虚飾と懸想と真情と

至北 巧

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17 困却

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 やはり道案内の先で、不穏な事態が起きていた。
 村田は知らない人間だったとはいえ、三十分ほど親密な振りをして会話をした相手。
 容態が気にかかった。
 洋間のソファに身を沈めて、焦りを抑えながら問う。

「大怪我って、どのくらいなの」

『全身打撲、左腕を骨折しているそうだよ』

 自分が要因の一つとなり、高校生が怪我を負った。
 しかも、南方が職務で最も保護すべき、受け持ちの生徒。
 南方の心中が、察しきれない。
 頻繁ではなかったが回数を重ねているから、自分が要因となり怪我を負ったのは一人だけではないのかも知れない。
 自分が携わるものは、そういうことがあってもおかしくはないと思っていた。
 だが実際そのような事態を耳にして、大我は気が遠のくような不安に襲われた。

『今日村田の家に行ったら、友だちと喧嘩したって言ってて』

「俺じゃないよ」

 目を閉じて、どうにか言葉を絞り出す。
 きつく問い詰められるものだと覚悟したが、南方の反応は、違った。

『わかってるよ。白石はそういうことをする子じゃないの、知ってるから』

 突き放されて以来、初めて南方が自分を肯定してくれた。
 不安と安堵がないまぜになって、大我は頭痛を耐えるようにさらに強く、目を閉じる。

「じゃあ、なに」

『二人が危険なことに巻き込まれているんじゃないかって、心配してる。どんなことに関わっているのか、教えて欲しい』

 本当に心配しているのか。
 自分はもう、南方の生徒ではないのに。
 心配しているのは、村田のことだけではないのか。
 教えたら、どうなるか。
 自分は救われるのか。
 河南は裁かれるのか。
 親は、どう反応するのか。
 全てが、想像できない。

「俺は、なにも知らないよ」

『航一朗は二人はバイトに行くって聞いたそうなんだけど、村田は友だちと喧嘩したとしか言わないし、ご両親もバイトをしていたとは聞いていないんだ』

 偽りが破綻している。
 きっともう、信用は得られない。
 心配していると言った南方が、自分を追い詰めてくる。
 気持ちが焦り、緊張がつのり、考えることができなくなっていた。

「ヤバいことに手ぇ出してんのは村田だからね? 俺は本当になにも知らないから。心配だったら、これ以上首を突っ込まなけりゃいいんじゃないの?」

 強く吐き出し、うなだれて、唇を噛み締める。
 震える手で辛うじて耳に当てたスマートフォンからは、なにも聞こえない。
 深呼吸をして苛立ちを押さえつけ、嘲笑するように、告げた。

「どんなことに関わってんのか、聞かれて困るのは村田だと思うよ。ほっといてやったら? 南方先生」

 南方をそう呼んだことは、多分一度もない。
 泉が愛称で呼んでいたから、授業を受け持たれて気付いたときには、自分も同じように呼んでいた。
 ひたすら悪化する現状、南方に反抗するように上機嫌を装ったが、他人行儀に呼ぶだけで、胸が痛む。
 電話の向こうの南方は、話にならないと判断したのか、間を置かずに言った。

『わかった。白石も気をつけて』

 通話が切れる。
 南方に知れることは、望むところだったはず。
 だが、こんなことは、望んでいない。
 
 なにかから、救って欲しかったのに。
 多々の困惑で振る舞いが定まらず、自分から南方を突き放した。

 バックライトの落ちたスマートフォンを見つめて、テーブルに伏せる。
 大我はそれからひとしきり、なにも考えられずにうなだれる。

 南方ができないのなら、自分を救える人間は、きっとどこにも、いない。
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