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三、裾の宮
しおりを挟む山室らに案内された場所は、大門から見て最も奥にある、裾の宮という建物だった。宮の中で一番低い寄棟の寝殿造であった。宮の周囲は土壁で囲われ、出入口には門番が槍と弓を持って立っている。
「御用郎は、裾の宮から一歩も出てはならぬ決まりだ」
舘の中に足を踏み込むとすぐにわかった。なにやら臭いが違う。
進むがごとに、庇の御簾が上げられた。麗しい男たちが顔を出し、一斉になまめかしい視線を発した。山室たちは少しも顔つきを変えなかった。
(……ここにいる御用郎たちは、山室様たちのような位の高い官吏様には相手をしてもらえないんだ……。あんなに姿かたちの整った者ばかりなのに……)
山室たちはさらに奥に進んでいく。どうやら、奥の方に部屋を持つ者のほうが序列が上らしい。
身舎の一間に通されると、四人の男女がいた。ユタは部屋の手前側に座らされ、山室らは部屋の奥に鎮座した。左手奥に女がふたり、手前に男がふたり。山室に向かって四つの頭が下がった。
「藤村。ここに連れてまいった滓はユタと申す。ゼロ様の御寵郎として世話を頼みたい」
「……は、ゼロ様の……?」
藤村以下の三名が驚きの顔つきで、ユタを見た。
「どうした、藤村」
「側におくにしては、凡庸がすぎるかと……いえ、お好みは様々ですが」
「ゼロ様がご就任されて以来、初めて側をお許しになった者だ。間違いないように計らってくれ」
「然るべく」
山室らが去っていくと、藤村が上座についた。
「さて……、見れば見るほど平凡な顔つきにひ弱そうな体だな。ユタと言ったか。歳はいくつだ? 許す、応えよ」
藤村の脇にいる金森という官吏が口を挟んだ。
「許す応えよ、と言われたら、答えてもよい。ここは男が多い宮ゆえ」
「……あ、秋で、十八になります」
「宿はどこだ。許す、応えよ」
「方羽です」
「金森、方羽区の戸籍を」
「はっ」
藤村に金森が記録書を手渡した。
「ユタという名前はないな。とすると、淘汰された身か? 許す、応えよ」
「はい……」
「なんと」
ふたりの女と御用郎のふたりが、再びまじまじとした視線をくれた。
「ほう、滓児が宮に上るとは珍しいことがあるものだな。あいわかった」
「藤村様、御調べはいかがなさいますか」
「いずれにせよ、ゼロ様がお望みなのであれば御用郎指南を授けてみるほかなるまい。使い物になるかどうかは本人次第だ。わたしはゼロ様のお好みをお聞きしてみよう」
「はっ」
「ノアミ、部屋の空き具合はどうだ。この者を置いておけそうな部屋はあるか、許す、応えよ」
「はい、ヒノリとマチホの部屋が開いております」
「アリマはどうだ、許す、応えよ」
「コミカ、タシホの部屋がございます」
「その四名の中に方羽の者はおるか、許す、応えよ」
「タシホは方羽宿の出でございます」
「では、アリマ、お前にユタを頼もう」
この時、男たちが互いにけん制の目を光らせたことを、ユタはまだ知らなかった。
引見が閉じると、その足でアリマが西部屋へ案内した。
切れ長の力強い瞳に、筋の通った獅子鼻、薄い唇が切れ上がった圧倒的な美形だった。髪も黒々としてしなやかに、一つにくくられた房が背中にさらさらと揺れている。紺の衣裳に金糸の入った領巾をはおっている。声は深く、なめらかな響きであった。歳は三十あたりか。
「コミカ、タシホ、今日からお前たちが面倒を見てやりなさい。ゼロ様のお側を勤めるユタだ」
「ユタ……! おまえ、ユタなのか?」
見るなり懐かしさに顔を緩めた。ユタがタシホに会うのはおよそ五年ぶりだった。
「タシホ、久しぶり……!」
「ゼロ様の御寵郎って、ええっ、本当なのか……?」
「えっと……、その……」
「コミカ、ここでの礼儀を教えてやってくれ。西部屋として恥ずかしくないようにな。タシホ、同宿のよしみだ、よくしてやれ」
アリマが去った後、ユタはふたりの間に挟まれ熱心な質問攻めにあった。
コミカは猫っ毛で明るい髪をふんわりと流し、二重のくりっとした瞳の愛らしい顔立ちの二十代半ば。
タシホは二十一歳。きりりとした眉の流れが、形の良い鼻に通り、顎がくっきりと男らしく、かつての少年ぽさが薄れて、ますますいい見目になっていた。
「湯屋で、ゼロ様に助けられた……? そんなことあるのかよ!」
「言っちゃあなんだけど、君みたいな子がねえ、びっくりだなぁ」
「ぼ、僕もコミカ様と同じように思います……。どうして僕なんかに、温情をかけてくださったのか……」
「ここではコミカでいいんだよ。同室なんだから」
「は、はい」
「それで、ゼロ様ってどんな方なんだ? 俺たち、遠くから見たことしかないんだ」
ユタはその姿を思い浮かべた。
「なんていうか、とても、きれいな人なんだ……。それに、他の女と違ってて、なんだかマナホに似ていて……」
「マナホ?」
「育て親だよ。ユタは生まれてすぐ淘汰されてるから」
「ええっ! 君、滓児だったのか、す、すごいな!」
「ねえ、ゼロ様って、この宮ではどういうお方なの?」
ユタの疑問に、ふたりの青年が言葉を失った。
「……お前、それ、知らずに来たの……?」
「とても位の高い人ってことはわかるんだけど……」
口をぱくぱくしているだけのコミカを放置して、タシホがユタの肩を掴んだ。
「驚くなよ……。ゼロ様は国司様だ」
「え……?」
「宿暮らしじゃ知らないのも無理はないけど、お前の羽織っているこれ。松の文様は、国を統べる者にしか許されていない文様なんだよ」
「ゼ、ゼロ様が、国司様……?」
「そうだよ!」
「な、なんで、そんな人が僕なんかに……」
「だから、こっちが聞いてるんだろ……!」
ぽかんとした。あの風格と威厳は持つべき者だからこそ持ち得る物だったのだ。まっすぐに向けられた黒い瞳、ゆったりと構えた体からにじみ出る、包み込むような雰囲気。気が長くないと言いながらも、機微に敏く、温情に富んだ言葉や振る舞いの数々。短い時間にも感じられた懐の深さ。
(あのお方が、いちばん、偉い人……)
どこかすんなりと腑に落ちる気がした。
夕食は裾の宮の母屋の中央にある大広間で、一斉に振舞われる。時間になるまで、ユタはコミカとタシホに宮暮らしのあれこれを教わった。
「いいか、いつ御呼びがあるかわからないから、食べられるときにちゃんと食べておくんだぞ。俺たちの仕事は体力勝負だ」
「う、うん…」
「君の場合、ゼロ様の御呼びがかかったら、山室様たちが迎えに来るだろう。御呼びがあるまではどのように過ごしてもいいけど、この宮にいる間は、僕かタシホのどちらかと必ず一緒に行動するんだよ。君は羨望と嫉妬の的だから、なにをされてもおかしくない」
「……え……」
「脅しじゃないよ。僕だって、君が東部屋だったら、お膳に小石くらい混ぜたかもしれない」
「東部屋……?」
「西部屋はアリマ様の党派、東部屋はノアミ様の党派だよ。簡単に言うと、女たちの派閥がそのまま裾の宮の派閥に影響しているってことさ。君が西に来てくれたから、アリマ様は喜んでいるはずだよ」
大広間の席に着くと、頂の宮に向かって、右を東、左を西というらしい。次々に男たちがやって来てそれぞれに席に着いた。視線は無言のうちにユタに向けられている。
食事が始まっても、アリマの席には姿がなかった。向かい合わせの席にはノアミが座っている。
「アリマ様は?」
「御勤めだよ。アリマ様はお姿も技術も一番で、いつも大変な人気なんだ」
その声に反応したのかどうか、ノアミがパチンと箸を置いた。
「アリマに代わって、新顔の紹介をせねばなるまいな」
雪のように肌が白く、紅を引いたように赤い唇。鼻先はつんと尖り、目は下弦の月のような優美さ。宮中最年長で四十を間近に控えている。雅な風情やその立ち振る舞い、言の葉の節には、若さだけでは太刀打ちできない魅力に満ちていた。
「もう知っておろうが、ユタと言うそうだ。西も東もこだわらず仲良くしてやってくれ」
年下の男たちは声をそろえた。
「はい、ノアミ様」
「時に、ユタ。宮の食事は口に合うか? 慣れぬものばかりで戸惑うておろう」
「は、はい……」
促されるように、ユタは漆器の椀と箸を取った。
「味はどうだ?」
にぎり箸で椀の汁をすすった。椀の中は貝のすまし汁だった。うまみと塩みがぐっと舌に押し寄せ、ユタは驚きながらも、その風味を溢れるつばと一緒にごくりと飲み込んだ。
「おやおや、アリマはまだ箸の使い方も仕込んでないとは。かわいそうな」
むっとしたのはコミカとタシホだった。今からまさに教えようというところだったというのに。くすくす笑いが東の席から沸いた。つまらない荒探しは日常茶飯だ。
「いいか、ユタ、箸はな……」
「う……、ぐすっ……」
コミカとタシホの間でユタは涙をぬぐっていた。
「おい、ユタ……」
「おやおや、箸の使い方も教えてもらえず、ひどく心細いようだ。お前たち、いっそ新顔を東に向かえてやってはどうか」
「はい、ノアミ様」
東の男たちが声をそろえた。
唐突に立ち上がると、ユタは大広間をかけ出た。慌てたコミカとタシホがその後を追いかける。
角を曲がった先、ユタは簀子の回廊しゃがみこみ、高欄の切っ先で嗚咽していた。
「ごめんな、これからちょうど教えようと思っていたんだ。俺たちも、食事のとき初めて習ったから……」
「あいつらのいけずなら、いつものことだから気にしなくていいよ。新人いびりなんて毎度のことなんだ」
「ち、ちがうんだ……」
ふたりが泣き顔をのぞき込んだ。
「マナホ、どうしてるかなって思って……。もう、ご飯食べたかなあって……。僕、あんなにおいしいもの食べたことないよ……。マナホにも食べさせてあげたいよ……」
顔を見合わせたふたりが、それぞれにユタの背中をさすった。
「そういえば、初めてここに来たとき、僕も同じことを思ったな……」
「そうだよなあ、一口でもいいから、マナホに食べさせてやりたいよなあ……」
「うっ……、えっ、えっ……」
ユタの脳裏に粗末な木の椀によそられた味の薄い雑炊と、マナホの笑みが浮かんだ。
(マナホ……僕、ここにいるよ……ここにいるよ……)
生まれてすぐ淘汰された男児は滓児と呼ばれ、宮の暮らしを知らずに宿に来る。それ以外の男児は包児と呼ばれ、五歳までは宮で過ごす。この違いは大きい。五歳までを宮で過ごした男たちは、十六になるまでにその多くが宮に戻りたいと感じる。ユタは子どもの時から宿の暮らししか知らない。それだけに、宮暮らしの憧れ以上に、マナホや宿への慕情は強かった。
思わず切なる望郷に駆られたユタだったが、それでも救われたのは、背中に触れる二つのぬくもりが新しい環境の中で道を照らすともしびのように感じられたからだ。
「こんなところで、どうしたのだ」
勤めを終えて戻ったアリマだった。
コミカとタシホの説明を聞くと、アリマはふたりに命じてふたり分の膳をアリマの個室に運ぶように言いつけた。膳を置かせると、すぐふたりを食事に戻らせた。
「ユタ、さあおいで」
アリマはユタに向かって手を広げて見せた。一瞬呆けたが、優しさに縋るのを躊躇はしなかった。
その腕に抱かれると、衣からはすばらしくいい香りがした。その一方で、胸の広さにマナホを思い出し、ユタの胸はさらに切なくなった。アリマはユタが泣き治まるまで優しく抱きつづけた。
「そろそろ食べられそうかい?」
「は、はい……」
そう言って箸を持ったものの、一口二口含むたびに、目は涙がにじんだ。味はほとんどわからなかった。
「滓児は幼いと聞いていたけれど、お前は本当に子どものようだね。そこがゼロ様のお気に召したのかな」
「ゼロ様は……」
そう言いかけて、頭の中の映像がマナホからゼロに変わった。
「……とても敏感というか……、それで、とても優しくしてくれました……」
「ユタ」
手にした椀と箸を下げて、アリマは静かな口調でたしなめた。
「お相手がどなたであろうと、お仕えした方のことを決して口にしてはいけないよ。ご趣向を人に知られたくない方は多いからね」
「ごしゅこう……?」
「こうした狭い世界に身を置いていると、誰がなにを言ったかはすぐにわかってしまう。それが、他でもない国司長官様のお好みやくせなれば、男たちはみな知りたくて仕方ない。いつか自分に御呼びがかかったとき、ご奉仕できると思うからね。かと言ってゼロ様からしたら、それが心地の良いこととは限らないのだよ。いろんな者たちが手を変え品を変えて、お前からなにか聞き出そうとしたり、利権を引き出そうとするだろう。お前は決してその歯車を噛んでも噛まされてもいけないよ」
「……」
「言っていることがわかるかい?」
「……は、半分くらいは……」
「そうか。では、誰かにゼロ様のことを聞かれたらこう答えなさい。自分は未熟でどうお答えしていいかわかりません。アリマ様にお尋ねになってみてください。できるか?」
「僕は未熟でどうお答えしていいかわかりません。アリマ様にお尋ねになってみてください……」
「そうだよ」
「わかりました」
「素直でよろしい」
アリマの微笑みに、素直に安らぎを感じた。残りの食事は、先ほどよりはずっとおいしく感じられた。
こちらもぜひお楽しみください
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