世界案内人は地獄の地図を広げる

天地開闢

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第八章:「忘れられた神と無音の旅路」  

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風が、ない。  音が、ない。  名前が、ない。     ここは《ノス=ファレム》――かつて存在したはずの都市。 神の名を記す祭殿が、記録ごと“抹消”された土地。 空間そのものが、記憶から剥がれている。  

   「……来たな、“忘れられた神の墓場”」  ヨハネスは、誰に聞かせるでもなく呟いた。 声が、空気に届かない。まるで世界が“聴こえないフリ”をしているようだった。  リュリュもまた、口を開いたが、音にならない。 彼女の声は、世界にとって“不在”だった。ここはそういう場所だ。     

かつて、この地には“第零階層”と呼ばれる祭祀構造体があった。 神々が“誕生する前”に祀られた、原初の信仰。 形を持たず、言葉にもならず、ただ「在る」ということだけで神とされた存在。     

この地の神は、信仰を与えられたのではない。 「忘れられることで神格化された」のだ。     それゆえに――名前を呼ばれた瞬間、その神は死ぬ。 思い出された瞬間、その神は存在をやめる。 「無名」であることが、「神性」の条件だった。     

ヨハネスは歩く。地図に描けない道を。 音が消えるたび、彼は一本の杭を地に打ち込んだ。 これは、記憶の杭。消されないよう、通った証を物理的に刻むしかない。     

進むにつれ、“忘却神”の残滓が揺れ始める。 黒い影、音もなく浮かび、意味のない文字列を背負って漂う。  [■△◎◎… ■■■…] ――言語ではない。だが、「存在を訴える音圧」だけは感じ取れる。  ヨハネスは銃を抜く。 ここでは弾丸は届かない。代わりに撃つのは、“名”。 死んだ神々の名前を一時的に呼び出し、偽りの記憶で打ち消す弾。  「“ルク=ラグーン”、“ティエル=アンス”、“ホメ=ダール”──消えた神々の名を、ここで呼ぶぜ。 お前らの偽名で、こいつらの“存在”を上書きしてやる」     

発射されるたび、神の残骸はひとつずつ“忘れ直されて”消える。 記憶の中から、世界の外へと。     リュリュが紙を一枚拾う。 それは焼け焦げた祈祷書の断片。だが、誰の祈りかは、もうわからない。  「ねえ、ヨハネス。私たちも、忘れられるの?」  ヨハネスは黙った。 だが、それが答えだった。     

この世界では、思い出されなかった者は死ぬ。 だが、思い出された神もまた、死ぬ。 “記憶”は、神にとっても、人にとっても、毒だ。     最深部に至る。 そこには巨大な碑文があった。  読めない。読んではいけない。 なぜならそこに刻まれているのは、この地の神の“真名”。  

誰かがそれを読めば、その瞬間に、この地は世界から削除される。     ヨハネスはライターを取り出し、碑文に火をつける。 リュリュが止めようとするが、彼は首を振る。  「記録じゃねぇ、“抹消”だ。 こんなもん、未来に渡せるかよ。 ここには何もなかった。誰も、いなかった。 だから、描かねぇ。地図にも、記憶にも残さねぇ。」     

炎が碑文を包む。  忘却の断層は、灰となって崩れる。 世界にひとつ、空白が生まれた。     ヨハネスは最後に一枚の紙を地に置いた。 それは、何も描かれていない白紙の地図。  その中心に、赤いインクでひとこと。  「通るな。ここには、何もない」     風が戻る。音が、聞こえた。  リュリュが尋ねる。「……私たち、消えてない?」  ヨハネスは歩き出す。 

 「ああ。地獄の地図には、“空白”も必要なんだよ。 どこにも行けなくなる前にな」     地図の更新完了。  《ノス=ファレム》:空白領域。記録不可。接近禁止。     次なる地獄は――“天の最下層”、《罪の礫山サクリファクス》。  そこは、かつて神々が流刑された場所。    
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