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第7章 私はただ自由に空が飛びたいだけなのに
36 説得④ 権利
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私の必死さが伝わったのか、南部辺境伯の顔色に血の気が徐々に戻ってきた。
「……そうか、儂がやってきたことは無駄では無かったのだな──」
そう南部辺境伯が安堵と共に呟いたことで漸く私も一安心できた。
これで一歩前進した。
私は気を取り直して再び説得を再開する。
「お父さんは先程『ジュリアーナの負担にはなりたくない。ジュリアーナに無理して許させるようなことはしたくない。だから、謝罪できない』と言われましたよね?
しかし、なぜお父さんの謝罪がジュリアーナの負担になるのでしょうか?なぜ謝罪されたらジュリアーナは許さなくてはならないのでしょうか?」
私は南部辺境伯に質問した。
南部辺境伯は質問の意図が分からないようで、不可解そうにしながらも私の質問に答えてくれる。
「……それは、許したくないと思っている相手からの謝罪など、本人にとっては迷惑にしかならないだろう?
許したくない相手から謝罪をされなければ本人が望むまでずっと許さないでいられるが、謝罪されたら許したくなくても自分のしたいようにはできなくなってしまう。
謝罪されたのに許さないのでいたのでは謝罪された側が悪者にされる。謝罪を拒絶するような心の狭い人間だと非難されてしまうだろう」
思っていた通り、南部辺境伯の回答は謝罪されるジュリアーナの立場を考えて、ジュリアーナのことを気遣うものだ。
しかし、残念ながらその気遣いは的を外している。
私は首を振って南部辺境伯へ真っ向から反論する。
「いいえ、そんなことはありません。なぜ謝罪をされたら問答無用で許さなくてはならないのですか?なぜ謝罪をされたのに許さなかったら悪者にされて非難されるのですか?
被害者には『許さない』権利とその権利を行使する自由があります。被害者が許したくないと思っているなら許す必要はありません」
「……『許さない』権利、と自由……?」
南部辺境伯は再び初耳だとでも言うかのように目を丸くして聞き返してきた。
私は自分が考える権利と自由について南部辺境伯へ懇切丁寧に説明する。
世の中では被害者が許さないこと、許せないこと、許したくないことを「心が狭い」「根に持ち過ぎ」「執念深い」「被害者であることを盾にして好き勝手している」「許さなければ自分が辛くなるだけ」「憎しみに囚われても幸せにはなれない」と責める人、諭す人がいる。
被害者に許すことを一方的に強要する、強制する人がいる。
「加害者が謝罪したら被害者はその謝罪を問答無用で受け入れて許さなければならない」、「謝罪されても許さない被害者は我儘で身勝手」、「加害者と仲直りしない、仲良くしない、仲良くできない被害者は悪」。そういう固定観念と先入観と価値観が被害者を更に苦しめる。
それはただ被害者の気持ちを無視して踏みにじり虐げている暴論でしかない。
「謝罪されたら許したくなくてもその謝罪を受け入れて許さなくてはならない」という義務などどこにも無い。
そんな加害者に有利で便利なルールはどこにも存在しない。
加害者には「謝る」権利とその権利を行使して「謝る」自由はある。
しかし、被害者に「謝罪を受け入れて許さなければならない」義務は無い。
被害者にも「許さない」権利はある。
被害者の「許せない」「許したくない」「許さない」という気持ちは尊重される権利はある。
加害者の「謝りたい」「許されたい」という権利が尊重されるように。
加害者にも権利ならある。
謝る権利と自由は誰もが持っている。
許されたいと望む権利とその権利を行使する自由も持っている。
ただし、「許される」権利は持っていない。
どんなことをしても、反省しても、贖罪をしても、犠牲を払っても、後悔しても、謝罪しても、償っても、「許される」権利は得られない。
そんな権利はこの世のどこにも存在していない。
そんな存在しない権利を持っていると勘違いして、相手の「許さない」権利と自由を侵害している。
被害者が許さないこと、許せないこと、許したくないと思うことは決して悪いことではない。
それだけ傷ついて苦しんでいる証だから。
加害者が謝っても許されないのはただ加害者の誠意が足りていないだけ。
加害者の被害者に許す気持ちにさせる努力が足りていない。行動が足りない。許されたいという想いが足りない。
だから、「謝ったのに許してくれない」と相手を責める勘違いしている人は恥ずかしい人。
「謝ったら許される」と当然のように信じている傲慢さ、その傲慢さに気付かない愚かさ。
それを恥じるべき。
「謝ったのに許してくれない」と被害者を恨んだり、憎んだり、怒ったり、責めたりすることは更なる加害行為で相手を傷つける行為でしかない。
そこに正当性など存在しない。
それはただ相手に自分の謝罪と許されたいという気持ちを押し付けているだけ。
謝罪自体は相手に許すことを強制するものではない。
それを勘違いしているのは傲慢で愚かな人間。とても恥ずかしい厚顔無恥な人。
加害者にも「謝る」権利はある。
しかし、「許しを求める」権利は持っていない。
それはあまりにも図々しく恥知らずな行為だ。
お金を払っていないのに商品をただでくれと強請るような卑しい行い。
謝罪とは頭を下げて許しを請い願う、施してくださいと懇願するだけしかできない。
相手が同情して、慈悲の心で許しを与えてくれるのを待つしかない。
許すか許さないかは相手に権利がある。
許しを一方的に求める行為は相手のものを奪う行為。相手のものを強請る行為。
欲しい欲しいと我儘を言っているだけでしかない。
被害者が加害者を許せないこと、許さないこと、許したくないと思うことは何も悪いことではない。
それだけ傷が深い証拠。
まだ傷が癒えていない証。
だから、許せない被害者が罪悪感を抱く必要も責められる理由も無い。
誰であっても被害者の「許さない」権利とその権利を行使する自由を侵害してはいけない。
被害者の「許さない」権利と自由は加害者の「謝罪する」権利と自由とは関係ない。加害者の「許されたいと望む」権利と自由に侵害されることもない。
被害者の「許さない」権利と自由は加害者の「許されたい」という気持ちに劣るものではない。
加害者にも第三者からも尊重されるべき権利だ。
許したくないと思うならそれは相手の誠意が足りていないせい。
許したくないと思うことは悪いことではない。
相手の誠意の不足が原因だから。
相手の付けた傷が深いのが原因だから。
これは被害者の我儘ではない。加害者が悪い。
許したいと思えないのは相手のせいで、被害者自身の責任ではない。
被害者は自分の権利を守ればいい。
自分を守れるのは自分だけ。
自分を一番大切にしていい。
誰も被害者の権利を尊重してくれなくても、守ってくれなくても、被害者は当然のように権利を持っている。
その権利を守れるのも、行使できるのも自分だけ。
誰かに強制されて奪われたり、侵害されたりしてはいけない。
自分が守らなくてはいけない。
自分自身のために。
どれだけお金を積まれても、どれだけ頭を下げられても、どれだけ謝罪の言葉をもらっても、どれだけ時間が経っても、許せないなら許さなくていい。
許したくないなら許さなくていい。
許す必要は無い。許す義務は無い。
許せないのはまだ足りていないだけだから。
許せるまでに誠意とか傷の回復が達していない。
許したくないのに無理に許さなくていい。
無理に許すということは自分の権利を放棄すること。奪われるということ。失うということ。
そうなったら、二度と本当には許せなくなる。
傷は癒えない。苦しみ続ける。
許せてもそれは過去にすることができるだけ。
傷は傷跡になる。
傷跡は残るが、生傷ではなくなる。今ではなく過去の傷になる。
しかし、傷跡でも痛むことはある。
それでも、そこから血は流れなくなる。
傷口を塞がり、それ以上その傷が深くなることはなくなる。
許したからといって無かったことにはならない。
傷跡は残り続ける。
それでも、終わらせることはできる。
しかし、許せないのに無理に許してしまえば、傷は深くなり、そこから血が流れ続ける。
苦しむのは自分自身。被害者が更に苦しむことになる。
だから、自分を守るために許せないなら許さなくていい。
無理に許してはいけない。
自分を騙してはいけない。
自分に嘘をついてはいけない。
自分を偽ってはいけない。
自分で自分をこれ以上傷付けてはいけない。
自分を守れるのは自分だけ。
だから、自分を守るために無理に許してはいけない。
それと同じで、許したいと思えば許していい。
許したいのに許してはいけないというルールは無い。
誰にも許してはいけないと強制される権利は無い。
許したければ許していい。
その権利は本人だけが持っていて行使できる。行使する自由がある。
その自由を制限される謂れはない。
自由を規制する権利は誰にも無い。
それに従う義務も無い。
誰もが「許す権利」「許さない権利」とその権利を行使する自由、行使しない自由を持っている。
しかし、「許さない権利」と「謝罪する権利」とその自由は対等な関係や平等な社会でなければ基本的に守られない。
孤児院ではみんな平等だった。上下関係は無かった。
年上だからとか年下だからという差別も上下関係も無かった。
この世界の社会は身分制度があり、上下関係があるので、私の言っている権利と自由は一種の綺麗事になってしまう。
この世界は当然のように全ての人の権利と自由が守られてはいないとても理不尽な世界だ。
立場や身分や地位が上の人間から謝られたら、下の人間は気持ちはどうあれ、謝罪を受け入れ許さなければならない。
力関係的には抗えない。弱ければ自分の権利と自由を守ることはできない。理不尽に従うことでしか自分の身を守れない。
だから、南部辺境伯の懸念も最もだ。
しかし、私は笑顔で南部辺境伯に宣言する。
「私の言っていることはただの理想論かもしれません。でも、お父さん、きっと大丈夫です!
自分が謝罪すれば力関係などから相手が気を遣い無理に許さざるを得ないと考えているかもしれませんが、そのような懸念はジュリアーナ相手には必要ありません。ジュリアーナはあれだけお父さんに感情をぶつけることができています。そこに上下関係はありません。あるのは拗れた親子関係だけです。だから、ジュリアーナがお父さんに気を遣って中途半端に許すことなんてありません。
心の底から本当に許さない限り、ジュリアーナの態度は変わらないと思います。だから、そのような心配はしなくても大丈夫です!」
南部辺境伯は私の説明を真剣に食い入るように耳を傾けてくれていたが、この宣言を聞いた瞬間になぜか突然声を上げて大笑いし始めた。
「……そうか、儂がやってきたことは無駄では無かったのだな──」
そう南部辺境伯が安堵と共に呟いたことで漸く私も一安心できた。
これで一歩前進した。
私は気を取り直して再び説得を再開する。
「お父さんは先程『ジュリアーナの負担にはなりたくない。ジュリアーナに無理して許させるようなことはしたくない。だから、謝罪できない』と言われましたよね?
しかし、なぜお父さんの謝罪がジュリアーナの負担になるのでしょうか?なぜ謝罪されたらジュリアーナは許さなくてはならないのでしょうか?」
私は南部辺境伯に質問した。
南部辺境伯は質問の意図が分からないようで、不可解そうにしながらも私の質問に答えてくれる。
「……それは、許したくないと思っている相手からの謝罪など、本人にとっては迷惑にしかならないだろう?
許したくない相手から謝罪をされなければ本人が望むまでずっと許さないでいられるが、謝罪されたら許したくなくても自分のしたいようにはできなくなってしまう。
謝罪されたのに許さないのでいたのでは謝罪された側が悪者にされる。謝罪を拒絶するような心の狭い人間だと非難されてしまうだろう」
思っていた通り、南部辺境伯の回答は謝罪されるジュリアーナの立場を考えて、ジュリアーナのことを気遣うものだ。
しかし、残念ながらその気遣いは的を外している。
私は首を振って南部辺境伯へ真っ向から反論する。
「いいえ、そんなことはありません。なぜ謝罪をされたら問答無用で許さなくてはならないのですか?なぜ謝罪をされたのに許さなかったら悪者にされて非難されるのですか?
被害者には『許さない』権利とその権利を行使する自由があります。被害者が許したくないと思っているなら許す必要はありません」
「……『許さない』権利、と自由……?」
南部辺境伯は再び初耳だとでも言うかのように目を丸くして聞き返してきた。
私は自分が考える権利と自由について南部辺境伯へ懇切丁寧に説明する。
世の中では被害者が許さないこと、許せないこと、許したくないことを「心が狭い」「根に持ち過ぎ」「執念深い」「被害者であることを盾にして好き勝手している」「許さなければ自分が辛くなるだけ」「憎しみに囚われても幸せにはなれない」と責める人、諭す人がいる。
被害者に許すことを一方的に強要する、強制する人がいる。
「加害者が謝罪したら被害者はその謝罪を問答無用で受け入れて許さなければならない」、「謝罪されても許さない被害者は我儘で身勝手」、「加害者と仲直りしない、仲良くしない、仲良くできない被害者は悪」。そういう固定観念と先入観と価値観が被害者を更に苦しめる。
それはただ被害者の気持ちを無視して踏みにじり虐げている暴論でしかない。
「謝罪されたら許したくなくてもその謝罪を受け入れて許さなくてはならない」という義務などどこにも無い。
そんな加害者に有利で便利なルールはどこにも存在しない。
加害者には「謝る」権利とその権利を行使して「謝る」自由はある。
しかし、被害者に「謝罪を受け入れて許さなければならない」義務は無い。
被害者にも「許さない」権利はある。
被害者の「許せない」「許したくない」「許さない」という気持ちは尊重される権利はある。
加害者の「謝りたい」「許されたい」という権利が尊重されるように。
加害者にも権利ならある。
謝る権利と自由は誰もが持っている。
許されたいと望む権利とその権利を行使する自由も持っている。
ただし、「許される」権利は持っていない。
どんなことをしても、反省しても、贖罪をしても、犠牲を払っても、後悔しても、謝罪しても、償っても、「許される」権利は得られない。
そんな権利はこの世のどこにも存在していない。
そんな存在しない権利を持っていると勘違いして、相手の「許さない」権利と自由を侵害している。
被害者が許さないこと、許せないこと、許したくないと思うことは決して悪いことではない。
それだけ傷ついて苦しんでいる証だから。
加害者が謝っても許されないのはただ加害者の誠意が足りていないだけ。
加害者の被害者に許す気持ちにさせる努力が足りていない。行動が足りない。許されたいという想いが足りない。
だから、「謝ったのに許してくれない」と相手を責める勘違いしている人は恥ずかしい人。
「謝ったら許される」と当然のように信じている傲慢さ、その傲慢さに気付かない愚かさ。
それを恥じるべき。
「謝ったのに許してくれない」と被害者を恨んだり、憎んだり、怒ったり、責めたりすることは更なる加害行為で相手を傷つける行為でしかない。
そこに正当性など存在しない。
それはただ相手に自分の謝罪と許されたいという気持ちを押し付けているだけ。
謝罪自体は相手に許すことを強制するものではない。
それを勘違いしているのは傲慢で愚かな人間。とても恥ずかしい厚顔無恥な人。
加害者にも「謝る」権利はある。
しかし、「許しを求める」権利は持っていない。
それはあまりにも図々しく恥知らずな行為だ。
お金を払っていないのに商品をただでくれと強請るような卑しい行い。
謝罪とは頭を下げて許しを請い願う、施してくださいと懇願するだけしかできない。
相手が同情して、慈悲の心で許しを与えてくれるのを待つしかない。
許すか許さないかは相手に権利がある。
許しを一方的に求める行為は相手のものを奪う行為。相手のものを強請る行為。
欲しい欲しいと我儘を言っているだけでしかない。
被害者が加害者を許せないこと、許さないこと、許したくないと思うことは何も悪いことではない。
それだけ傷が深い証拠。
まだ傷が癒えていない証。
だから、許せない被害者が罪悪感を抱く必要も責められる理由も無い。
誰であっても被害者の「許さない」権利とその権利を行使する自由を侵害してはいけない。
被害者の「許さない」権利と自由は加害者の「謝罪する」権利と自由とは関係ない。加害者の「許されたいと望む」権利と自由に侵害されることもない。
被害者の「許さない」権利と自由は加害者の「許されたい」という気持ちに劣るものではない。
加害者にも第三者からも尊重されるべき権利だ。
許したくないと思うならそれは相手の誠意が足りていないせい。
許したくないと思うことは悪いことではない。
相手の誠意の不足が原因だから。
相手の付けた傷が深いのが原因だから。
これは被害者の我儘ではない。加害者が悪い。
許したいと思えないのは相手のせいで、被害者自身の責任ではない。
被害者は自分の権利を守ればいい。
自分を守れるのは自分だけ。
自分を一番大切にしていい。
誰も被害者の権利を尊重してくれなくても、守ってくれなくても、被害者は当然のように権利を持っている。
その権利を守れるのも、行使できるのも自分だけ。
誰かに強制されて奪われたり、侵害されたりしてはいけない。
自分が守らなくてはいけない。
自分自身のために。
どれだけお金を積まれても、どれだけ頭を下げられても、どれだけ謝罪の言葉をもらっても、どれだけ時間が経っても、許せないなら許さなくていい。
許したくないなら許さなくていい。
許す必要は無い。許す義務は無い。
許せないのはまだ足りていないだけだから。
許せるまでに誠意とか傷の回復が達していない。
許したくないのに無理に許さなくていい。
無理に許すということは自分の権利を放棄すること。奪われるということ。失うということ。
そうなったら、二度と本当には許せなくなる。
傷は癒えない。苦しみ続ける。
許せてもそれは過去にすることができるだけ。
傷は傷跡になる。
傷跡は残るが、生傷ではなくなる。今ではなく過去の傷になる。
しかし、傷跡でも痛むことはある。
それでも、そこから血は流れなくなる。
傷口を塞がり、それ以上その傷が深くなることはなくなる。
許したからといって無かったことにはならない。
傷跡は残り続ける。
それでも、終わらせることはできる。
しかし、許せないのに無理に許してしまえば、傷は深くなり、そこから血が流れ続ける。
苦しむのは自分自身。被害者が更に苦しむことになる。
だから、自分を守るために許せないなら許さなくていい。
無理に許してはいけない。
自分を騙してはいけない。
自分に嘘をついてはいけない。
自分を偽ってはいけない。
自分で自分をこれ以上傷付けてはいけない。
自分を守れるのは自分だけ。
だから、自分を守るために無理に許してはいけない。
それと同じで、許したいと思えば許していい。
許したいのに許してはいけないというルールは無い。
誰にも許してはいけないと強制される権利は無い。
許したければ許していい。
その権利は本人だけが持っていて行使できる。行使する自由がある。
その自由を制限される謂れはない。
自由を規制する権利は誰にも無い。
それに従う義務も無い。
誰もが「許す権利」「許さない権利」とその権利を行使する自由、行使しない自由を持っている。
しかし、「許さない権利」と「謝罪する権利」とその自由は対等な関係や平等な社会でなければ基本的に守られない。
孤児院ではみんな平等だった。上下関係は無かった。
年上だからとか年下だからという差別も上下関係も無かった。
この世界の社会は身分制度があり、上下関係があるので、私の言っている権利と自由は一種の綺麗事になってしまう。
この世界は当然のように全ての人の権利と自由が守られてはいないとても理不尽な世界だ。
立場や身分や地位が上の人間から謝られたら、下の人間は気持ちはどうあれ、謝罪を受け入れ許さなければならない。
力関係的には抗えない。弱ければ自分の権利と自由を守ることはできない。理不尽に従うことでしか自分の身を守れない。
だから、南部辺境伯の懸念も最もだ。
しかし、私は笑顔で南部辺境伯に宣言する。
「私の言っていることはただの理想論かもしれません。でも、お父さん、きっと大丈夫です!
自分が謝罪すれば力関係などから相手が気を遣い無理に許さざるを得ないと考えているかもしれませんが、そのような懸念はジュリアーナ相手には必要ありません。ジュリアーナはあれだけお父さんに感情をぶつけることができています。そこに上下関係はありません。あるのは拗れた親子関係だけです。だから、ジュリアーナがお父さんに気を遣って中途半端に許すことなんてありません。
心の底から本当に許さない限り、ジュリアーナの態度は変わらないと思います。だから、そのような心配はしなくても大丈夫です!」
南部辺境伯は私の説明を真剣に食い入るように耳を傾けてくれていたが、この宣言を聞いた瞬間になぜか突然声を上げて大笑いし始めた。
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