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はたのれもん。

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 入社式も終わり、宗久の後輩たちも増えた。嬉しいことだが、長塚のようなミスばかりする人がいないことを願った。
 宗久は和人から誘いを承諾し、二人の新人社員も加えた。研修という名目で、参加させたのである。
「平気なのか?こんなことして」
 社員食堂で、食事を共にしている和人が懸念を口にした。
「大丈夫だよ。課長も部長も、ゴーサイン出してくれたんだから」
「て言うけどよ、俺ら以外に頼れる人いねぇじゃん。石黒先輩いれば、別だけど」
「石黒さん?俺は苦手。自分第一みたいな奴って、どっかで挫折するんだよ。チームでやっても、あの人だけ独走だし。やってらんねぇよ」
 芋づる式に愚痴が出てくるのは、土曜日に加奈と言い合いになったからか。
「はぁ。相原も転勤しちまったし、五代は退職しちまったし。俺たちの同僚も、どんどんいなくなって・・・。五十になったら、お払い箱かもな」
「お前が?俺のほうが先になるかもしれねぇよ?」
  和人は以前、何回か転勤させられそうになっていた。残っているのがふしぎである。
「けど、新入社員を居残りさせるわけにはいかないからなぁ。ま、結局俺たちが残るんだろうけど」
 残業のことを考えて、和人は顔を顰める。
「お前はウェルカムだろうけど」
 言われて、宗久は口紅が口の端に飛び出した加奈を思い出す。
「加奈は、どんだけ遅く帰ってきても出迎えてくるから、夜中の一時くらいまでやんないと」
 愛情の冷め度合いが高くなっていることは、自分でも分かっている。「愛している」という言葉なんて、ごみと一緒に廃棄してしまった。
「もうすぐ一時だ。和人は?たばこ吸ってからか?」
「あぁ。俺のデスクにクライアントの資料あるから見ていいよ」
「分かった」
 和人を残して、部署へ戻った。腹一杯で眠いが、和人の席から二冊のファイルを手に取る。
 間もなく、和人が戻って来た。
「成長中だってのに、大打撃だな」
 宗久は、ファイルの内容を読んでの感想を言う。
「だろうな。株式上場の話にあったのにな」
 考えてみれば、成長途上にあるわりには資金がある。
「町田さん」
 かわいらしい声が、和人を呼ぶ。関係のない宗久は、パソコンのマウスを操作してメールを開く。
「どうしたの?」
「先ほど点検していただいたメニューなのですが、橋田課長にはまだ不十分だと言われまして」
「本当?見せて」
「はい。こちらです」
 声をかけてきたのは、二十代の派遣社員である池下。ハンサムで、クールな和人を頼りにしている。
「う~ん、どこがだめなの?」
「それが、私も分からなくて。申し訳ないです」
「いいよ、大丈夫。俺が見ておく」
「ありがとうございます」
 いつか、部署内の女性社員が「町田さんって、いるだけでいい匂いが漂ってきそう」「たばこ吸うのに、全っ然匂わない」と褒めていたのを思い出した。
 たしかに、和人は愛煙家だが全く臭くない。日ごろから、匂いに関して気をつかっているのだろう。
 そういうことに関して疎い宗久にしてみれば、身だしなみのお手本である。
「なぁ、いつからやる?依頼されたやつ」
「和人も仕事あるだろうし、四時くらいでいいよ。二人にも伝えておくから」
 そう伝えて、業務に戻る。
 午後四時、宗久、和人、そして二人の新入社員で、会議室を借りて依頼に手をつけはじめた。
「じゃあ・・・まずは。二人とも、資料は持ってるよね?」
 司会兼書記を務める宗久が、緊張で強張っている新入社員に尋ねた。
「なら、始めるか」
 立っている宗久は、横のホワイトボードに項目を書いていく。
「えっと、まぁ、ここは、資料にもあるように業務改善命令が出ていて、同時進行している営業改善を私たちのところへ依頼してきました。こういう依頼は簡単ではありません。ですが、きみたち若い力があれば早期の解決に向かうと考えています。そこで皆さんには、この保険会社を立て直すためにはどのような手立てが有効だと思うか提案してもらいたい」
 宗久が促すと、和人が内部管理体制の見直しを挙げた。
「二人はどう?」
「えっと・・・私は、内部管理を徹底したうえで、規則の見直し、社員教育などもしっかりやるべきだと考えます」
 栗原という社員が発言する。
「鴨田くんは?」
「私は、管理体制の洗い直し、問題点の洗い出しから始めて、それから営業改善にどのように繋げばよいかを検討することを提案します」
「まずはそうするのがいいだろうな。そのほうが早期解決になるし」
 和人は感心する。彼はこういうことに詳しい。
「挙がったところで。詳しく、どのような内部管理の見直し、社員教育をやったらいいと思うか提案してほしい」
 途端に沈黙が包む。スタート早々に行き詰る。何度か経験したことのある場面だ。
 そのあとも、何も出ずじまいだった。そのうち五時を回り、新人二人は退社してしまった。
「あ~あ、出だしは良かったのになぁ。なんでかなぁ」
 席に着いた宗久が嘆く。
「仕方ないよ。最初は波に乗れないのは当然だし。はい、コーヒー」
 和人は、基本ラフだ。ミーティングが順調にいかなくても、ホットコーヒーを渡して労ってくれる。
「やっぱり、予想が的中したな」
「何が?」
「ん?いや、近ごろこの『三鷹保険』の成長ぶりが急すぎておかしいと思ってたからさ」
 和人は、参考にと宗久が持ってきた問題の『三鷹保険』のパンフレットを指先で突く。
「パンフレットに書いてあるグラフ、見てみろよ」
 言われて、宗久はパンフレットを見た。
「たしかに。急すぎるな。やっぱり、先走り過ぎたのかもな。和人はどう思う?」
 尋ねるが、隣からの返事はない。
「大丈夫か?和人」
「え?」
「ぽけーっとして。お前らしくないな」
 宗久は笑うが、和人は微苦笑をするのみだった。
 今日も十一時に帰宅してきたが、出迎えもなく家の中は真っ暗だった。寂しくはなく、ソファに座りだらんとする。こういう夜を毎日過ごしたい。
 今日のような日が、連日繰り返された。帰宅して加奈と会話しても「ただいま」と「おかえり」の挨拶のみで、それ以上の会話はなかった。二人の関係がどんどん薄らいでいったのである。
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