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7、浮流と留洞
しおりを挟む「俺の名は大倉旬。まずは美波を助けてくれたことに感謝する。そこにいるのは、コルグさんと、クランと、ゼンジでいいだろうか」
広げた帳面の上に、簡潔な言葉が連なっていく。
墨が足らなくならないように、わたしはもう少し摺っておく。
……だけど、旬さん、もう少し丁寧な言葉を使ったほうが……。
かりにも、相手はずっと年上の御坊様なんだよ……。
クランさんとゼンジさんにも、わたしはすごくお世話になっているんだよ?
……今、口を挟むつもりはないけれど。
「コルグ、トモウシマス」
「アタシャ、クラン トモウシマス」
興味津々顔のゼンジさんは、ふたりに習って、ぺこと頭を下げた。
旬さんの筆は、より簡潔になる。
「浮者、浮の力、ルドゥー、リュージュツ。これらはなんだ?」
「フ、トイウモノハ、ハナムンニ、オトズレル、フシャノミガモツ、チカラノコトデス。リュージュツモ、ソレニニタ、セイシツガアリマス。ギョウヲキワメタ、ソウリョハ、リューノチカラヲツカウ、リューシャ、トヨバレマス」
コルグさんは白い筆で自分の手の甲に「流者」と書いた。
青白く光ったその文字は、旬さんにも見えるらしい。
「浮者である美波も、流者のあなたのような不思議な力が使えるのか?」
「フシャノチカラハ、ワレワレリューシャノチカラヲ、ハルカニシノギマス。タダ、ミナミ・フーシャノ、フノチカラハ、ヒドクヨワイ」
「これまでの浮者に比べてという意味か? 今まで浮者はなん人いる?」
「キロクニ、ノコッテイルダケデモ、ゴジュウナナニンノ、フーシャガ、ハナムンニ、オデマシニナッテイマス。フーシャハ、タイテイ、コノクニニ、アシヲフミイレタトキカラ、ツヨイフノチカラヲ、ジカクシマス。ヒダリテダケ、デハアリマスガ、アナタモマギレモナイ、フーシャ。アナタカラハ、キワメテツヨイ、フノチカラヲ、カンジマス」
「俺にもこの光の文字の力を使えるのか?」
「ミナミ・フーシャガ、フノチカラヲ、ジカククスルヨリサキニ、オソラク、シュン・フーシャ、アナタハ、チカラノツカイカタヲ、エトクスル、ダロウトオモイマス」
……なんだか、とんでもない話になってきてしまった。
わたしの知っている常識では説明できない、不思議な力。
わたしたちより前に、五十七人もの人がきているなんて……。
だけど、現にそれがわたしたちの身に起こっている。
まだすべてを信じてるわけじゃないけど、たぶん、おそらくは本当に、地球ではない別の世界に来てしまったんだ。
突然現れたあの黒い穴。
あれは、この世界へつながる穴だったんだ……。
なんだか、すごく嫌な予感がする……。
口をはさまずにいられなかった。
「どうして、浮者は帰れないんですか? その浮とか流の力で、わたしたちを日本に戻してもらえませんか? なんの断わりも、前触れもなくこちらに連れてこられてしまって、困っています。来ることができるなら、帰ることもできるんですよね? コルグさんの筆の力で、つながらなかった視覚や聴覚もつながりましたし、方法はあるんですよね?」
「ザンネンデスガ、ソレハデキマセン」
「……ええと、確か力を必要としているっていってましたよね? わたしたちの浮の力を。できるだけ協力します。だから、終わったら日本に戻して欲しいんです」
「ニホンニハ、モドレマセン」
変わらない返事に、胸にもやもやする。
どうしよう、手が震えそう……。
わたしは旬さんの手に手を重ねた。
「わたしたち、結婚するんです」
コルグさんとクランさんの顔に、わずかな動揺が走った。
クランさんの訳を聞いたゼンジさんは、驚きのまなざしを送ってきた。
「……もう会社にも報告を済ませましたし、わたしの部屋の契約も更新していません。式場もまだ本契約じゃないけど決めました。それに……」
「ナンドモイウヨウデスガ、ソレハ、フカノウデス」
「そんなの、困ります……」
「アナタガタノ、セカイカラ、ハナムンニ、ニュウリュウスル、チカラガ、フ、ナノデス。フノチカラハ、リュウシュツスル、トイウ、セイシツヲ、モチマセン。アナタガタガ、ハナムンヲ、デヨウトスレバ、ソレハ、モトイタセカイデモナク、ハナムンデモナイ、マッタク、ベツノセカイニ、ユクコトニ、ナルデショウ」
なにそれ……。
意味が分からない……。
浮とか流とか、流入はするけど流出はしないとか言われても、……ちょっと、頭に入ってこない。
勝手に連れて来られて、帰れないとか、納得できないよ……。
「だって、わたしたち、婚約届を出すその日に……」
ぎゅっ、と手に力を感じた。
旬さんの左手が、わたしの手を受けるようにして握っていた。
どうなってるの……?
わたしたち、どうなっちゃうの?
それに、それに……。
「だ、だって、じゃあ……! 旬さんはどうなるんですか? 左手がこっちで、体は日本で、そんなの、ど、どうなるの? なんで、こんなことになったの? 治せるんですか? 旬さんの体に危険はないんですか?」
「ソレハ……」
旬さんの手が、筆を持ち直して、素早く紙に書きつけた。
「それなら、俺がそちらへ行けばいい」
「しゅ、旬さん……!」
「モドルヨリハ、カノウセイガアルカモシレマセン」
「方法を教えてくれ」
「旬さん、本気なの……⁉」
「カンタンデハアリマセン。シュン・フーシャニハ、ツヨイフノチカラトトモニ、ルドゥーノ、チカラガ、ソナワッテイマス」
コルグさんは袂から携帯用の筆入れを取り出した。
旬さんの紙の余白部分に、二つの文字を連ねた。
「トドマルノ、ル。ホラアナノ、ドウ。ルドゥー、デス」
「なぜ、白い筆で書かなかったんですか? その筆でも、旬さんに見えるんですか?」
「コレラノ、モジハ、ツヨイ、ジュツ、ナノデス。ホンライハ、フヨウイニ、カキツケルコトハ、イタシマセン」
そういうと、コルグさんは「留洞」と書いた文字をすぐに墨で塗りつぶした。
「光の文字で、ルドゥーの漢字を書くと、なにが起こるんだ?」
「フ、ト、リュー、ノ、チカラハ、オナジデハアリマセンガ、トテモ、セイシツガニテイマス。イッポウ、ソレニアイタイスルチカラ、ソレガ、ル、ト、ドゥー、ノ、チカラナノデス。フニ、ツイトナルチカラガ、ル。リューニ、ツイトナルチカラガ、ドゥー。ルドゥーノ、チカラハ、フリューノ、チカラヲシレバ、オノズト、リカイデキマス」
「具体的になにが起こるのか知りたい」
「アナタガタハ、モウ、タイケンシテイルハズデス」
え……? それって、つまり……。
あの黒い穴のこと?
「今まさに俺の左手に起こっていることが、ルドゥーだと?」
「ハナムンニ、オイデニナル、フーシャハミナ、ツヨイ、フノチカラニ、マモラレテ、ヤッテキマス。アナタガタハ、ツヨイ、ルドゥーノ、チカラニヨッテ、ハナムンニ、ツレテコラレタト、スイソクシマス。ソレハ、シゼンノ、セツリトハ、コトナル、ハタラキデス。コレマデイチドモ、ミタコトガ、アリマセン」
「異世界でもイレギュラーというわけか」
コルグさんにイレギュラーの意味を聞かれて、なかばぼんやりとしながらわたしは、予想外の出来事、と答えていた。
「そろそろ限界だ」
「デハ、キョウノトコロハ、ココマデニ」
旬さんに手を掴まれて、はっとした。
思考が止まっていた。
途中から話がまったく耳に入ってなかった。
旬さんの指がわたしの手の甲の上をすべる。
「大丈夫か」
「……わかんない……」
つぶやくと、旬さんがわたしの手に「?」を書いた。
あれ……、聞こえてないの?
指で返事をすると、旬さんは指で「すごくつかれた」と返してきた。
「わたしも……」
慣れない左手で、一生懸命にコミュニケーションをとってくれた旬さんは、包帯をすっかり墨で汚している。
理解を越えた現象、予想外の出来事、異世界の理。
見えるといってもわたしのように肉眼ではっきり見えたわけではない旬さんにはきっと、理解するのはきっと本当に大変だったはずだ。
せめて、見えているわたしがもっとしっかりしていなければいけなかったのに。
旬さんがいることへのありがたさと同時に、申し訳なさが胸に湧き上がる。
せめて、けがの手当てだけでも、ちゃんとしてあげたい。包帯を解きはじめると、クランさんが来てくれた。
「ワタシガ、カワリマショウカ? シュン・フーシャガ、オイヤデナケレバ」
「クランさん、ありがとう。でも、わたしがやりたいから」
「ソウデスネ。デハ、オチャヲ、オモチシマス」
「ううん、しばらくふたりにしてもらえますか?」
「デスガ……」
クランさんの隣にゼンジさんが詰めてきた。
目を見開いて、突然ぐっと顔を寄せてきた。
「ワルクシュアラ! ミナミ・フーシャ、フランマウ」
「ミナミ・フーシャノ、カオイロガヨクナイノデ、スグ、ヤスンダホウガ、イイトイッテイマス」
「クラシュン……、でも……」
旬さんが素早く筆をとると、紙に書きなぐった。
「ゼンジ、お前は美波に近寄るな」
威嚇するかのように、筆を振り上げるような仕草で見せている。
機微を察したらしいクランさんが、まだなにかいっているゼンジさんの腕を引っ張って、部屋を出て行った。
「ど、どうしたの、旬さん、急に……」
「あいつは初めから、美波に強い意識を向けていた」
「……人の意識まで分かるの?」
「ゼンジとは親しくならないでくれ」
「うん、わかった……。だけど、薬師見習っていってたから、それで気にかけてくれてただけかも……」
「俺が嫌なんだ。今度近寄ってきたら、殴ってやる」
そ、それは乱暴すぎだよ……。
でも、そういってくれる旬さんがうれしい。
左手だけの姿でも、わたしを助けて、気にかけて、守ろうとしてくれる旬さん。
筆をおいた旬さんの左手を、そっと両手で包むと、わたしは長い口づけをした。
「わたしも、旬さんの声が聞きたい。姿が見たいよ……」
「みなみ、よこになったほうがいい。ひかりが、よわまってる」
「えっ……?」
旬さんの指の文字に、驚きを隠せなかった。
わたしの浮が少ないとかいう、そのこと……?
「び、びっくりしちゃう……。旬さんには、わたしの浮の力が少ないことも見えるの……?」
「みえるというより、ひかりがよわいと、みなみがみえなくなる。つかれてたんだろ?」
「それをいうなら、旬さんのほうこそ、疲れているでしょう? ごめんね、すぐ包帯を巻きなおすから」
「おれの、ふの、ちからは、まだある」
「え、でも、さっきは限界って……」
もしかして、旬さんは自分のことではなくて、わたしのほうを心配してくれたの?
ふと見やると、わたしの手から「目」の字がすっかり消えているのに、旬さんの手には「耳」の字がまだ残っていた。
「なれないことに、集中したから、おれも、つかれた。ちからをおんぞんして、あらためて、コルグさんに、はなしをきく」
「う、うん……」
「ふじゅつは、りゅうじゅつと、おなじ、しゅぎょうで、みにつくらしい。できるだけはやく、つかえるようにならないと。おれが、できるかぎり、どりょくしてみる」
「……」
「このせかいについても、もっと、じょうほうをしりたい。みなみに、たのめるか?」
「……」
「みなみ、だいじょうぶか」
「……」
文字を書くのをやめた旬さんが、ぎゅっと手を握る。
そのぬくもりや重さは感じられるけれど、旬さんが遠い。
……ものすごく、遠い。
「どうして……」
旬さんの甲に書こうと人差し指を立てたけど、……なんていえばいいのかわからない。
心配そうに、旬さんの親指がなでる。
だめ……、気持ちを落ち着けないと、字が書けない……。
なんて書けばいいか、わからない。
「みなみ、みみをつかう」
旬さんの指がそういった。
「……旬さん…………」
「どうした?」
「どうして……、どうして、旬さんはそんなにすぐ、受け入れられるの……?」
旬さんの手が止まった。
「……体ごとここにいるわたしでさえ、ついていけないのに……。旬さんは左手だけでも、……どんどん、先に進んでいってしまう……。旬さんがそんなつもりじゃないのはわかってるんだけど、置いていかれる気がして……。なんだか……不安で……」
「ふあんにさせて、ごめん」
「旬さんが悪いわけじゃ……。ただ、わたし今はいっぱいいっぱいで……」
「おれもふあんだよ。みなみがふあんだとわかっているのに、だきしめてやれないのがくやしい」
「うん……」
「このままじゃ、いざというとき、みなみをまもることができない。だから、おれは、はやくちからを、つかいこなせるようになりたい。できるだけはやく、みなみのそばに、いけるほうほうを、みつけたい」
旬さんの指を見ながら、目頭が熱くなって、ぽつっとしずくが落ちていったのが見えた。
涙が旬さんの甲で、ぱちんと飛んだ。
「ふ、え……、旬、さん……」
旬さんの左手が、指で確かめるようにしてわたしの腕から方、そして頭の後ろによじ登り、そっとなでる。
見えなくても、感じられなくても、抱きしめられているのがわかった。
「うぅ、うわあぁ……! わたし、やだよう……っ」
ここが旬さんの胸の中なら。
そうだと思って、わたしは泣きじゃくった。
「帰れないなんてやだ……、なんでわたしたちなの?
こんなのやだ、離れ離れなんて、やだよ……! なんで、なんで……っ?」
旬さんはただ静かに、後ろ髪をずっと撫で続けてくれた。
日本にいたときでさえ、こんなふうに甘えたことはなかった。
子どもみたいに泣いたって、どうにもならないのはわかってる。
でも、気持ちが追い付かない。
あの日を最後に、旬さんがこんなふうに離れてしまうなんて、思いもしなかった。
「もっと旬さんに触れたい、声を聞きたいのに……」
旬さんが、ゆっくりと顎から頬へ伝ってきて、涙を拭いた。
すがるようにして、旬さんの手を取ると、ベッドに突っ伏して、また泣いた。
その日はもう、ベッドから起き上がることもなかった。
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