【完】まいにちサバゲー!パンが命の最前線【SFオムニバスシリーズ】

国府知里

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今宵、月の船が出る

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✦あたしが、なにしたって言うのよ

 ゲンテ・バレンタイン。
 それがあたしの名前で、これはあたしのサイン。
町の画廊、懇意で絵を置かせてもらってるけど、あたしの絵は売れない。
「ゲンテちゃん、気を落とさないで。また描いたら飾ってあげるから」
「あ―…ありがとう、ペイジさん…」
「それより、えーと、なんだっけその子、名前」
「ああ、アパルマ?」
「アパルマちゃん、少しは良くなったかい?」
「んーん、全然。ちょっと目離すとすぐ骨折したりするから大変よ」
「今日、病院は?」
「今から行くところ。じゃあね」

 あたしはアパルマの手を引いて画廊を出る。アパルマのほどけたマフラーを締め直してあげる。
「あーっ、あ、しこーき」
「あー? 飛行機だねー。アパルマ、飛行機見るの初めてでしょ? って、あれ? 見たことなかったら、飛行機って言葉知らないよねー。おねぇちゃんばかだねー」
「うんー」
「あーなんて、にくらしいことゆうのよ、この子は―」
 あたしは、もこもこに着こんだアパルマを連れて病院へ行く。デサンダ・オンの冬は厳しい。去年、アパルマは風邪をこじらせて肺炎になったから、今年は気をつけないと。
デサンダの町の石畳は好き。
エルバルナの森も、スカントスの楽園都市も、スペッティアの古代遺跡も良かった。
ああ、エルバルナ。もう二年も行ってないな。
デサンダが冬の間、アパルマを連れて行ってみようかな。
アパルマが空から降って来た森だもの。
この子も懐かしいかもしれないし。

 

 そうね、行動が速いのはあたしの美点。
 
デザンダ・オンからエルバルナまで、飛行機で二十八時間。乗り継ぎ悪いのよね。

 エルバルナでのあたしのアトリエは、多分、木こりのおっさん(残っていたものから判断するに、妻に逃げられただめなおっさん)の住んでた廃屋。近くの町から、バギーで行って三時間。おっと、この時期は子連れ狼が出るのよね。一応、銃と弾薬も準備して。



 エルバルナの森近くの病院。アパルマの薬やらなんやらをもらっておこう。

 なんて言って、立ち寄ってみたら、
 どういうこと?

 あー、一体あたしが、なにしたって言うのよ。

 黒づくめのおっさん方に、銃を向けられるようなことをした覚えはないんだけど。
「銃を置いて、手を頭の後ろに! この子を保護しろ!」
「あっ、ちょっと! アパルマになにすんのよっ!」
「きさま! 逆らうと撃つ!」
「きゃーっ! なんなのよ、あんたら!」
「女を確保しろ!」
「えっ…えーっ!」
 えーっ!



























✦あのさぁ、あたしが知るわけないでしょ

 月夜船がセイジからの連絡を傍受した。
「クロガトブ。ハクジが見つかりました。ハクジは生きています。ビアンテセントラルセンターで保護しています」
 
 俺とユンは、エアバイクを準備した。
「行ったら、生きて戻れないかもな」
「いやならやめてもいいよ、ユン」
「まさか」
 俺とユンは、笑っていた。セイジがどうして知らせてくれたのかなんて、考える余裕もなく、浮かれた。
 だって、ハクジが生きている。

 俺たちがセンターへ行くと、セイジが出迎えに出てきた。由井がいないことに、俺とユンはほっとした。セイジは思ったよりいい顔をしていなかった。
「ハクジに会わせる前に、忠告しておきます」
 会わせてくれるのか?
「ハクジを再び奪おうとすれば、我々は容赦しません。ハクジが君たちを拒否した場合、すぐ引き離します」
「なぜ、会わせてくれるんだ?」
 俺の問いに、セイジはなにも言わずに歩き出した。



 センターの中は、病院みたいな匂いがした。
 真っ白い廊下を行くと、窓がなくなった。さらに進むと、ガラスで区切られた部屋が並んでいた。いくつかのセキュリティを通って、その先には頑丈そうな扉に守られた区画に繋がっていた。どんどん奥に進んで行って、最後のその部屋は、飼育箱みたいだった。

 飼育箱の中には、見知らぬ女がベッドの脇で座っていた。
 プシュッ、と言う空気の抜ける音でドアが開いた。
「今、ハクジは眠っています」
 セイジは言った。ベッドには包まれるように目の落ちくぼんだハクジが横たわっていた。腕には点滴やらなんやらの管が付いている。
本当なら、もっと成長していてもいいはずだ。ベッドのハクジは小さすぎた。
女は、じろじろと俺たちを眺めた。
「こちらは、ミス・バレンタイン。ハクジをエルバルナの森で保護し、今日まで世話をして下さった方です。ミス・バレンタイン。こちらは、クロガトブとユン」
 バレンタインは挨拶せずに、睨むような顔を見せた。
「こいつらをアパルマに…、ハクジに会わせて、ハクジが記憶を取り戻すわけ? 取り戻さない方が幸せなんじゃないの? こいつらに船から突き落とされたんでしょ」
 バレンタインの言葉は、視線とは裏腹に、セイジに向けられていた。
「可能性を試したいのです」
 二人の会話では、ハクジは記憶を失っていることになっている。俺たちをセイジが呼んだのはそのせいなんだろう。セイジの心境は複雑だろう。

「ハクジは記憶喪失なのか?」
 ユンが言った。バレンタインは、目を細めた。
「あんたが、たっかいところから落としたからそうなったんでしょッ」
「怪我は…」
 ユンの言葉に、バレンタインは目をむいた。
「あんた馬鹿? してたわよっ! どこもかしこも傷だらけで、血だらけで、骨も見えてたわよッ! なんなの、あんたっ! 自分で落としておいて」
 ユンは黙った。
 俺は、気を使いながら言った。
「あ、ありがとう。助けてくれて。ハクジは、あなたになにか話した?」
「なにも。最近は思い出したようになにか言うこともあるけど、雲とか木とか、飛行機とか。あたしの名前も未だに言わないわ。笑ったり、骨が折れても泣いたりもしないし。お医者さんに聞いたら、脳のどっかの神経が切れちゃったんじゃないかって言ってたわ」
 俺はちらりとセイジを見た。痛みを感じないということは、記憶障害だけじゃないということだ。
「ハクジ、随分痩せてるみたいだけど、あまり食べさせなかったのか?」
「はあっ?」
 バレンタインは、眉を吊り上げた。
「この子は、助けた時からなにも口にしてないのよ! ずっと点滴して生きながらえてるの! 口にしてもすぐ吐くのよ!」
 バレンタインの気分を害したらしい。バレンタインは、ハクジの世話を献身的に行っていてくれたらしい。うかつな言葉だった。
「検査の結果、内臓は正常だった。多分食べれないのは、別の要因だと思われます」
 セイジがぽつりと言った。
 静かな間が流れた。
「ハクジは、俺たちのことを覚えているだろうか」
 ユンがバレンタインに向かって言った。
「あのさあ、あたしが知るわけないでしょ」
 バレンタインは、心底嫌そうな顔をして見せた。










✦むかしのはなし

「ハクジ…」
ハクジは、数時間後目を覚ました。ハクジは、ぼんやりとした目で俺たちを一周した。そのあとハクジは、バレンタインを見つけると、手を差し伸べた。バレンタインは、その手を取った。
「アパルマ、気分はどう?」
「……」
 ハクジは小さく頷いた。バレンタインは、俺たちに視線を送って、そしてハクジに向かって言った。
「どう? この人たち、見覚えある?」
 ハクジは首を振った。

 ハクジとバレンタインを残して部屋を出た。セイジは俺たちに向かって言った。
「今日は帰って下さい。来てくれてありがとう」
 ありがとう…。
 セイジの顔は、悲しげに見えた。俺は、俺なりにセイジの心中を察した。
「セイジ、ハクジが見つかって良かった。俺たちに会わせてくれてありがとう。力になれなくてすまない」
 セイジは、ほとんど思い出のない自分よりも、俺たちの方がハクジになにかを思い出させるのではないかと考えたのだろう。唯一の肉親として、ハクジを連れ去り、そしてころそうとした人間たちに頼らざるを得ないことは、つらいはずだ。
 ユンが言った。
「セイジ、ハクジを月夜船に連れて行ったらどうだ? なにか思い出すかもしれない。ファクトリーを見たら…、いや、もしかしたら、ファクトリーでハクジの記憶を戻せるかもしれない」
「と言うと?」セイジはあまり気が進まなそうに言った。
「ファクトリーは、ハクジの特異な概念から生まれたものだ。それに、ファクトリーの記憶修復機能を使えば、俺と同じように戻るかもしれない」
「見るのはいいとしても、操作は誰がするんですか?」
「俺ならできる。ハクジと同じとまではいかないが、ファクトリーの使い方は知ってる」
 セイジはため息を吐いた。
「この二年、なぜ新しいファクトリーが生産されないか知っていますか? ファクトリーは、由井博士がずっと研究しています。彼の頭脳を持ってしても、その構造の数パーセントしかわかっていません。彼の研究で、ファクトリーの性質もわかってきました。あなたを生み出した月夜船のファクトリーは肉体を誕生させましたが、僕らの持つファクトリーではそれができません。月夜船のファクトリーで試してみましたか? 僕が思うに、それはできないでしょう」
「そんなはずはない。ファクトリーのメモリーには、俺がつくられた時のデータが残っていた。それを再現すればできるはずだ。それに、記憶の修復だって…」
 セイジは、ガラスの向こうのハクジを見た。

「昔の話です。
 ハクジがまだ二つのとき、僕の研究をハクジは傍らで見ていました。
 それは、遺伝子操作による人間を含めた動植物の変容についてです。現在、遺伝子研究については、あらゆる制限がありますが、その規制以前は、いわゆるキメラと呼ばれる動物がつくられました。僕は、そのデータ検証をしていたんです。
 そして僕はそのとき、ほんの数分席を外しました。帰って来た時には、一つのキメラのデータが大きく書き換えられていました。それは不可能な書き換えでした。進化論を根底から覆すものです。たった数分の間に、そのデータの中に、新種キメラとも言える新しい人類が、全く人と同じ元素と機能で活動しうる、人から生まれない人が存在していました。
そのとき僕は、ハクジに言いました。キメラの生成は禁じられていると。それはハクジもわかったようでした。僕はそれが実現可能だとは思っていませんでした。でもファクトリーを目にして、僕は知りました。誰かの精子も卵子も、DNAもなく、人体は作り上げることが可能だと。ハクジがつくったものは、キメラではありませんでした。ただ、そこに、在る、存在をつくりだしただけでした」

 セイジは俺たちの顔を見て少し笑った。
「なにがなんやら、と言う顔をしていますね」
「あ、ああ…」
 俺とユンは顔を見あわせた。セイジは続けた。
「僕が重視したのは、このことです。
 ファクトリーは、人体を生成することができます。そして現にしました。
 しかし、僕はそれをハクジにしてはならないことだと教えました。
 ユン、由井博士は、あなたを見てから、何度となくファクトリーで元素から肉体をつくりだそうとしています。でも、一度も成功していません。
 エラーするのです。入力無効だと。
 ハクジが、ファクトリーではそれをしてはならないことだと設定してるからです」
 ユンの小さく息を飲んだ音が聞こえた。
「月夜船、と言うのは、僕が付けた名前です。
ハクジが、ノアの方舟の話を聞いて描いた絵は、なぜか月の形をした船でした。
昔から、月にはいろんなものが住むという言い伝えがあるものです。
髪の長い少女や、蛙やうさぎ。いろんな地域や国でさまざまに伝えられています。ハクジはその話の絵をよく描きました。ハクジは、月の形をしたノアの方舟は、あらゆるものを幸福な新天地へ運ぶ船だと思っているようでした。
僕と両親の前では、ほとんど言葉を話さなかったハクジは、船を動かすために必要なことを知っていました。
船が向かう先へたどり着くために、あってはならないことも知っていたのだと思います」

 セイジは一息ついた。
「これは、僕のハクジについての思い出と、センターでの記録を総合した僕の考えです」
 セイジの話は続いた。


✦船を降りたノア

 センターに通う俺たちに対して、セイジの対応は落ち着いていた。
 部屋に行くと、ハクジはたいてい眠っていた。起きても、俺たちのことはわからなかったし、俺たちと関わろうともしなかった。ひと月たってもそれは変わらなかった。変わったのは、バレンタインが、眠るハクジの頭を俺が撫でても怒らなくなったことだ。ユンに対しては、まだ警戒を解いていない。

 セイジが言うことには、
「ハクジの世界、言い換えれば全てに関わる思想や概念は、存在する、と言うことにあります。それは、なんの条件もなく、ただ在る、と言うことです。言うなれば、全てあるがままに受け止めること、許すと言う精神的なあり方を示します。
 ファクトリーは、そう言う概念でできています。
 全ては、そこにある。許している。
 なにかを存在させるために、なにかが必要か不必要かと、こまごま操作するのではなく、すでに、もう存在している、と言う、考え方と、そして、機能です。
 僕も、言っていて、正直良くわかりません。
 言葉で伝えたり表したりする域を超えているので。

 しかし、この概念はハクジの思考を推測するためには、非常に有効です。
 ハクジは、クロガトブ、君に出会い、ユンと出会った。この出会いは、クロガトブがハクジに人工知能チップを渡し、それを解析したとき、と言う意味です。
 おそらく、ハクジはクロガトブの願いとユンの願いを知り、初めて、死を知ったのだともいます」
「死、を? ころしなら、俺はハクジの前でも何度もやっていた」
 俺の言葉は不適切だったようだ。バレンタインは思いっきり不機嫌な顔になった。
「正確に言えば、ハクジが起こす死、すなわちころすこと、許さないこと、でしょう」



「ハクジは、キメラの生成、人体の生成を禁止事項に設定していました。それは、キメラの生成が存在することを許しながら、自分はしないことを選んでいました。それが、月夜船が目的地に行くためにしてはならないことだと知っていたからです。
 ハクジは、ユンが人と同じように、再生されることを望まない生き方を選び、そして死んでいったことを知り、そのユンをよみがえらせることは、誰かの生き方(死に方)を許さないことだと知ります。ユンをよみがえらせることで、ハクジはユンの人としての生を奪う、すなわちユンをころすことになります。
 あるがままを許さないこと、それはハクジの概念の崩壊でもあったでしょう。
 ハクジには見つからなかったのです。
 クロガトブの願いを許し、ユンの願いを許す世界が。
 
ハクジは、初めて、してはならないことを選びました。ハクジは、初めて、自分の概念に対して、許さない、と言う行動を取りました。

初めて、自分の世界を許さなかったのでしょう。
だから、ハクジの月夜船は、目的地には辿りつけなくなりました。だからハクジは船を降ろされました。ハクジの主観から言えば、だから船を降りたのでしょう。

 ハクジは、今、存在しない、と言う場所にいます」



 セイジの話の後、俺たちはずいぶん長い間黙っていた。
 セイジはため息を吐いた。
「よくわからない話ですよね。
 許すも許さないも、言い換えればそうです。
 ハクジの思考が理論的なのかどうかも怪しいですし、そして僕の推測も決してそうと言えません。でも、僕にはそう言う風にしか思えないんです。
 人はいつでも秩序の中にあるわけではありません。現に、僕が今そうです。

 ファクトリーは、なにかの秩序の中にあり、そして矛盾の中にあります。それはハクジの秩序と矛盾でもあるでしょう。 
 でも、大切なことは、その秩序も矛盾も、ファクトリーも、そしてハクジも、
 存在しているんです。

だから、どんなに言葉を連ねてみても、これ以上に意味があることがありますか?
 ハクジはここにいます。
 僕たちはみんな、ハクジを許しているのに、
 ハクジだけがハクジを許していないのです」

 セイジは自分でも混乱していることを認めていた。
 多分、その原因は、愛と言う。

 愛と言う執着がなかったら、人は全てを許してしまえるだろう。
 それこそ、どうでもいいよ、と。

ハクジの世界で、ハクジだけが新天地へ向かう月夜船に乗れない。

俺の月夜船の船長は、今もお前しかいないのに。

✦ことばなんて、ばかみたい

 俺は思考している。
その、「俺」も「思考」も、「している」も、ついでに言えば、「は」も全部、言語だ。

動物は、俺たちみたいな言語を持ってない。でも、名前が付いてなくても、自分が誰かわかるし、餌を捕るってことがわかる。
世界を言葉で表すことはできない。
世界の中に言葉があるだけだ。逆じゃないからだ。でも、俺たちは言葉に頼り過ぎてる。

だから、今ハクジの世界は多分、

「ここ」は、「あそこ」じゃない。

程度のものだろう。

「ぼくは、存在しない」

 って、ハクジは思ってる。
 でもさぁ、考えてみろよ。
 存在しない、と思っているお前が、そこに存在してないか?
 外から見てる、俺たちには、見えてるんだけど。
 なあ、ハクジ。



 その日、ハクジは骨を折った。点滴だけではさすがに十分な栄養は取れないらしい。ガリガリの体は、痛ましい。流動食もハクジはすぐに戻してしまう。むせて苦しむ姿がかわいそうだ。初めのころはそれでろっ骨を折った。

「ハクジ、外行ってみよっか―」
 車いすに乗せたハクジを、バレンタインがセンターの中庭に連れ出す。結局、まだ月夜船には連れて行ってない。ハクジが月夜船やファクトリーを見た時の反応を思うと、少し怖い気がするのは、俺たちもセイジも、バレンタインも同じだった。
 ハクジとバレンタインの後を追いながら、ユンはセイジに向かって言った。
「自分が存在しないと思っているなら、ハクジはどうしてバレンタインを認識しているんだ?」
 ハクジが反応を示すのは、バレンタインだけだった。
「ハクジの死生観は、僕らが思っている以上にあいまいです。 
 確かにハクジは、自分が作り出した概念において、存在してはならないとしました。それは同時に、ハクジが月夜船に乗り続けるためにしてはならない禁忌を犯してしまったと言うことです。
 禁忌を犯してしまった者は、船から落ちて、生きてはいない。ハクジは自分の体が死んだと思っているのかもしれません。それが死という名前でなくても、なにかを失った状態であることは事実として受け止めているでしょう。
ハクジの死生観に、霊魂や天国や地獄、神がいるかどうかはわかりませんが、ミス・バレンタインは、今のハクジにとって神に近い存在かもしれません。
実際、ハクジはミス・バレンタインがいなければ、呼吸以外の行動をしませんし、なにもしなければそのまま死んでしまいます。彼女が手を引かなければ歩かないし、たまにしゃべる言葉も、彼女がいなければ発しません。
ハクジが彼女に従うのは、ハクジが自分の意志で認識したり判断したりすることができないから、言い方を変えれば、放棄しているからでしょう。まだ試していませんが、彼女が彼女の代わりをハクジに与えれたり、彼女によってハクジの概念を作りかえることができるかもしれません」

ユンは、ハクジに謝りたいのだ。
俺もそうだ。
でも、俺たちは、勝手だから、
ハクジがこんな状態なのに、まだハクジに期待している。

俺が、宗教を知ったのはいくつの時だった? ハクジが神を知っていても、知らなくても、仕方のないことだ。しんでないのに、しんだと思っても思わなくても、そのあいまいなどこかでも、仕方のないことだ。
だけど、俺たちは、そんなわからないあいまいな子どもに、許しを求めたがってる。
俺たちは、求めすぎじゃないか?
ハクジのファクトリーの概念がなんだった?
あるがままを許す?
俺たちは、今のハクジを、そのままに受け入れるべきじゃないのか?
ハクジは世界を失って、存在しなくなったと思ってる。そう思ってるハクジを、俺たちは受け入れることができないでいる。ただ、勝手なんだ。



俺はそのとき、セイジがやけにつらそうに見えた。今にも泣き出しそうに。

セイジは、受け入れられるはずがない。
俺たちに翻弄されて、ただ、勝手な周りに振り回されたんだ。セイジの手の届かないところで、大事なものを壊された。
元通りにしたいと思って、思わないはずがない。
あるがままを、そんな言葉、セイジにはうすっぺらい。

そう思ったら、俺は、セイジの肩に手をおいてた。
「?」セイジが驚いたように俺を見た。
「あ…」
俺は慌てて手を離した。
「いや、悪い…。ただ、お前が…その…」
 俺は言葉に詰まった。
 セイジは、少しして、小さく笑った。

 俺は少し穏やかな気持ちになって思う。言葉なんて、馬鹿みたいだ。



✦ないてるの、クロガトブ

俺とユンはその日、パンダと同じ型のメカドールを買った。確信はなかったが、言葉よりは意味があり得そうに思えた。バレンタインには、こう言ってもらった。
「ハクジ、ほら。パンダだよ」
 バレンタインは、なんでこれがパンダなのよ、と言っていた。
 でも、ハクジは反応を見せた。ときどきなにか思い出すように、人形を見た。

 確信があったわけじゃない。
 だけど、それを見たとき、俺はハクジは戻って来たがってるんじゃないかと思った。

「バレンタイン、俺にハクジを抱かせてくれ」
「前やって、なんにもなかったじゃない」
 バレンタインは渋ったが、俺は頼み込んだ。
「落とさないでよ」
 抱き上げたハクジは、二年前以上に軽かった。細すぎて、バタークッキーよりも簡単に壊れてしまいそうに思えた。

「よう、ハクジ」
 視点の定まらないハクジの目と目を合わせた。
「俺は、クロガトブだ」
 俺は、人形を見せて言う。
「パンダも戻ってきたことだしさ、お前も俺の船に乗せてやってもいいぜ」
 ハクジは小さく身じろぎした、ように思った。
「お前が戻ってきたいんならな」
 確信はなかったけど、なにがきっかけになったかわからないけど、でも、ハクジは一瞬俺を見た。俺を認識した。信じられなかったけど、次の瞬間、それは信じられないことじゃないとわかった。
「ふね?」
 今度はハクジはしっかり俺を見た。
 次の瞬間、ハクジはバレンタインを探そうとした。バレンタインはそれに応えて、近寄って来ようとした。
「来るな!」
 反射的に言っていた。バレンタインがびくりと止まった。
「ハクジ、自分で決めろ。お前が戻りたいなら、お前が決めろ」
 ハクジの瞳が、今までになく色づいた。

 わかってる…。
 こいつは、俺がわかってる。
 自分のことがわかってる。

 ハクジは、薄い唇を震わせた。
「のせ…てくれる… 


 ぼく… 」

 俺は、霞んで、一瞬言葉に詰まった。
「お前が乗りたいなら、乗れる」 





「ないてるの、クロガトブ?」
……

部屋の外では、セイジも泣いていた。





























✦ふつうのこと

「いい」
「ハクジ」
 ハクジは言うことを聞かずにベッドを出ようとする。
「こらっ」
「キャッ、キィッ!」
「ばか、また肋骨折れるぞ」
 嫌がるハクジを慌てて抱き上げる。そのかわり、いろいろが混ざったハクジの食事が入った皿とスプーンが落ちた。
「あー、ハクジ」
 ユンが苦笑しながらその始末をする。バレンタインが困った顔で言う。
「ちゃんと食べないと、体が強くならないわよ」
 セイジがやって来た。
「どう? クロガトブ、ハクジ食べた?」
 俺はため息を吐く。
「いや、この通り」

 ハクジはあれから徐々にいろんなことができるようになった。
 ハクジの中で、ハクジの世界は再び構築されようとしている。
 ハクジは、ときどきじっとしてなにか考え込むことがある。セイジ曰く、それは今の状況と今までの記憶を統合しているのだと言う。そう言うときは、止めたりしないで放っておいた方がいいらしい。

「ハクジ、ごはんおいしくない?」
「うん」
 ハクジは、以前よりは太ったが、既定の必要量を食べることができない。確かに、ビタミンやらミネラルやらが一緒くたに混ざったどろどろのなにかは、ハクジでなくても食べる気がしない。セイジは、ハクジを優しく見つめながら言う。
「そうしたら、そろそろ普通の食事にしようか、ハクジ」
「うー」
 ハクジはなにか考えているようだ。俺はハクジを抱いたままセイジに言う。
「普通って言っても、こいつ、もともと偏食だぞ」
「みんなで食べたらいいんじゃないか?」
 ユンが空になった皿を片づけて言った。
「うん」
 ハクジはすぐに言った。



 ハクジが記憶を取り戻してすぐ、ハクジはユンのことがわかった。
 しばらくハクジはユンを見つめて黙っていた。
「ハクジ」
 ユンは膝をついて、ハクジに許しを求めた。
「俺も、君の船に乗りたいんだけど」
 ハクジには難しい質問だった。
 ハクジの船は、まだ再建の途中だからだ。

「どうして俺に、人間の体をくれたの?」
 ユンの聞きたいことだった。
「ユンがきめたから」
 ハクジの言葉は迷いなかった。
 ユンは、初めて、人間と同じ涙を流した。

「俺を生んでくれてありがとう」
 ユンは、ハクジの手を取って、自分の頬に押し当てた。多分そのとき、ハクジは月夜船にユンを乗せることができることを知ったんだと思う。



 バレンタインは、心配ばかりしている。
「そういうことは、小さいころからしっかり学ばせないとだめなのよ。クロガトブ、あんたのせいよ」
そう言われても…。
バレンタインは、ハクジの母親気取りだ。
「それにねぇ、これからハクジをどうするのか、ちゃんと考えてあげてるの? この子がちゃんと社会に適応できる子になるために」
「それは、ハクジに決めさせたいと思っているんです」
 セイジが言うと、バレンタインは眉を吊り上げた。
「あのねえ、このままにしたら、ハクジは絶対クロガトブと月夜船に戻ろうとするわよ」
「いいじゃないか」
 俺は一応反論する。
「なにがいいのよ? あんたはひとごろしで誘拐犯で、犯罪者なのよ」
「もうしないよ」
 ユンが擁護するつもりで口を出すが、
「あんたもよ。ハクジが許しても、社会が許さないのよ。しないと言うなら、罪を償ってから言いなさいよ」
 セイジは小さく苦笑いした。



 セイジは、俺にどうしてハクジを誘拐したのかを聞いた。
 でも、それはそのときにはもう、取るに足らないことだった。
「僕は、君を許さないと思っていたけど、正直、僕は君を許している。君は、もう二度と僕からハクジを奪わないと、そう約束してくれるのなら」
「俺がなにを言っても、お前を満足させる自信はないよ」
「君が、ハクジを好きなら。
 君が、僕を好きなら。
 そして、君が…」
 セイジの言葉は最後までなかった。

 ただ、お互いに背中に腕を回した。



「だったら、どうすべきだと思う? バレンタイン、君の意見は」 
 ユンは少し不服そうに言った。
「そうね、体が丈夫になったら、もっと普通のことを学ぶべきだと思うわ。普通のこどもが楽しむようなことを覚えなきゃ。学校に行かせるとか。それに女の子なんだから、もっと女の子らしくするように教えなきゃいけないわ」
「普通? 学校?…」
 ユンにはピンと来ないようだった。セイジは少し考えて言った。
「ハクジのファクトリーを作っている概念は、我々の社会概念とはかなり違っていますから、無理に学ばせるのはハクジにとってかなり負担になると思いますが…」
 俺は俺たちのやり取りをじっと見ているハクジを見て言う。
「学校は悪くないかもしれない。ハクジは、学校とかモールとか、人のいるところは好きだから。まあ、すぐにできるとは思わないけど」

 悪くないかもしれない。
 俺たちはお前のことが好きだし、お前はもっといろんなものを好きになるだろう。

 お前の船の行き先は、お前が決めなきゃ。
俺たちは、お前の船に乗ることを決めているけれど、船長。
俺もユンも、ひとごろししか知らないしな。普通のこと、を知るのはいいかもしれない。
その結果、ハクジが俺たちを船から降ろすことになっても、それはいいことだ。

さみしいけれど、それはいいことだ。
✦わずかな間の月夜船の暮らし

 月夜船の広くなったキッチンには、ユンがつくった朝食が並ぶ。ユンは今の体になってから、料理を覚えるようになったが、それがうまい。その精度はそれこそ機械並みだろう。
「クロガトブ、牛乳がなくなった。ファクトリーで生成して来てくれ。多分、ハクジがいるから」
「わかった」
「ねえ、食べ物をファクトリーでつくるのはやめてくれない?」
 皿を並べるバレンタインは、どうしても抵抗があるようだ。
「君がそう言うから、できるだけ地上で手に入れたものを使ってるし、こうして料理してる。どちらにしても、成分は同じだよ」
 ユンの言葉に、バレンタインはやきもきした感じで言う。
「―…っ、それはね、…気分の問題よ! ファクトリーにレシピを入れてものの数秒で出てくるハンバーグは、…その、あんたの体ができたところと同じところでできたのよ? なんだか…」
 バレンタインは言葉を詰まらせた。わからないでもないが。
「俺の肉を食べてるみたい?」ユンがおかしそうに言う。
「ええ」バレンタインは、ちょっと嫌な顔をしてうなずく。
「ハンバーグは標準的な牛の筋肉と脂肪組織からできてるし、俺は一般的な人類と同じ筋肉や脂肪、その他の組織や器官からできていて、全く別物だ」
 バレンタインは、目をぐるりと回して、議論を終わらせた。

「セージ、にゅーにゅうとって」
 バレンタインが、わからないように顔をしかめた。
「ハクジ、にゅうにゅうじゃなくて、ぎゅうにゅう(・・・・・・)だよ」
 セイジはいつも辛抱強く、訂正する。ハクジは口の中いっぱいに詰めたまま答える。
「んー、うー」
 バレンタインは、眉を上げる。
「ハクジ、食べるか、しゃべるか、二つに一つよ」
「うー」
 ハクジは、もぐもぐと口を動かしながらうなづいたが、それはバレンタインをがっかりさせた。その矛先は、俺たちに向く。
「ほら、これでも、普通の教育が必要ないって言えるの?」
「ハクジはまだ小さいんだ」
「もう八つよ」
 ユンの言葉に、バレンタインはわざわざ指を八本立てた。

「そのことで、僕とクロガトブは話し合ったんですが」
 セイジはテーブルの各人を見渡した。
「ハクジをレーニ・モンデブロンの寄宿学校へ入れようと思います」
「ちょっと、どう言うこと?」バレンタインは一瞬止まって、「ユン、あなた知ってた?」
「いや、俺も初めて聞いた」ユンは軽く首を振って、セイジと俺を見た。
 セイジは一度俺を見てから、
「ミス・バレンタイン、あなたのいうことは尤もだと思います。この船で僕たちがハクジと暮らすことと、ハクジを教育することは、無理がある。ハクジの可能性を僕らが狭めてしまう」
「そんなことない。ゆっくり学べばいい。ハクジの可能性は、俺たちに妨げられるようなものじゃない」と、ユンが言う。
「そうじゃない、ユン」
 俺は注意深く答える。
「由井のいる科学研究所も、世界的な研究センターのどこも、ファクトリーの再現はできないんだ。ハクジは、今や全人類にとっての、重要人物なんだよ。
 ハクジはいつまでも、この船でただ楽しく暮らしてはいられない。求められる人間だからだ。俺たちがハクジの存在を求めるのとはわけが違う。
 ハクジはいつか、この星に住む全ての種族の幾末を担うだろう。それはどう言う形であれ、ハクジが決めることだ。ファクトリーを使って、俺たちはころしあうことができるだろう。でも、それは同じように、この世界を全く新しい新天地へ変えることもできる。そうじゃないか? だけどそれは、ハクジが決めることだ」
「俺たちじゃあ、ハクジにひとごろしをさせるってことか? ファクトリーを使って」
ユンはいかぶるように言った。
「現にしたじゃないか。ハクジはユンをころした。
そしてハクジは船を降り、ファクトリーは残された。このファクトリーは完璧でないにしろ、少なくともユンと由井には使える。実際、由井はファクトリーの兵器応用を可能にしているしな」
 ユンは納得したように目を伏せた。突然バレンタインが口を割った。
「だけど、急だわ! 突然過ぎるわ、なんの相談もなしに!」
「だから、今話しています」と、セイジ。
「ええ! でも、もう決めたことなんでしょ?
 だって、あたしは肉親でもないし、保証人でもないし、ハクジの記憶がはっきりして、あたしの名前を覚えてから、そう! ほんの数カ月ですものね! あたしに口出しする権利なんてないわよね。
 でも、だけど、言わせて!
 よりにもよって、寄宿学校? 
 ハクジが、人類にとって大事な存在なら、そんなところに入れていいの? 入れたら最後、夏と冬の休暇以外にハクジは外の世界と交流できないのよ? 
 …それなら、この天空に浮かぶ船と違いある?」
 息巻いて言いきったバレンタインに、ユンが戸惑いながら言う。
「バレンタイン、学校に賛成してなかった?」
「ええっ? …そう! 賛成よ、でも、急だわ! それに、寄宿学校でなきゃいけない理由はないでしょ?」
 俺たちは少しの間、無言で席についてた。
 そして、ユンが少しためらいがちに、バレンタインに聞いた。
「…つまり、ハクジと離れるのがさみしいってこと?」
 バレンタインは、にごすような素振りを見せた後、「そうね」と言った。
 セイジは、頷いて見せて言った。
「レーニ・モンデブロンは良い学校です。あなたの出身校でしょう?」
「ええ、そう…そうね」バレンタインの目には涙が浮かんでいた。
 セイジがバレンタインの肩を抱きながらなだめる。
「ミス・バレンタインの家は、学校の近くでしたね? あなたに地元での身元引受人をお願いしたいのですが」
 ユンが涙を拭くバレンタインを見ながら言う。
「自分の出身校なのに反対したのか?」
 バレンタインはハンカチを折り返す。
「レーニ・モンデブロンは、道徳と規律に厳しいの。学校の方針にそぐわない行為は厳しく指導されるわ」
 俺とユンは、なんとなく頷けた。
「教育も施設もしっかりしたいい学校よ。先生も尊敬できるし、いい友達もできる。学生は文武に富んでいて、芸術への関心も高いわ。広い見識と高い感受性を育ててくれるわ」
「あなたがいい見本ですね」と、セイジが言った。
バレンタインは少し笑ったけれど、
「でも、家に帰れるのは、年にたった四日。
面会許可は、模範生徒で年四日、規律を破るごとに一日ずつ減らされるうえ、毎週土曜の外出許可も下りないわ。学生は、校外でも制服着用のこと。肉親と神父以外の男性と面会してはならない。もちろん、学校は肉親を含める男子禁制。
古めかしい小さな田舎町の堅苦しい学校なの! 他にも、規律がいっぱいよ!
 とにかく、どんな理由があっても、許可された時間以外、ハクジには会えないわよ! ハクジが就学している間、あたしも、あなたたちも」
 セイジは俺とユンを見て言う。
「僕も今度のことで、これから忙しくなります。ハクジが学校へ入らなくても、僕には会える時間があまりつくれません。
 それに、クロガトブとユンは、レーニ・モンデブロンの規律によれば、肉親以外の男性ですから、ハクジがこの船に戻って来ても、ハクジには会えません。それに、ハクジがいない間、この船はセンターが研究することになっています」
 バレンタインは、俺とユンを見た。
「それじゃあ、あなたたち、どうするの?」




























✦田舎の空に、月がふたつ並んでいる

 バレンタインの家とレーニ・モンデブロン寄宿学校のあるデサンダ・オンは、石畳で舗装された、レトロで小さな町だった。家の屋根は赤い瓦でできていて低く、月の明かりを反射して、水を打ったように光る。昼間見た町の景色は、なかなか良かった。近くの山河は、移ろいゆく季節を鮮やかに写し、心を和ませる。
「ここは僕らの故郷(エルドラド)よりも湿潤な気候だね。生えている植物も多彩だよ」
 セイジとハクジの故郷は、もっと乾いた涼しい土地らしい。おかげで陶器はすぐに乾くとか。



「どうして?」
 俺たちがハクジに、学校へ入ることを勧めたときのことだ。
「僕たちは、それがいいんじゃないかと思うんだ」
 セイジは相変わらず、辛抱強い態度で言った。
「どうして、みんなで、はいれないの?」
 ハクジは、学校と言う場所自体には興味を持った(と言うべきかわからないが、ひとまず拒否する様子はなかった。)が、俺たちと離れなければならないことは、理解できなかった。
「ぼく、みんないっしょがいい」
「それはできないんだ、ハクジ」
 セイジは説得する言葉をもう探せないでいた。それもそのはずだ。セイジは、本当はハクジと別れたくないのだから。セイジは、俺たちのことがなければ、ハクジをずっとそばに置いておいただろう、と俺は思う。
 俺は、セイジの代わりに言ってやる。
「お前は、船の行き先をまだ決めてないからだよ。そんな船長なら、俺たちは、いらん」
 ハクジはめったに泣いたりしないやつだったけど、俺がそう言うと、急に涙目になった。ハクジも多分わかってるんだ。船はあっても、乗組員はいても、地図かコンパスか、なにかはわからないけど、なにかが足らないって。でなきゃ泣いたりしない。
「クロガトブ」
 セイジは俺の言葉をいさめた。
「そんな言い方しなくても」
「いいや、そんなことないさ。こいつは、自分で船に戻って来たんだから」
 俺はそう言って、部屋を出た。

 自分の部屋に戻って、俺は考える。
 …大丈夫。あいつは、わかってるはずだ。
 しばらくして、ハクジを寝かしつけたセイジがやって来た。セイジはベッドの端に座って、ためらいがちに言う。
「僕はだめだね。ハクジのために、ちゃんと言ってやれない」
「そうは思わない」
「僕より君の方が、よっぽど兄みたいだ」
「そんなことないさ」
「どうしたらクロガトブのように、自分の心を制御できるんだ?」
「そんな難しいことしてない。俺は、お前と違って本当の兄貴じゃない。ただそれだけだ」
「そんなことないさ」
 セイジは、確かに、それは当り前のように、さらっと言った。
 俺は思わず、静かな水色の目を見た。水色の目は、やけに確信めいていて、

 そのとき、部屋のドアが開いて、枕を握りしめたハクジが立っていた。
「起きたのか? ハクジ」
 セイジは、少し赤い目のハクジのそばに行った。二人並べてみると、ふたりがやっぱり良く似ていることは、俺は結構はやいうちに気づいていた。
「クロガトブ…」
 ハクジはなにかこらえるような顔をした。
 ハクジは未だに、枕を持って俺のベッドに潜り込んでくることがある。セイジがああ言うのは、そのせいだろう。
「クロガトブ、船をおりるの?」
 ハクジは不安げに言った。さみしげに。
 そんな顔をするな。
 だとしても、
「お前に任せる」
 それが俺の決めたことだ。
 すると、ハクジはすぐに俺の隣にやって来た。
「クロガトブは」
 ハクジは言った。
「さみしくないの?」
 
ハクジはわかってるんだ。でなきゃ泣いたりしない。
 なんて、俺は嘘つきだな。
 お前はわかってた。
「おいで」
 俺はハクジを抱きしめた。ハクジもその細い腕を俺の背中に回した。
 お前はわかってた。
 人はわかっていたって泣くんだって。
 わかんないからなくんだって?
 ことばあそびはやめてくれ。



 そして、別れを明日に迎えたその夜。
 田舎の空に、月がふたつ並んでいる。

✦ここでお別れ

 朝目覚めて、その日幸福であることを知る瞬間は、人生の中で何度くらいあるだろう。

 俺はハクジの向こうにセイジがまだ眠っているのを見る。
 寝顔はよく似ている。
 


 俺たちは、学園に顔を出すこともできないらしい。
 と言うわけで、俺たちの別れは、ここ、月夜船だ。
「ほんとに、その学校大丈夫なのか?」
 ユンは最後まで言っていた。ユンが学校の存在意義や定義を知ると、集団催眠を施される場所にしか思えないそうだ。バレンタインはそれを聞くと反論するが、俺はあながち間違ってないような気もする。自分の定義は自分で持つものだが、それはやっぱりいろんな環境の中で学んだり考えてリしてつかみ取るものだろうと思う。
「卒業したら、会おうぜ」
「うん」
 ハクジはもっとごねるかと思ったが、そんなことはなく、あっさり去って行った。
 さみしいのは俺か?
 いつだってそうだ。俺は、誰かのことを思っていると思って、それは自分のことを思っている。結局、俺の世界は、俺のスコープを通して見ているんだから。
 お前も、お前のスコープで行く先を見つけてくれ。

 望むなら、そのスコープで俺を取りこぼさないでくれ。



 しばらくして、セイジだけが乗ったエアバイク(これは四台目)が戻って来た。四台目のエアバイクを収納して、月の形をした浮遊船は向かう。セイジは、そのポストの立場で、船を預かる。
「君のバルトを持っていけばいいのに」
 セイジは俺のエアバイクを指して言う。
「それは、七年後のハクジに任せる」
「それにエアバイクくらいなら、一般向けに生産されるようになるかもしれないしな」
 ユンの言うことはあり得そうだ。セイジは笑ってうなずいた。
「じゃあな、セイジ」
「ハクジが卒業するときには、必ず来てくれよ」
「ああ、わかってる」
「僕は、君たちまで行ってしまうのがさみしい」
「そうだな、セイジ」
 別れの言葉はいつまでも続かない。

「じゃあな」と、俺。
「うん」と、セイジ。
「また会おう」と、ユン。

 最後の言葉は、自分の中だけに呟く。







✦例えば、女の子が車輪まわしをしていて

 例えば、女の子が車輪まわしをしていて、その影が広場に伸びていて、空は夕日に染まっている。そんな絵があるってこと、知っていても知らなくても、命は生きていける。

 だけど、暇を探せば探すほど、余計なことをすればするほど、この世界は広くなる。その一方で、まるで、どちらにも手が届かないような、どこにもいけないような気がしてくる。狼が、餌を探す以外に、月のうたを歌ったら、その狼は、一体なにを見てるだろう。

「俺にはよくわからない」
「思考するからじゃないのか?」
「俺の知覚が反応すると、すぐに思考が始まってしまう」
「もっと感じてみるだけでいいんじゃない」
 俺とユンは、美術館の一角で会話する。
 七年間、俺たちは二人で、それはおもしろ楽しく暮らしてきた。

 エアバイクは、発売されたけど、俺たちが使っていたものより性能が低い。規制も厳しくて、俺たちは地上を走るバイクを選んだ。
 俺たちは、暗殺稼業を続けながら、各地を旅している。全ての生命が地球上でそれ(命)を共有している以上、ころし屋も必要だ。誰かの物差しで俺を計るつもりはない。
俺は旅の間、けっこう絵が好きになった。ユンは、相変わらず料理が上手い。

「そろそろ行こうか」
「ああ、遅れたくないしな」
 ミュージアムの駐車場には、俺の新しい愛車ZR‐9000GT、ユンのFAY4000が黒光りしている。
「ハクジは俺たちのこと、覚えてるかな」
「手紙も書かなかったからな」

 デサンダ・オンの赤い瓦は、なにも変わってなかった。レーニ・モンデブロン寄宿学校の卒業式は肉親と身元引受人しか入れない。俺たちは、少し離れたところで待っていた。しばらくすると、バレンタインがやって来た。
「久しぶり! ああ、クロガトブ、すぐわかったわ。大人になったわねぇ」
「バレンタイン」
「あんたたち、手紙くらいよこしなさいよね。七年間音信不通って、あり得ないわよ」
 七年ぶりのバレンタインは、相変わらずで、そして少し老けていた。
「バレンタインの名前なら見たよ。美術館で」
「あら、それは嬉しいわ」
 バレンタインの絵は、三十三歳で認められた。今三十七歳のバレンタインは、地元ではちょっとした名士だ、と学芸員が言っていた。

「クロガトブ、あんたいくつになったの? 二十五? ユンは?」
「俺は正式にはわからない。ハクジが設定したかどうか」
「若作りしてるけど、三十八から四十ってとこね。お互い老けたわねぇ」
 ユンはやけに嬉しそうに「ああ」と笑った。
「そうそう、あんたたち、びっくりするわよ。ハクジ、すっかりきれいになったんだから」
「ハクジ、俺たちのこと覚えてるか?」
「覚えてるわよ!」

 そうなのか。

「なによ、あんた、照れてんの?」
「いや…」
「言っとくけど、ハクジは十五、未成年には手を出しはならないって法律で決まってんのよ」
「そんなこと…」

「あ、あそこ! 来たわよ!」

























(終)
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