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しおりを挟む『アルバイト』と呼べるものだとは思っていないが、『それ』は大我にとって意欲の刺激される作業だった。
全く知らない人間と待ち合わせをして、知り合いを装って会話をする。
『なにか』を交換して、帰る、ただそれだけ。
自分が本当はなにをしているのか、考えなかった。
様々な相手といかに親密に見せかけるか、試行錯誤するのが楽しい。
やや警戒する人間から自然な表情を引き出せたとき、達成感を感じる。
河南に対しての信用は失っていたが、離れることもしなかった。
河南は以前にも増して大我に好意を示し、愛でてくる。
操りやすいようにそうしているのだということは、わかっている。
それでも、愛して欲しいのに愛してくれない人間が複数いる中で、自分を愛してくれる存在を大我は手放す気になれなかった。
愛しいのか愛しくないのか、自分でもよくわからなくなってしまった相手に抱かれながら、今自分を抱くのが南方だったなら、と考える。
南方が自分を愛してくれなかったせいで、自分は今、この不明瞭な状態に捕らわれている。
南方の自分に対する優しさは、本物ではないと思ったはずなのに。
これが南方だったならどんなに嬉しいだろうと、胸が焦がれる自分がいる。
河南のおかげで一度は南方を忘れることができたのに、河南のせいで再び南方を忘れることができなくなっている。
不明瞭な状態の中で、思い浮かぶ顔がもう一つ。
この状態がどこかに明るみに出て、裁かれるようなことになったなら。
あの人間は、自分を見てくれるだろうか。
大我は不透明な状況で不安定になった精神を、他の想い人の下で立て直しながら、一年程過ごした。
河南に指示される用件が『配達』だけではなくなった。
しかし、内容がほとんど不明瞭なことに変わりなかった。
大学二年の六月。
日が落ちる直前の時間帯、園姫の隣、町井駅の喫茶店で待ち合わせをする。
用件は『道案内』。
いつものように自分と同年代の派手目な男と会話をしてから、店を出る。
『配達』のときよりも不安げな相手をなだめつつ、駅裏に向かった。
人通りの多い駅中を通過しているとき。
「白石さん!」
正面からかかった声に顔を向けて、緊張で歩が止まった。
見覚えのある制服。
笑顔で寄ってくるのは、南方航一朗だった。
『道案内』をしている相手に名を知られた。
これだけなら、恐らくまだ良かったのだが。
「印象変わったから、知らない人だったらどうしようかと思った。白石さん、村田くんと知り合いだったの?」
航一朗と、自分の横を歩いていた男が顔見知りであった。
一瞬で、緊張したまま大我は考えを巡らせる。
村田と呼ばれた男を、このまま道案内して良いのか。
彼の抱えている問題を解決する場所に連れて行くのだと河南に説明されていたが、それが本当なのかわからない。
連れて行ってなんらかの不穏な事態に巻き込まれたなら、航一朗から南方に、自分のことが伝わってしまう。
南方から、もっと専門的な機関に伝わったなら。
それは避けなければいけない事態。
今回は見送るのが最善ではないか。
大我は平静を装って航一朗に対面する。
「航一朗、こいつ知り合いなの?」
「去年同じクラスだった同級生だよ」
自分の関わっている件は高校生までもが手を出すものだったのかと、大我は内心愕然とする。
しかしまだ、航一朗は自分たちが共にいることを不審がっていない。
「俺らは今から一緒にバイトだよ」
「そうそう」
後ろ暗い気持ちがあるためか、喫茶店での会話で大我にやや心を許していたのか、村田が口裏を合わせてくる。
航一朗は部活のコンクールが近いため、最近帰りが遅いのだと言う。
時間だからと話を早々に切り上げて、航一朗と別れ、大我は村田を連れて再び駅裏へと続く連絡通路に足を向けた。
迷ったが、問題になることは、望むところ。
河南に報復ができるし、親にも、南方にも、なにかを与えることができるのではないか。
二日後の夜。
大我がアパートで夕食の調理をしている最中に、かたわらに置いたスマートフォンが鳴った。
『南方 圭紀』と、律儀にフルネームで登録した名が表示される。
一昨日からずっと、恐れていたこと。
恐れていたのに、連絡が来たことが嬉しい。
調理の手を止めて、二度ほど深呼吸をしてから、電話を取る。
「……はい」
『白石? 南方だけど、今電話、大丈夫?』
本物の、南方の声。
なにかが胸に込み上げる。
耐えながら、返す。
「大丈夫だけど」
少し間を置いて、南方の声が続いた。
響きは優しいはずなのに、低く、単調な声音。
『一昨日村田と歩いていたって、航一朗に聞いたんだけどね。僕のクラスの子なんだけど、一昨日大怪我をして、学校を休んでいるんだよ』
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