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◇ ご機嫌なお姫様(3)
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騎士たちが会場を出て行き、ノエルが周りに向かって軽く会釈すると途端にお喋りが再開された。あれだけの騒ぎを起こして謝罪のひと言もなかったなと、イザベラ嬢を非難する声が聞こえてくる。
ノエルもせめて、ジョスランが大変な時に言い寄ったことについては非を認めてほしいと思った。しかし同じオメガとしてイザベラ嬢の言動が理解できる分、やはり複雑な気持ちになってしまう。
乱れてしまった袖口を整えていると、ジョスランがポケットチーフを畳んでノエルの胸ポケットに元どおり挿してくれた。
「ありがとう婿殿。間に入ってくれて」
「いえ。お体は大丈夫ですか?」
「問題ないよ。しばらくこうしていればね」
ジョスランはノエルに正面から抱きつき、巨躯を折り曲げるようにしてノエルの襟足に鼻を埋めた。そして深呼吸を繰り返しながら、ノエルにだけ聞こえるよう悪態をつく。
「はぁ……落ち着くよ。あいつ、最初からわざとフェロモンを出していたよね」
「申し訳ありません。すぐに騎士を呼んでいれば……」
「ううん。離れようとしたのに回り込んできて、本当にしつこい奴だ」
しかし今度こそ領地に引っ込んでもらうのだと、ジョスランは抗議する気満々だ。領地で謹慎するという約束を破ってジョスランに接触してきただけでなく、婚約者のノエルに暴力をふるおうとした。ベルクール大公家からインス子爵家に正式な抗議文を送れば、今日のようなことは二度と起こらないだろうとノエルも思う。
ただ気になるのは、領地にこもっていたはずのイザベラ嬢が王都の噂を知っていて、なおかつジョスランがスフィア公爵邸の夜会に参加することも掴んでいたという点だ。
娘のことを思ってジョスランに謝罪したインス子爵が、彼女の心を乱すような噂をわざわざ伝えるとは考えづらい。では他に誰か、王都の事情に詳しい協力者がいるのか。だとしたらその人物は明らかに、ジョスランとノエルの結婚を妨害する意図をもって動いている。ノエルがそう話すと、ジョスランも頷いた。
「そこは私も怪しいと思うよ。でも大丈夫。何があっても我々の結婚は覆らないって、私の婿殿が言い切ったからね」
「うふふ……そうでした」
ジョスランに抱きしめられたまま過ごすことしばらく。周りからの微笑ましい視線にノエルがだんだんと恥ずかしさを感じ始めた頃、スフィア公爵夫人が会場に戻ってきた。夫のスフィア公爵のエスコートを受けている。
スフィア公爵家の当主と夫人、そしてベルクール大公家の当主と婚約者。こうして四人揃うと、集まった人すべての視線が注がれているかのようだ。
「王弟殿下。せっかくお越しいただいたところに申し訳ありません」
「気にしないで。しかしどうしてあんな奴が?」
「妻が招待していない令嬢だというのでざっと調べてきたのですが、どうも他人の招待状を使って侵入したようなんです」
入り口で回収された招待状をスフィア公爵が確認したところ、イザベラ嬢のフェロモンが染み込んだものが見つかった。しかしそれは、スフィア公爵夫人が今日一度も見かけていない男爵令嬢に宛てたものだという。
どうやって招待状を入手したかは今から尋問するそうだが、スフィア公爵家の屋敷に侵入したこと、招待客であるジョスランに襲いかかろうとしたことも、ノエルを扇子で殴りつけようとしたことも今の時点で明らかなので、すでに抗議の手紙を送ったとのことだ。
「我々の目が行き届いておらずご迷惑をおかけしました」
「いや。私もどこのどいつだかすっかり忘れていてね。覚えていればすぐに捕まえさせたんだけど」
「婿様にも申し訳ないですわ。令嬢の愚行を止めていただいたとのことで」
「いえいえ。婚約者を守るのは当然の務めです」
これだけ大規模な夜会となると、招待客の名前と顔を一致させるのも一苦労。そういえばイザベラ嬢は、人が少ない場所でも扇子で口元を覆いながら喋っていた。あの時はスフィア公爵夫人が会場に居たので、見つかって追い出されないよう顔を隠していたのだろう。
姿を見ていない男爵令嬢にも取り急ぎ遣いを送ったそうで、無理やり招待状を奪われたのか、それとも何か見返りがあって協力したのか、詳細がわかり次第共有してくれるとのことだ。
「じゃあ連絡を待ってるよ。いくら執念深くても、王都に戻ってこようと考えたのがどうも不思議でね」
「ええ。とりあえずお詫びも兼ねて、上で少し飲みませんか? 我々四人だけで」
「そうしたいところだけど、息子を寝かしつけて少し抜けてきただけなんだ。もう帰らないと」
「おっと……それは無理に引き留められませんね。時には大人だけの時間も必要だとは思いますが」
「ああ。それは確かに」
スフィア公爵の誘いを断って、ジョスランがノエルに右手を差し出す。
「じゃあノエル。せっかくだから一曲踊ってから帰ろう」
「ひゃ、はい……!」
急にジョスランから名前で呼び捨てされて、ノエルの心臓が飛び跳ねてしまう。きっとこの頃、ベッドの上でそうされることが多いせいだ。
慌ててジョスランの手を取ってダンスホールに向かえば、自然と中央のスペースが空けられる。ちょうど次の曲が始まるタイミングだ。
最初の小節でお辞儀して、ノエルはジョスランの右腕に左手を添え、ジョスランの右手がノエルの背中に添えられる。余った手を繋いでステップを踏み出せば、途端に周りのざわめきが気にならなくなった。くるり、くるりと回る度にノエルの上着の裾がふわりと広がり、ジョスランのマントと合わさって円を描く。
「あれ? 婚約してから踊るのはこれが初めてかな?」
「そういえばそうですね……!」
「覚えているかい? 哀れな雇い主に君が慈悲をくれたことを」
「もちろん、覚えていますよ」
ノエルがジョスランと踊ったのは過去に一度だけ。王太子に婚約破棄されて一年経とうかという時に招待された、アロイスの誕生日を祝う舞踏会でのことだ。
舞踏会に参加したら、少なくとも一曲踊るのが紳士のマナー。婚約していれば婚約者を、そうでなければ未婚の相手を誘うのだが、後妻の座を狙っているオメガが多かったジョスランは、彼女たちを誘わなくていい口実に一曲踊ってくれないかとノエルに頼んだのだ。
その時のノエルは、それがジョスランの望みならと喜んで承諾した。本当にただ、「雇ってくれたお礼になればいいな」という気持ちで踊ったのだが……
──もしかしてあの時にはもう、ジョスラン様のことが好きだったのかな。
ジョスランと踊りながら、ノエルの頭にそんな考えが頭をよぎる。
オーギュスト王太子と婚約していた頃はどうリードされるか曲によって完全に決まっていて、ノエルは覚えた順番どおりにただ踊るだけ。特に楽しいと思ったことはなかったし、王太子はノエルの体をあまり十分に支えてくれないので苦しいとさえ感じる時もあった。
しかしジョスランとのダンスはまったくそうではなかった。ただ音楽を楽しみながらジョスランのリードに体を預けるだけで、信じられないほど軽やかに踊れることに当時のノエルは驚愕したものだ。
誰かと踊るのが初めて楽しいと思った。しかし楽しいと思ったのがよくなかったのか、ノエルのうなじからフェロモンが漏れ出てしまい、ジョスランに迷惑をかけてしまった苦い思い出だ。
その時ノエルは、自分も他のオメガと同じように、気分の高揚で自然とフェロモンが出ることもあるのだなと思ったのだが、よく考えたらフェロモンが少なく自制も効きやすい自分が、ただダンスが楽しいというだけでフェロモンを振り撒いてしまうわけがない。あれはきっと、無意識のうちにジョスランに求愛していたのだ。
自分自身のことなのに本当に何もわかっていなかったのだと思うと、ノエルは途端に恥ずかしくなってきた。
「婿殿。私と踊っているのに考え事かい?」
「は、はい……私はいつ、ジョスラン様を好きになったのかなと気になってしまって」
「おや。それは私も非常に興味があるよ」
ぜひ聞かせてとジョスランに言われて、ノエルは頭の中で考えていたことをたどたどしく説明する。
一体何がきっかけだったのかと振り返ってみれば、小さな心当たりが次々に出てくる。思うに、ある日突然好きになったわけではないのだ。
ジョスラン・ベルクールという、心から尊敬できる存在。その人から自分に与えられる肯定と感謝。ジョスランが他の人とあまりにも違うので最初は驚きしかなかったが、次第に喜びと安心感を覚えるようになった。
そして自分からもジョスランに何か返したいという、ノエル自身の気持ち。それらが幾重にも積み重なって、尊敬だけでは説明できない感情を抱くようになった。それが恋慕の情だと知らなかったから、長い間気づかずにいただけだった。
なので具体的にいつから好きだったのか、自分でもよくわからないのだ⋯⋯と、みなまで喋った後でノエルは気づいた。ジョスラン本人にするには恥ずかしすぎる話だ。
「んん。なるほど。婿殿は私が思っていたよりずっと前から、私のことを考えてくれていたんだね。しかもそれが君の初恋だったということで間違いないかな?」
わざとらしい咳払い。にやにやするのを堪えているジョスランの口元も、ノエルをさらに恥ずかしい気持ちにさせる。
「そ、そうですね。それで間違いない、です」
「教えてくれてありがとう。私も、婿殿の凛々しい姿に惚れ直したよ」
「凛々しい……?」
「不躾なオメガを追い払ってくれたじゃないか。私はこんなだから。誰かを助けることはあっても、誰かに守ってもらえることはほとんどないんだ」
歳を重ねるごとに、誰かに守ってもらう必要がなくなり、何かあってもジョスランは自力で解決してきた。数少ない、相互に助け合う関係性がある人物を挙げるとすれば兄王陛下。そして今は亡き前大公婿、ニコラ・ベルクールだった。
ニコラは望まぬ結婚から助けてもらった分、しっかり恩を返すからと言って、時には体を張ってジョスランを守ることもあった。ちょうど、今日のノエルのように。
「君が私の前に立った時、久々にお姫様のような気持ちになったよ。絶体絶命の危機に、王子様が駆けつけてくれた時のね」
執念深いオメガ。なおかつ相手のほうが強いフェロモンをもっているのに、ノエルは動じることなく相手を退けてくれた。その姿が、ジョスランの目には在りし日のニコラと重なって見えたのだという。
毅然とした態度が格好よかった、さすが私の婿殿だとジョスランから手放しに褒められて、ノエルの頬が緩む。
ジョスランには何かと助けてもらってばかりだったのに、いつの間にか自分も、ジョスランのことを守れるようになっていた。ジョスランとニコラがそうだったように、自分もジョスランと助け合える関係になれているのだと思うと、ノエルの胸が喜びで満ち溢れる。
曲が終わり、ノエルはホールドを解いてジョスランにお辞儀した。
「大公殿下。楽しいひと時をありがとうございました」
「こちらこそ。婿殿と踊れて光栄だったよ」
お礼を言いあって、顔をあげてすぐ。ジョスランの手で顎をくいと持ち上げられた。ノエルの唇に温かいものが触れ、辺りがにわかにざわめく。
目を開けたままのノエルの前でジョスランの睫毛が伏せられていて、ノエルはやっと大勢の前でジョスランから口づけされているのだと認識した。慌てて顔を離したが完全に手遅れだ。
「なっ、何を……」
「お姫様からのお礼は口づけだと相場が決まっているからね」
──だからってこんなところで!?
人前で唇にキスするなんて、結婚式の誓いの口づけくらいのものだ。
ノエルにとっては一生に一度のことで、儀式でもない限り恥ずかしくてとてもできないことなのに、ジョスランは何ともない様子でノエルの耳元に口を近づけてくる。
「ちょうどいいよね? ここで君から私にキスを返してくれれば、ふざけた噂も完全に消え去ると思うけど」
「そんな……そんなこと、公の場ではできません……!」
ノエルが小声で拒否すると、ジョスランに抱き上げられてもう一度キスされた。今度はざわめきの中にはっきりと、スフィア公爵夫妻の会話が聞こえてくる。
「おやおや。おふたりはもうご結婚されたのだったかな?」
「あなたったら。あれはきっと式のリハーサルだわ」
練習にちょうどいい会場を提供できてよかったと、スフィア公爵夫人の笑い声が続く。居たたまれなくなったノエルはジョスランの肩に顔を埋めたが、それすらも歓声を浴びてしまい、何をどう弁解しても無駄だと悟った。
せめて真っ赤になった顔を見られまいと顔を伏せたままでいるノエルに、ジョスランがくくと喉を鳴らす。
「ごめんね婿殿。これ以上のお礼は帰ってからにするから」
「えっ? これ以上のというのは……」
「忘れたのかい? 今日は君の部屋で寝る約束だったよね?」
ジョスランに首を傾げられて、ノエルがはっと顔をあげる。夜中にローランを起こしてはいけないので、今日は帰ったらノエルの部屋で寝ようという話になっていたのだ。
「あ、あの……明日、寝坊するわけには」
「うん。だから早く帰ろうね、王子様」
危ないところを助けてもらった分、きっちり恩返しさせてもらうよとジョスランがノエルの頭に頬を寄せる。このご機嫌な様子から察するに、もうお礼は結構ですとノエルが言ったところで辞退させてはくれないだろう。
結局ノエルは何の抵抗もできず、たくましいお姫様に横抱きにされたまま、屋敷に帰る羽目になったのだった。
ノエルもせめて、ジョスランが大変な時に言い寄ったことについては非を認めてほしいと思った。しかし同じオメガとしてイザベラ嬢の言動が理解できる分、やはり複雑な気持ちになってしまう。
乱れてしまった袖口を整えていると、ジョスランがポケットチーフを畳んでノエルの胸ポケットに元どおり挿してくれた。
「ありがとう婿殿。間に入ってくれて」
「いえ。お体は大丈夫ですか?」
「問題ないよ。しばらくこうしていればね」
ジョスランはノエルに正面から抱きつき、巨躯を折り曲げるようにしてノエルの襟足に鼻を埋めた。そして深呼吸を繰り返しながら、ノエルにだけ聞こえるよう悪態をつく。
「はぁ……落ち着くよ。あいつ、最初からわざとフェロモンを出していたよね」
「申し訳ありません。すぐに騎士を呼んでいれば……」
「ううん。離れようとしたのに回り込んできて、本当にしつこい奴だ」
しかし今度こそ領地に引っ込んでもらうのだと、ジョスランは抗議する気満々だ。領地で謹慎するという約束を破ってジョスランに接触してきただけでなく、婚約者のノエルに暴力をふるおうとした。ベルクール大公家からインス子爵家に正式な抗議文を送れば、今日のようなことは二度と起こらないだろうとノエルも思う。
ただ気になるのは、領地にこもっていたはずのイザベラ嬢が王都の噂を知っていて、なおかつジョスランがスフィア公爵邸の夜会に参加することも掴んでいたという点だ。
娘のことを思ってジョスランに謝罪したインス子爵が、彼女の心を乱すような噂をわざわざ伝えるとは考えづらい。では他に誰か、王都の事情に詳しい協力者がいるのか。だとしたらその人物は明らかに、ジョスランとノエルの結婚を妨害する意図をもって動いている。ノエルがそう話すと、ジョスランも頷いた。
「そこは私も怪しいと思うよ。でも大丈夫。何があっても我々の結婚は覆らないって、私の婿殿が言い切ったからね」
「うふふ……そうでした」
ジョスランに抱きしめられたまま過ごすことしばらく。周りからの微笑ましい視線にノエルがだんだんと恥ずかしさを感じ始めた頃、スフィア公爵夫人が会場に戻ってきた。夫のスフィア公爵のエスコートを受けている。
スフィア公爵家の当主と夫人、そしてベルクール大公家の当主と婚約者。こうして四人揃うと、集まった人すべての視線が注がれているかのようだ。
「王弟殿下。せっかくお越しいただいたところに申し訳ありません」
「気にしないで。しかしどうしてあんな奴が?」
「妻が招待していない令嬢だというのでざっと調べてきたのですが、どうも他人の招待状を使って侵入したようなんです」
入り口で回収された招待状をスフィア公爵が確認したところ、イザベラ嬢のフェロモンが染み込んだものが見つかった。しかしそれは、スフィア公爵夫人が今日一度も見かけていない男爵令嬢に宛てたものだという。
どうやって招待状を入手したかは今から尋問するそうだが、スフィア公爵家の屋敷に侵入したこと、招待客であるジョスランに襲いかかろうとしたことも、ノエルを扇子で殴りつけようとしたことも今の時点で明らかなので、すでに抗議の手紙を送ったとのことだ。
「我々の目が行き届いておらずご迷惑をおかけしました」
「いや。私もどこのどいつだかすっかり忘れていてね。覚えていればすぐに捕まえさせたんだけど」
「婿様にも申し訳ないですわ。令嬢の愚行を止めていただいたとのことで」
「いえいえ。婚約者を守るのは当然の務めです」
これだけ大規模な夜会となると、招待客の名前と顔を一致させるのも一苦労。そういえばイザベラ嬢は、人が少ない場所でも扇子で口元を覆いながら喋っていた。あの時はスフィア公爵夫人が会場に居たので、見つかって追い出されないよう顔を隠していたのだろう。
姿を見ていない男爵令嬢にも取り急ぎ遣いを送ったそうで、無理やり招待状を奪われたのか、それとも何か見返りがあって協力したのか、詳細がわかり次第共有してくれるとのことだ。
「じゃあ連絡を待ってるよ。いくら執念深くても、王都に戻ってこようと考えたのがどうも不思議でね」
「ええ。とりあえずお詫びも兼ねて、上で少し飲みませんか? 我々四人だけで」
「そうしたいところだけど、息子を寝かしつけて少し抜けてきただけなんだ。もう帰らないと」
「おっと……それは無理に引き留められませんね。時には大人だけの時間も必要だとは思いますが」
「ああ。それは確かに」
スフィア公爵の誘いを断って、ジョスランがノエルに右手を差し出す。
「じゃあノエル。せっかくだから一曲踊ってから帰ろう」
「ひゃ、はい……!」
急にジョスランから名前で呼び捨てされて、ノエルの心臓が飛び跳ねてしまう。きっとこの頃、ベッドの上でそうされることが多いせいだ。
慌ててジョスランの手を取ってダンスホールに向かえば、自然と中央のスペースが空けられる。ちょうど次の曲が始まるタイミングだ。
最初の小節でお辞儀して、ノエルはジョスランの右腕に左手を添え、ジョスランの右手がノエルの背中に添えられる。余った手を繋いでステップを踏み出せば、途端に周りのざわめきが気にならなくなった。くるり、くるりと回る度にノエルの上着の裾がふわりと広がり、ジョスランのマントと合わさって円を描く。
「あれ? 婚約してから踊るのはこれが初めてかな?」
「そういえばそうですね……!」
「覚えているかい? 哀れな雇い主に君が慈悲をくれたことを」
「もちろん、覚えていますよ」
ノエルがジョスランと踊ったのは過去に一度だけ。王太子に婚約破棄されて一年経とうかという時に招待された、アロイスの誕生日を祝う舞踏会でのことだ。
舞踏会に参加したら、少なくとも一曲踊るのが紳士のマナー。婚約していれば婚約者を、そうでなければ未婚の相手を誘うのだが、後妻の座を狙っているオメガが多かったジョスランは、彼女たちを誘わなくていい口実に一曲踊ってくれないかとノエルに頼んだのだ。
その時のノエルは、それがジョスランの望みならと喜んで承諾した。本当にただ、「雇ってくれたお礼になればいいな」という気持ちで踊ったのだが……
──もしかしてあの時にはもう、ジョスラン様のことが好きだったのかな。
ジョスランと踊りながら、ノエルの頭にそんな考えが頭をよぎる。
オーギュスト王太子と婚約していた頃はどうリードされるか曲によって完全に決まっていて、ノエルは覚えた順番どおりにただ踊るだけ。特に楽しいと思ったことはなかったし、王太子はノエルの体をあまり十分に支えてくれないので苦しいとさえ感じる時もあった。
しかしジョスランとのダンスはまったくそうではなかった。ただ音楽を楽しみながらジョスランのリードに体を預けるだけで、信じられないほど軽やかに踊れることに当時のノエルは驚愕したものだ。
誰かと踊るのが初めて楽しいと思った。しかし楽しいと思ったのがよくなかったのか、ノエルのうなじからフェロモンが漏れ出てしまい、ジョスランに迷惑をかけてしまった苦い思い出だ。
その時ノエルは、自分も他のオメガと同じように、気分の高揚で自然とフェロモンが出ることもあるのだなと思ったのだが、よく考えたらフェロモンが少なく自制も効きやすい自分が、ただダンスが楽しいというだけでフェロモンを振り撒いてしまうわけがない。あれはきっと、無意識のうちにジョスランに求愛していたのだ。
自分自身のことなのに本当に何もわかっていなかったのだと思うと、ノエルは途端に恥ずかしくなってきた。
「婿殿。私と踊っているのに考え事かい?」
「は、はい……私はいつ、ジョスラン様を好きになったのかなと気になってしまって」
「おや。それは私も非常に興味があるよ」
ぜひ聞かせてとジョスランに言われて、ノエルは頭の中で考えていたことをたどたどしく説明する。
一体何がきっかけだったのかと振り返ってみれば、小さな心当たりが次々に出てくる。思うに、ある日突然好きになったわけではないのだ。
ジョスラン・ベルクールという、心から尊敬できる存在。その人から自分に与えられる肯定と感謝。ジョスランが他の人とあまりにも違うので最初は驚きしかなかったが、次第に喜びと安心感を覚えるようになった。
そして自分からもジョスランに何か返したいという、ノエル自身の気持ち。それらが幾重にも積み重なって、尊敬だけでは説明できない感情を抱くようになった。それが恋慕の情だと知らなかったから、長い間気づかずにいただけだった。
なので具体的にいつから好きだったのか、自分でもよくわからないのだ⋯⋯と、みなまで喋った後でノエルは気づいた。ジョスラン本人にするには恥ずかしすぎる話だ。
「んん。なるほど。婿殿は私が思っていたよりずっと前から、私のことを考えてくれていたんだね。しかもそれが君の初恋だったということで間違いないかな?」
わざとらしい咳払い。にやにやするのを堪えているジョスランの口元も、ノエルをさらに恥ずかしい気持ちにさせる。
「そ、そうですね。それで間違いない、です」
「教えてくれてありがとう。私も、婿殿の凛々しい姿に惚れ直したよ」
「凛々しい……?」
「不躾なオメガを追い払ってくれたじゃないか。私はこんなだから。誰かを助けることはあっても、誰かに守ってもらえることはほとんどないんだ」
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ニコラは望まぬ結婚から助けてもらった分、しっかり恩を返すからと言って、時には体を張ってジョスランを守ることもあった。ちょうど、今日のノエルのように。
「君が私の前に立った時、久々にお姫様のような気持ちになったよ。絶体絶命の危機に、王子様が駆けつけてくれた時のね」
執念深いオメガ。なおかつ相手のほうが強いフェロモンをもっているのに、ノエルは動じることなく相手を退けてくれた。その姿が、ジョスランの目には在りし日のニコラと重なって見えたのだという。
毅然とした態度が格好よかった、さすが私の婿殿だとジョスランから手放しに褒められて、ノエルの頬が緩む。
ジョスランには何かと助けてもらってばかりだったのに、いつの間にか自分も、ジョスランのことを守れるようになっていた。ジョスランとニコラがそうだったように、自分もジョスランと助け合える関係になれているのだと思うと、ノエルの胸が喜びで満ち溢れる。
曲が終わり、ノエルはホールドを解いてジョスランにお辞儀した。
「大公殿下。楽しいひと時をありがとうございました」
「こちらこそ。婿殿と踊れて光栄だったよ」
お礼を言いあって、顔をあげてすぐ。ジョスランの手で顎をくいと持ち上げられた。ノエルの唇に温かいものが触れ、辺りがにわかにざわめく。
目を開けたままのノエルの前でジョスランの睫毛が伏せられていて、ノエルはやっと大勢の前でジョスランから口づけされているのだと認識した。慌てて顔を離したが完全に手遅れだ。
「なっ、何を……」
「お姫様からのお礼は口づけだと相場が決まっているからね」
──だからってこんなところで!?
人前で唇にキスするなんて、結婚式の誓いの口づけくらいのものだ。
ノエルにとっては一生に一度のことで、儀式でもない限り恥ずかしくてとてもできないことなのに、ジョスランは何ともない様子でノエルの耳元に口を近づけてくる。
「ちょうどいいよね? ここで君から私にキスを返してくれれば、ふざけた噂も完全に消え去ると思うけど」
「そんな……そんなこと、公の場ではできません……!」
ノエルが小声で拒否すると、ジョスランに抱き上げられてもう一度キスされた。今度はざわめきの中にはっきりと、スフィア公爵夫妻の会話が聞こえてくる。
「おやおや。おふたりはもうご結婚されたのだったかな?」
「あなたったら。あれはきっと式のリハーサルだわ」
練習にちょうどいい会場を提供できてよかったと、スフィア公爵夫人の笑い声が続く。居たたまれなくなったノエルはジョスランの肩に顔を埋めたが、それすらも歓声を浴びてしまい、何をどう弁解しても無駄だと悟った。
せめて真っ赤になった顔を見られまいと顔を伏せたままでいるノエルに、ジョスランがくくと喉を鳴らす。
「ごめんね婿殿。これ以上のお礼は帰ってからにするから」
「えっ? これ以上のというのは……」
「忘れたのかい? 今日は君の部屋で寝る約束だったよね?」
ジョスランに首を傾げられて、ノエルがはっと顔をあげる。夜中にローランを起こしてはいけないので、今日は帰ったらノエルの部屋で寝ようという話になっていたのだ。
「あ、あの……明日、寝坊するわけには」
「うん。だから早く帰ろうね、王子様」
危ないところを助けてもらった分、きっちり恩返しさせてもらうよとジョスランがノエルの頭に頬を寄せる。このご機嫌な様子から察するに、もうお礼は結構ですとノエルが言ったところで辞退させてはくれないだろう。
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