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ライナスはエルネストを部屋まで運びながら、めずらしく小言を口にした。
「だからエル兄様も一緒にと言ったんです。ああいう輩が寄ってくると思ったから」
「そうだったんだ……」
相槌を打ちながらも、腕の中のエルネストは心ここにあらずといった様子だ。ルシアンのフェロモンにあてられてしまったせいだろう。離れてもまだ発情状態が続いている。
ライナスはエルネストに気づかれないよう、わずかに唇を噛んだ。
オメガ本人は自分のフェロモンがどんな匂いかわからないものなのだが、エルネストのフェロモンはチョコレートやココアに似た甘い匂いがする。横抱きにして運んでいると、ちょうどライナスのほうにエルネストのフェロモンが漂ってきて、その甘い香りに頭がくらりとしそうだ。
思い切り吸い込んでしまいたい衝動に駆られつつも、ライナスは自制した。優勢アルファは理性が強いなどと説明したが、あれはエルネストが不用心にも護衛に身を任せようとしたからそう言っただけで、実際はそんなことはない。表に出さないだけで、ライナスもぎりぎりのところで耐えている。
部屋に戻ってもエルネストはまだ体に力が入らない様子で、ライナスはベッドまでエルネストを運んで縁に座らせた。
「ありがとうライナス。もう宴会に戻って」
「駄目です。怪我がないか確認しないと」
「いや……どこも痛くないから大丈夫だよ」
「興奮していると自分では気づかないものなんです」
部屋から追い出したそうな言葉をすべて無視して、ライナスはエルネストの礼服に手をかけた。自制しながらさも淡々と脱がせて、あっという間に白いブラウスと下着だけになっても、エルネストが恥ずかしがる様子は少しもない。
ルシアンのフェロモンにはあんなに反応して、自分に対してここまで無反応だといっそ冷静になれる。ライナスは複雑な気持ちでエルネストの体に怪我がないか確かめた。
「ほら。膝が少し赤いですよ?」
「ああ……床にぶつけたかな。デマーレ公子が急に私を放したものだから」
「擦りむいてはないですね。他は大丈夫ですか?」
「うん。あとはうなじを噛まれたくらいで」
「なっ……」
「大丈夫だよ。噛まれたって言っても服の上からだったから」
「見せてください!」
本当に、この皇子様はどこまで不用心なのだろうか。腹立たしくすら感じながら、ライナスはエルネストのブラウスのボタンをいくつか外して後ろを向かせた。長く伸ばされた襟足を横によけると、白いうなじに薄っすらと歯型がついている。
「ちっ。どれだけ強く噛んだらこんなことに」
「痛くないから大丈夫だよ」
「全然大丈夫じゃありません。どうしてこんなに不用心なんですか?」
「あはは……」
アルファの歯が絶対に貫通しないように、エルネストの上着には必ず固い襟芯が使われている。とはいえ、歯形が残るほど噛まれたのだから笑い事ではない。
これは真面目に窘めようと思ったライナスだったが、エルネストをこちらに向かせようと肩を軽く掴んだ瞬間、その手を払われてしまった。
「さあ、怪我もなかったことだし。早く出て行って」
――出て行ってだって……?
ライナスは一瞬、冷や水を浴びせられた心地になった。エルネストに触れようとして拒まれたのも、冷たい言葉をかけられたのも初めてだったのだ。
宴会に戻らなければならないのはライナスもわかっている。しかし普段のエルネストなら、「厄介な奴をよく片付けてくれた」なんて言いながら、頭を撫でて褒めてくれるはずなのに。
「⋯⋯エル兄様。今回は何のご褒美もないのですか?」
「うん?」
「いつもしてくださるではないですか。私が何か良いことをしたら、頭を撫でたりとか、抱きしめたりとか」
「あっ……! そうだね。助けてもらったのに」
ライナスが少ししょげてみせただけで、エルネストは慌ててこちらを向いた。いつもどおりの様子に、冷たくされたのは気のせいだったのだろうかと一瞬思ったが、ライナスの頭に伸ばしかけていた手を、エルネストが急に引っ込めた。
「エル兄様?」
エルネストは引っ込めた手を膝の上で握り、気まずそうにライナスから目を逸らしている。
「こんなことを言うのは恥ずかしいんだけど……実はこの頃どうも、お前と一緒に寝ると具合が悪くなるんだ」
「だからエル兄様も一緒にと言ったんです。ああいう輩が寄ってくると思ったから」
「そうだったんだ……」
相槌を打ちながらも、腕の中のエルネストは心ここにあらずといった様子だ。ルシアンのフェロモンにあてられてしまったせいだろう。離れてもまだ発情状態が続いている。
ライナスはエルネストに気づかれないよう、わずかに唇を噛んだ。
オメガ本人は自分のフェロモンがどんな匂いかわからないものなのだが、エルネストのフェロモンはチョコレートやココアに似た甘い匂いがする。横抱きにして運んでいると、ちょうどライナスのほうにエルネストのフェロモンが漂ってきて、その甘い香りに頭がくらりとしそうだ。
思い切り吸い込んでしまいたい衝動に駆られつつも、ライナスは自制した。優勢アルファは理性が強いなどと説明したが、あれはエルネストが不用心にも護衛に身を任せようとしたからそう言っただけで、実際はそんなことはない。表に出さないだけで、ライナスもぎりぎりのところで耐えている。
部屋に戻ってもエルネストはまだ体に力が入らない様子で、ライナスはベッドまでエルネストを運んで縁に座らせた。
「ありがとうライナス。もう宴会に戻って」
「駄目です。怪我がないか確認しないと」
「いや……どこも痛くないから大丈夫だよ」
「興奮していると自分では気づかないものなんです」
部屋から追い出したそうな言葉をすべて無視して、ライナスはエルネストの礼服に手をかけた。自制しながらさも淡々と脱がせて、あっという間に白いブラウスと下着だけになっても、エルネストが恥ずかしがる様子は少しもない。
ルシアンのフェロモンにはあんなに反応して、自分に対してここまで無反応だといっそ冷静になれる。ライナスは複雑な気持ちでエルネストの体に怪我がないか確かめた。
「ほら。膝が少し赤いですよ?」
「ああ……床にぶつけたかな。デマーレ公子が急に私を放したものだから」
「擦りむいてはないですね。他は大丈夫ですか?」
「うん。あとはうなじを噛まれたくらいで」
「なっ……」
「大丈夫だよ。噛まれたって言っても服の上からだったから」
「見せてください!」
本当に、この皇子様はどこまで不用心なのだろうか。腹立たしくすら感じながら、ライナスはエルネストのブラウスのボタンをいくつか外して後ろを向かせた。長く伸ばされた襟足を横によけると、白いうなじに薄っすらと歯型がついている。
「ちっ。どれだけ強く噛んだらこんなことに」
「痛くないから大丈夫だよ」
「全然大丈夫じゃありません。どうしてこんなに不用心なんですか?」
「あはは……」
アルファの歯が絶対に貫通しないように、エルネストの上着には必ず固い襟芯が使われている。とはいえ、歯形が残るほど噛まれたのだから笑い事ではない。
これは真面目に窘めようと思ったライナスだったが、エルネストをこちらに向かせようと肩を軽く掴んだ瞬間、その手を払われてしまった。
「さあ、怪我もなかったことだし。早く出て行って」
――出て行ってだって……?
ライナスは一瞬、冷や水を浴びせられた心地になった。エルネストに触れようとして拒まれたのも、冷たい言葉をかけられたのも初めてだったのだ。
宴会に戻らなければならないのはライナスもわかっている。しかし普段のエルネストなら、「厄介な奴をよく片付けてくれた」なんて言いながら、頭を撫でて褒めてくれるはずなのに。
「⋯⋯エル兄様。今回は何のご褒美もないのですか?」
「うん?」
「いつもしてくださるではないですか。私が何か良いことをしたら、頭を撫でたりとか、抱きしめたりとか」
「あっ……! そうだね。助けてもらったのに」
ライナスが少ししょげてみせただけで、エルネストは慌ててこちらを向いた。いつもどおりの様子に、冷たくされたのは気のせいだったのだろうかと一瞬思ったが、ライナスの頭に伸ばしかけていた手を、エルネストが急に引っ込めた。
「エル兄様?」
エルネストは引っ込めた手を膝の上で握り、気まずそうにライナスから目を逸らしている。
「こんなことを言うのは恥ずかしいんだけど……実はこの頃どうも、お前と一緒に寝ると具合が悪くなるんだ」
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