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21、リハビリ
しおりを挟むクランに話せるようになって、ようやくわたしは自分でリハビリに取り組む準備ができた。
それでも、初めはまったく動かせず、膝から下が棒のようだった。
コルグさんが診てくれたが、やはり足はちゃんと治っているという。いわく、わたしは足の腱を切られた衝撃で、魂に深い傷を負っているのだという。だから、足が動かないのだ。
「切られたのに、治ったのは、旬さんのおかげ……だよね?」
あのときの青い光は、きっとそうだと思う。
ひたすらに握り続けていた旬さんを手放すと、旬さんは筆を取った。
「すぐに助けられなくて、ごめん。美波の足は俺が治した。あの状況で、どうにかしなきゃいけないと思って、とにかくあいつらから美波を守れればなんでもいいと思った。俺にも突然だったけれど、急に指輪がいうことを聞くようになったんだ。気がついたら、俺と美波のまわり、多分半径一〇〇メール位だと思う。なんにもなくなってた」
「なんにも……」
「白い塵だけが舞ってた。跡形もなく。その真ん中に、俺と美波だけがいた。美波の体からエネルギーが流れ出てるのがわかった。切られた足首にすぐ術をかけた。そのときは俺の頭の中は、元に戻れ、それしかなかった。傷がふさがったのがわかった。そのあと、テレパシーでマシンを呼んだ。あいつの流が一番掴みやすかったからだ」
そのときのことはすでにローワンさんたちからも聞きおよんでいたらしい。
コルグさんが穴埋めするように語った。
「ローワンらは美波浮者の姿が見えなくなって、すぐに辺りを探したそうです。かなりの人出で目視では見つけられず、ローワンが旬浮者の浮をたどる術でおふたりの場所を見つけだしました。そこへ向かう途中、突然強い光とともに熱風が沸き起こったそうです。息を飲むかのような一瞬の出来事だったそうです。まるでそこだけが高熱で燃やし尽くされたように、真っ白く焼き払われていたそうです。建物、石畳、植物、人。すべてが跡形もなく。これは旬浮者の術式よってなされたのです。それも、にわかには信じられないような威力で」
旬さんの手にそっと手を伸ばした。
「約束通り、守ってくれたんだね……」
「体しか治せなくて、ごめんな」
「ううん、旬さんが治してくれたんだもん、わたし歩ける。がんばる」
それから、わたしは毎日出された分の食事をちゃんと食べ、ゼンジさんのまずい薬湯も残さず飲んだ。
コルグさんが流術で靴を軽くしてくれたり、クランとミックさんが代わる代わる足湯とマッサージをしてくれた。
歩行訓練にはクランやマシンくんが付きあってくれた。
わたしの様子を見計らって、ムラークくんやシュトンさんが本を持ってきてくれたり、ターマンさんがクワンランを弾きに来てくれた。
部屋の外に出られるようになると、サンクーくんや他の僧侶たち、檀家のみんなも次々に声をかけてくれるようになった。
わたしも少しずつ、みんなとしゃべれるようになり、ほほえみを交わすことができるようになっていった。
トラントランに帰ってきた。
ここの人たちはみんな、わたしを傷つけたりしない。
そのことが、少しずつ体にしみこんでいって、春、わたしはようやく一人でも歩けるようになった。
わたしはクランと修練場に立っていた。
すぐにマシンくんが手を振ってくれた。カーツさんも年下の僧侶たちの手習いをしていた。
今日は珍しく、ムラークくんまでもがいる。
「美波浮者、ご機嫌麗しく。今日の調子はいかがですか?」
「うん、もうほとんど支えなして歩けるよ。ゆっくりだけどね。これから奥書院まで行ってみようと思って」
「お供しましょうか?」
「クランもいるし、大丈夫だよ。ありがとう。それより、カーツさんに聞きたいことがあるんだけど」
マシンくんがカーツさんを呼びに向かった。
カーツさんが呼ばれると同時に、ムラークくんが崩れるように尻もちついたのが可笑しかった。
「美波浮者、お呼びですか?」
「すみません、後進育成のお忙しいところを。寺に戻って以降ビアンさんを見かけないので、どうしたのかと思って。まだ、ビアンさんにはお礼も回復の報告もしてないんです」
「それでしたら、心配はご無用です。実家の叔父の具合が良くないとの連絡を受け、急遽テリ村に残ることになったのです」
「そうだったんですか……、それはご心痛ですね。手紙を書いても差し支えないでしょうか」
「美波浮者のご容態はわたしから知らせてあります」
「わたしからもお礼と、お見舞いを伝えたいんですが」
「でしたら、わたしも近々また出す予定ですので、わたしの手紙と一緒にお出ししましょう」
「助かります。書いたら持ってきますね」
カーツさんは整った表情をさっと下げて黙礼すると、少年たちの元へ戻っていった。
それと引き換えに、マシンくんとムラークくんがこちらへやってきた。
ムラークくんの足取りは少しよろよろしている。
「美波浮者、ご機嫌麗しく……」
「ムラークくんがこの時間修練場にいるの珍しいね?」
「はい、今日は故郷の守長のご来訪があるので、気合を入れようと思ったんですけど……」
「ああ、ムラークくんとマシンくんは、同じムネ町の出身だったね。ムネ町の町長さんが来るんだ」
「チョーチョー……、はい、まあそうです……」
「僕たち、これからお迎えの準備なんです」
「へえ、なんだか誇らしいね」
突然クランが、フンと鼻を鳴らした。
「守長だけならいいけどね」
「どうかしたの、クラン」
少年ふたりを見送った後、クランは唇を尖らせた。
「たぶん、あいつが来るんです。決まってる」
「あいつって?」
「守長の一人娘のマッカリです。あいつとは昔から全然馬が合わなくて」
「お嬢様のクランが、あいつ呼ばわりするなんて、穏やかな相手じゃなさそうだね」
「お嬢様というなら、マッカリは確かにお嬢様ですね。ムネ村のキリ家といえば、もう何十年も守長をやっていますから。守長は領主と違って世襲制ではないんですが、キリ一族はなかなかやり手なんです」
「ふうん、じゃあ、顔を合わせないほうが精神衛生上よさそうだね」
「それがそうもいかないんです。あいつの性格からして、絶対嫌味の一つでも聞かせてやろうっていう、ひねくれ根性で来るんですから」
そんな話をしながら、奥書院まで行って帰って、部屋に戻った。
クランは顔を合わせたときに嫌味を言われないように、一番いい服を着てくるといって部屋を出て行った。
やっぱり、おしゃれは女性の戦闘服だよね。
でもそっかあ、知っていたら、アクセサリーづくりを急いで取り掛かったのになあ。
とはいえ、海は帰りによる予定だったから、貝はひとつも拾えなかったんだよね。
森でなにか探さないと、全然パーツが足りない。
マシンくんたちに手伝ってもらおうかなあ。
そういえば、前にクランが置いていってくれた香水があるけど、これ使わないのかな。
テーブルに、五〇〇ミリリットルは裕に入りそうな飾り瓶がある。
これは、いつだったかクランが薬湯の匂い消しにと持ってきてくれたものだ。
中身は柑橘系とハーブを取り混ぜた香水で、とてもいい香りがする。
ただ、香りの強いパフュームのようなものでなく、コロンのようなごく短時間しか持続しないものだ。
薬湯を飲んだ後に使っているが、すぐに香りが飛んでしまうので、いまでは部屋の芳香剤のような感じで使っている。
「美波、どうでしょうか、変じゃないですか?」
クランが淡いピンクと濃いピンクの重ねの着物を着て小走りにやってきた。
「とても似合うわ」
「髪はみだれてませんか?」
「待って、今梳かしてあげる」
もともと美人なクランはなにを着ても似合う。
できれば、強めの赤の紅を指したら、ぐっと女性らしくあでやかになると思う。
でも、そこはお寺の娘としての節度が、クランを押しとどめている。
「クランのお婿さんになる人は果報者だよね」
「ふふ……。そういっていただけると、うれしいです」
「香水は?」
「あっ、そうでした!」
クランは断って飾り瓶を手に蓋を取った。
香水を手に取って、首や手に首にまとうのだと思っていたら、クランは唐突に香水瓶に口をつけてごぐごくとあおった。
はー、といいながら、瓶の三分の一くらいを飲み干してしまった。
「ク、クラン! なにしてるの⁉」
「え? なにって?」
「香水なんか飲んで、おなか壊しちゃう!」
「えっ、どうしてですか?」
よくよく聞いてみたら、ハナムンの香水は、植物と水、蒸留酒を原料に香り成分を抽出した無添加のものしかなく、口に含んでも全く害がないのだそうだ。
びっくりした……!
そういえば、白黒映画で、女優さんが香水を飲んでいるという映像を見たことがある。
そうか、それと同じだと思えばいいんだ。
マウスウォッシュとデオドラント、コロンとルームフレグランスを全部一緒くたに使えるもの、という感じなんだね。
「浮者の国の香水とは使い方が違うのですね。わたしはてっきり、この味があまりお気に召さないんだと思っていました」
「香水にしてはずいぶん量が多いなと思ってたの。今度からそうやって使ってみるね」
「すみません、説明不足でした。夏になれば新鮮な植物で好きな香りがつくれますよ、一緒に作ってみませんか?」
「わあ、それ楽しそう!」
クランは香水作りに使われる植物の名前を挙げた。
薬草として使われるものも多く、美容効果のあるものを混ぜたりしてもいいらしい。
「薔薇の赤い実は、血をさらさらにして、お肌にいいですし、蓮の実は栄養豊富です。白いんげん豆は甘いものを食べすぎたときに飲むといいですよ」
「へえ~、クランも薬学に詳しいんだね。いつもはゼンジさんの分野だから、知らなかった」
「といっても、わたしは美容専門ですけれど。そうだ、これから薬房にいってみませんか?」
「うん、興味出てきちゃった!」
連れ立って薬房へ向かう途中、マシンくんとムラークくんが、身なりのいい男性たちを案内しているのが見えた。
あれがきっと、ムネ町の守長一行だろう。
しかし、クランの予想に反して、女性の人影はなかった。
「あー、よかった! きっと季節の変わり目で風邪でも引いたんだわ。顔を見なくていいと思うとせいせいします」
「あらあ、お懐かしい人の声がしましたわあ」
わたしとクランは顔を見合わせた。
薬房に向かう途中の庭先で、豪華な織物の着物を着た、派手目の女性が扇子を仰いでいた。
クランにエンジンがかかったのがわかった。
「これはこれは、誰かと思えばマッカリ・キリじゃありませんか。供のものもつけずに、このようなところでお目にかかろうとは」
「ひさしぶりにお目にかかったというのにい、ずいぶんじゃあありませんことお? クラン・ファあ?」
なんだか、ずいぶんと間延びしたのものの言い方をする人だ。
一見した印象をステレオタイプに分類するなら、バラエティ番組のおバカあるいはおっとりアイドル枠かな……。
でも、わざとなんだろうか?
寺を訪問するにそぐわない派手な服や、若いのに濃すぎる眉や紅。
わざとらしい瞬きの仕方や、ちょっとオーバーなしなっぽいしぐさ。
確かにクランとは合わなそうだ。
「春の池の風情にい、誘われたのですう。トラントランにくるのは、一年ぶりですものう」
「そうでしたの、ぜひ楽しんでいらして。わたしたち急いでますので」
「その前にい、面白い話を耳にしたのう。ぜひ、旧友であるあなたにお聞きしたいわあ?」
「あら……、わたしにお答えできるかしら」
答える気のまったくなさそうなクランが眉を上げた。
マッカリも全く動じていない。
「首都でのお噂はもうお耳に入っているでしょう? 一瞬にしてえ、街の一角が灰になったという摩訶不思議いなお話い」
すうとクランの目が細まった。
この話って、旬さんの術がはじめて発動した時のことだ。
トラントランに帰ってきたからそのことを知ったわたしは、実際のマローの街を見ていない。
半径一〇〇メートル一帯がすっぽり焼け落ちた、その騒動は誰がどう収拾したのか、わたしは全然知らないのだ。
「僧侶たちがあ、灰の中に取り残された若い女性を助けたことはあ、サイシュエンばかりかハナムン中の人が知っているのう」
「それで?」
「すごい浮者のようねえ、ぜひい、お目にかかりたいわあ」
「そうねえ、あなたにその機会があればといいけれど」
クランはさらりとかわす。
マッカリの口から聞くまで、わたしはあの日のことが、対外的にどう映っているかを考えたこともなかった。
そうだよ、考えてみたら、後は知りませんで済ませていいことじゃなかったのに。
「あらあ? ときにい、あなたのお隣にいらっしゃるのはどなたなのう? はじめてお見掛けするお顔だわぁ」
「いけない。あなたとはいつまででもお話していたいけれど、わたくしたちそろそろ行かなくては、残念だわ」
マッカリは扇子をぱたんと閉じた。
その目は笑っているように見えるけれど、醸す雰囲気はかなり重い。
「ここは悠久の西の最果てえ、名高き古刹う。せっかちは似合わないわあ。あなたってばあ、子どものころとちっとも変わらないわねえ」
「せっかちはあなたのほうじゃない? 今日はわたしより十も先に歳を取ったみたいに見えるわ」
「んふふ……。そうかもねえ。今日わたしがここへ来たのは鑑定のためですものう」
マッカリはここぞとばかりに、しなをつくった。
「近々、中央から浮者が派遣されるのは知っているでしょう? 中央はその浮者にこの土地のユーファオーの樹を託すとお決めになったみたいなのう。ひいてはあ、サイシュエンの身分ある家から嫁を娶るのがお決まりい。そうでしょう?」
「あら、それがあなただっていうの? せっかちも過ぎるわね」
「それはわからないわあ。ただあ、流の量からいってえ、あなたよりはわたしの方が可能性があるわねえ」
「それで触りの鑑定に?」
「ええ、知っておくのと知らないのとではあ、雲泥の違いよねえ。高い寄進を摘む甲斐はあ、あるわねえ」
「ご精が出ますこと、ではごきげんよう」
「あらん……」
にっこりと微笑んで、クランは話を切り上げた。
マッカリはもう少し引っ張りたかったのだろう。
そうすれば、彼女はクランにわたしを紹介させることができたかもしれない。
クランもマッカリも、互いの手の内を知り尽くしているみたいだった。
薬房に入ると、クランは作業中の小坊主さん達に適当な用を言いつけて追い出した。
「やっぱり思った通りだった……!」
「マローのこと? それとも、派遣される浮者のこと?」
「両方です。父親に、わたしに探りを入れるよういわれてきたんでしょう。縁談への横やりでわたしに火をつけようと思ったみたいですけど、そんな簡単に乗せられるもんですか」
「わたしよくわからないんだけど……」
クランの話はこうだった。
サイシュエンにユーファオーの樹に浮力を注ぐ浮者が一人もいなくなって十数年。
毎年、中央派遣浮者団による浮の注入で、それをやり過ごしてきた。
東西南北に配するユーファオーの樹は、ハナムン全体における浮の循環の多くを担っている。
近年、サイシュエンでもユーファオーの樹が少しずつ細く減退してきている。
よって、中央は、東西南北の領地に、浮者を定着させることを決めたのだ。
由緒あるトラントランの住職の一人娘であるクランは、その嫁候補の筆頭である。
ただ最終的に選ぶのは浮者なので、年頃の娘を持つほかの村や町の守長が横やりを入れようというのは不思議ではない。
マッカリが触りの鑑定を依頼しに来たのは、浮者に触りを近づけるためである。
例え触りが異なっていても、相手と自分の違いを理解しておれば、無用な反発を避けられるし、触りが互いに近ければ、術を溶け合わせることが容易になり互いに利益が大きい。
クランいわく、キリ一族はかなり流の量が多い。
しかも、マッカリは幼いころから触りを様々に変化させる訓練を積んでいる。
流術を極めるためではなく、有利な婚姻を得るために、嫁ぐ相手、もしくはもらう婿の触りに合わせられるようにと訓練しているのだ。
キリ家のように、流の力を権力のために利用しようとする大名や守長、商家は多いという。
だとすれば、浮者はマッカリに預けて、クランはゼンジさんと一緒になればいいのでは?
わたしはそう思ってしまうのだが、やっぱりそれではだめなんだろうか?
コルグさんを尊敬するがゆえの気持ちはわかる。
けど、好きな人と一緒になるということと天秤にかけたとき、クランの中でどのような針の揺れ方をしているのだろう。
「マローでのことって、世間的にはどうなっているの?
わたし、自分のことでいっぱいで、全然考えが足らなかった。
町の一角が消えて、たしかコルグさんは人も消えたって言ってたよね。
関係ない人にも被害があったっていうことだよね?」
「それは仕方ないです。美波の心と体はそれどころじゃなかったんですから」
「だけど、亡くなった人や、家を失った人がいるってことでしょ?」
クランはいいにくそうにしながらも、知る限りのことを話してくれた。
建物の中やその付近にいて、光とともに消えた人の数は少なくとも三十二人だったそうだ。
その中にわたしを襲ったふたりが入っているかどうかはわからない。
失われた人命や住居家財などへの補償は、天災と同じ扱いとして、中央が遺族に支払って片が付いているそうだ。
ただし、誰によって、なぜこのような甚大な消失が起こったのかは、目下捜査の途中なのだという。
「中央から、わたしと旬さんについて、なにか問われているの?」
「父のところにはなにかしらが来ていると思います。なにがあったのかをある程度報告したとも思います。ただ、美波が回復したことは、まだ言ってないと思います」
「様子を見守っていてくれてるんだよね、それは感謝しなきゃ。でも、それでコルグさんやトラントランのみんなが責任を負わされることはないよね?」
「わたしたちの心配はいりませんよ」
「ぼんやりしすぎだね、わたし。みんなに守ってもらっているあいだ、全然気が回ってなかった」
「過ぎたことを考えすぎてはいけません。誰にも想定できなかったことです。浮者の目覚めには、ときとしてこういうことはよくあるんです」
「そうなの……?」
「はい。ただ、今回は旬浮者の浮の量がとても大きかったので、その影響も大きかったということです」
クランのいっていることはわかる。
だけど、頭がいっぱいだよ。
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