【完】仕合わせの行く先 ~ウンメイノスレチガイ~

国府知里

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シリーズ2 ~ウンメイノイレチガイ~

Stoty-1 汽車旅(2)

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 王宮を出る前、政務官アリテはハリーにこのような提案をした。

「時間は限られています。
 まず、隊を二つに分けましょう。
 殿下とベリオ殿とわたくしは、遊歴するリバエル貴族とその共として、汽車でザルマータへ向かいます。
 そして、モリスと君とベンジーく君は、馬でシーラ・パンプキンソンの足跡を遡ってください」

 アリテはリバエルの政務部きっての切れ者だった。
 主に内政に関わり、外交に出向くことはめったにない。
 だが、次期政務官長といわれるだけあって、あらゆることに目を配らせ、その策をふるうことができた。
 また、それはベリオも同じで、その仕事ぶりは迅速で徹底したものだった。

「では、部下に変装用の服を用意させます。
 私は用心棒に変装しましょう。
 そのほうが、殿下の手足として、町を動き回りやすいですし、おおっぴらに武器を持つ理由になります。
 殿下、アリテ殿は最小限かつ、目立たぬものをお持ちください。
 モリス、ベンジー、お前たちは己の身を守れれば十分だ。
 それよりも、シーラ・パンプキンソンを探しているのが、殿下だとは悟られないようにするように。
 無用なうわさや騒ぎなどもってのほかだぞ。
 平民を装ったほうが、聞き込みは楽だろうと思うが、やり方は任せよう。
 そちらの様子は定期的にこの宿へ知らせろ。
 わかったな」

 ベリオはモリスに地図と連絡先の宿を記した紙を渡した。
 そして、素早く準備を整えると、ハリーとベリオ、アリテは出立した。
 ハリーとは別隊となったモリスとベンジーも間をおかずに出立をした。
 ハリーのともをできると思っていたモリスはあらかさまにがっかりしたが、先輩に異を申し立てることはできなかった。

「くっ、なぜ、こんなことに。せっかく、殿下とともに汽車の旅を楽しめると思っていたのに」
「しかも、モリスさんが毛嫌いする平民のふりまでする羽目になるとは思いませんでしたね」
「全くだ、だが、それも仕方あるまい」

 ふたりとも、もっと朗らかで気楽な旅を想像していたのだ。
 汽車に揺られて景色を望みながら、士官学生時代のようにわいわいとした気分を味わえると思っていた。
 だが、まったくその当ては外れてしまった。
 ふたりは馬を並べながら、旧ダモ縫製工場、すなわち現ドク縫製工場を出て、隣町への街道にむかってすすんでいる。

「しかし、シーラの元ルームメイトがいろいろ話をしてくれてよかった。

 まずは、街道へ出てビリル町だ」

「そうですね。
 彼女もシーラのことを心配していたようですからね。
 彼女の証言は、大事な手掛かりになります」
「そうだな。
 シーラが故郷を目指していることはおそらくまちがいない。
 隊を二つに割け、一方は今のシーラの足跡を追い、一方は過去のシーラの足跡を遡る。
 二つの足跡を追うものの、行きつくところしいずれ同じということだ。
 さすがはアリテ殿。
 この策は確かに的を得ている」
「ええ、ハリー様はきっとシーラを見つけられるでしょう。
 まずは、ビリルでシーラのことを覚えている人間を探すことからですね」
「ああ。
 それはそうと、ベンジー。
 さっきから何を見ているんだ?」

 モリスはベンジーの手元の小さな紙をのぞき込んだ。

「あ、これは、姉さまとマチルちゃんの写真です」
「たった一か月のことだろうに、おおげさな」
「おおげさではありません。
 姉さまとマチルちゃんと一か月もはなれるなんて、初めてなんですから。
 おおげさというなら、モリスさんこそ。
 さっきハリー殿下の写真を胸にしまっていましたよね」
「俺だって、殿下と一か月も離れるなんて初めてなんだ。
 大げさなものか」

 ふたりは互いにその点を譲る気はないようだった。

 ・・・・・・・・・・

 リベル王都から最も近いビリルという町で、シーラはいくつかの店で簡単な頼まれ仕事をしたらしい。
 モクの宿屋のサラというものに世話になったと、シーラはルームメイトのマリに話したそうだ。
 宿屋の亭主がモク、その妻がサラであった。
 ふたりはシーラのことをはっきり覚えていた。

「ああ、シーラならここでしばらく給仕やなんかを手伝ってもらったよ。
 リベルでお金をためて故郷へ帰るつもりだといってたね。
 え、故郷がどこかって?
 ザルマータのどこかっていっていたけどね、あまり聞きなれない名だったから忘れちまったよ。
 でも、シリネラやサリタヤのようなよく知られた地名でないことは確かだよ。
 ゼルビア?
 うーん、そんなような名だったかもしれないねぇ」

 サラはシーラがちょっとした芸を持っていて、一度それを宿のみんなに披露してくれたことをふたりの若い男たちに話した。

「シーラはここへ来る前に、芸人だったか移動歌劇団だかのようなところにいたことがあったらしくてね。
 そこで覚えたのかどうかわからないけど、歌と寸劇を合わせたようなそんな芸を見せてくれたことあったよ。
 マハリーク、リーク…だったかね。
 ちょっとわたしにはうまく歌えないけどね。
 でも、その歌は口癖のようにいつもくちずさんでいたね」

 旅芸人ともなれば、シーラ・パンプキンソンなどというおかしな名前を名乗っていたのもうなずける。

「一座の名前かい? なんといったかねえ、ド、ド…。
 たしか、タルテン国を巡回している一座で、ドノバン歌劇団、じゃなかったかしらね」

 モリスとベンジーはそのままモクの宿屋に部屋をとった。

「モリスさん、ドノバン歌劇団といえば、由緒あるタルテン国立劇場の歌劇団ですね」
「たしかに、以前にもシーラはなにか歌っていたということがあったな。
 縫製工場のルームメイトもそう証言していた」
「シーラは歌手だったのでしょうか」
「いや、宿の奥方の話しぶりでは、歌劇団に在籍していたというより、巡回移動する歌劇団に同行していたことがあった、という感じだった」
「ドノバン歌劇団の本部を訪ねてみましょうか。
 そうすれば、誰かシーラとかかわったものと会えるかもしれません。
 そうでなくても、歌劇団が今どこを巡業しているかわかるでしょう」
「ああ、そうしよう」

 ・・・・・・

 翌日、さっそくタルテン国へ向かって出発したモリスとベンジーだった。
 偶然にもそのドノバン歌劇団は、ビリルからほど近いシビルにいることが分かり、ふたりはシビル町に向かった。
 事情を話すと、シーラを知っているという一座の何人か話を聞かせてくれた。

「ああ、パンプキンちゃんね。
 私たちは、シーラのことをパンプキンとかパンプキンソンと呼んでいたの。
 その時、同じシーラという名前の先輩がいたから混同しないように。
 故郷へ帰るためにリベルで汽車代を稼ぐつもりだって言ってたわ。
 たまたまペグロランからベリテモンロまで歌劇団の馬車に相乗りさせてあげたのよ。
 ロッキーなら詳しく知ってるとおもうわ」

 ロッキーは劇団の世話や御者を務める男で、馬車移動の間シーラはこのロッキーの隣に座っていたのだという。
 しかし、ロッキーという男は無口な男で、シーラと大して話もしなかったという。

「パンプキンは俺になにか果物の砂糖漬けをくれたよ。いい子だった」

 団長のボクスマンはこう記憶していた。

「ああ、覚えているよ。
 たしか、汽車に乗れなかったので一人で歩いているところをロッキーが見つけて、声をかけたのさ。
 秋の終わりだったな。
 もうあたりは薄暗くなり始めているってのに、女の子がひとりでぽつぽつ歩いているんだからね。
 そのときパンプキンソンが言うには、みしらぬ女に切符を譲ったんだそうだ。
 その女というのがもう先が短いらしく、死ぬ前にタルトランに住む息子の顔を見たいと泣きつかれたらしい。
 パンプキンソンは代わりにウールの厚手のコートをもらったといっていたよ。
 なんとも愁傷じゃないか、ええ?
 うちは御覧の通りかしましい大所帯だからね。
 ひとりふたり増えたところでかまわないのさ。
 気さくで明るい子だったし、歌や踊りも好きなようだった。
 衣装の繕いや、劇団員の髪すき、なんでも返事一つでやるから、女連中にかわいがられていたよ。
 どこへも行く当てがないならうちに入るかいって聞いてみたら、家に帰る途中だって言ってたね。
 ベリテモンロの町でおろしたよ。
 ペグロランの前にどこにいたかって?
 さあ、どうだったかな…。
 いや、でも、珍しい食べ物を持っていたな。
 タルテン国ではめったに食べない、黄色い果物の砂糖漬けの小瓶を持っていた。
 あれだ、オレンジのような柑橘系の果物だといってたぞ。
 残念ながら、俺は口にできなかったけどな。
 ベラディナが風邪をひいたときにもらったといたと思う」

 劇団員のベラディナはその果物の砂糖漬けのことを覚えていた。

「たしか、レモンといっていたわ。
 タルテン国ではあまり柑橘系の果物が採れないのは知ってるでしょ?
 だからオレンジだってザルマータ国やリバエル国から運ばれてきたものを時々口にするくらいなの。
 でも、そのオレンジよりももっとすっぱくてさわやかな香りがしたわ。
 シーラがその砂糖漬けと蜂蜜をとかした飲み物を作ってくれたの」

 モリスとベンジーも、レモンを知らなかった。

「レモンという果物が手掛かりの一つですね」
「ああ、ともかく、次はタルテン国ペグロラン町を目指そう」
「しかし、聞くところによれば、シーラは大変なお人よしですね。
 どうして故郷に帰るためにかった切符を、泣きつかれたとはいえ見知らぬ人に譲ったりしたんでしょう。
 それに、珍しいレモンの砂糖漬けを分け与えたり」
「さあな、平民の考えることなど私にはわからん
 それが事実かもどうかもな」
「疑り深いですね」 

 シビルを出立の前にモリスとベンジーは、ハリーに向けて、手紙を送ることにした。
 ひとまず、これまでに分かったことを報告するためだ。
 固有名詞や特定の内容は、あらかじめ決めておいた暗号や記号に置き換えて書かれた。

「ハリー様はそろそろシリネラについたころだろうか」
「そうでしょうね、あちらの探索も進んでいるといいのですが」

 ・・・・・・

 遊歴の貴族の青年に扮したハリーと付き人のアリテ、用心棒のベリオは、シリネラ駅に降り立っていた。
 ホテルに宿をとると、さっそくベリオは聞き込みに出掛けた。
 ハリーが自分も平民のふりをして聞き込みしたいというのを、アリテが手厳しくいさめた。
 しかし、おとなしく言うことを聞いているようなハリーではなかった。
 アリテが少し目を離したすきに、ハリーはホテルの部屋を抜け出していた。
 ハリーは手近な店で平民服を手に入れると、それに着替え、町へ出た。
 町の中心部から、王宮へ続く街道をみわたし、大小の通りと連なる屋敷と店を通り抜け、港まで歩いた。
 ザルマータ国はリバエル国と同じ沿岸の国であるが、その国土はリバエルの四倍ほどある。
 内地には豊かな山林と農地があり、港には漁船、貿易船が見え、市場も潤っている。
 ザルマータが安定しているということは、リバエルも安泰ということだ。
 南海道線を行く汽車はザルマータ、リバエル、フィッシャーをわたり、この三か国は大小の違いはあれど、三兄弟のようなものだ。
 リバエルは、右はフィッシャー、みだりはザルマータからあらゆる文化、情報を受け入れてきた。
 それに比べて北のタルテン国は国土だけで言えば、三兄弟の父以上に匹敵する。
 タルテン国は背中に鉄鋼山を背負い、自国力だけで国内を往来する北陸線の鉄道を持つ。
 国家の力とすれば、はるかに強大である。
 現在盟約は保たれているが、かつてこの大陸にも争いがあり、その歴史が国境としてその記憶をとどめている。
 決して望んだりしないが、もし戦となれば、南の三カ国同盟と、タルテン国の戦いとなる。
 つまり、隣国の平安は、わが国の平安。
 隣国の戦は、我が国の戦というわけだ。
 ハリーは潮風を頬に受けながら、港を歩いた。
 もし、この街にシーラがいるとすれば、ゼルビアへ行くための旅費をどこかで稼いでいるはずだ。
 ザルマータ国シリネラ町がこのように平穏な時でよかった。
 そうでなければ、いかに旅慣れたものといえど、やはり女の一人旅は危うい。
 ハリーが町へ向かって踵を返したその時だった。

「お兄ちゃん、サッティバお兄ちゃんでしょ?」

 その声に振り向くと、十五くらいの女の子が涙を浮かべながらたっていた。

「おにいちゃん!」

 少女はハリーに抱きついた。
 ハリーが目を丸くし、言葉を失ったのは言うまでもない。

 ・・・・

「ひ、人違いだよ、君…」

 ハリーは貧しい貸し部屋の一室にいた。

「いいのよ、お兄ちゃん。わかってるから」

 なにをわかっているのだろうか。
 少女は部屋のドアに鍵をかけ、その上につっかえ棒を差し、窓はカーテンを閉じ、ろうそくに火をともした。
 少女は部屋の隅のベッドによると、そこに横たわる老女に声をかけた。

「お母さん、お母さん。起きて、ねえ、見て。お兄ちゃんが帰ってきたのよ」

 ベッドから起き上がったのは、やせ細った年おいた女で、少女の母親だった。

「サ、サッティバ…、よく、よく無事だったね…」

 母と娘は見る間に涙をぽろぽろとこぼした。

「あ、あの…」
「いいんだよ…。わかってるよ、サッティバ…」

 だから、いったい何をわかっているのだろうか。
 ハリーにはちっともわからない。
 少女があまりに必死にそして強引に引っ張るものだから、じゃけんにもできずついてきてしまった。
 だが、どう考えても、この母娘は、ハリーをサッティバという息子・兄と思い違いをしているようなのだ。

「お兄ちゃん、本当に無事に帰ってきてくれて、本当にうれしい」
「さあ、ミッシュア。サッティバになにか温かいものをあげておくれ」
「そうね、今お茶を入れるわね」

 出てきたお茶は、湯に少し色がついたというだけの、薄い茶だった。
 ハリーはカップとふたりを交互に見詰めた後、口を開いた。

「あの、なにか誤解があるようです。
 私は、…ドイルといいます。
 さきほどから私のことをサッティバと呼んでいますが、わたしはサッティバではありません」

 すると、ミッシュアが気づかわしそうに笑った。

「いいのよ、お兄ちゃん。
 私たち、お兄ちゃんがわるいなんてこれっぼっちも思ってないの。
 だって、悪いのはお父さん、ううん、あんな人、お父さんじゃない。
 あのね、あの人はお兄ちゃんがいなくなってからすぐに死んだの。
 私たち、そのおかげで、お兄ちゃんのおかげで、こうして生きてこられたのよ。
 あのままあの人が生きていたら、私もお母さんも、今日ここには生きていないもの」

 母親がさめざめと泣いた。

「あの男がわたしたちをさんざんいたぶって、たえきれなくなったお前が、あの男を殴りかえしたあの日。
 あの後、あの男はまだ生きていたよ。
 お前は、実の父親をころしてしまったと思って逃げてしまったからしらなかっただろうけど、あの男はまだ生きていたんだよ。
 だから、お前は人殺しじゃあないんだよ。
 頭から血を流して倒れたあと、あの男はすぐ気がついて自力で立ち上がったのさ。
 だけど、目は真赤に血走っていた。
 酒が回って、痛みも感じてないみたいだったよ。
 そして、お前の名前を叫びながら、お前を追うために家を飛び出したのさ。
 その直後、馬車とかち合って、あの男はそれで本当に死んじまったのさ。
 だから、あんたのせいじゃあないんだよ。
 十年以上も、逃げ回らなくてよかったんだよ、サッティバ」

 ハリーにもようやく話が見えてきた。

 ・・・・・・

 ホテルに戻ったハリーから話を聞いた、アリテとベリオは苦虫をかみつぶしたような顔を隠さなかった。

「殿下、もう一度確認してもよろしいですか。
 わたくしたちは、限られた時間の中で、目的を果たすためにここへきております。
 今日ホテルにモリス君とベンジー君からの報告書が届いておりました。
 彼らもシーラを探すために動いております。
 王命でありながら、こう申し上げてはなんですが、あえて申し上げます。
 ベリオ殿は、近衛兵団として責任あるお立場にあり、その仕事を部下に任せてきております。
 モリスくんは、監督生としての責務を後輩に預けております。
 ベンジーくんには、士官学校の勉強や訓練があるはずです。
 僭越ながらわたくしも、いくつかの仕事を預け、あるいは各部署に待ってもらい、ここへきております。
 もう一度、ハリー殿下にお尋ねいたします。
 わたくしたちは、ここでなにをすればよろしいのですか?」

 ハリーはしばらく思考を凝らしたが、やはり答えは変わらなかった。

「わかっている。
 だけど、見過ごすことはできない。
 あの母親と妹のもとに、兄を帰してやりたい。
 あの母親は、もう長いこと床に伏しているそうだ。
 母親が死んだら、彼女は一人きりになってしまう」

 ふう、とアリテは大きなため息をついた。
 今度はベリオが口を開いた。

「そのような境遇に置かれている民は、その家だけではありません。
 まして、リバエルの民ではなく、他国の民。
 陛下が手を差し伸べたとしても、それは砂浜で砂を拾うようなものです。
 しかし…」

 ベリオは情に厚い男であった。

「私はそういう殿下がきらいではございません」

 アリテは手元に紙を引き寄せて、さらさらと書きつけた。

「ベリオ殿までそうおっしゃるのであれば、私がいくら反対しても無駄でございましょう。
 しかし、セラフ殿には報告させていただきますよ。
 さて、それで十年も行方をくらましている男をどのように探すというのですか?
 そして、シーラ探しはもうあきらめるということでしょうか?」

 ハリーは少し顔を緩めた。

「ありがとう、アリテ、ベリオ。
 シーラ探しをあきらめるわけではない。
 いや、いっそシーラを探すのに具合がいいとさえ思うんだ」
「といいますと?」

 アリテとベリオはハリーの顔を見つめた。

 ・・・・・・

 母と娘の貧しい部屋に、きらびやかな衣装をまとった遊歴の貴族がいた。
 母親ティマと娘ミッシュアは目を輝かせて有難がった。

「リバエルの貴族様がまさかこのような粗末な部屋へ足を運んでくださるとは。
 ああ、うちのサッティバがまさか貴族様にお仕えてできるまでに出世したなんて。
 こんな夢みたいなことを誰が想像できただろう」

 ハリーの衣装に身を包んだアリテは、複雑な表情でぎこちない笑みを浮かべた。

「サッティバにはよくやってもらっている。
 母君と妹君のことは知らなかったが、こうして親子兄妹が再びまみえたのはよきことだ。
 わたしがここへ来たのもなにかの縁だったのやも知れぬ。
 サッティバ。
 おまえにしばらく暇をやろう。
 久しぶりに家族水入らずですごすといい」
「旦那さま、ありがとうございます」
「サッティバ、これはわずかだが見舞金だ。
 母君を大切にな」
「はい、旦那様」

 ハリーは片膝をついてうやうやしく、アリテから銀貨の入った小袋を受け取った。
 アリテはなんともいえないひきつった顔をしていた。
 この猿芝居とアリテの表情を見ながら、ベリオは口がゆがむのを必死にこらえた。
 有閑貴族とその用心棒は、粗末な部屋を出た。
 それと同時に、アリテは羽根突きの帽子を乱暴にとっていった。

「こんなこと、とてもセラフ殿に報告できない!」

 笑うのが気の毒だと思ったベリオは、なんとかこらえてアリテを慰めた。

「まあ、ハリー様のご性格を踏まえればこのくらいのことはやると思いました。
 おれは次第に慣れてきましたよ。
 ご一緒の間は、まだまだいろいろあるでしょう。
 アリテ殿も慣れることです」

 ・・・・・・

 話は少しばかりさかのぼり、昨日ホテルに届いたモリスたちの報告書を読んだアリテは言った。

「モリスくんたちの調べによって、シーラの過去の旅の経緯がわかり始めてきました。
 タルテン国、しかもペグロラン町を経由していたとは、少々驚きです。
 どれぐらいの月日を経ていたのかはわかりませんが、ゼルビアが故郷だとすれば、ずいぶん大回りをしたものです。
 シーラはたしか十五、六という年恰好だという話でしたね。
 なにか事故や事件に巻き込まれて、故郷に帰れなくなったと考えるのが普通でしょう。
 これまでよく無事に生きてこられたものです」

 そして、一日聞き込みに回っていたベリオが言った。

「シーラらしき人物の目撃証言ですが、いくつかそれらしいものがありました。
 まずシリネラ駅の駅員が、その年頃の少女を目撃しています。
 その際、単身の貴族風の男性と一緒だったそうです。
 おそらく、汽車旅で知り合った者同士だろうということでした。
 あるいは、そのほかに数名の少女が駅に降り立っています。
 また、シリネラの宿屋を一通り聞いて回りましたが、少女一人という客はありませんでした。
 今は、ゼルビア行きの便に少女が雇われた話がないか、あるいは、住み込みで少女を雇ったという話がないかと聞いて回っているところです。
 町は東西に長く南北に狭い。
 西が屋敷街、東が平民街ですから、まずは東の地区で聞き込みをしています」

 アリテは思慮深げにテーブルの一点を見つめた。

「この報告書でもそうですが、少女が自力のみを頼りに旅をするということはありえない。
 誰かしらの協力があったに違いありません。
 だとすれば、シーラは汽車の中で何者かと知り合い、その者を頼ったのではないでしょうか。
 さきほど、貴族風の者と一緒にいた少女の目撃証言がありましたね。
 彼女がシーラだとすれば、シーラはその男の力を借りて仕事を求めたかもしれません。
 それに、シーラは鼻見栄の一音。
 屋敷勤めの経験もある。
 シーラを探すなら貴族屋敷の並ぶ西のほうではないでしょうか」

 それに対してベリオは首をかしげた。

「アリテ殿の意見も一理ありますね。
 しかし、私が聞いた限りに、シーラは向こう見ずと言いますか、少々変わった人物に思われます。
 ベンジーを振り切るために銀貨をばらまいたり、どういう手を使ったかはわかりませんが、無一文で汽車に乗ったりしています。
 そんな彼女がシリネラまできて、のんびりと旅費を稼ぐとは思えません。
 ゼルビアに近づきながら、なんとかして仕事を得ようとすると思います」
「確かに、それもそうですね」
「それもあるが」

 ハリーがそこで口を割った。

「シーラがリベルを火急に立つ所以となった火災の事だ。
 ゼルビアで焼け落ちた屋敷は、ザルマータ王家の遠い親戚筋にあたるマリーブラン家。
 シーラが務めていた屋敷がこのマリーブラン家だとすれば、その家人を訪ねる可能性がある。
 では、こうしてはどうだろう。
 俺はサッティバとして、東の町の聞き込みをする。
 そして、ベリオには西の町で聞き込みをしてもらう。
 そして、アリテにはマリーブラン家について調べてもらう」

 ハリーの提案に二人の付き人はうなづいた。

「では、サッティバ探しはどうしますか?」

 ベリオの質問に、ハリーは腕を組んだ。

「まずは、ミッシュアやサッティバの知り合いたちから情報を聞き出すほかない。
 大々的にサッティバの帰還を宣伝すれば、サッティバ本人が、あるいは」

 アリテはまたも大きなため息をつき、色の悪い顔を伏せた。

 ベリオにはどこか面白がっているような雰囲気が口の端にもれた。

 ・・・・・・

 サッティバに扮したハリーは、年老いた母と苦労を重ねてきた妹のこれまでの暮らしぶりに耳を傾けた。
 母ティマは夫の葬儀を終えた後、シリネラの病院の洗濯女として働きだした。
 それだけでは足りず、夜は給仕婦として働いた。
 夫の残した借金を返しながら、幼い娘との暮らしを守ることは容易なことではなかった。
 ミッシュアが十になるかならないかという年に、ティマは無理がたたって体を壊した。
 ティマの代わりにミッシュアは病院で働いた。
 ティマは少し良くなると働きに出ては、悪くなるということを繰り返した。
 幼いミッシュアの稼ぎでは借金はおろか、日々の暮らしにもことをかく。
 ティマが無理を重ねるのも無理からぬことだった。
 家財を失い、家を失い、日用品や靴下や、ティマとミッシュアの髪まで売れるものは何でもうった。
 次第にティマは伏せがちになり、重い病にかかったが、医者に見せる金も薬を買う金もなかった。
 ミッシュアは病院勤めのほかに、近所の繕い物や子守など、どんな仕事でも引き受けた。
 それでも、少ない稼ぎから借金を返済すると、母娘二人が口にのりをできない日が幾日もあった。
 ミッシュアが大人と同じくらいに働けるようになって、ようやく給金もそれなりにもらえるようになったが、ティマを医者
 に見せられるほどの余力はない。
 また、ティマもそんなことにお金を使うくらいなら、娘の将来のために金を貯えよというのが常だった。
 ハリーは偽りの旦那様からもらった見舞金で、ミッシュアの働く病院にティマを入院させた。
 ミッシュアは、兄が帰ってきことを嬉しそうに知り合いという知り合いに話して回った。
 中には、赤切れたミッシュアの手を握り、あるいは細い肩を抱いて、一緒に泣いてくれる者や大喜びしてくれる者もいた。
 それだけでミッシュアの人柄がハリーにも十分わかった。
 ティマは清潔な病室で、正しい治療と十分な食事を得て、少しずつ顔色がよくなってきた。
 そんな二人を見ていると、ハリーはなんでも買ってやって、いい部屋を借りて、不自由のない暮らしをさせてやりたいと心から思った。
 だが、そのためにはまず、本当のサッティバが不可欠だった。

 ある日、ハリーは町でシーラの聞き込みをした後、夕方になってミッシュアを病院まで迎えに行った。
 ミッシュアははじめ一人でも帰れるから大丈夫だといっていたが、それでも迎えに行くと嬉しそうに腕組みをしたがった。
 そして、時にはさみしそうなかおで、このようなことをハリーに言うのだった。

「お兄ちゃん、いつまでいられるの?」
「うん…、そうだな…」

 シーラの足跡と思しきの情報はかなり集まっていた。
 ゼルビアのマリ―ブラン家の屋敷を訪ねた若い娘がいたという情報も耳にしていた。

「実は、旦那様からゼルビアに行くから同行せよと言われているんだ」
「…そう、それがお兄ちゃんの仕事だもの。わがまま言っちゃいけないわね」
「でも、リバエルに戻る前には必ずここへ寄るから」
「うん、お母さんのところにもね」
「ああ」

 ミッシュアは無理に笑顔を作ったが、それがなおさらハリーにはつらく映った。
 ゼルビア出発の前日、ハリーは不審がられない程度の金をミッシュアに渡した。

「ミッシュア、俺にはこんなことしかできないが、許してくれ」

 ミッシュアは驚いたようにハリーの腕にしがみついた。

「そんな、お兄ちゃんは、私にとって最高のお兄ちゃんよ。お母さんだってそう思ってるわ」

 ハリーはミッシュアの肩を抱いた。
 この言葉を、本当のサッティバに聞かせてやらなくてはならない。
 ハリーは改めてそう思った。

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