【完】待ち焦がれてラブ・バージン 職なしパテシエールと訳あり御曹司の甘くおかしなプライマリー

国府知里

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# あまい蜜

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 アンナと連絡が取れなくなって一週間。ジェイダンは気がおかしくなりそうだった。アンナと連絡が途絶えたあの日、ジェイダンはアンディに集めさせておいたプランを見ていた。ようやくアンナと思いが通じ、ふたりの距離をもっと縮めるためにジェイダンが考えたのは、ふたりで最高の旅行体験をすることだった。それはシンプルに、アンナに育った祖父母の家を見せたいということでもあったし、店づくりにいそしむ現実から少しの間逃避して、自分だけを見てほしいという想いの為だった。

 それなのに、アンナはしばらく連絡はできないというメッセージだけを寄越すと、それきりぱったり連絡を絶ってしまった。和泉の家に行っても、本宅を訪ねてもどこにもいない。そのうえ、アンナに口止めされているからと、アンナの両親も口を開いてはくれない。ジェイダンはまったくわからなかった。

(アンナ、いったいなにを考えているんだ、今どこにいる……?) 

 ジェイダンは、今日四度目の電話をマリヤにかけた。

「マリヤ、アンナから連絡は?」
「ないわ……」

 実際、マリヤはアンナがどこにいるかは知らなかった。しばらく店を休むから、いくつかのお菓子の予約をキャンセルさせてほしいという連絡があっただけだ。

「マリヤ、本当にどこにいるのか知らないのか」
「……知らないわ」
「アンナがいなくなる前、君になにか言わなかったか? なんでもいいんだ」
「……」

 マリヤは自宅のベッドの上で口もとを押えた。

(……ああ……いわなくちゃ、本当のことを)
「ジェイダン……」

 電話の先でジェイダンが耳を澄ませているのがわかる。しかしマリヤの頭の中は別の言葉で溢れていた。

(……わたしはあなたが好きなのよ……!)

 マリヤは震えるようにいった。

「知らないわ……」
「わかった……」

 電話が切れ、マリヤはブランケットをだきしめて顔を突っ伏した。そんな時、部屋をノックする音が聞こえた。マリヤはベンだと思い、どうぞと答えた。

「やあ、マリヤ」

 ドアを開けて入ってきたのは、ディックだった。その顔に浮かんでいるにやけ笑いが、マリヤの神経を逆なでた。

「なんで、ここにいるのよ!」
「君のお母さんに、見舞いに来たといったら通してくれたよ」
「帰ってよ!」

 ディックは首を傾げて見せる。

「その様子だと、ドミノはうまく倒れたようだね」

 マリヤは思わず低くうなった。

「さあ、次々とドミノのピースが倒れていく。君も急がなきゃ」
「あんたなんか、現れなきゃ……」
「マリヤ、今さらなにをいってるんだ? 君が望んでいたことじゃないか。大丈夫、うまくいくよ。君はなにも知らないし、なにも悪くない。ただ一言、ちょっとした一言を言っただけ。それより、ジェイダンを捕まえなくていいのか? 今度は、彼の病を支えにならなければ。マリヤ、君の仕事だよ」

 マリヤはきつくディックをにらみつけたが、そのあと顔をそらして大きく首を振った。

「わたしは、馬鹿よ、大ばかよ!」
「君はもっと素直になるべきだ」

 顔をあげると、ディックがそこにいた。

「君が好きでもない男と婚約するなんて、ありえない。君は本当に好きな相手と一緒になるべきだよ。それが君だよ。その真っ直ぐさが、君らしさなんだ」

 マリヤはディックの瞳を見つめながら、胸の中に立ち込める黒い霧に葛藤した。

「彼には君の支えが必要だ。病を克服するためには、献身的な君がそばにいなければ。ジェイダンは君を必要としているよ」
「帰って、ディック!  もう二度とわたしの前に現れないで!」

 マリヤは奥歯をかみしめた。ディックは奇妙な笑みを残して、部屋を後にしていった。マリヤは頭を抱え、膝を引き寄せた。否定したいのに、ディックの言葉がマリヤの心をからめとる。こんなに嫌な気持ちになったのは、どれぐらいぶりだろう。マリヤの人生至上、トップスリーにのぼるのは確実だった。

(ディック、あんなやつ……今度こそ、友達を辞めてやるわ)

 それからさほど間をあけず、ベンが部屋にやってきた。ベンはマリヤの顔を見ると、即座に思った。

(昨日よりもっと様子がひどい……)

 ベンはマリヤの気分をなだめるために買ってきた、パティスリー樺月の菓子を脇において、マリヤの傍に腰掛けた。マリヤはすぐにその包みに気が付くと、突然のように涙ぐんだ。ベンはすぐにマリヤの肩をさすった。

「もう、アンナはわたしにガレットを二度と焼いてくれないわ……」
「マリヤ……」
「二度とよ……」
「アンナとけんかしたのかい……?」



 マリヤは首を振った。同時に瞳から涙の雫がこぼれた。

「ひどい気分よ、最悪なの。わたし、今この世で一番最低なの」

 ベンはマリヤを見つめて、じっとその様子に神経をむけた。

「君が? 僕が知る限りこの世で一番素敵な人なのに?」

 マリヤはベンを見ると涙があふれた。

「もう違うの、わたしはあなたが思うような人間じゃない……」
「マリヤ……」
「生まれて初めて、こんなにも自分のことがきらいだわ……」
「マリヤ、なにがあったの……?」

 マリヤの涙がとめどなく流れおち、マリヤは目を伏せた。

「あなたもわたしのことをきらいになるわ。幻滅する……」
「僕が君を? そんなことはないよ」
「するわよ、わたしでもしてるんだから……」
「マリヤ、なにがあったのか話して」

 マリヤはディックが来てからのこと、自分がついた嘘のことを、涙ながらにベンに話して聞かせた。とちゅう途中、後悔と自己嫌悪にさいなまれたマリヤは言葉を失い、全てを話し終える間にベンは三回も仕事の電話を受けては、その予定を遅らせるよう伝えなければならなかった。その度、マリヤは自分にはそんな価値がないと思いながらも、自分のことを優先してくれるベンに甘えた。一通り聞き終えても、ベンはマリヤのそばを片ときも離れなかった。

「わかったでしょ、ベン……。わたしを軽蔑したでしょ?……」

 マリヤは涙をぬぐいながらそう言った。マリヤの告白を受けて、ベンは知られざるマリヤの胸の内にも触れたが、それはそれほどベンを揺るがすものではなかった。ベンはマリヤがジェイダンのことを好きだったのを知っていたからだ。今初めて知ったのは、マリヤがジェイダンではなく、自分を婚約者に選ぶにいたったことの真相だ。だがそれも、ベンが予想するには固くないことであり、ベンはそれすらもすんなりと受け入れていた。

 ベンにとって、いつもはつらつとし明るいマリヤが、目の前で頬を濡らす姿はそう何度も目にすることではない。こどものころなどむしろ、自分のほうがたびたび泣きべそをかいていたくらいだ。ベンは、じっとマリヤを見つめ、マリヤの視線をまった。

「マリヤ、君が兄さんのことを好きだったことを、僕は知ってたよ。それでも僕を選んでくれたときのことは、僕は人生で一番うれしい出来事だった。こうして君は、自分のしてしまったことを後悔しながらも、今も兄さんのことを思っているんだね」

 マリヤはうるんだ目でベンを見つめている。

「怒ってる……?」
「ああ、怒っているよ」

 ベンはそういったが、言葉は穏やかだった。

「君は大きな間違いを犯している。僕は君のことが好きだ。小さいころからずっと好きだ。だけど、君への気持ちはそれだけじゃない。僕は君のことをずっと尊敬してきた。それは、僕らが同志だと思っていたからなんだよ」

 マリヤはベンの口から初めて聞く、同志という耳慣れない言葉に、瞳を揺らした。

「僕の家族は昔から問題だらけだった。父さんはワンマンで、ジェイダン兄さんは父さんを憎み、ロビン兄さんは身体が弱い。母さんの心労は大変なものだった。僕は幼いころ、いつもいいようのない不安なさいなまれていたよ。
 でも、そんなときにいつもそばにいてくれたのは君だよ、マリヤ。僕が鞄を隠されたとき、君は一緒に探してくれた。ロビン兄さんのお見舞いにはいつも一緒に来てくれた。僕の誕生祝いを企画してくれるのはいつも君だった。
 大きくなってからは、ジェイダン兄さんと父さんのことを一緒に心配してくれたし、この前だって一緒に兄さんに会いに行ってくれた。母さんが亡くなったときに、君がくれたお菓子がどれだけ僕の心を慰めたか……。マリヤ、僕がこれまで、どれだけきみに助けられてきたかわかるかい?」

 ベンの温かい言葉の一つ一つが胸に迫り、マリヤの思いは涙となってあふれた。

「そんな君が、ディックの言葉一つで、そんなふうに自分を嫌いになる必要がどこにあるの?」

 マリヤのとめどない涙にベンはひたすら温かいまなざしと、手を差し伸べた。マリヤが落ち着いてきたころ、ベンは続けた。

「君が望むなら婚約を解消してもいい。だけど、同志であることには変わりがない。違うかい? 僕と一緒に家族のことで悩みながらそばにいてくれた君が、いいや、ときに僕以上にみんなのことを心配してくれた君が、そんなまやかしの言葉で自分を見失う必要なんてない。このまま、兄さんが不幸になるのをみすみす見過ごすなんて、君は本当にできるの?」

 マリヤの心にベンの言葉が深くしみいる。これほどまで雄弁な言葉をベンはどうして胸の内に隠していたのだろう。幼い頃からこれまでふたりは多くの時間を共有してきた。それにも関わらず、ベンが思っていることの多くを、マリヤが知る機会は訪れなかった。たった今、この時までは。

「僕の知っている君ならしない。それこそ君らしくないよ、マリヤ。もしそんなことがあるとすれば、そのときは本当に君を軽蔑するだろう」

 マリヤはうなづくと、ベンの胸に身を寄せた。ベンは柔らかな髪の感触を頬に受けて、優しくマリヤの背中を抱いた。

 ***

 その夜、ジェイダンのホテルの部屋を訪ねたマリヤはすべてのことを打ち明けた。これまでのジェイダンに向けてきた想いの丈、そしてベンとの婚約した後も、自分でも気づかぬほど埋もれるようにくすぶり続けていた片想い。そして、昔の恋人ディックの虚言と、それに乗ってしまった自分の弱さ。それらは、ジェイダンにとっては、思いもよらなかった告白だった。だが、思い返せば、マリヤが自分のためにあれこれと気を巡らせてくれたり、なにくれと用をつくって連絡をとってきたことなどが、ふつふつとよみがえった。ジェイダンはあらためて従妹を見つめた。

「そうか、少しも気が付かなくてすまなかった……」
「いいのよ。わたしもはっきり言わなかったもの」
「だけど、ごめん、マリヤ……」
「ううん、ありがとう。ちゃんと振ってくれて。これでわたしも区切りがついたわ、ほんとうよ」

 たしかに、マリヤの瞳にはもうなんの陰りもなかった。元来、マリヤの性格はあとには引きずらないタイプなのだ。ジェイダンはもう一度マリヤを見た。

「もう一度聞くけど、アンナの行先に心当たりはないんだね?」
「ええ、さっきもメッセージを送ってみたけど、既読にもならなくて……」


 ディックのたくらみを、ジェイダンはできるだけ早く払拭したかった。一度話せば、すべてデッィクの虚偽だったことを伝えられる。だが、いまだ連絡もつかず、行方の目星もたたない。焦りが募るばかりだ。

「それ以前に、ニュータウン計画のことをアンナは相当ショックを受けていたわ。まるで、もう心を失ったみたいにぼんやりしていたの。新しい就職先か、別の土地での開業について、わたしからサポートさせてとは伝えたんだけど……」
「そうだな……。計画自体を止めることはできないが、これまで店づくりに費やしてきた努力は、無駄じゃない。アンナもそれはわかっているはずだ」
「君が望むなら婚約を解消してもいい。だけど、同志であることには変わりがない。違うかい? 僕と一緒に家族のことで悩みながらそばにいてくれた君が、いいや、ときに僕以上にみんなのことを心配してくれた君が、そんなまやかしの言葉で自分を見失う必要なんてない。このまま、兄さんが不幸になるのをみすみす見過ごすなんて、君は本当にできるの?」
 マリヤの心にベンの言葉が深くしみいる。これほどまで雄弁な言葉をベンはどうして胸の内に隠していたのだろう。幼い頃からこれまでふたりは多くの時間を共有してきた。それにも関わらず、ベンが思っていることの多くを、マリヤが知る機会は訪れなかった。たった今、この時までは。
「僕の知っている君ならしない。それこそ君らしくないよ、マリヤ。もしそんなことがあるとすれば、そのときは本当に君を軽蔑するだろう」

 マリヤはうなづくと、ベンの胸に身を寄せた。ベンは柔らかな髪の感触を頬に受けて、優しくマリヤの背中を抱いた。

 ***

 その夜、ジェイダンのホテルの部屋を訪ねたマリヤはすべてのことを打ち明けた。これまでのジェイダンに向けてきた想いの丈、そしてベンとの婚約した後も、自分でも気づかぬほど埋もれるようにくすぶり続けていた片想い。そして、昔の恋人ディックの虚言と、それに乗ってしまった自分の弱さ。それらは、ジェイダンにとっては、思いもよらなかった告白だった。だが、思い返せば、マリヤが自分のためにあれこれと気を巡らせてくれたり、なにくれと用をつくって連絡をとってきたことなどが、ふつふつとよみがえった。ジェイダンはあらためて従妹を見つめた。

「そうか、少しも気が付かなくてすまなかった……」
「いいのよ。わたしもはっきり言わなかったもの」
「だけど、ごめん、マリヤ……」
「ううん、ありがとう。ちゃんと振ってくれて。これでわたしも区切りがついたわ、ほんとうよ」

 たしかに、マリヤの瞳にはもうなんの陰りもなかった。元来、マリヤの性格はあとには引きずらないタイプなのだ。ジェイダンはもう一度マリヤを見た。

「もう一度聞くけど、アンナの行先に心当たりはないんだね?」
「ええ、さっきもメッセージを送ってみたけど、既読にもならなくて……」

 ディックのたくらみを、ジェイダンはできるだけ早く払拭したかった。一度話せば、すべてデッィクの虚偽だったことを伝えられる。だが、いまだ連絡もつかず、行方の目星もたたない。焦りが募るばかりだ。

「それ以前に、ニュータウン計画のことをアンナは相当ショックを受けていたわ。まるで、もう心を失ったみたいにぼんやりしていたの。新しい就職先か、別の土地での開業について、わたしからサポートさせてとは伝えたんだけど……」
「そうだな……。計画自体を止めることはできないが、これまで店づくりに費やしてきた努力は、無駄じゃない。アンナもそれはわかっているはずだ」
「ナツキちゃんまで、どうしてそう思うんだい?  僕はアンナと心が通じたんだ。僕はヒューの存在を信じているし、否定の言葉を言ってはいけないってことも、アンナに聞いた。知らないほうがいいどころか、アンナはそれで僕に心を開いてくれたんだよ」
「アンナさんは他になにか言ってなかった?」
「なにかって?」
「なにかよ」

 ナツキはジェイダンを見上げて、その顔に答えを探すかのように見つめた。ジェイダンはアンナとの会話をさかのぼって考えてみた。あの日のアンナが話していた言葉をひとつずつ思い出してみる。

「そういえば、契約がどうとかって……」
「それで?」
「いや、そのあとすぐ来客があって、詳しいことは何も聞いてない」

 ナツキは見る間にがっくりと肩を落とし、やっぱり暗い顔は暗いままだった。

「契約って何のことなの、ナツキちゃん」

 ナツキはしばらくだまってジェイダンの顔を見つめていたが、無視して塩と灰をまき始めた。

「さよなら、ジェイダンさん」

 そういうとナツキは暗い顔のまま家に戻っていってしまった。

(契約……。なんのことだ? ヒューとアンナがなにかを契約しているのか? それがどう関わるっていうんだ……)

 ***

 東京に戻り、ジェイダンはベンとマリヤと一緒に、実家のベンの自室にいた。自宅での打ち合わせも少なくないので、ベンは今も実家に同居している。ベンはマリヤから聞いたアート不動産開発とタジミ建設の動きについて調べているところだったが、マリヤとジェイダンが来たところでその手を休め、三人でアンナの行方について意見を交わしていたところだ。
 すると、ロビンの妻、千佳がトレーにお茶を載せてやってきた。千佳は、柔らかな淡い花のプリント柄のワンピースに、シンプルなエプロンをかけている。ゆるく巻いた髪を後ろにまとめ、目には細いフレームの眼鏡をかけている。今の戸川家は、千佳とハウスキーパーが家のあれこれをまかなってくれている。

「よかったらリビングか会議室を使って、ベンさん」
「ありがとうございます、千佳姉さん。もうすぐロビン兄さんや父さんも帰ってくるでしょうから、ここで結構です。お茶をありがとうございます」
「ジェイダンさん、マリヤさん、お夕食を召し上がっていって下さいね」

 マリヤは、ええと答えたが、ジェイダンはにわかに首を振った。

「今度は父のいないときにぜひ呼ばれます。いつもすみません」

 千佳は気にしないで、とほほ笑むと静かに部屋を後にしていった。



 ベンはダージリンの香りを吸い込みながら話をつづけた。

「それで、兄さんのさっきの意見だけど、僕はどうかと思います」
「アンナが家族には行先を知らせている以上、警察には動いてもらえない。探偵やプロに調べてもらうのがいい」
「そんな大ごとにしなくても、アンナはそのうち自宅に戻ると思いますよ。それより、病院の予約を取り消すなんでどういうつもりですか?」
「こんなときに行ってられるか」
「兄さん!」
「僕のことより、アンナのことを心配してくれ!」

 思わずもれたジェイダンの焦りに、ベンはふうとため息をついた。

「家族に連絡を取っているなら、少なくともアンナは安全なところにいるはずですよ。あちらから何の接触もない以上、こちらはなにもできません。それより、今は焦らずできることをやりましょう。アンナも兄さんの恐怖症のことを気にかけてくれていたのですから、兄さんが治療に前向きになったと聞けば、アンナも喜ぶのではないですか?」

 ベンのいうことはもっともだった。だが、ジェイダンの気持ちがそれで治まるわけではなかった。

「もともとおまえはアンナの僕との仲に反対だった。だからそんな冷たいことが言えるんだろう。おまえは……」
「兄さん、言葉を返すようですが、それならなぜアンナは直接兄さんに事の真相を確かめようとしないんですか? たしかにマリヤの言葉が誤解を生んだのは確かです。親しく付き合う中でマリヤに信頼を寄せていたことは確かでしょう。でも、アンナと兄さんとの間に確かなものがあったのなら、アンナはなぜ兄さんにそのことについて問いたださないのですか?」

 ジェイダンの瞳が揺れた。それがわからないから、平常心でいられないのだ。

「僕は正直今でも、兄さんとアンナが付き合うことには反対です。アンナが戸川家にふさわしい素養を供えているとは思いません。家でお菓子を焼く程度なら許せもしますが、それを仕事にするいうのなら話は別です。アンナに母さんやマリヤと同じことができるはずがない。だが、かといって千佳姉さんのように家庭に入るつもりもないのでしょう? 彼女は若すぎるんですよ、兄さん。あと五年か十年か経てば状況も変わるでしょうが、少なくとも僕には今のアンナが兄さんにふさわしいとは思っていません」

 ジェイダンは真一文字に口をつぐむと、奥歯をかみしめた。

「おまえに、アンナのなにがわかる」
「兄さんこそ、アンナのなにをわかっているんですか?」

 ベンの言葉にジェイダンは激情を浮かべた後、なにも言わずに部屋を出ていった。終始はらはらしふたりのやり取りを見守っていたマリヤはベンに詰め寄った。

「あんないい方しなくてもいいじゃない、ベン!」
「マリヤ、考えてごらんよ。父さんがアンナを兄さんの結婚相手に許すと思うかい?」
「そんなことまだわからないじゃないの! それに、アンナはいい子よ! どうしてジェイダンを応援してあげないの? アンナだって、きっと思いはおなじよ!」
「僕はアンナが嫌いだからだよ。そしておおよそ僕の判断基準は父さんと同じだ」
「ベン!」

 マリヤはやるせなくねめつけると、踵を返しジェイダンの後を追った。
 たった今車を出そうとしているジェイダンを見つけ、マリヤは慌てて助手席に飛び乗った。

「待って、ジェイダン、落ち着いて!」

 ジェイダンは構わず車を発進した。

「ベンのいい方はどうかと思うけど、あれでもあなたのことを心配しているのよ、本当よ!」
「すまないがマリヤ、今はなにも聞きたくない」

 マリヤは口をつぐみ、ジェイダンは荒々しい運転で都内を疾走した。青信号に変わった瞬間に、ジェイダンはアクセルを踏み込んだ。マリヤはまたたくまに上がっていく重力加速度に耐えながら、マリヤはジェイダンが落ち着くを待った。マリヤの携帯が鳴った。ベンだろうと直感し、マリヤは今出るべきかどうかを迷ったが、マリヤは画面を確認した。

「……アンナ……?」

 マリヤのつぶやきに、ジェイダンが素早く反応した。

「マリヤ、出てくれ!」

 ジェイダンはそういいながら停車できそうな場所を探した。

「アンナ、今までどうしていたの?」
「マリヤ、心配かけてごめんね……。今羽田についたところなの……」
「羽田? どこへ行ってたの、アンナ! 本当に、心配したのよ!」
「マリヤ、スピーカーにしてくれ」

 マリヤはすぐにアイコンをタップした。

「アンナ、君は一体どこにいたんだ!」

 電話の向こうでアンナが息を飲んだのがわかった。

「ジェイダン……」
「今から迎えに行く。そこで待っててくれ!」
「来ないで、ジェイダン……」
「頼むから、アンナ!」

 通話が切れた。ジェイダンはすぐに方向指示器を出した。

「マリヤ、もう一度かけてくれ!」
「今やってるわ!」

 結局、羽田空港でアンナと会うことはできなかった。それ以降は電話も繋がらず、ジェイダンはマリヤを自宅に送ったのは十一時を回っていた。

「とにかく、明日アンナの家に行ってみましょ……? きっと戻ってるはずよ」

 ジェイダンとマリヤは明日九時に待ち合わせることにした。ジェイダンの車を見送った後も、マリヤはしばらくそこに立っていた。

(アンナ、どうかわたしたちの話を聞いてちょうだい……。話を聞けば、すべて誤解だったとわかるのよ)

 アンナは心の中でアンナに呼びかけた。そのとき、自宅のドアが開き、人影が現れた。

「来てたの、ベン……?」



 マリヤはベンに、結局アンナと行き会えず、帰りが遅くなることを報告していた。

「ああ、ちょっと心配だったから……。兄さんはどう?」
「抑えているけど、辛そうだわ。でも……、明日になればきっとすべて解決する。きっと大丈夫」

 マリヤは努めて明るく言った。ベンもひとまず同調した。ベンが戸を開き、マリヤを迎えようとしたその時、道の向こうから人影が手を挙げてやってきた。マリヤはとたんに眉をしかめた。

「やあ、マリヤ」
「ディック……!」

 よくもまたのこのこと現れたものだ。マリヤはその顔に怒りをあらわに前に出た。

「二度と顔を見せるなと言ったでしょ……!」
「その様子からすると、君はまだ君らしさをとりもどしていないようだね?」

 ディックはおどけたように手を広げた。すると、マリヤを後ろに追いやり、ベンが前に出た。そしてつかつかとディックの前にやってくると、やや高い位置にあるディックの瞳を真正面から見すえた。

「君にマリヤらしさのなにがわかる」

 抑えられていたが、ベンの意思ははっきりとしていた。

「友人として心配しているんです」
「その必要はない。帰ってくれ」
「彼女は素直になるべきなんです」
「君には関係ない」

 ディックは肩をすくめ、いつかのように奇妙なにやけを口元に浮かべた。

「そんなのマリヤらしくない」

 次の瞬間、ベンの大きな声が夜闇に響いた。

「おまえが勝手に決めるな!」

 ディックはびくりと体を震わせ、目の前の男を凝視した。

「帰れ、二度と来るな」

 ベンの睨みにすくみ、ディックは口を閉ざした。ベンはディックがそれ以上なにかを言うのを態度で許さなかった。ディックはけんかに負けた犬のように、すごすごと背を向け、来た道を帰っていった。
 マリヤのもとに戻ると、ベンは言い訳するように言った。

「本当は一発くらい殴ってやりたかったけど、僕はけんかが苦手だし……」

 しかし、マリヤはベンに抱き着くと、その横顔に手を当て、くちびるをさらった。

(マリヤ……?)

 ベンはまだマリヤとちゃんとしたキスをしたことがない。唐突に振ってきた魅惑の感触に、ベンの頭は真っ白になった。マリヤが唇をはなすと、熱っぽくつぶやいた。

「なんてかわいい人なの……」
「マリヤ、だめだよ……」

 ベンは破れ掛けた理性でなんとかそう言った。

「誰も見てないわ」
「違うよ」
「婚約者でしょ、わたしたち」
「そうじゃなくて」
「ちがうの?」
「その……」

 ベンは的確な言葉が見つからない。マリヤは急いたように言った。

「それなら、わたしと結婚して」

 マリヤは再びベンの唇をふさいだ。ベンの思考はコットンキャンディのようにとろけていく。マリヤの激しい求めに、ベンの口の中はあまい密で溢れかえった。

「泊まっていくでしょ?」

 マリヤのささやきに、抗うすべはなかった。


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