【完】左手だけの婚約者~Hanamun Life~一緒にワープした婚約者は、左手だけなのに最強です!?

国府知里

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28、ハナムンと浮者は

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 翌日からのわたしのスケジュールはアクセサリーの研磨の続きと、浮者の研究だ。
 あと半月ほどで浮者が来るのだから、どちらもそれまでに終わらせたい。

 今朝目が覚めたとき、夢を見ていた。
 昨日見ていた夢と同じだ。
 でも、目が覚めるのと同時に、内容がサッパリ思い出せない。
 これもユーファオーの樹の影響なのかなと思うけれど、特段なにかあるわけではない。

「昨日本を読み始めたんだけど、あれを書いたのはコルグさんなんだね。結構くずし字が多くて、読むのが難しいよ」
「ああ、父の字は少しくせがあるので。わたしがお手伝いしますよ」
「ありがとう。でも、クランも準備があるでしょ? 自分のことを優先して」

 クランは浮者を迎える日のために、あたらしい着物を縫っているところだ。
 わたしも手伝ってあげたいくらいだけれど、ミシンどころか針と糸なんて高校以来触ってもない。

「はい、じゃあそうさせてもらいます」
「完成したらぜひ見せてね」

 工房につくと、わたしはすぐに研磨に取り掛かった。
 おおよそ形は仕上がってきたので、次は塗装だ。
 ムラークくんとカーツさんも工房へやってきた。

「美波浮者、ビーズは艶出しまで終わっていますよ」
「本当? ムラークくん、さすがだよ!」

 ムラークくんの取り出した箱の中には、艶出しを終えてすっかり乾燥している木のビーズが並んでいた。
 白、赤、ピンク、黄色。
 わたしは赤い小さなビーズをつまんだ。
 その瞬間、わたしの頭の中に、ピンのイメージが浮かんできた。
 インターネットで地図を検索した時に、目的地を指すピンだ。
 あるいは、ポスターを壁に貼るときのピン。
 なんでそんなことを急に思い出したんだろう? 
 確かに赤いビーズはピンの頭にに似ていないこともない。

「いかがですか?」
「すごくきれいにできてる。助かったよ、ムラークくん」
「こちらこそ、貴重な修行になりました」

 カーツさんが小皿をもって隣へやってきた。

「美波浮者、絵の具の調合もできています。いつでも塗りはじめられますよ」
「ありがとうございます。じゃあ、明日から塗装に入りたいと思います」
「わかりました」

 よし、順調順調。
 
「美波浮者!」

 突然肩を抱かれて、ビックリした。
 カーツさんが後ろからわたしを支え、ムラークくんが両手でアクセサリーを掬うように手にしていた。

「大丈夫ですか?」
「えっ、なにが……え?」
「今、意識を失われたように見えました」

 そんな、まさか?
 二人の顔を交互に見て、手にしていたはずのアクセサリーが、ムラークくんの手の中にあるのを見た。 

「そんな、あれ……?」
「美波浮者、もしかしたら、ユーファオーの樹の影響ではありませんか? 昨日はそのせいで深い眠りに陥ったと聞きましたが」
「カーツさん、わたし、眠っていましたか?」
「そういわれると、そのようにも見えました。自覚はありましたか?」
「い、いえ、全然……」
「だとすれば、ユーファオーの樹を触ったことで、影響が強く出たのかもしれませんね」
「そんなことがあるんですか……?」
「はっきりとしたことはいえませんが、続きはムラークに代わってもらったほうがいいかもしれません」

 そういわれて、わたしはアクセサリーをそっと握ってみた。
 とたんに、意識を持っていかれるように眠気が襲ってきた。
 手放すと、眠気は収まった。

「カーツさんのいう通りかもしれません。木に触れると、急に眠たくなりました……」

 ユーファオーの樹は本当に不思議な木だ。
 わたしになにが起こっているのだろう。
 もしかしたら、わたしにも浮流の力が見えるようになったりするのだろうか。
 アクセサリーづくりは、カーツさんの勧めに習って、ムラークくんに引き継いでもらうことにした。
 何度か木に触っているうちに慣れるかと思ったけれど、どうやら慣れは起こらないみたいだった。

「では、美波浮者が監督してください。その通りにやりますから」
「ありがとう、ムラークくんがいてくれて本当に良かったよ……。浮者が来る日までに間に合わなかったらどうしようかと心配しちゃった」

 実際、わたしがやるよりもムラークくんのほうがはるかに早くて上手だった。
 これなら、ちゃんと間に合いそうだ。
 あっという間に研磨が終わり、下塗りまでもが完了した。
 一日乾かすというので、わたしは本の勉強をすることにした。

 部屋に戻って開いた本の続きを読み始める。
 浮者についてコルグさんが記録した内容は、寺の慣習やそれにまつわる用語がいくつも出てくる。
 くずし字もわからないが、その知らない用語がなかなかの曲者だった。
 シュトンさんのところへ行って辞書も借りてきたが、お寺の専門用語とでもいうのだろう。これまでの知識で推測できるものもあれば、なにを指しているのか皆目見当もつかない単語や言い回しがあった。
 
「ううーん、やっぱりクランに……。ううん、奥書院で誰かに聞いてみよう」
 
 僧侶たちの自由時間を待って、わたしは奥書院に向かった。
 顔を出すといつもの席でムラークくんが勉強していた。
 気がつくと、こちらへ来てくれた。

「ムラークくん、あれもこれも頼んじゃって申し訳ないんだけど、ちょっと教えてもらえるかな。それか、誰か得意な人を紹介してもらえると嬉しいんだけど」
「はい。あ、これは昨日の本ですね」
「うん、読み始めたんだけど、結構難しくて」
「それなら……」

 ムラークくんが奥書院を見わたすと、昨日部屋を訪ねてきた何人かがこちらを向いていた。
 ムラークくんも少し困ったような顔をしている。

「コルグ流者の書かれた書ですから、僕よりもう少し上の僧侶に尋ねた方がいいと思うのですが……」

 ムラークくんの言葉で、今度は少し年かさの僧侶たちがこちらを向いた。
 ムラークくんも指名するのに困ってしまったようだ。
 そんな期待の目で見られても困るね……。
 
 廊下の向こう側からグアン師父がやってきた。
 グアン師父はシュトンさんの直属の師で、話したことはなかったけど、シュトンさんから名前は聞いていた。

「ご機嫌麗しく、グアンさん」
「美波浮者、ご機嫌麗しく。このようなところで、立ち話とは、なにかお困りでしたか?」

 小柄で細身のグアンさんは冬枯れた木のような印象の人だった。
 本のことを話すと、深いしわり刻まれた額でうなづいた。

「でしたら、わたしの部屋へおいでませんか? 少しばかりのお役になら立てるやもしれません」
 
 グアンさんの部屋は敷地の中でもずいぶん奥まったところにある北の一室だった。
 入ると同時に、たくさんの本が部屋のあちこちに積まれていた。

「すごいたくさんの本ですね。グアンさんはなにか研究されているんですか?」
「そうですね、わたしの術は内在型なので、研究というより探求と申しましょうか」

 グアンさんに勧められるまま、指し向かって座った。
 袂からおもむろに師筆を取りだすと、手のひらに「開」の字を書いた。
 字は薄い青い光を放って、手のひらからこぼれるように光が漏れ出している。

「さあ、それで、なにをお知りになにたいと?」
「あの……、ご存じと思いますが、わたしに浮流はみえません。何が起こっているのか教えていただけませんか?」
「そうですね。この部屋にあるすべての本は、わたしの印帳だといったらお分かりいただけるでしょうか? わたしの流術、開の字は、あらゆる知識を開きます。一度印帳に書き写したことならば、いかなることでも、呼び出すことができるのですよ」
「書き写したことなら何でも?」
「はこの寺に所蔵された書物、各地の寺や守長家、大名家に伝わる書物。わたしは人生の長い時間をかけてあらゆる本を書き写してきました。あなたが読み始めたというコルグ流者の本ももちろん書き写しています」
「すごい……、テストだったら一〇〇点満点確実ですね」

 今まで見てきた流術の中だと、かなり実用的な術だ。
 こんな術が現代日本で使えたら、あらゆるペーパーテストは朝飯前にちがいない。
 わたしは、コルグさんの本に書かれた内容について質問をした。
 まず、わからない単語が多いこと、寺の慣習などについて。
 そして、浮者のあり様と、ひとりひとりの人物像。
 
 グアンさんはわたしの質問をくみ取って、必要なことを細かく教えてくれた。
 グアンさんの「開」は、視覚的に開くことと聴覚的な開くこととがあるらしかった。
 いずれにしろわたしには見えないので、コルグさんの口伝で一つ一つ教えてもらった。

「まず浮者のことで知らなくてはならないことは、かつての浮者と今の浮者ではこの世界における存在形態が大きく変わったことでしょう。サイシュエンの場合、ほとんどの浮者が寺に身を寄せました。また、家庭を持っても、それほど離れた土地に住まうことなく、定期的にユーファオーの樹に浮を注力してくださいました。浮者たちの力も影響力も、流者に比べれば大きいものでしたが、今ほどの影響力を持つことはありませんでした。浮者の影響力が増したのは、印帳と師筆によるが記帳式が一般化してからです」 
「それまでは、個人個人がいろんなやり方をしていたと聞きました」
「今もそのやり方は可能ですし、一部の用途に限っては記帳式より有効です。ですが、現在記帳式を上回る術式はありません。習得方法の簡潔さ、容易さ、汎用性、機動性、多様性など、あらゆる利点がここに集結しています。この方法を開発した大将軍は、自らの立身とともに、この方法を世間にも広めました。それまで、浮流の力を持ちながらも、思うように発揮できなかった者たちが、この方法で大きくその力を開花していきました。各地に暮らしていた浮者も、この方法で自分たちの力の使い方を身につけていきました。そして、浮の力はユーファオーの樹に注ぐ以外にも大きな使い道があると気がついたのです」
「それまで浮者は力はあっても、うまく使えていなかったということですか?」
「個人差はありましたが、ごく簡単にいえばそうです。加えて、浮者はハナムン語やここでの生活様式を身につける必要があり、術を高めることよりも、生活基盤をつくることに注力しなければなりませんでした。それが、浮によって言葉の壁を超えることができ、浮による術を食料や金銭と替えることができるようになりました。さらには、大将軍は中央で浮者たちに庇護を与え、屋敷に住まわせ禄を支給しています。彼らにより高い浮術を学ばせ、実践させることで、中央は他の領地よりもはるかに強い権力を持つようになりました。今ではどの領地にもほとんど浮者はいません。かつてはハナムン人と共生するよき隣人であったのが、今ではこの世の最大の特権を持つ支配階級になったのです」
「具体的に浮者たちはどんなふうにくらしているのでしょう」
「中央では浮者の中にも位があります。大将軍を筆頭に、大老、老中、若年寄と続き、それ以外のものは旗本と呼ばれるそうです。浮者たちはその位によって、奉行とよばれる組織に属し、内政に携わっています。勘定奉行、町奉行、寺社奉行があり、ユーファオーの樹に浮の注力に来るのは、寺社奉行の中央浮者派遣団に属する者たちです。町奉行は中央の町を取り仕切る組織で、武力に秀でたものを集めた中央浮者兵士団があります。勘定奉行は各領地を治める大名を管理しており、こちらは毎年秋の終わりに中央浮者調査団が首都を訪れます」

 言葉のニュアンスが少しかみ合わない感じがするのは、恐らくは浮者がつくった概念が江戸言葉そのもので機能しており、ハナムン語の翻訳とその両方が織り交ざっているからだろう。辞書で一通りの言葉は学んだけれど、言葉が古すぎて、わたしの中で意訳したりアップデートして記憶してしまった部分も多い。違和感は少しあるが、これは少しずつすり合わせるか、慣れていくしかない。
 
「浮者たちは三つの奉行を通じてハナムンの十七の領地を管理する特権階級として生活し、ハナムンの民から暮らしのあらゆるものを手に入れます。浮者によっては、食べ物を栽培したり、布を織ったりといった生産を好み、そういった浮術を得意とする人物もいるそうです。ですが、一般的には十間の屋敷な住み、七色の着物に身を包み、八種の膳を食らい、流者の使用人を二十人従えて暮らしているといわれています。浮の注力は派遣団のみの仕事であり、そのほかの浮者がこれを担うことはありません」
「でも、浮が足りないと、作物は育たなくなって、人は生まれなくなってしまうんですよね?」
「その通りです。全国的な浮の減少による影響を懸念した中央が、浮者を各地に定住させることを決めました。浮の枯渇は、我々の暮らしだけでなく、その上層で暮らす浮者たちにも関わることですから、なにがしの影響がすでに出たためだと考えられます。しかし一方で今回の浮者定住は、中央によるより強い制御と支配をもたらそうとしているようにも思われます。ハナムン人にとっては、浮こそが最大の恵みですから、受け入れる以外の方法はありません」

 わたしは印帳にメモを取りながら、その字面を見つめて思った。
 クランが思い描くような関係づくりはかなり難しいかもしれない。
 昔の浮者との様子が違いが大きすぎる。

「浮者は長生きと聞いたのですが、それは本当ですか? ハナムンの人となにが違うのでしょうか?」
「この世界に循環する大いなる力そのものを身にまとっているので、ハナムン人よりも年を取らず長く生きるという浮者が多いです。我々の体の中を流れる流もまた命を巡らす力ではありますが、二つは似て非なるものです。とはいえ、流者も流の扱いに長けると、多少寿命が延びるという事例もあります」

 とすると、浮のないわたしは長生きはしないんだろうな。

「大将軍が国をまとめるようになって、五十年ほどだと聞きましたか、その間に反発などはなかったのですか? こんなふうに急速に階級差ができてしまっては、不満をもつ者もいたのではないでしょうか?」
「もちろん、そういうものもいましたし、ささやかな動きもありました。ですが、浮者の圧倒的な力を前に、抵抗することは死を意味します。不満を押しながらも、恭順するしかなかったのです。その一方では、乱雑な管理のもとに置かれていた領地の民たちにとっては、統制された管理の元、正しい徴税が執行されるようになったので、暮らしが安定したということもあります」
「テリ村のビアンさんの家は、農村地域でさすがに飢えるというほどではなかったように思いますが、それでも、ここに比べて貧しくて、着ているものも家も粗末でした。教育を受けられる環境もない様子にみえました。それがこの国の一般的な農民の暮らしですか? テリ村に比べれば、ミックさんたちのほうがちゃんとしたと着物を着ていますし、体つきもしっかりしていると思います」
「コルグ浮者があなたを旅に行かせたのは正しいご判断だったご様子。ここはユーファオーの樹に近い土地なので、農産物の生産量も多いのです。樹から離れれば離れるほど土からの恵みは落ちるでしょう。また、テリ村はマロー町に近いので物価が高いということも理由に挙げられます。教育においても、この国ではその役割は主に寺がになっています。しかしその寺も、地域の檀家からの寄進が集まらなければ、地域の有望な流の持ち主に教育を受けさせるだけの余裕を持てません。その第一要因として、印帳と師筆が手に入りにくくなっていることが挙げられます」
 
 なるほど、そういう地理的な影響や、社会の仕組みの影響があるんだ。
 大将軍の治政には良いところも悪いところもある。
 ビアンさんがいっていたことが少しわかってきたような気がする。
 でも、中央も浮者の定住という策を推し進めてきたということは、今この事態を良しとしているわけではないということだ。
 なんだか、日本史の教科書を読み返したい気分だ。
 こういうとき、幕府はどんな政策をしたんだっけ……。
 でも、日本の歴史にはない、浮流という力。
 これが、この世界を強く支配している。
 この国の人たちにとって、一番いいのは、どういう国なんだろう。

「美波浮者と旬浮者は、イスウエンにはいつごろお発ちになるのですか?」
「まだ、いつとは決めてないです。まだエレベーターで行く手はずも整っていないので」
「お二人は元の世界に戻る方法をお知りになりたいとか」
「はい。それはできないと聞きましたが、本当にそうなのか、他の浮者に聞いてみたいです」
「わたしの書き写した本の中にも、そのような事例はひとつもありません」
「そうですか……」
「しかし、浮者の国から人を呼ぶことについては、いくつかの記述があります」
「えっ、本当ですか!?」
「戻ることが困難ならば、左手だけの旬浮者のお体をこちらに呼ぶということもお考えでしょう」
「はい、できるのですか?」
「中央では多くの浮者たちがあらゆる浮術の研究と開発を行っていると聞きます。その中には、元の世界に戻ること、元の世界とつながること、元の世界から人や物を呼び出そうとすること、そうした研究が記録されています。元の世界から誰かやなにかを呼ぶという研究は、大将軍をはじめ、多くの浮者がその記録を書き残しています。成功したと思われる事例もいくつか載っています」
「ほ、本当ですか!」
「その部分を書きだして美波浮者に差し上げましょう。明日取りにいらしてください」
「ありがとうございます!」
 
 それからもグアンさんに今まで知りたかったことや、わからなかったことを訪ねた。

 中央による統制が行われる前、ハナムンの国には奉行に代わる管理体制がおかれていた。
 大名という名を大将軍から拝命されている彼らは、以前は領守と呼ばれていた。
 主ではなく、守り人という意味なので、世襲されることが多かったとはいえ、地域の人々から押されてなるという役割だったらしい。
 やはり、守長を取りまとめる、強い流の使い手あることが多かったそうだ。
 あまりにもその振る舞いが度を超す場合は、推挙が取り下ろされて解任されることになったという。
 あるいは、浮者によって追放処分やときにはそれ以上の処分が下されることもあったそうだ。

 浮者がこの領守や守長といった役につくことがなかったのかというと、そういう例もまれにあったらしい。
 だが、根本的に領地や領民を守るのは、ハナムン人たちの役割であり、浮を持つ浮者はその土地にもたらされた恵みの担い手である。
 担い手はときに、自然災害と同様に猛威を振るい、田畑や森林、海洋や山河をうちくずし、人々の命を簡単に押し流す。
 守り人というのは、浮者からハナムン人を守るという意味もあるのだ。

 そうしたハナムン人と浮者との均衡が崩れたのが、現在のハナムンといってもいい。
 現在イスウエンには守り人はいない。
 領守が浮者に成り代わったのだ。
 そういう意味では、ハナムンは現在危機に陥っているといっても過言ではない。
 以前のハナムンでは、浮者とのかかわり方が穏やかで、なだらかなものだったのに、今では絶対に逆らえない君主政治と同じだ。
 
 寺の持つ役割も注目すべきものがある。
 戸籍や穀物の取れ高、水揚げ量などの管理を領守らが担った一方で、信仰や教養、そして流術の伝授は寺がその役割を担っていた。
 領内で生まれた子どもは誰であっても、流が豊富で本人が希望するのであれば、寺で学ぶことが許される。
 その流術によって身を立てることもできるし、僧侶や尼となって栄誉ある働きに身を費やすこともできる。
 浮が自然の恵みであるように、流も個人が独り占めする力ではなく、民に還元すべきものと考え教えられるのだ。
 しかし、今はその役割さえも中央に握られようとしている。
 印帳と師筆の生産ができない。
 記帳法が広まったことで、流術の質が高まったのはよかったが、そのために必要なユーファオーの樹が浮者にしか採取できないのだ。
 わたしにも、ようやくその意味がわかりかけてきた。

「わたしにも、少しわかってきた気がします。今ここでなにが起こっているのか……」
「イスウエンにお行きになれば、よりはっきりとするでしょう」
「わたしには、大将軍のやり方が正しいのかどうかわかりません。本人に会ってみるまではわからないですけど、正直、独裁者だったら、怖いと思っています……」
「大将軍にはコルグ流者ですらお会いしたことがありません。ぜひイスウエンでお目にかかってください。そして、もしまたトラントランにお寄りになることがあれば、その人となりをどうぞ我々にお聞かせください」

 わたしは深くうなづいた。
 お世話になったこのお寺の人たちのために、なにか役に立つのならわたしはそうしたい。
 イスウエンに行った後、わたしたちはイスウエンに滞在することを決めたとしても、必ずここに報告しに来よう。
 きっと、クランのためにもなるはずだ。

 最後に、わたしたちがここへ連れてこられたときの黒い穴のこと、旬さんはなぜ左手だけなのか、手首に張り付いた深い闇、留洞のことを尋ねた。グアンさんは明言を避けた。それは流者には計り知れないので、浮者の特に浮術に優れた位の高い者に意見を聞いた方が良いとのことだった。

 お礼をいって部屋を出ると、僧侶たちがお膳をもって本堂へ向かうところだった。
 マシンくんたちの姿が見えた。
 列の最後にいたのは、配膳が均等だというキンセンくんだ。

「今日のお昼はなに?」
「み、美波浮者……、ご機嫌麗しく……」
「緊張しないで。前を向いて歩かないと危ないよ」
「は、はい。今日の昼餉は、押し麦のご飯と、青菜の味噌汁、ゴボウの古漬けと、山ぐるみのおかか和え、ねびるの酢漬けです」
「山クルミ、わたしの好きなおかずだ」

 キンセンくんがすこし表情を崩した。

「美波浮者はクルミがお好きですか? 僕も郷里でよくクルミを拾って食べていました」
「キンセンくんは海辺の村じゃなかったけ? 確か、ヒヌカシ村」
「えっ、よくご存じですね?」
「前にマシンくんから聞いたよ」
「そうです、海鮮業の村なのですが、山を背にしているので、山の幸も豊富なんです」
「いいところだね」
 
 海もあって山もあるなんて、都会っ子のわたしからしたら贅沢なリゾート地みたいに思えてしまう。
 そのとき、またあのイメージが浮かんできた。
 赤いピンだ。
 なんなんだろう、このイメージ。

 その晩、旬さんに今日のことを報告しながら、ふいに見えるイメージのことを聞いてみた。

「赤いピン? さあ、わからないな」
「でも、なんの脈絡もなく、急に出てくるなんて、なんか変じゃない? ユーファオーの樹に触ってからのような気がするの」
「美波の浮には変わりがないように見えるけど。もう一度樹に触ってみればはっきりするかもな」
「そうだね。浮者が来て、落ち着いたらもう一度森に行ってみようか。旬さんのほうはどう?」
「とりあえず、美波が転んでも怪我をしないように指輪に付与を足してみたぞ。うまくいってるかどうかわからないから、転んでみてくれ」
「なにそれ!」
「冗談だ。でも、やっぱり伸縮性がありながらもある程度の強度があって、なおかつ糸、布として形状を保持する物体をつくるのはかなり難しい。コルグさんのような毛糸っぽい触りが理想だと思うんだが、どうしても針金やゴムチューブみたいになってしまう」
「ポリ素材っぽいのとかはどう?」
「薄いアクリル板か、棒状になっても、ぽきぽきに折れてしまう。いっそ機織り機でも作るかとも思ったんだが」
「えっ、すごいね! それなら布が織れるの?」
「だめだ、結局細く柔らかい糸を物質化できない。魔法のローブはまだ先だな」
「そっか……」

「でも、エレベーターのほうは改善できそうだぞ。とりあえず、ガラス張りというのはクリアできそうだ。俺にはそっちの物理的な距離感と対象の触りまでの距離がリンクしていないから、正確な距離を表示することはできないが、大体の時間なら、表示板で表示できるぞ」
「わあ、すごい、旬さんさすが!」
「あとは、対象の近くまで来たら、美波が目視で開けたところへ誘導してくれればいいと思う」
「うん、わかった」
「あとは、いったことのない土地へどう行くかだよな」
「中央から来る浮者に、このエレベーターを見せて意見を聞いてみるかだね」
「グアンさんの話を聞く限りじゃ、どんな奴がくるかだな。浮者にも位があるなら、場合によっては対立するかもしれないぞ。簡単にこちらの術を見せるのはやめておこう」
「対立って、同じ浮者なのに……」
「美波はあんまり感じなかったかもしれないが、俺はグアンさんの話から推測するに、かなりきな臭いと思った。浮者が今どれだけいるのか知らないが、中央に浮者を集めたところで、全員が全員同じ考えでいると思うか?」
「それは……」
「浮者が来ても、はじめは様子見だ。どうせ相手もこちらが浮者であることは見抜くはずだ。相手の出方を見よう」
「うん、わかった」
「日本語が通じるからって、簡単に気を許すなよ」
「そうだね、そうする」
「顔を見たらすぐ俺にどんなやつか報告してくれ。身長や体格、顔とかな」
「うん、わかった。でも、顔も? 旬さんにはみえないんじゃ?」

 左手の指が止まっている。
 どうしたのかな……。
 あれ、もしかして、心配してるのかな?

「旬さん、笑って?」
「え?」
「笑って? 見えないけど、笑って」
「わかった」

 わたしは旬さんの手を握って目を閉じる。
 瞼の裏に、旬さんが笑っている映像が映る。
 職場で初めて見せた笑顔、クレーンゲームでおもちゃを取ってくれたときのドヤ顔と誇らしげな口元、ゲームをクリアした時の興奮の笑顔、グラタンを食べて熱さで涙目になりながらめっちゃ美味しいって笑ってくれたときの顔、わたしがプロポーズに応えたときのほっとした笑顔。
 全部大好き。

「旬さんの笑顔が大好き」

 旬さんの手がそっとわたしの頬に触れ、首の後ろに回った。

「今、キスした?」

 感触があるわけではない。
 でも、首の後ろに手を回す仕草は、旬さんがいつもキスするときの仕草だ。

「キスした。美波が好きだ」

 空中に書かれたラブレター。
 頭が一瞬で沸騰してしまう。
 うれしい。

「この文字一生消さないで」

 そういった瞬間文字が消えた。
 いじわる!
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