サンドプレイシュミレーション

国府知里

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九、マチホの願い

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 部屋を後にすると、ゼロは官吏たちにユタの世話を申し付けた。官吏たちは長官の気まぐれにまたも頭を悩ませたが、するべきことを指示された分には異論はなかった。

「お許しください」

 ゼロ一向に向かって頭を下げる御用郎がいた。ヒノリと同室のマチホだ。金森が一蹴した。

「国司長官様に向かってお声をかけるなど、なんたる無礼。退け!」
「どうか、お許しを!」
「しつこい、いね!」

 ゼロはちらりとマチホを見ただけでさっと踵を返してしまった。しばらくその列を眺めていたかと思うと、ぱっと立ち上がりマチホはある場所へ向かった。

「ユタ、マチホだ。入ってもいいか」
「は、はあ……」

 ユタは意外な訪問者に驚きながらも布団の中から返事をした。
 マチホから直接嫌がらせを受けたことはなかったが、東部屋とのいざこざは互いに承知している。そんなマチホが単純に見舞いに来たとは思えない。急いた様子で御簾を上げ、入るや否や、マチホは手をつき頭を下げた。

「ユタ、この通りだ」
「え……?」
「ゼロ様に、ヒノリを医者に診せてもらえるようお頼みしてくれないか!」

 ユタは驚きながら体を起こした。

「ヒノリが寝込んでいたことは知っているだろう? お前の御指南にヒノリが呼ばれた日、ヒノリは村木に……」

 ユタの脳裏に、あの一場面が蘇ってきた。

「村木に、前のものを傷つけられたのだ。それが腫れて、全身に毒が回り、熱が下がらん。もう二週間もうなされているのだ」
「ええっ……」

 マチホは二十代中ごろで、茶色の明るい色の目を持っていた。一目見ただけではっとするような面立ちだ。その顔をゆがませて、必死にユタに請うていた。

「お前からお頼みしてもらえないか。頼む! お前が嫌がらせされていたのを止めもせず、言えた義理でないことは重々承知している。ゼロ様がお前のために医者を連れて見舞いに来たと聞いて、いてもたってもいられなく、ここへ来た。この通りだ、どうか……!」

 ユタの中のヒノリの記憶が蘇る。終始辛そうだった御指南のときの様子。何事もなかったように食事を食べていた姿。それでも目が合うと、刺すように睨みつけてきたあの目。
 目の前にいるマチホは、同室のよしみでヒノリを慮って来たのだ。御用郎としてははるかに未熟なユタに恥を忍んで頭を下げている。ユタは初めて裾の宮に来た日のことを思い出していた。なにかが一つ違えば、ユタの同室はヒノリとマチホだったかもしれない。

「僕にできるかどうかわからないけど……」

 ユタは不安ながらも立ち上がった。実際、ユタがそれを話したところで、ゼロが聞いてくれるかどうかはわからなかった。そもそも、そのようなお願いをしていいものなのだろうか。そう思い行きついたところで、アリマの言葉がユタの足を止めた。

「あっ、でも……」
「なんだ、どうした?」
「アリマ様に止められているんだった……どうしよう……」

 マチホは素早く身を寄せると、ユタの肩を左右につかみ、頭を下げた。

「頼む、ユタ! この通りだ!」
(いろんな者たちが手を変え品を変えて、お前からなにか聞き出そうとしたり、利権を引き出そうとするだろう。お前は決してその歯車を噛んでも噛まされてもいけないよ)
「ア……アリマ様にお尋ねにして……」
「アリマ様はお勤めで留守だ。そんなことを言ってる間に、ゼロ様はお帰りになってしまう!」
「ぼ、僕、未熟で、どうしたらいいのか……」

 惑うユタにマチホが顔を上げた。

「俺はヒノリに恩がある。このまま見過ごすことはできないんだ……! 頼む、ユタ、頼む……!」

 タシホは少なくとも敵ではない者をつなぎとめろと言っていたが、マチホにとってヒノリがそのひとりなのだろう。茶色の目が必死に揺れていた。失いたくない人のことを思うと、いてもたってもいられなくなってしまうその気持ちはよくわかる。一寸先は滓穴という御用郎の立場の危うさも、以前よりますます強く肌に感じる。マチホが味方ではないこともわかっている。けれど、ユタの衝動は止められなかった。

(できるなら、助けてあげたい……、けど、本当にそんなことできるのか……)
「ぼ、僕、話してみることしかできないけど……」
「ユタ……!」

 明るい瞳がさらに明るく輝いた。早速部屋を出ようとすると、

「待て、ユタ!」
「えっ?」
「他の者に知られてはまずい。下手に大事になったら、ヒノリはすぐに処分されてしまう」
「え……じゃあ、なんて言えば……?」
「とにかく、医者に貸してもらいたいと言ってくれ」
「は、はい……」

 ユタは急いでゼロを追いかけた。宮を出る寸でのところでその姿をとらえることができた。

「ゼロ様!」

 はだけた衣もそのままに、転がるようにゼロの前に走り出た。官吏たちが一斉にユタを押しとどめ、制止の声を上げた。

「よい、放してやれ」
「は、しかし……」
「ユタ、どうしたのだ」

 押し伏せられたユタを立たせると、ゼロはその衣を整えてやった。

「誰かになにかされたのか?」
「い、いいえ……」
「あの、お医者様を……」
「うん?」
「貸していただけないでしょうか?……」

 ゼロはわずかに眉を上げたが、すぐにわかったと答えた。

「もうしばらく様子を見た方がよいな。水上、しばらくユタについていてくれぬか」
「は……、それは構いませぬが……」
「ユタの言うことは、わたしの言うことだと思ってあたって欲しい。よいな」
「はっ」

 すべてを見透かしたような黒い眼がユタを見つめた。

「これでよいか」
「は、はい」
「このような姿で人前に出るものではない。さあ、帰ってよく休め」

 次の瞬間、ユタの耳元にゼロの唇が触れんばかりに寄った。ささやき声と吐息がかかる。

「次会ったときに、お前の口からすべて聞かせよ」

 ぼっと火がつくように、ユタの顔は耳まで赤く染まった。

「はっ、はい」

 上ずった返事に、ゼロは小さな微笑みを投げると、悠々と背を向けて、今度こそ裾の宮を後にした。




 水上は四十半ばの顔も体も細い風体で、皮肉の多い技官だった。ユタがヒノリを見て欲しいというと、ちっと舌を打った後、男を甘やかしすぎるとろくなことがない、とつぶやいた。マチホの案内で水上が部屋に向かった後、コミカとタシホがやってきた。

「ゼロ様がお見舞いに来てくださったんだって? よかったな、ユタ! おれはもう正直だめかと思ったぞ!」
「僕は喜べないなあ、代わりに僕が御寵愛をいただくはずだったのに。ほら、これ団子をいただいたからお食べよ」
「ふたりとも……ありがとう」
「俺にもひとつくれ」
「それで、ゼロ様はどんなご様子だったんだい?」
「れきしを学べば、お側に呼んでくださるって言ってくださったんだ」
「歴史? うへえ、俺は御呼びでないな」
「ゼロ様は歴史がお好きなのかい?」
「それはわからないけど……。僕がれきしを知りたいって言ったから」
「ユタは、歴史に興味があったの? だったら、初歩の漢字で止まってる場合じゃないよ。それは歌よりもっと難しいよ」
「そんなに難しいんだ……。でも、学びたいんだ」
「それがゼロ様とどういう関係があるんだよ?」
「えっと、それは……」

 そんなころ、部屋を訪ねる者がいた。マチホだ。

「入ってもいいか」

 驚きを浮かべたコミカとタシホをひとまず脇において、ユタがどうぞと答えた。

「水上様に明日も来てもらえることになった。本当にも感謝する。本当にありがとう、ユタ」
「早く良くなるといいですね」
「この借りはいずれ必ず返す。お前もはやく体を治せよ」

 マチホは紙包みを置いて早々に引き上げていった。

「なにがあったんだ? なにを置いてったんだろう。あっ、ビワだ!」
「えっ? こんなに沢山……。マチホとなにがあったの?」
「ええとね……」

 今日のことをかいつまんで話すと、ふたりはため息をついた。

「お前、本当に愛されてるんだな。いやもう、俺は疑わないよ」
 
 コミカはタシホの手から食べかけの団子を奪い取って、ユタに握らせた。

「僕が病になったときには、頼むね。これからも仲よくしよう」
「そんな、僕の方こそ……。ふたりが僕に良くしてくれて、本当にうれしいんだ。きっと、コミカとタシホが優しくしてくれなかったら、僕はきっとこんな大それたことできなかったよ。本当に、いつもそばで励ましてくれてありがとう。本当にいつも感謝してるよ」
「なんだよ急に、照れるだろ」
「そうだよ、困ったときはお互い様だっていうだろ、お互い命短し男の宿命。これからも助け合っていこう」
「うん、僕ふたりと同室で本当に良かったよ!」
「それはそうと、アリマ様になんていうかだよな」
「え? ……」







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