長とは扉の前でお別れだ。
「副騎士団長はここで待機を」
「御意。こちら、王妃陛下にお渡しするよう大公殿下から預かってきた手紙でございます」
「あっ……ありがとう」
副騎士団長が言うには、自分も同行すると連絡しておきながら体調を崩してしまったので、お詫びの言葉をジョスランが一筆したためたそうだ。ジョスランが体調不良で来られないことはすでにノエルが連絡してあったのだが、それだけでは足りないと思ったようだ。
ジョスランからの手紙を王妃の執務官に渡し、ノエルも一緒に執務室に入る。
「王妃陛下にノエル・カルリエがご挨拶申し上げます」
「挨拶はいいから早く座りなさい」
「は、はい……!」
時計を見るとまだ五時前なのだが、王妃に急かされてソファーに着席する。執務官からジョスランの手紙を渡されて、王妃の眉がぴくりと動くのをノエルは見逃さなかった。どうやら今日もあまり機嫌がよくないらしい。
「これは何の手紙? 来られないことはすでに聞いたけれど」
「はい。私から連絡しておりましたが、大公殿下からも手紙でひとことお詫び申し上げたいとのことで」
「あらご丁寧なこと。来てもいいけど部屋には入れないと返事してあったのに」
──えっ? そんな話になっていたのか……
ノエルはてっきり、ジョスランの謁見も許可されたものとばかり思っていた。ノエルが驚く前で、王妃が手紙を開けて目を通す。
「……ノエル。あなたはこの手紙の内容を知っているの?」
「封をした状態で渡されましたので、内容そのものは把握しておりませんが……何か問題がございましたか?」
「結構よ。時間がないから本題に入りましょう」
王妃が人払いし、執務官と王宮侍女たちが速やかに部屋を出て行く。そして扉が閉じられた瞬間、王妃は読み終わった手紙をテーブルに放り投げた。ノエルが知る限り、どんなに気分を害するようなことがあっても、王族の品位を疑われるようなことをする人ではない。ノエル以外に誰も見ていなくてもだ。
一体、ジョスランからの手紙に何が書かれていたのか。そもそも、同席を許可しなかったことも気になる。しかし時間がないとのことなので、今はとにかく用件に沿って説明するのだと、ノエルは調査資料の写しを王妃に手渡した。
「イザベラ嬢が王弟殿下に危害を加えようとした件について、資料の写しをお持ちしました。私が説明するより直接ご覧になったほうが早いかと思いまして」
「そうね。私が読むほうが早いわ」
嫌味に聞こえるが、ノエルが思うに少しだけ王妃の機嫌がよくなった。長々と口頭で説明するより、文書で渡されるのを好む人だ。
王妃はあっという間に資料を読み終え、眉間を指でつまんだ。
「なんとも手の込んだことをしてくれたものね」
「はい……」
「首謀者に心当たりは?」
王妃にずばりと問われて、ノエルに緊張が走る。
イザベラ嬢がひとりで、もしくはインス子爵が手を貸してやったことなら、とっくに解決していた。しかし実際はもっと大掛かりで、なおかつ首謀者の足取りが掴めそうにない。ただノエルはすでに、不可解な点に気づいている。
「あくまで私の考えですが……今回の件は、王太子殿下と私が復縁するという噂が広まってこそ、実行に移せる計画だったと思っております」
「続けて」
おそるおそる口を開いたノエルに、王妃が発言を続けるよう短く促す。続けてと言われれば、話すしかない。それが王妃にとって失礼な内容であってもだ。
しかし自分の考えがもし当たっているなら、スフィア公爵家の調査を止めるかどうか、インス子爵家と男爵家への罰をどの程度に留めておくべきか、この場で王妃の判断を仰いだほうがいいかもしれない。
ノエルは一旦姿勢を正し、またおそるおそる口を開いた。
「……無礼を承知で申し上げます。私はこの件の首謀者が、王太子殿下ではないかと考えております」
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