成瀬さんは世渡りが下手すぎる

喜島 塔

文字の大きさ
36 / 126
第二部

しおりを挟む
 岡崎さんとの約束の日の夕方、山崎洋子がいつも通り滞りなく業務を熟してくれたおかげで、少し余力を残したコンディションで唯香はその日の業務を終えた。課内の社員から声を掛けられ、嫌な顔ひとつせず笑顔で受け答えしている山崎洋子を後目に、唯香は職場を後にした。小川が在職していた頃は、何かにつけて、唯香を頼ってきた若い女性社員だ。あの頃、身も心も余裕がなかった唯香は、彼女に対して、いったいどんな顔をして接していたのだろう? きっと般若のような顔をしていたに違いない。本当に仕事ができる人というのは、山崎洋子のような人なのだろうな、という認めたくなくても認めざるを得ない嫉妬心が喉元までせり上げてきた。

 岡崎さんが指定したお店は、東京メトロ線日比谷ひびや駅から徒歩5分ほどのところにある一流ホテルの最上階にあるフレンチレストランだった。普段、唯香が外食する場所と言えば、タケルとよく行く安くて美味しい居酒屋チェーン店ばかりの唯香にとって、そこは異世界と言っても過言ではないお店だった。広々としたエントランスに足を踏み入れると、唯香の眼前には、まるで主演女優賞を受賞した誉れ高い女優が闊歩するようなレッドカーペットが中央階段に向かってバラの花が咲き乱れるように続いていた。闇夜を彩る星のカケラを目いっぱい搔き集めて作ったティアラみたいなシャンデリアがスポットライトのように行き来する人々を照らし、それぞれが名作映画の主役になったかのような魔法をかけられて、皆、陶酔感に浸ったような表情をしていた。

 ドレスコードがあるレストランなんて大学の友達の結婚式以来かしら? などと考えながら、ブラウンのロング丈のプリーツワンピースにベージュのジャケットを羽織った唯香は、パウダールームの鏡に映し出された自分の姿を見て、「まだまだ私も捨てたもんじゃないな」と自分自身に自信をつけるように言い聞かせた。パウダールームを出て、ロビーに戻ると、唯香に気付いた岡崎さんが近づいて来た。夏に会った時よりも髪が少し短くなっていて、端正なマスクによく似合っていた。

「成瀬さん、今日は来てくれてありがとう! あの件の後、国際営業課内はバタバタしていて、海外出張も重なったものだから、中々連絡できなくて、本当に申し訳なかったね。成瀬さんに愛想尽かされて、今日来てくれなかったらどうしようって、不安だったんだ」

 そう言って、岡崎さんは照れ笑いを浮かべた。ただそれだけのことで、すっかり萎れてしまった恋の花の蕾が再び開花するような、そんな単純な自分を、唯香は少しだけ恥じらった。「そんなに“ちょろい”から男選びに失敗するのよ」と叱咤する冷静な自分と、「でも、恋愛なんて熱病みたいなものなんだから、ガードが固すぎるより、少し“ちょろい”くらいがちょうどいいのよ」と唆す軽薄な自分が唯香の中で戦っていた。

「いえ……私の方こそ、お忙しいところ、私事の連絡で煩わせてしまってごめんなさい」
「いや……俺が“あの件”について、成瀬さんにちゃんと話さなかったのが悪いんだ……とりあえず、レストラン予約した時間になるから、最上階へ移動しようか」
「はい」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...