虚飾と懸想と真情と

至北 巧

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21 偏見

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 抱きしめた大我が寝息を立て始めたように感じ、南方は彼の首を腕で支えるように体勢を変えた。

「寝たの、かな」

 問いかけても返事がない。
 目を閉じた大我は、凛々しい顔立ちであるのになぜか可愛らしく見える。
 困ったことを言ったり苦悩していないと、これほど印象が変わるのだろうか。
 そして軽く閉じられた、ほの赤い唇が目に入る。
 この唇と自分は一度、事故のように唇を重ねている。
 あの時は驚きと不快感で、すぐに身を引いたが。
 自分が大我に口づけたなら、悲しみに暮れた大我は、うれいを晴らした笑顔を見せてくれるだろうか。

 なにを、考えているのだろう。
 南方は浮かんだその思考に戸惑いながらも、そっと大我を布団に横たえ、掛布団を肩まで引き上げた。

 生徒に、同性に、懸想けそうするなどありえないということは、大我が高校のときにも感じたこと。
 ……違う。

 生徒でなくとも、同性でなくとも、教師が特定の人間を愛するべきではないと、自分は思っている。

 教師であった父を尊敬して自分より先に教師になった兄。
 兄が結婚する際、大学に入ったばかりで生真面目だった自分は、そう感じていた。
 今まで忘れていたが、ずっとそれを、引きずっている。

 人を愛せない人間が、理想の教師になれるのか。
 眠る大我の横顔を見たが、先ほどのような思考には至らなかった。
 浮上した感情を否定する必要が、あるのだろうか。
 否定しなければ、酷く傷ついた大我に、喜びを与えることができるかも知れないのに。
 再び今のような感情が浮上したなら、それにしたがうのも悪くないのではないか。
 だが。

 今まで散々できなかった愛するということを、できるようになれる自信がない。



 その日の夜、大我の実家に彼を迎えにいくと、泣き疲れた状態で玄関から顔を出した。
 次の日から三日の間も、仕事から家に戻ると必ず大我は泣き腫らしており、朝方にも何度か声を押し殺して泣いていた。
 一人でここに置くことに不安を感じ、自分の出勤中に外出するか他人を呼ぶことを提案したが、大我は弱っているところを見られたくないと、南方が抱きしめてくれればそれでいいと言った。
 言われるままに大我を抱きしめると、大我は一時的だが笑顔を見せた。
 だが。
 大我を前にしても、安らかに過ごして欲しいという気持ちは湧くのに、愛しく思う気持ちが、どうしても湧かなかった。

 金曜。
 明日は丸一日休めるよう予定を調整したため、ずっと大我を見守ることができる。
 今日も大我は泣き疲れているのだろうかと懸念しながら帰宅すると、家の中の雰囲気がどこか違う気がした。
 大我がいるからであろうが、昨日までとも違う。
 和室の襖を開けると、出迎えに来たのか目の前に毛布をまとった大我の姿。
 低い音量でテレビをつけて、観ていたようだ。
 元気はないが、泣いてもいない。

「ねぇ、今日さ、夕飯作って待ってたよ」

 帰宅した際に食事の匂いがしたから、いつもと違うように感じたのだと気づく。

「白石、料理するんだ」

 真っ先に浮かんだ考えを思わず口にすると、大我はやや、得意げな表情を見せる。

「意外だって言う? みんな言うんだけどさ」

 大我は毛布をたたむと、和室に食事の用意を始めた。
 荷物の片付けなど用を済ませて南方が和室に戻ると、テーブルに並ぶのは二人分のオムライスとポトフだった。

「今日はちょっと調子よかったから、みなちゃん喜ぶかなーと思って頑張ってみた」

 小さく笑う大我を見て、南方は心が痛んだ。
 自分は大我が喜ぶかも知れないことをできないでいるのに、大我は自分のために、気分がすぐれないにも関わらず食事の用意をしてくれた。

「ありがとう。いただきます」

 家族以外の手料理を口にしたことが、あっただろうか。
 両方を一口ずつ味わい大我に目を向けると、彼はずっとこちらを見ていたようだった。

「おいしいよ。本当に意外だな。家で……」

 料理を教わったのかと聞こうとして、失言したと気づき、途中で言葉が止まる。
 自分からはなにも聞かないと言っておきながら、質問しようとした上に、彼を苦しめている家庭の話題を出してしまった。

「ごめん」

「家で料理とかしてなかったよ。好きな人のところで、練習したんだよね」

 大我も食事に手をつける。
 自分の発言は、大我の心を乱したりしてはいないだろうか。

「塾の講師なんだけど、俺が家を出ても生きていけるように、いろいろ教えてくれた」

 自分が関わる以前に、大我のために先を見越して指導した似通った立場の者がいたことに、南方はわずかに悔しさを感じる。

「そうなんだ」

 不穏当な感情を払拭するようにそう言うと、大我の食事の手が止まる。

「でも、もうしばらく、連絡取ってない。電話とかメッセとか来てたけど、返事してない」

 大我の言っていた、大切にしている愛する人なのだろう。
 悲しそうに目を伏せる。

「みなちゃんは学校の先生だから、俺みたいなダメな生徒でも慣れてるかなとか思って、電話取っちゃった。ごめんね」

 悲しそうなまま大我は言ったが、それは南方にとっては嬉しい言葉だった。

「いや、僕、教師になってて良かったな」

 今の大我のためだけにでも、自分が教師であって良かったと思う。
 もし教師でなければ、大我に出会うこともなかったであろうが、教師であったから大我と知り合い、彼が絶望したこの時期に一度切れてしまった縁を繋ぎとめ、彼に言葉をかけることができた。

「でも白石に、今ここにいてもらってもいいのかなって、ちょっと自信がないんだ。イラッとさせるかも知れないし、うっかり傷つくことを言うかも知れない」

 今は少しも大我を傷つけたくない。
 自分にそれができるのか、不安でならない。
 大我は、やはり疲れているのか、無表情でこたえた。

「あのね、みなちゃんがいるから、俺今、生きてるんだよ」

 そっけなく言ったが、それはとても、重い言葉。

「もうなんか、生きてんの嫌になって、俺がいなくなったときせいせいするかなって、泉と瀬峰に喧嘩ふっかけたりしたんだよね」
 
 やはり、理由があって泉を傷つけていた。
 そこまで思い詰めていたのなら、泉が揉めてもすぐに連絡をよこしてくれて、本当に良かった。

「でもさ、なんか俺、生きてるし。みなちゃんがぎゅってしてくれるから俺、生きてるんだと思うよ」

 自信がない中で自分がしていることは、抱きしめることだけ。
 それだけでも、大我は、生きてくれる。

「ありがとう」

「ありがとうって、俺のセリフじゃない? どう考えても。ありがと、みなちゃん」

 大我は食事を再開する。
 確かに今の話の流れで自分が感謝の意を述べるのは、不自然だった。
 だがなぜか、強い感謝の念が湧いた。

 他の者は切り捨ててしまったのに、こんな自分を頼ってくれてありがとう、だろうか。
 自信をなくした自分に優しい言葉をくれてありがとう、かも知れない。

 南方も共に食事を再開しながら、うっすらと感じた。

 大我を愛することができる自分に、なりたい。
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