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9、記帳式
しおりを挟む「マズハ、ミナミ・フーシャカラ、フジュツノキホンヲ、オボエテ、イタダキタイトゾンジマス」
「えっ、わたしですか……⁉」
旬さんの考えが早々に覆されそう。
断りを入れて、旬さんに書くものを準備してもらった。
筆を取った旬さんは、猛然と自分の考えを書きたくった。
「浮術は俺が先に会得したい。力の弱い美波に無理をさせたくないし、俺は今すぐにでも美波を守る術を手に入れたい」
「コルグさん、わたしもそう思っています。体力的にも不安なので……」
しばらく黙っていたコルグさんは、ふっと立ち上がると、わたしたちのすぐ面前までやってきて座った。
旬さんの左手を見ると、袂から白い筆を取り出した。
「シュン・フーシャ。ショウショウ、ムリヲオネガイシマスガ、メトミミノ、ジュツヲ、オコナッテモヨロシイデスカ?」
承諾とともに、旬さんの手の甲に、青い光の文字が光った。
今、旬さんにはこちらの音声が聞こえ、普段よりも数段はっきりとした映像が見えるらしい。
「シュン・フーシャ、アナタナラ、イズレ、クチヲ、ツカウコトモ、ムツカシクハナイデショウ」
「コルグさん、あなたの表情や動きがかなりはっきり見える」
「わたしも見える? 旬さん」
「コルグさんに比べると、美波の光は薄くて弱い。コルグさんは暗闇にくっきりとした光の線や軌跡があるけど、美波はそこまではっきり見えない」
「そう……」
旬さんが「目」を書いてもらっても、現実のような鮮明でカラフルな立体映像が見えるわけではないらしい。
わたしがこの術を極めたところで、旬さんのはっきりとした明るい笑顔を見ることは、叶わないのかもしれない……。
「ミエヤスクナッタノデ、シュン・フーシャニモ、オワカリイタダケルデョウ。イマカラオミセスルノハ、リュージュツノ、イッタンデス」
コルグさんは本堂正面から見える林の方へ向いた。
ゆうに数キロは離れている林へ向かって、筆を空中で走らせると「増響波」と書いた。
薄青の光が宙に揺らめくように留まったかと思うと、コルグさんはその文字めがけて、小さく、ふっと息を吐いた。
ずわっと風が走り去った。
本堂から遠く離れた一部の木々だけが、ざざざっと波打って揺れる。
木々の間から鳥たちが、驚いたように飛び立った。
特定の場所だけを狙って、なんの前触れもなく瞬間的に生じた突風。
鳥以上に緊張したのは、旬さんもわたしも同様だった。
「い、いまのは……?」
「ワシノ、トイキガ、ジュツデ、ゾウフクサレ、アノハヤシマデ、トンデイッタノデス。リュージュツハ、ツカイカタヲ、アヤマレバ、ヒジョウニキケンナモノ。フジュツモマタ、シカリ」
「なんの力みもなく、ただ字を書いて息を吹きかけるだけで、あんな遠くに空気砲を送ることができるのか? コルグさんはこの世界において、俺を危険視しているのか?」
「アリテイニイエバ、ソノトオリデス。アナタガモシ、ミナミ・フーシャトオナジヨウニ、コノセカイヲジカニミ、ジカニキクコトガデキルノナラ、サホドノケネンハアリマセン。
デスガ、ジュツノチカラデミエルモノハ、フリュート、ルドゥーニ、トッカシタ、イチブブンダケデス。カリニモシ、ミナミ・フーシャニ、フソクノジタイガオコッタナラ、アルイハ、ジッサイニハソウデナクトモ、アナタニハソノヨウニミエタナラ、アナタハ、チカラヲ、フヨウイニ、ボウソウサセテシマウカモシレナイ」
「否定はできない。美波のことを手放しで預けられるほど、俺はそちらのことを知らない」
「デスカラ、ソノタメニモ、マズハ、コノインチョウト、シヒツノ、ツカイカタヲ、オフタリニ、シッテモラウヒツヨウガアルノデス」
改めて、コルグさんが片手で開いて持てるほどの大きさの手帳と、細い筆を取るように、と勧めてきた。
「キヲタカメテ、インチョウト、シヒツニ、シュウチュウシテクダサイ。フノチカラガカヨエバ、インチョウハ、アナタジシントナリ、シヒツハ、アナタヲミチビク、センドウシ、トナリマス」
おずおずと手に取ると、左右の手からなにか涼しいものを感じた。
それが、浮の力が流れているのだと気づいたのは、印帳と白い筆に奇妙なほどの同質感を感じ始めたころだった。
「な、なんだか、妙です。さっきまで、紙や筆を触っている感じがしたのに、今は、触れてすらいないみたいに……。なんていうか、自分の体の延長みたいに感じます」
「アナタノ、カンセイハ、トテモ、スナオデス。ソノジョウタイデ、シヒツヲツカッテ、インチョウニ、アナタノ、ナマエヲ、カイテクダサイ」
「あ、はい。じゃあ墨を……」
「イイエ。アナタノ、フノチカラデ、カクノデス」
「このまま、なにもつけずにですか?」
筆先を印帳の表紙に落とすと、うっすらと水で濡らしたのような線が浮かんだ。
――沢渡美波。
書いていく先から文字は吸い込まれるように消え、なにごともなかったかのように、ただ印帳と書かれた表紙に戻った。
「これでいいんですか?」
「ツギニ、ヒョウシヲヒライタラ、ソコヘ、イシンデンシン、トカイテクダサイ」
「以心伝心……ですね?」
一ページ目の帳面に、再び書いた先からおぼろげに消えていく文字を書きこんだ。
「ソノツヅキニ、ジュツノナイヨウヲ、カキコミマス。タトエバ、ハナムンゴガ、ホンヤクシテキコエル。ボコクゴガ、アイテニハ、ハナムンゴニ、キコエル」
「すごい、翻訳の術がこれで使えるようになるんですね!」
「タダシ、ミナミ・フーシャノ、チカラヲ、カンガエルト、ジュツニ、アマリニモオオクノ、コウカヲ、フヨスルコトハ、イイトハイエマセン。ソレダケ、オオクノチカラヲ、ショウヒシテシマウカラデス。
ハジメハ、ハナムンゴガ、キキトリヤスクナル。ナニムンモジガ、ヨミヤスクナル。テイドニ、シテオクノガイイデショウ。フリョクガフエレバ、ツカエルジュツモ、ソノコウカモ、フヤスコトガデキマス。フヨシタイトキ、フヨシタイナイヨウヲ、オナジシメンニ、カキコムダケデス」
「すごく簡単ですね……! これならわたしにもできそう。安心しました」
「自分の浮力以上の術を発動したときは、どうなるんだ?」
「マッタク、ハツドウシナイカ、モシクハ、ハツドウトトモニ、キヲウシナッテシマイマス。スベテノチカラヲ、ツカイハタシタトシテモ、ジュツガ、セイコウスルトハカギリマセン。マタ、ジョウキョウニヨッテハ、イノチニカカワルコトモアリマス。ジブンノチカライジョウノジュツヲ、オコナウコトハ、トテモキケンナコトナノデス」
「そうなんですね、気を付けます……」
わたしはコルグさんの勧めの通りに、ハナムン語が聞き取りやすくなり、読みやすくなる。とだけ書いた。
紙は水を吸い込むように、文字を取り込んで、もとの白紙に戻った。
「使ってみてもいいですか?」
「インチョウト、シヒツト、ミズカラノフヲ、ナジマセルノハ、アナタニトッテ、フタンガオオキイノデ、ジュツヲタメスノハ、アスイコウニシタホウガヨイデショウ」
「そうなんですね……。わかりました」
「術を使うための浮力量を知るには、どうしたらいいんだ?」
旬さんの言葉に、はっとした。
のん気に術を試したいなんていって、一番命の危機に陥りそうなのは、他でもないわたしだ。
隙のないフォロー。さすが旬さん。
「ソレハ、モジノイロデワカリマス」
「色? わたしの文字は紙に吸い込まれて消えてしまいましたけど……」
「ミナミ・フーシャノ、チカラガヨワイノデ、ハッショクマデ、ニイタラナイノデス」
「発色に至らない……」
「ジュツシャノ、モジハ、インジ、トイイマス。フーシャノ、インジノイロハ、マヌーケルンノ、アオ、トヨバレテイマス。イミハ、キヨイ、ツキノ、ヒカリノ、アオ、デス。ソノハッショクガ、ツヨイホド、ソノフーシャノ、チカラモツヨイ。インチョウニ、カイタジュツノナイヨウガ、ミズカラノチカラト、オナジテイドノ、カガヤキガアレバ、ジュツヲツカウコトガ、カノウデス。
ギャクニ、ツカイテノチカラヲコエタ、ジュツノナイヨウヲ、カイテモ、ソノモジガ、インチョウカラキエテシマッタバアイハ、ツカエナイジョウタイ、ダトイウコトデス」
そ……、そうなんだ……。
わたしの浮力って、見えないくらい弱いんだ……。
よくわからないけど、やっぱり、この世界向いてない……。
「つまり、印帳なる本に術を記録して、自らのステータスを確認し、筆で文字を書くことで、発動するということだな?」
「ステータス、トイウノハ、ヨクワカリマセンガ、インチョウニ、ジュツヲカキコムコト、マヌーケルンノアオヲ、カクニンスルコト。ジュツヲオコナウニハ、シヒツデ、インジヲカクコト。コレラハ、ソノトオリデス。コレヲ、キチョウシキ、トイイマス」
「俺には少々不利なやり方だ。左手だけでは、筆か印帳がどちらかしか持てない」
「それなら、わたしが持つから大丈夫。わたしの力じゃ、あってもないのとおんなじだし、この印帳をふたりで使えば二冊持つ必要もないんじゃない?」
「インチョウト、シヒツハ、イチドチカラヲ、カヨワセルト、ソノホンニンシカ、ツカエマセン」
「あ……そうなんだ。じゃあ、わたしが旬さんの分の印帳も持ってあげれば」
「インチョウト、シヒツハ、ホンニンイガイガ、フレルト、ハンパツシマス。アマリ、イイヤリカタデハアリマセン」
「左手だけの俺は、術を身に着けるのは容易ではないということか」
わたしにはすごく簡単な方法だと思ったけれど、旬さんにとっては、逆にやりづらいんだ。
せっかく、わたしより大きな力があって、やる気もあるのに……。
手袋をして持ってあげてもだめなのかな……?
あるいは、旬さん用の画版みたいなのを持って歩くとかすれば……。
そうよ、今日みたいにわざわざクランさんに書くものを準備してもらわなくても、はじめから持ち歩いていれば、普通のコミュニケーションだってすぐにできるんだし。
わたしが口を開きかけたとき、コルグさんがクランさんに目配せをした。
クランさんは祭壇からもう一脚のお膳を下ろして、わたしたちの前においた。
そこには、白い紙が広げてあり、その真ん中には、小さな木の輪っか、指輪があった。
「コノユビワハ、インチョウト、シヒツノ、ゲンザイリョウトオナジ、ユーファオーノキカラ、ホリダシテ、ツクッタモノデス」
「ユーファオーって、わたしたちが倒れていた森のことですよね?」
「ユーファオーノキハ、ハナムンニトッテ、イノチト、オナジデス。シタマチコトバニイイカエルト、ヨノ、イシズエヲ、ナス、キ、デス。
フーシャハミナ、マヌーケルンノ、ヨル、ユーファオーノキノモトニ、アラワレマス。フーシャノモツ、ツヨイフノチカラハ、ハナムンヲ、イカスタメニ、ヒツヨウナチカラデアリ、フーシャハ、フノ、ハコビテ。ソシテ、ユーファオーノキハ、フーシャノ、ミチビキテ、ナノデス」
それで、わたしたちはあの森のユーファオーの巨木の下に倒れていたんだ。
この世界で、神聖視されている樹。
だから、その樹の枝を祀っているんだ……。
「インチョウト、シヒツト、マッタクオナジトハイキマセンガ、シュン・フーシャニトッテハ、コノホウガ、ツカイヤスイノデハト、オモイマス」
「具体的にどうすればいいんだ?」
「ソレハ、ワカリマセン」
思わず、目を見張ってしまった。
紙と筆の代わりに、指輪を渡してくれるまではいいのだけれど、あとは知らないというのは、ちょっと無責任な気が……。
コルグさんはわたしたちの戸惑いに応える。
「ゲンザイ、ハナムンニオイテ、シュリュウトサレル、ジュツノツカイカタハ、サキホド、オミセシタトオリデス。コレハ、ゲンザイチュウオウノリョウチニ、ザシテイル、ダイショウグンガ、タイケイテキ、カツ、ゴウリテキニ、ツクリアゲタホウホウデス」
「大将軍……」
思わず口を挟んでしまった。
時代劇のドラマみたいに、白馬に乗って海辺を疾走していく将軍みたいなイメージが頭に浮かぶけど、まさか本当にそんなわけないよね?
はやくハナムン語に慣れなくちゃ。
いつか、変なところで笑っちゃいそう……。
「ソレイゼンハ、ジュツシャコジンノ、サイハイニヨッテ、サマザマナヤリカタガ、アリマシタ。インジハ、モットナガイキョウモンヤ、シイカデアルコトモアリマシタシ、キゴウヤ、エヲカクバアイモ、アリマシタ。
ウタウヨウニ、ハッセイヲトモナウモノヤ、ガッキデ、エンソウスルモノモアリマシタ。
ソノコトヲフマエレバ、シュン・フーシャハ、アナタナリニ、モットモヨイヤリカタヲ、モサクスルノガ、ヨイトオモワレマス」
「なるほどな。コルグさんのいいたいことは理解した」
「シュン・フーシャハ、フノチカラガツヨク、リョウモオオイノデ、ドノヨウニソウサスルノカヲ、シコウサクゴシテ、ジブンニツカイヤスイヨウ、ケンサンヲ、ツムノガヨイデショウ。サンコウマデニ、レイヲアゲルトスレバ」
「手だけで、術を行えるものがいたのか?」
「ソレデモ、インチョウト、シヒツニヨル、ハンヨウセイト、タヨウセイニハ、オヨバナカッタトオモワレマス。
カレハ、カツテ、タテユミノコトノ、メイジンデシタ。ツカウユビニヨッテ、ソレゾレ、コトナルネイロヲ、ナラシタソウデス。
アルイハ、イマモトキドキ、マチノ、ミセモノゲイニンニ、ミカケルコトガアリマスガ、ユビデ、インヲクツリ、サルヤイヌナドノケモノニ、シジニシタガワセルヤリカタモアリマス」
「わかった、考えて試してみる。できればその見世物芸人の指で作る印とやらを一度見て見たい」
「チカイウチニ、マチヘ、ゴアンナイシマショウ」
えっ、もう、街⁉
旬さんに任せておくと、話がどんどん進んでいってしまう。
どうしよう、もう本格的に始まっちゃいそう。
わたし、まだなんの準備もできてないのに。
「待って、待って! ここを出るなんて、まだ心の準備が追い付かないよ」
「大丈夫。俺の方も少し時間が必要だから。それまでの間、美波はできるだけハナムン語やこちらの風習に慣れておいてくれ」
「う、うーん……」
旬さんが没入しかけている……。
立て続けに質問をする旬さんの字は、高揚感で乱れている。
「それで、ハナムンは、浮者の俺たちになにをして欲しいんだ? 俺たちより先にこの国にやってきた浮者たちは、今どこにいて、なにをしているんだ」
「ソレニハ、バショヲカエテ、オハナシスルヒツヨウガアリマス」
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